(Mascarón de Estructura 34, Templo Garra de Jaguar)
紀元前 200-150 頃に建造されたと考えられるジャガーの鈎爪の神殿(建造物 34)からは巨大な漆喰の仮面が発掘されています。
階段両脇に一対の仮面があり、太陽・ジャガー神の姿をした王か貴族と考えられ、階段左(写真左)が東側で死者の様相をしていて、
階段右が西になり生気に満ちた顔になり、東西で太陽の運行を示しているそうです。
(Dibujo de Estrctura y Mascarón)
現地に置かれた説明板から、神殿の復元画と仮面の模写です。 神殿は東西の脇神殿を伴う古い三神殿形式で、全体が赤く彩色されていたようです。
(Decoración del Templo antiguo rescatada debajo de la Estructura 34)
この神殿の内部には紀元前 400-300年頃の古い神殿が眠っていて発掘調査が進んでおり、ちょっとだけ覗かせて貰いましたが、赤く彩色された
漆喰彫刻の一部が確認出来ました。
(Mascarón de Estructura 313)
こちらは建造物 313 に残された巨大仮面で、漆喰成形と言うより直接石灰岩を彫ったように見えましたが、この上に漆喰を塗って赤く彩色されていたようです。
(El complejo de La Danta, recortado de la ilustración, se observa muchas mascarones)
これはエル・ミラドールで一番高いラ・ダンタのピラミッドの復元画で、多くの巨大仮面装飾が描かれています。 実際遺跡で見られるのは仮面の残骸ばかりですが、
その痕跡は遺跡の各所で見られます。
エル・ミラドールは紀元 150- 200年頃には放棄されたそうですから、ここで見られる仮面装飾はまずは仮面文化の先駆けと言えそうです。
それにしても 2000年以上前の仮面装飾が高温多湿のジャングルで残されているのは驚きです。 エル・ミラドール遺跡の詳細はこちらから。
(Lado norte de Estructura E VII sub)
矩形のピラミッドは東西南北四方に階段が取り付けられ、階段の左右、一層目と二層目に合計4つの仮面があり、四面全てで合計16の仮面装飾が
ありましたが、南西角は積み重ねられた新しい建物が被ったままの状態に残してあり、合計12の仮面が露出しています。 写真はピラミッドの西面で
仮面が4つ見えます。
(Página 240-241 de "Culturas Prehispánicas de México, Guatemala y Honduras")
ピラミッドがあるエリアはウアシャクトゥンのグループEで、紀元前 250年頃から紀元 250年頃にあたる先古典期後期から原古典期の遺跡になり、
古典期前期に入る頃にピラミッドは新しい建造物で覆われた為、発掘された矩形のピラミッドは地下建造物として建造物 E VII sub と
呼ばれます。
このピラミッドを起点に東側に並ぶ3つのピラミッドを目印として夏至、冬至、春分、秋分の太陽の位置を観測していたと考えられ、マヤ最古の
太陽観察複合としてマヤの書籍には殆ど例外なく取り上げられ、この復元画は "Culturas Prehispánicas de México, ……" からスキャンしました。
(Tres mascarones al lado sur)
壁面装飾は大地の怪物を模したと言う説明が一般的ですが、上段はジャガーを装った太陽神で、下段は大地の豊穣を表わす蛇の神といった
ところでしょうか。 仮面装飾は暦が添えられていないので時代の特定は難しいところですが、考古学的には紀元前 100-0年に作られたものと考えられるようです。
現地に残された仮面は保存のために白い漆喰が上塗りされていて、グアテマラシティーの国立考古学博物館には上段の仮面の複製が展示されています。
ウアシャクトゥンでは石碑 5 によって 378年のシャフ・カックによる侵入で、テオティウアカン勢力の浸透が裏付けられており、
グループEやグループH(非公開)に見られる仮面文化はテオティウアカン侵入以前のウアシャクトゥンの旧王朝のものと考えられそうです。 ウアシャクトゥン遺跡の詳細はこちらから。
(Lado oeste de Estructura 5C-54)
ティカルで最も古い区域と考えられる”失われた世界(Mundo Perdido)”の中央に聳える建造物 5C-54 の西側正面に
かなり崩れていますが仮面が確認出来ます。 先古典期に作られた建物は数度にわたって増改築が加えられおり、
1979-85年に行われた修復は部分的でどの時代のものが露出しているか不明瞭ですが、仮面自体は古典期前期以前の原古典期頃(紀元前 50年-紀元 250年)
になるようです。
(Detalle del Mascarón y lado norte de 5D-4)
建物は登れないので望遠レンズで仮面部分をクローズアップしてみました。 かなり崩れていますが石材で仮面を形作った素地は確認出来、
階段の左右に太陽神を模った仮面は何ペアかあったようです。 右は同じ建物の北側側面ですが、同様に仮面が配されていたような造りです。
(Acrópolis Norte y Gran Plaza)
グラン・プラサの北に聳える北のアクロポリスは 紀元前 350年頃に建設が始まりますが、王が替わる度に埋葬と建物の増改築が繰り返され、
時代と共にその姿を変えてきました。 現在目にする姿はおよそ7世紀以降のものになるようです。
(Acrópolis Norte y Estructura 5D-33)
中央手前にある建造物 5D-33 は比較的新しく、紀元 300年以降に建てられ、その後2度の増改築が加えられていますが、
最初の建造物を飾った巨大仮面が掘り出されています。 盗掘と自然の風化により大きく崩れていた事が幸いして徹底的な調査が可能になり、
最初の建造がシャフ・チャン・カウィール1世(c.307)の死後で、シャフ・チャン・カウィール2世(411-456)の死後に改築され、
カラクムルに敗れた後の暗黒時代に二度目の改築が加えられた事が解明されています。 写真は南西角の基部で、仮面装飾は保護の屋根の下にあります。
(Entrada a la Acrópolis Norte)
初めてヤシャーに行ったのは 2003年で、この時はピラミッドの建設ラッシュでした、と言うと語弊がありますが、各所で大々的なピラミッドの修復作業が進行中。
その後 2010年に再訪すると遺跡は様変わりで、遺跡は整備が進み修復された建物は既に古色を帯び、そのままの形で古くから
あったかのように見えました。 写真はヤシャーの中核を為す北のアクロポリスの南側の入り口で、階段の右に大きな保護の為の屋根が取り付けられていました。
(Mascarón de estuco a la subida a la Acrópolis Norte)
屋根の下にあったのがこの漆喰装飾。 ヤシャーは 21世紀になってからの修復で資料が少なく、この漆喰彫刻についての情報は全く見つかりませんでしたが、
どう見ても古典期前期よりも前、先古典期に遡るもののように見えます。 北のアクロポリスは古い三神殿形式で作られており、
ヤシャーもティカルに劣らず、先古典期には既に繁栄していた古い遺跡になるようです。 ヤシャー遺跡の詳細はこちらから。
(Estructura II、parte superior e inferior)
カラクムルで一番高く大きな建造物 II の上層部と正面から見た低層部です。 建造物 II は先古典期中期に最初の建物が作られてから
古典期後期の8世紀頃に現在の姿になるまで6回は増改築が繰り返された事がトンネル調査で明らかになっています。
(Vestigios de Mascarones)
紀元1世紀頃の増築で中央階段脇に仮面の装飾が施され、実際遺跡でその痕跡を見る事が出来ます。
後の増築の際に手を加えられているかのかもしれませんが、いずれにしてもあまり原型を留めていません。
(Entrada al friso gigante de Estructura II)
注目されるのはこの建造物の地下に眠る、先古典期中期に遡ると考えられる壁面漆喰彫刻と彩色巨大仮面ですが、残念ながらこれは未公開。
2016年7月にTBSの番組で内部が紹介され、
「カラクムル考古学プロジェクト」 のページにまとめてあるので、
詳細はそちらを参照下さい。
実際現地はどうなっているのか、 2017年1月に現地まで足を伸ばしてみました。 地下に通じる扉が開いていて、修復なのか補強なのか、
作業員がせっせと働いています。 少しでも中に入れないものか頼んでみましたが、答えは勿論 NG。 悔しいので望遠レンズで中を覗き込んでみると
見えました、一部だけ!
(Parte de Friso estucado de Subestructura II c1)
TBSの映像と比べてみると漆喰彫刻の右端の部分でした。 漆喰装飾がおよそ何処にあるのか、位置関係が少しわかったので、まあ納得。
(Mascarón del lado este, Subestructura IIc1, antes y después de restauración,Arquelogía#128 )
漆喰装飾の下の段に巨大仮面が掘り出されていて、これは Arquelogía #128 で紹介されていた 修復前と修復後の写真です。
番組では擬人化された ジャガーの仮面との説明でしたが、トウモロコシの神を表わしているという解釈もあるようです。
(Estructura III y Mascarón rescatado)
同じ Arquelogía #128 で、建造物 III から新たに発掘された巨大仮面が紹介されていて、勇んで行ってみましたが…、発掘は4年前の事で
綺麗に埋め戻されたのか仮面の痕跡も全くわからず、がっかりでした。
建造物 III は巨大な建造物 II から 50m 位のところにあり、周りに石碑が1本もなく、内部の墓所からは翡翠の仮面も出土している特異な建造物で、
高位の貴族の私的空間だったと考えられる所です。 仮面の写真は Arquelogía #128 にあったもので、当時の赤い彩色が鮮やかに残り 高さ 3.7m
もある大きなもので、紀元前 100年から紀元 100年頃の原古典期のものになるそうですが、何を表わしているのか説明がありませんでした。
太陽神の仮面でしょうか。 カラクムル遺跡の詳細はこちらから。
(Estructura 5C-2 y los Mascarones)
先古典期から交易で栄えたと思われるセロス遺跡ですが、紀元前 50年頃に王朝が成立し最初に立てられたのがこの建造物 5C-2 で、
北に広がるチェトゥマル湾を背に南向きに立てられた小神殿です。 修復活動は 70年代からで、左は発掘当時のものと思われるますが、
現在は右の写真のように複製の仮面が被せられています。
(Arriba : los Mascarones del lado oeste, abajo : los Mascarones del lado este)
階段右側上段が夜明け前に見られる明けの明星で、下段が明けの明星に続いて出てくる日の出の太陽、そして階段左側下段が西に沈む太陽で、
上段に日没後に出てくる宵の明星が表わされている、と言うのが一般的な解釈のようです。 マヤ神話の双子の兄弟を表わしているという説明もありますが…。
海洋交易で栄え、水路を巡らして街作りを進めたセロスですが、紀元 100年頃には交易が内陸に移っていったのか、
古典期前期を待たずに衰退していったようです。 セロス遺跡の詳細はこちらから。
(Mascarón de Kabul, Izamal, Litografia por Catherwood, 1844 y fotografia por Charnay, 1860)
最も古くから知られる仮面装飾としては
イサマル遺跡のカブール が有名で、フレデリック・キャザウッドのリトグラフ(写真左)が
1844年の出版物で紹介され、1860年にはデジレ・シャルネによって写真(右の写真)に収められていますが、
その後間もなく崩れて失われてしまい、現在はもう見る事が出来ません。
(Mascarón del Edicio B, Grupo II, Holmul)
失われてしまったものは残念ですが、近年新たな発見が続々伝えられます。 既に上の方で紹介したものの多くも 今世紀に入ってから発見されており、
2009年にはグアテマラのエル・ソッツ遺跡で 350年頃の仮面が発見され、同じ頃ホルムル遺跡では紀元前 350年に遡る仮面も見つかっていて、これは
もしかするとエル・ミラドールやカラクムルの仮面と並んで最も古いものの一つになるのかもしれません。
この時代のマヤの歴史、これからももっと驚くような発見が続くのでしょうか。 写真は最近現地に足を運ばれた東京の Konoe. W. さんからお借りしました。