マヤ遺跡探訪
KOHUNLICH
コフンリッチ遺跡は古典期前期の終末期から古典期後期(500-900AC)にかけて最も繁栄し、後古典期前期 1200AC 頃に放棄された遺跡で、キンタナロー州南部では シバンチェと並んで最大のマヤセンターです。

1968年に仮面の神殿の盗掘から広く世に知られるようになりましたが、90年代になってようやく本格的な発掘、修復が始まりました。

チェトゥマル市から国道 186号線を西へ行き、60Km地点で南側へ左折し 9Kmで遺跡到着、車で 55分でした。 仮面の神殿には素晴らしい漆喰彫刻が残され、観光客を多く集める人気の遺跡です。 咋年 12月に再訪し、 写真も撮り直しました。

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   (訪問日 2002年1月3日、2007年12月14日、2014年1月17日)
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 (Consulado de Belice en Chetumal)

朝からベリーズ領事館に査証申請に行くも領事が不在、代理は査証発給できず、週末でもあり今回は涙を飲んでベリーズ 行きを断念。 ベリーズはマヤ遺跡探訪でも空白地域ですが、次回に持ち越しです。 領事館は移転していてやっと探し当てたというのに! 手前の濃紺の車はレンタカーしたフォルクスワーゲン ポロです。

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 (Zona de caseta de servicios de Kohunlich)

取り急ぎ旅行代理店でラマナイ遺跡行きのツアーをキャンセルしました。 次回は日本で査証を取りましょう。 (ベリーズ はその後 2009年にリベンジを果たしましたが、2014年末からはビザが不要になっています。)

と言う事で出遅れましたがコフンリッチに到着、もう昼過ぎでした。 写真はコフンリッチの駐車場、クリスマス前で閑散としています。

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地図は現地にあった案内板の写真を加工しました。

見学ルートは、北西の居住区、石碑の広場、マーウィン広場、27階段のグループ、そして最後に仮面の神殿の順にしました。 2回目で勝手が判っており、北西の居住区、石碑の広場、マーウィン広場から球戯場を抜けてさっさと仮面の神殿へ 行きました。 そこから新しく公開されたピシャーン広場経由 27階段のグループです。

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 (Vista aérea de Kohunlich)

Google earth で見た空からのコフンリッチ遺跡。 地図の上半分の主要部は建造物がはっきり確認出来ます。



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 (Entrada del sitio arqueológico de Kohunlich)

ではここから遺跡です。 入口を入って、木々に囲まれた比較的広い道を進んでいきます。 コフンリッチの看板が見慣れない字体のものに変わっていました。 ハリケーンの後に新しい看板に置き換えられたのでしょうか。

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 (Hacia las ruinas)

100m 位歩いていくと直ぐに遺跡の石組みが見えてきます。 手前の案内板は枠組みだけでパネルがありません、 やはりハリケーンの被害を受けたようです。

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 (Esquina suroeste de Acrópolis)

正面にアクロポリスが見えてきます。 アクロポリスは南西角にあった保護の屋根も無くなっていて、仮面の神殿の方の ハリケーンの被害が心配ですが、まずはアクロポリスのある北西の居住区を見ていきます。

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 (Escalinata adosada al oeste de Acrópolis)

北西の居住区に入って広場の右手にアクロポリスの階段があります。 初回訪問時は時間がなく登りませんでしたが、 広場の北と西を見てから登ることにします。

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 (Palacio al norte de Plaza de Conjunto Residencial Noroeste)

これが広場北側にある宮殿で 600AC 頃から建造が始まり増改築が繰り返されて 1200AC 頃まで貴族の居住区として 使用されました。

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 (Complejo Residencial Poniente de Conjunto Residencial Noroeste)

これは西の住居複合で宮殿と同時代にやはり増改築が繰り返され、こちらは高位の職人が住んでいた所との事です。

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 (Acercando a la Escalinata de Acrópolis)

アクロポリスの階段はやや末広がりですが、階段の上の入り口は狭まっていて入場が制限された高位の貴族の為の場所だった ようです。 登ってみます。

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 (Resto de las habitaciones al este de parte superior de Acrópolis)

階段を登り、部屋跡を抜けると広場になっており、広場の西、南、東側にC字型に住居跡が広がります。 写真は正面西側の 住居跡ですが、後ろの木を見上げると大きめの鳥がとまっていて急いで望遠レンズに替えました。

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 (Halcón parado sobre el árbol en la Acrópolis)

如何にも貴族然とした立派なハヤブサで、2羽のつがいでした。 日本のハヤブサとは模様が違います。 マヤ貴族の化身? そんな訳はありませんが、豊かな自然の一端です。

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 (Resto de las habitaciones al sur de parte superior de Acrópolis)

脱線しましたが レンズを広角に戻して、これは南側の部屋跡です。 こちら側だけ広く低い基壇が設けてありますが、南側 眼下に広大な石碑の 広場が見渡せるのでアクロポリスでも一番重要な場所だったでしょうか。

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 (Estructura El Rey al oeste de la Plaza de las Estela, vista desde Acrópolis)

アクロポリス南側、眼下に広がる石碑の広場、これは西側にある王の神殿です。 かなり大きな神殿で高さもあるようですが、上の方が修復されていません。 (2014年には上部構造が修復され、南側面に取り付けられた 階段で上まで登れました。)

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 (La Gradería al sur de la Plaza de las Estelas)

王の神殿の左側、緑の広場の奥には細長い階段が広がります。 石碑の広場の南にある観覧席で、階段席と訳した方が正しいかも しれませんが、広場で行われた儀式を長い階段に座って見ていたらしいので、観覧席としました。

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 (Palacio de las Estelas a la izquierda)

観覧席の左側、石碑の広場の東側に石碑の宮殿がありますが、椰子の木の後ろで一部しか見えません。 後で歩いて回ります。

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 (Esquina suroeste de parte superior de Acrópolis)

アクロポリスの上部に戻ってこれは南西角、4枚上の写真の右側で、ベンチや収納の窪みがあり生活の跡が偲ばれます。 建物の角は丸く 仕上げられ、ペテン地方の影響を感じさせます。 アクロポリスの北と西の壁面にはリオ・ベック様式の登れない飾りの階段がついていて、 周辺地域の影響が見られます。

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 (Estructura adosada a la esquina sureste de Acrópolis)

アクロポリスの矩形の基壇の南西に、後から追加された部分があります。 アクロポリスの建設後に追加されたとの事ですが、 様式からして古典期後期末でしょうか。 前回来た時は覆いが被せてありましたが、ハリケーンのせいか跡形もありません。

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 (Misma estructura techada en 2002)

これは 2002年に撮った写真で、上の写真の部分に付けられていた覆いが写っています。  厚く塗られた漆喰の上に落書きがあるそうですが、探しても見つかりません。 その程度なのでもう覆いはつけない のでしょうか?

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 (Lado sur de Acrópolis enfrentado a la Plaza de las Estelas)

さて、石碑の広場です。 アクロポリスの南壁面が写っています。 上の方で石碑の広場を俯瞰した写真はこの南壁面の上から 撮ったものでした。

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 (Palacio de las Estelas al oeste de Plaza de las Estelas)

広場を東へ進んでいくと石碑の神殿があります。 正面階段上に3つ石碑が並びますが彫刻がなく、漆喰の上に彩色されていたと 推測されています。 この神殿は 600AC 頃の建造になります。

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 (Tres Estelas sobre la escalinata)

これが階段途中にある3つの石碑です。 石碑の神殿は一番大きな広場に面し裏に仮面の神殿が控え、コフンリッチで 重要な場所だったようです。 最近の発掘調査で神殿の屋根飾りにコフンリッチの王と思われる漆喰の彫刻が 発見されています。 探してみましたが現地には残されていないようです。 

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 (La Gradería del lado norte de Plaza Merwin)

次にマーウィン広場へ行って見ます。 石碑の広場南側の観覧席(階段席)がマーウィン広場の北側になります。 マーウィン広場は石碑の広場より後に作られ、石碑の広場より小さく、重要度の低い儀式が行われていたようです。

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 (Edificio de las Columnas Pareadas al oeste de Plaza Merwin)

広場の西側には写真の 二重柱の建物があります。 マーウィン広場の建物群はリオ・ベック様式で漆喰の上にピンク色で 彩色されていたと説明にありますが、残された廃墟からはあまり想像がつきません。

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 (Los arboles de Corozo en la Plaza Merwin)

これは広場の北西側から南東を見たところですが、中央の低い矩形の基壇の右に 11 ドアの建物が見えます。 コフンリッチとは英語の Cohoonridge(シュロ椰子の生えた丘陵)と言う意味で、開けた石碑の広場に比べてマーウィン広場には このシュロ椰子が密生します。 英語起源の名前の為、コウンリッチではなく、コフンリッチと "H" は発音されます。

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 (Edificio de las 11 Puertas en el sur de Plaza Merwin)

広場南の 11 ドアの建物 です。 階段の付いた基壇に建物の廃墟で装飾彫刻等は残されていないので、リオ・ベック様式 と言われても判然としません。

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 (Juego de Peloa al este de Plaza Merwin)

マーウィン広場の東にマヤ遺跡につき物の球戯場が広がりますが、マーカーや的の環は残されていません。

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 (Camino hacia Templo de los Mascarones)

さていよいよ仮面の神殿です。 球戯場の北東から仮面の神殿への道が伸びていて、覆いの付いたピラミッドが見えてきます。

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 (Templo de los Mascarones)

ハリケーンの被害が心配だった仮面の神殿ですが、取敢えず屋根はちゃんと付いていましたが…。  後でゆっくり 昔の写真と比べてみると屋根は新しく付け替えられていて、やはりハリケーンの被害はあったようです。 でも仮面は無事です。

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 (Tres Mascarones al lado derecha de la escalinata central)
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覆いの下の漆喰彫刻、古典期前期 500AC 頃のものですが、その後 700AC 頃 新しい建造物が上に重ねられた為、風化を免れて 当時の様子を今日に残す事になりました。 エク バラム遺跡やアカンケー遺跡と同様です。 この時代のマヤ遺跡の仮面としては 最も保存状態の良いものです。

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 (Mascarón al lado derecha abajo)

仮面は階段の左右に4対、計8つあったそうですが、残っているのは階段右の3つと左の 2つの合計5つです。 写真は右側の一番下、保存状態の良いひとつです。

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 (Mascarón al lado derecha centro)

これは右側3つの真ん中の仮面です。 仮面はそれぞれ高さ180cmとなかなか大きなものです。 口元の髭とT字型の歯から、太陽神キニチ アハウを表したものとされています。

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 (Mascarón al lado derecha arriba)

これは右側の上の仮面。 仮面の周りの模様は崩れていますが、顔の部分は残されています。

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 (Dos Mascarones al lado izquierda)

こちらは階段の左側で、二つ仮面が残ります。 その上にもうひとつの仮面があったそうですが、 盗掘者に剥ぎ取られたそうです。 

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 (Mascarón al lado izquierda abajo)

左側の下の仮面。 5つの仮面は太陽神ではあってもそれぞれ顔つきが異なり、太陽神に歴代のコフンリッチの王を模したもの ではないかと考えられています。

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 (Mascarón al lado izquierda arriba)

そして左側の上の方、最後の仮面です。 仮面の神殿は西向きに建てられていて、赤く塗られた8体の仮面は午後の太陽を浴びました。 その威容は如何ばかりだったでしょう。

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 (Arriba : Foto en 2002 antes de Huracán, Abajo : Foto en 2007)

ハリケーンの被害ですが、ハリケーンの前(上)と後の写真です。 柱が新しくなっており明らかに覆いが付け替えられて いるようです。 肝心の仮面の漆喰彫刻はどうでしょう? 仮面の前で会ったガイドさんが、最近仮面の彩色が修復 された、と言っていましたが、ハリケーン被害の回復だったのでしょう。

個人的には修復前の仮面が自然な色で好きなので、上の方の仮面の写真は 2002年のものを使いました。 でも綺麗に修復されて おり、修復後もコフンリッチの訪問意義が減ずるものではありません。

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 (Camino hacia Plaza Pixa'an y Conjunto de los 27 escalones)

さて仮面の神殿を後にして、残るはピシャーン広場と 27階段のグループ、シュロ椰子が生い茂る小道を進んでいきます。  コフンリッチの目玉の漆喰彫刻を見てしまうと、後はインパクトに欠けます。 書いている方も息切れしてきたので、 読んでいる方は退屈してきたかもしれません。 急ぎましょう。

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 (Parte sur de Plaza Pixa'an)

仮面の神殿からの小道は 12月だというのに蚊が出てきて閉口しましたが、2002年には立ち入り制限されていた ピシャーン広場に入れました。 ピシャーン広場はコフンリッチ最盛時の住居跡で、写真は南側です。

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 (Esquina del palacio al norte de Plaza Pixa'an)

ピシャーン広場は自然の起伏の上に作られ、足場はあまり良くないですが、マーウィン広場の方へ降りられます。 写真は北側の宮殿ですが、大きなピラミッドではないので あまり写真になりません。

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 (Jambas redondeadas y colmunillas de estilo Kohunlich)

宮殿の一部だったと思いますが、丸い脇柱や基礎の小さい丸柱がコフンリッチ様式の特徴との事です。 下の写真でわかるように、貴族の住居だけに非常に精巧な石組みで 時間をかけて細かく見てみると面白そうですが、蚊よけ対策が必要です。 

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 (Paramento liso de mampostería de alta calidad)

ピシャーン広場の建物の壁面は非常に精巧な石組みで作られていました。

ピシャーン広場と並んで発掘作業が進められているヤシュナ広場が北西の居住区の更に北西にありますが、まだ公開されていません でした。 石碑の広場よりも広く、古典期前期の大きなピラミッドもあるそうで、公開が待たれます。

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 (Escalinata de los 27 escalones)

最後の 27 階段のグループですが、写真のような階段を登っていきます、実際に数えたら 22段しかなかったのですが?!   自然の起伏を利用して古典期後期に居住区が建てられていった所です。

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 (Primera plaza después de 27 escalones)

27 段?を登ると広場が広がりその先(南側)に大きな基壇が見えてきます。 この基壇にも階段が 10段取付けられ、 入場が限られた閉鎖的な場所で王族の住居だったと考えられています。

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 (Edificio al extremo oeste del Conjunto)

基壇を登って右手(西側)の住居跡。 人口増加に伴い増築が繰り返されたそうで、グループ全体の統一性がありません。 

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 (Segunda plaza del Conjunto)

上の写真の左側、真ん中の広場の南正面です。 奥には更に南側の広場があり、住居が続きます。

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 (Última plaza al sur de Conjunto)

南の広場の南端の住居跡にはペテン様式と思われるマヤアーチが残り、アーチの先、眼下には緑の森が広がります。

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 (Edificio este de la plaza sur)

南の広場の東側の住居跡、同じ広場でも南と東で様式が違います。

住居グループ全体に埋葬も行われ、回収された骨のDNA鑑定結果から同じ一族が居住していたらしいとの事です。  漆喰彫刻の仮面になった王たちの一族でしょうか。


コフンリッチの探索は以上ですが、未公開のヤシュナ広場が気になります。
また将来行く機会があるでしょうか?


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