マヤ遺跡探訪
EDZNA
五層の神殿で知られるエツナ遺跡は カンペチェ市南東55Kmにあります。 最近はチチェン・イッツァやウシュマルと並んで 定期的に 光と音のショーが催行され、カンペチェ州ではカラクムルと並んで最も規模が大きく有名な遺跡になります。

2001年、2006年に次いで今回3回目の訪問になりました。 2006年にはハリケーン被害のお陰で見つかった漆喰の仮面を目にする事が出来たの ですが、今回は五層の神殿自体が登れず少々興醒め。 光と音のショーのせいなのか、観光地化するとろくな事がありません。

エツナでは先古典期から居住が始まり、原古典期から古典期前期にかけて地域の中心的な祭祀センターとしてペテン様式の街づくりが進みます。  古典期後期から後古典期前期にかけてチェネス様式、プーク様式で建造物は改築され、その後衰退に向かうものの 1400年過ぎまで 街は維持されたようです。

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   (訪問日 2001年4月9日、2006年11月18日、2013年1月12日)


エツナ訪問も4回目。 魔法使いの老婆のピラミッドや建造物 501 を始め、これまで見落としていた所をしっかり見てきました。

   (訪問日 2014年1月15日)
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1906年に住民の通報から存在が明らかになったエツナですが、その後メキシコ革命の混乱で忘れられ、発掘が始まったのは 1927年です。  本格的に発掘が始まったのは 80年代に入ってからで、グアテマラ内戦による難民対策の一環として国連とメキシコ政府により発掘計画が 進められます。 1996-2000年にはEUの資金援助により、また 2000年以降は INAH の手によって 発掘修復は現在も続きます。

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 (Vista aérea por Google Earth)

まず Google Earth で空から見たエツナです。 画像はかなり鮮明で、目盛= 100m まで拡大してもピラミッドの形状がはっきりわかります。  エツナ全体は 25㎢ に広がりますが、 20 を超す建築複合は中心部の 6㎢ に集中します。 まだまだ発掘調査の余地がありますが、 主要部は修復され、遺跡公園として綺麗に整備されています。

残念ながら遺跡内部は Street View は未導入ですが、INAHによって "Paseo Virtual" 仮想散歩  というページが用意されています。 Street View が線で遺跡をカバーしているのに対し、Paseo Virtual は 点でのカバーで、エツナでは 20以上の地点で全方位カメラで遺跡の様子を覗けるようになっています。 少し重くて開くのに時間がかかるかも しれませんが、画像の解像度が高くとても参考になります。

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遺跡訪問に先立って地図を確認しておきます。 適当な地図がないので 2009年版のミニガイドの地図を活用させて貰いました。 上の Google Earth で示した部分をおよそカバーしています。

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 (Unidad de Servicio de Edzná)

それでは早速遺跡訪問に出発。 駐車場に車を置いて入口に向かいます。 これがエツナの受付です。

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 (Casita que guarda Estelas)

入場料を払い受付を抜けるともうひとつ同じ形をしたマヤ民家風の建物があり、中にエツナの石碑が展示されています。 詳細は帰りに見る事にして 先を急ぎます。
探索開始   INICIO DE RECORRIDO
大使の中庭   Patio de los Embajadores
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 (12. Patio de los Embajadores)

順路に従って進んでいくと最初に出るのが 12. 大使の中庭と呼ばれる所で、中央プラサ (Plaza Principal) の北西にあたります。 冒頭でEUから の援助に触れましたが、この中庭でEU各国大使出席のもと式典が行われたのでそう呼ばれるようになったそうです。

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 (Patio de los Embajadores)

中庭を取り囲む建物は異なる建築時期を示し、写真左奥の居室跡にはマヤアーチが残され、右奥には後の時代のプーク様式の円柱が並びます。  手前には低層の円形祭壇がありますが、これも比較的新しい時代になるようです。

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 (Patio de los Embajadores)

プーク様式の柱は中庭の南西角で、北向きと東向きの2部屋に円柱がそれぞれ4本づつ残されます。 建造時期は 1000-1200年頃で、写真は北向きの 部屋の円柱です。
円形の建造物   Estructura Circular
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 (Estructura Circular)

大使の中庭の南に円形の建物がありました。 11.大きな家 の裏側の一番北にあたり、前回はなかったので新たに発掘修復されたようです。  調べてみると 2009年末に大きな家の裏側が整備されたというニュースがあり、多分その時に併せて修復されたものと思います。

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 (Estructura Circular)

円形の建物は北側に階段があり、階段を上がると写真のようなスペースが確保されていました。 後古典期まで街が維持された遺跡でこうした 円形の建物が見られ、カンペチェ州のベカン、エル・ティグレ、ユカタン州のウシュマルにも類似の建物があります。 ベカンの円形祭壇はククルカンを 祀った祭壇と説明されていたので多分同じ性格を持ったものではと思います。
建造物 501   Edificio 501
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 (Edificio 501)

2009年末に大きな家の裏側が整備された、と言うのは比較的大きなピラミッド型建造物 501 を中心とした建築複合で、特に矢印等の案内がなく 見落としていましたが、2014年にはしっかり確認してきました。

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 (Edificio 501)

地図にはありませんが、大きな家(ノホクナ)の西で、広場を挟んで東向に建てられています。 修復は東側正面の中腹までで、修復された部分は 登れます。

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 (Mascarón de Chaac en escultura de mozaico)

中央階段左にV字型に挟まれてチャーク像のモザイク彫刻がありますが、プーク様式になるようでしょうか。 建造物 501 の建築は古典期前期に 遡るようですが、時代と共に改築を加えられているものと思います。

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 (Parte superior de Edificio 501)

ピラミッド上部は未修復ですが、何とか登れます。 但し少し危険なので自己責任で。

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 (Vista desde cúspide de Edificio 501)

上まで登ると遠くにエツナの中心的建造物の五層の神殿が望めます。 マヤの時代には正面の森の代わりに大きな家(ノホクナ)が横たわり、 五層の神殿越しに夜明けの太陽が登ってくるのが見えたでしょう。

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 (Plataforma restaurada)

建造物 501 の南東、ノホクナの南端の裏側に写真の低層の基壇がひとつ修復されていました。 後古典期のものでしょうか。

中央広場   PLAZA PRINCIPAL
グラン・アクロポリスと五層の神殿   Gran Acrópolis y Edificio de los cinco pisos
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 (Plaza Principal y Gran Acrópolis al fondo)

中央広場に足を踏み入れました。 南北の幅はグラン・アクロポリスとほぼ同じで 160m 位ありそうです。
写真は広場の西側を閉じる 11.大きな家 の前から東方向で、太陽の昇る重要な東の方角にグラン・アクロポリスがあり、その中央階段の奥に五層の神殿が見えてきます。

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 (Plaza Principal y Gran Acrópolis al fondo)

大きな家 (ノホクナ) の上から 40mm で撮るとこんな具合です。
大きな家 (ノホクナ)   Nohochná
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 (11. Nohochná, lado norte)

中央広場の西側の 11. ノホクナ。 ノホクナとはユカテク・マヤ語で大きな家を意味し、その名の通り 幅 135m、奥行き 31m の大きな 建造物で、高さは 9m あります。 広場に面した東側は全面が 15段の階段で、上部に横長の部屋が4つ設けられています。 写真は東正面を 北横から眺めたところです。

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 (Nohochná, lado frontal)

これは東正面を逆に南横から。 ノホクナでは行政の場として、交易、徴税、争いの調停等が行われ、祭事の際は幅広の階段が観客席の役割を 果たしたと考えられるようです。

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 (Nohochná, lado trasero)

2枚上の写真ではノホクナの裏側は森で覆われていますが、2009年にかけて修復されたようで、これは裏側(西側) を南端からみた修復後の写真です。
ナイフの基壇   Plataforma de los Cuchillos
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 (13. Plataforma de los Cuchillos)

中央広場の北側は 13. ナイフの基壇で、12. 大使の中庭の東隣です。 貴族の居住に用いられたと思われ、黒曜石のナイフの奉納品 が発見された事が名前の由来になっています。 東西にアーチ天井を持つ建物があり、中央は茅葺の簡素な建物があったようです。

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 (Detalle de Edificio este)

これは東側の建物の細部で、円柱や小柱からプーク様式が認められ、1000-1200年頃の建造物になるようです。

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 (Plataforma de los Cuchillos)

これは基壇中央を東から西を見たところで、建物の基部だけ残されます。
南の神殿   Templo del Sur
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 (10. Templo del Sur)

中央広場の南側は 10. 南の神殿と 9. 球戯場で閉じられますが、南の神殿は広場に背を向けて建てられているので背面となり階段がありません。

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 (Templo del Sur)

これは神殿の正面を横から見たところで、手前は球戯場です。 神殿は五層のペテン様式で、高さは 11m になり、上部神殿は古典期後期に作りかえられて いるようです。

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 (Templo del Sur)

これは南西側から見た南の神殿の南正面で、上部神殿に繋がる階段がありますが、登れません。 建物正面には、7. 小アクロポリスから 8. 仮面の神殿 の前を通るサクベが伸び、11. ノホクナと 建造物 501 の間を通って、魔法使いの老婆の神殿に通じるサクベに繋がっていたようです。

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 (Escultura de Jaguar)

南の神殿の前には矩形の低層基壇の上にジャガーと思われる彫刻が置かれていました。。
球戯場   Juego de Pelota
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 (9. Juego de Pelota)

これは広場のある北側から見た球戯場です。 球戯は太陽の昇る東側と沈む西側にわかれて戦われた為、並行する二つの基壇は東西に設けられるのが 普通で、エツナでも規則通り東西に並び、西の基壇の背面は南の神殿に繋がっています。

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 (Juego de Pelota)

球戯場は 700年頃にプーク様式で作られ、形状は東西の基壇だけで、南北を閉じる建造物は無く、基壇の斜面中央上部には円形の環が設けられて いました。 基壇上部には東西共に居室が設けられ、祭礼としての球戯に必要な品々が保管されていたと考えられるようです。

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 (Juego de Pelota)

円形の環そのものは失われていますが、環の基部だけ球戯場の斜面に残され、これは西の基壇に残された環の基部です。

グラン・アクロポリス   GRAN ACRÓPOLIS
中央広場から見たグラン・アクロポリスの正面    Fachada Principal
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 (4. Templo del Noroeste)

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 (6. Templo del Suroeste)

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 (Escalinata Central de Gran Acrópolis)

さてここからエツナの中心になるグラン・アクロポリスへ向かいます。 グラン・アクロポリスは高さ 8m、 160m四方の大基壇の上に五層の神殿 を始めとする神殿群が築かれています。

西側に面した神殿群をまず中央広場から見ておきましょう。 一番上の写真は中央階段の直ぐ左 (北) に ある 4. 北西の神殿 と更にその左の低くなった所が 3. プークの中庭です。

二枚目の写真は中央階段右 (南 ) の 6. 南西の神殿で、三枚目 (直ぐ上) の写真は上の二枚の写真の間の中央階段で、階段の上に五層の神殿の上部 が顔を覗かせます。
アクロポリス上部   Parte superior
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 (2, Edificio de los cinco pisos)

それではグラン・アクロポリスの上へ。 中央階段を登り切ると目の前に五層の神殿が全貌を表わします。 均整のとれた五層の神殿が最も美しく 見えるポイントのひとつです。 五層の神殿の手前に見える矩形の建造物は太陽の基壇と呼ばれ、ここから太陽や月、金星の天文観測が行われたそう です。

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 (5. Casa de la Luna en el centro)

これは 5. 北西の神殿前から見たグラン・アクロポリスの南側で、中央に 5. 月の家、その右に 6. 南西の神殿の北側面が見えます。

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 (14. Templo del Norte)

そしてこれは月の家の前からみたグラン・アクロポリスの北側で、正面は 14. 北の神殿です。
五層の神殿    Edificio de los cinco pisos ( E 5 P )
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 (2. Edificio de los cinco pisos)

ここからはグラン・アクロポリスの主神殿になる五層の神殿に絞って詳細をみていきます。

五層の神殿は底辺 60m 、高さ 31.5m あり、各層に部屋が設けられた ユニークな建造物です。 神殿の建造は古典期前期以前に遡りますが、 他のマヤの建造物同様 増改築が繰り返されており、東正面は古典期後期の最後の変更後の姿で、プーク様式になっています。

この写真は南西の神殿から撮ったもので、やや右から見た五層の神殿も均整が取れて見事です。

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 (Edificio de los Cinco Pisos)

太陽の基壇の上から正面の五層の神殿を撮りました。 近づきすぎると最上部の神殿が隠れてしまい、高さが感じられなくなります。

神殿は西向きに建てられていますが、真西から少しずれているのは、太陽の天頂通過の日の太陽の運行に合せてあるそうで、5月初めと 8月始めの 天頂通過の日には日没の太陽が真西から差し込んで上部神殿に置かれた石碑を照らしたそうです。

天頂通過は北回帰線と南回帰線の間だけで起こる現象で 日本では起きませんが、最も北のマヤ遺跡でも北回帰線の南側なので、全てのマヤ遺跡 で天頂通過が見られる事になります。 この日にマヤの王がピラミッドの上に立ち、太陽が真上に来ると王の影が消えて太陽と王が一体となり、 われこそは太陽の化身…、となったのでしょうか?

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 (Parte superior de Edificio de los Cinco Pisos en 2013)
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 (Parte superior de Edificio de los Cinco Pisos en 2001)

これは五層の神殿の二層目から上を昔の写真と比べたもので、上が 2013年、下が 2001年に撮ったものです。 写真左の北側面に保護の屋根が 取り付けられ修復の進捗が確認出来ますが、問題は中央階段に取り付けられたロープで、2013年にはこれが無くなっているのは登頂禁止になった 為です。 登れなくなったのはここ数年の事で、残念な限りです。

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 (Crestería en 2001)                       (Cresteria en 2013)

良く見ると上部神殿の屋根飾りの形状も違います。 風化しやすい屋根飾りですが、右の 2013年の写真では屋根飾りが修復されて背が 伸びていました。 遺跡が成長するというのも少し変ですが…。

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                    (Restauración digital?)

思い切って更にデジタル修復するとこんな感じだったでしょうか。 左右対称にするとこうなりますが、ちょっとやり過ぎですね。 m(_ _)m


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 (Glifos esculpidos en la escalinata del Edificio de los cinco pisos)

神殿は登れませんが、広場に面した横長の階段には神聖文字が残されるので注目です。

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 (Glifos esculpidos en la escalinata del Edificio de los cinco pisos)

上の画像は神聖文字が刻まれた階段の全景で、下はその一部の拡大です。
80を超える文字が現地に残され、博物館他に散逸しているものを加えると優に 100を超す碑文となり、カンペチェ州では最も詳細な歴史の記録に なります。 元々別の建物を飾った二通りの碑文が五層の神殿の改築に合わせてここに置き直されたらしく、風化が進んで解読を難しくして いる事もあり 正確に解読するのは困難なようですが、649年と 830年の日付と支配者達の名前がエツナの紋章文字と共に確認されるようです。
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              (Glifos-emblema de Edzná)

             注意深く探すとエツナの紋章文字が見つかりました。

五層の神殿 (2006年)   E 5 P en 2006
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 (Edificio de los cinco pisos en 2006)

さて 2013年には登れなかった五層の神殿ですが、2006年には登ってしっかり写真も撮ってあるので、その時の写真を使って上まで行って みましょう。 中央階段の修復された北半分に縄が這わしてあり、これを頼りに五層目まで登れました。

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 (Ala sur de primer nivel)

これは一層目の右翼で、アーチ天井は崩れていますが 戸口にはプーク様式の丸い柱があります。 中央階段下にはアーチ天井があり、 右翼から左翼へ通り抜けが可能です。

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 (Pasillo de segundo nivel debajo de Escalinata Central)

二層目も同様で、写真の通り中央階段下が通路になっています。

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 (Ala sur de tercer y segundo nivel)

一層目の部屋の配置は右翼と左翼と異なりますが、二層目から上は左右対称で、二層目は戸口が左右共に3つ、三層目は2つあります。  写真左が二層目右翼、右が三層目右翼で、共にプレーンなプーク様式です。

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 (Mascarón estucada encontrada en el lado norte de tercer nivel)

三層目の左翼の端まで行き 五層の神殿の北側を覗くと、屋根の下に写真の巨大な漆喰の仮面がありました。 これはプーク様式ではなく、 古典期前期のペテン様式です。 仮面の正面には回れませんでしたが、今では横からも見れないので、この時の写真は貴重でした。 仮面については 下でまとめます。

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 (Ala norte y sur de cuarto nivel)

四層目に上がり、左が左翼、右が右翼の写真で、共に柱頭の付いた円柱で開口部が広く取られています。

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 (Última subida al qinto piso)

そしていよいよ最上部へ。 ロープの先が五層目です。

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 (Templo superior y crestería)

階段を登り切り五層目の床面に立ちました。 目の前に屋根飾りが聳えます。 上部神殿は2本の角柱で入り口が支えられていましたが、角柱の上から 天井の手前部分は失われています。

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                      (Templo superior)

手前の部屋の屋根は崩れていましたが、奥にもうひとつ部屋があって、こちらは戸口から屋根までまるまる残っています。 高く聳える屋根飾りはこれら二つの部屋を 隔てる壁面の上に設けられています。 

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       (Entrada al cuarto interior de quinto piso en 2001)

これは 2001年の写真で、上の写真と同じ戸口を正面から撮ったものです。 当時は戸口に網戸は無く中に入れました。  奥の壁に石碑のような長い石材が嵌め込まれていますが、何だったでしょう? 壁の裏側にもうひとつ部屋があり東側から入れますが、裏に 繋がっていた通路に後から蓋をしたようにも見えます。

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 (Casa de Luna y Templo de suroeste)
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 (Plaza principal y Nohochná)

さて五層の神殿を降りる前に上から見える景色です。 上の写真が南西方向で、中央に南西の神殿、右奥にノホクナ(大きな家)が 見えます。

下の写真は北西方向になり、中央にノホクナ、右手前に北西の神殿が見えます。 ちょっと解りづらいですが、ノホクナの右奥に見える小山は 800m位離れた所にある魔法使いの老婆のピラミッドになります。
五層の神殿 北面   Lado Norte de E 5 P
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 (Lado norte de Edificio de los cinco pisos)

五層の神殿の西側正面はプーク様式になっていましたが、北側面には古典期前期のペテン様式が確認できます。 三層目の中央階段左右で発見 された巨大な漆喰仮面がそれで、保護の屋根がついた部分です。

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 (Mascarón estucada en el tercer nivel)

中央階段右(西)の保護の屋根の中を下から見上げてみました。 上の方で 2006年の写真を見ながら五層の神殿に登りましたが、三層目で北面を 横から覗いて見えた漆喰仮面です。   2002年 9月のハリケーン・イシドロで五層の神殿が被害を受け、その修復の過程で崩れた斜面から偶然発見されたものでした。

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 (Lado norte de Edificio de los cinco pisos)

北面を通って五層の神殿の裏(東面)にも出たかったのですが、なんとここもロープが張られていて、立ち入り禁止!  何故制限するので しょうか、自由に行かせてくれても良さそうなものですが。
発見された漆喰彫刻   Mascarón en estuco
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 (Esquina noreste de Edificio de los cinco pisos)

そこで、ここからまた 2006年の写真です。 五層の神殿の北東角を見上げた所で、屋根飾りの右下に藁葺きの屋根が付けてあり、ここに中央 階段左(東側)の巨大漆喰仮面が保護されています。

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 (Mascarón bajo techado)

屋根の下まで行くのは少々骨でしたが、横にある細い階段を使い、最後は基壇をよじ登って何とか仮面の前に辿り着きました。  スカートの女性にはまず無理でした。

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 (Mascarón descubierta en lado este de tercer nivel)

これは左横から見た漆喰仮面。 左の崩れた所が顔にあたり、その右上に丸い耳飾りがあります。

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 (Mascarón estucada)

これは逆に右横から見たところです。 顔が崩れているのは残念ですが、細かい装飾部分は塗られた塗料まで残っていて、当時の様子を 知る手掛かりになります。 使われている色ですが、黄色、黄土色、オレンジ、赤、青、緑にバラ色、更に黒や茶で縁取りがされ、 随分手の込んだ色使いだったようです。

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 (Mascarón estucada)

これは右の耳飾りとその右の縦に帯状になった部分です。 2002年末の発掘と修復の後 厳しい気象環境から風化が進み、2009年からは本格的に 漆喰の保存作業が行われているようですので、この写真は発掘数年後のもので、最新の修復以前のものになります。

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                         (Página 5 de Arqueología # 60, Mar-Apr. 2003)

2003年の Arqueología # 60 で、この仮面の漆喰彫刻の発見がニュースとして取り上げられていました。  下の写真は階段右(西側)の 仮面の全体で、顔は崩れていますが両脇の帯の部分は残っているようです。 上は残された仮面をスケッチしたもので、こちらの方が細部まで 再現されています。

Arqueología の説明に拠ると、渦巻きやバツ印が描かれた左右の帯は天空を表わし、その間に大きな耳飾りを持つ仮面が表わされます。  帯の外側には高貴の印である赤や青の鳥の羽が上下に並べられ、耳飾りの下には王権示す結び目があり、その下に様式化された大地の怪物 の顔があります。 写真の説明には神話上の人と書かれていましたが、神格化された現実の王もしくは祖先の王とも考えられそうです。

五層の神殿は西を向いた正面は古典期後期のプーク様式でしたが、この北面のペテン様式の仮面により五層の神殿の起源が少なくとも古典期前期に 遡る事が明らかになります。 ではプーク様式に変えられる前の西正面は北側と同様の仮面で飾られていたのか…、今となっては知る由もない 事でしょうか?

因みに仮面の漆喰装飾は小アクロポリスや仮面の神殿でも既に確認されているもので、この新たに発見された五層の神殿の仮面との比較検討で エツナの歴史解明の手掛かりが得られれば良いのですが。

五層の神殿 東面   Lado Oriente de E 5 P
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 (Lado posterior de Edificio de los cinco pisos restaurado después de Huracán)

五層の神殿の裏側(東面)もハリケーン後の修復で綺麗に再建されたようで、立ち入り禁止になっている為、これも 2006年の写真です。 かまぼこ状 に丸く処理された壁面はエツナのプーク様式時代の特徴で、遺跡のあちこちで見られます。

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 (Lado posterior de Edificio de los cinco pisos restaurado después de Huracán)

これが五層の神殿の真裏で、写真中央左の修復された階段は神殿の一層目になります。 グラン・アクロポリスの東を閉じる所にあるので、 写真で一番低くなった所は既にグラン・アクロポリスの外側になります。 グラン・アクロポリスが作られる前から五層の 神殿があったそうですから、8m の基壇の高さを足すと五層の神殿は 40m 近い高さがあった事になりそうです。

プークの中庭   Patio Puuc
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 (Templo Norte vista desde Templo Noroeste)

アクロポリスに登るといつも五層の神殿にばかり気を取られ、プークの中庭は見落としがちで 2014年に初めて寄ってみました。 写真は北西の神殿から 見た北の神殿で、プークの中庭は写真の左、北西の神殿の北側です。

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 (Lado sur de 3. Patio Puuc)

プークの中庭に降りて見返してみました。 左は北の神殿の西側、正面が北西の神殿の北側です。 北の神殿の斜面は五層の神殿と同じように かまぼこ型に処理されていて、プーク様式のようです。

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 (Lado norte de Patio Puuc)

これはプークの中庭の反対側。 左は西側の基壇で、小柱が配されたプーク様式です。 正面の基壇上には建物の外壁が残され、プーク様式の壁面装飾が あります。

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 (Marco grande representado por sillares con triangulos y círculos)

これがその壁面装飾で、三角と小さい点で出来た四角い枠が戸口の左右にふたつあります。 チャーク神と日付が表されているという解説も ありますが、枠の中には彫刻が残されていないのでよく分かりません。

小アクロポリス   PEQUEÑA ACRÓPOLIS
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 (7. Pequeña Acrópolis)

グラン・アクロポリスを後にして、7. 小アクロポリスに向かいます。 小アクロポリスはグラン・アクロポリスの月の神殿の丁度裏側になり、 一度中央広場に降りて南へ向かいます。 これは小アクロポリス正面を北西から見たところ。

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                                   (Escalinata Central de Pequeña Acrópolis)

小アクロポリスは高さ 5m、70m 四方の基壇で、4つのペテン様式の神殿が設けられています。 200年頃に建造され、エツナ全体で最も古い場所に なるようで、8バクトゥン( 435年以前)の日付を持つ石碑が3本に、古典期前期の漆喰彫刻の仮面や、先古典期から古典期前期に至る土器類など エツナで最も古いものがここから発見されているそうです。 入口の階段にも碑文が刻まれていたようで、よく見ると一部マヤ文字の跡があります。

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 (Templo Poniente de Pequeña Acrópolis)

これは西側の入り口の階段を上った所にある神殿で 神殿 419-2 と呼ばれるようです。 前回来た時にはここに茅葺きの保護の屋根があったの ですが……?

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 (Templo Poniente en 2006)                 (Parte de mascarón debajo de techado)

これは 2006年の写真で、屋根の下には五層の神殿の仮面よりは小さいですが類似した仮面がありました。 保存の為に持ち出されたのか、 埋め戻されたのか?

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 (Templo Oriente de Pequeña Acrópolis)

これは東側の 419-4 と呼ばれる神殿で、階段には碑文が刻まれていたようですが、かなり風化しています。 小アクロポリスは北と南にも 小さな神殿があり、4つの神殿で小さな中庭が作られていました。
仮面の神殿   TEMPLO DE LOS MASCARONES
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 (8. Templo de los Mascarones)

小アクロポリスの西側に 8. 仮面の神殿があります。 地図で場所を確認してみて下さい。 エツナで一番古いとされる小アクロポリスの西側で 小アクロポリスに至るサクベに面して北向きに建てられているようです。 写真は神殿の東側面で、横長の保護の為の茅葺き屋根がある方が北面 になります。

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 (Templo de los Mascarones)

これが北面の屋根の下で、ペテン様式の神殿の中央階段左右に一対の漆喰彩色仮面が保存されます。 サクベを通って小アクロポリスに向かう 時はこの仮面の横を通過した訳ですが、どういう意味合いを持った神殿だったのでしょう。

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 (Mascarón de Deidad Solar de Amanecer)

これが上の写真にある階段左側の漆喰彫刻で、仮面は擬人化された太陽神と考えられ、左は太陽の昇る東側にあり夜明けの太陽を表わしていると 言われます。

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 (Mascarón de Deidad Solar de Atardecer)

階段右側にも太陽神の仮面があり、こちらは太陽の沈む西側で夕暮れの太陽が表現されていると考えられます。 両端のバツ印のある帯は空を 表わしその間に行き来する太陽神が描かれている事になります。

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 (Dos Mascarones del Deidad Solar)

両方の太陽神の仮面部分です。 高い位を示す為に顔に装飾が施され、目は斜視に表現され、耳や鼻は飾りの為に穿孔が加えられ、歯は変工されており、 顔は濃い赤に塗られて、神話上の動物の頭飾りを付けていると説明にあります。 上の寄り目が夜明けの太陽で、下が夕暮れの太陽です。

漆喰に塗色が施された仮面は何度か修復保存がや繰り返されているのか、来る度に色合いが違い、見辛くなっているように感じます。 1600年 以上前の漆喰塗色が熱帯の空気に触れているのですから止むを得ないでしょうか。

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 (Mascarón de Deidad Solar de Atardecer)

夕暮れの太陽を右横から撮ってみました。 綺麗に撮ったつもりですが、何か汚い仮面になり残念ですが、実際こんなものでしょう。

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 (Templo de los Mascarones)

最後に北西側から見た仮面の神殿です。

これでエツナの主要部は全て回りました。 エツナは13の大きな灌漑用水路と31の支流、84の貯水池を築いて雨水をコントロール して 飲料と農業用水を確保し、 25㎢ もの広大な地域を治めてきたそうで、建物のある地域は全体からするとほんの一部に過ぎません。

魔法使いの老婆   LA VIEJA HECHICERA
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 (Pirámide de Vieja Hechicera)

これは魔法使いの老婆と呼ばれる建築複合のピラミッドを初めてエツナに来た 2001年に帰途道路際から撮った写真で、丸い基壇はウシュマルの 魔法使いの神殿を思い起こさせ、当時から気になっていました。

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 (La Vieja Hechicera está al lado sur de Federal 188)

Google Earth で偵察してみると 188 と道路マークがついた下に遺構があり道は通じています。 2001年の写真は国道 188号から撮ったものでした。  Google Earth には実際行った人の写真も張り付けてあり間違いなく 行けそうです。 そこで 2014年のマヤの旅で再度エツナに立ち寄る事になりました。
建造物 512   Edificio 512
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 (Edificio 512)

エツナ遺跡の入口から遺跡中心部に向かい、途中グラン・アクロポリスの標識の所を右に分岐していきます。 写真の建物が見えてきたら正しいルートです。

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 (Edificio 512)

これは正面から見た建造物 512 で、入口を2本の大きな円柱で支えた典型的なプーク様式建築で、古典期終末期から後古典期前期にかけての建物に なるようです。
魔法使いの老婆   LA VIEJA HECHICERA
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 (Acercando al Grupo de Vieja Hechicera)

建造物 512 から北西方向に更に 500m 程行くと魔法使いの老婆のピラミッドがあります。

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 (Lado frontal de Pirámide de la Vieja Hechicera)

グラン・アクロポリスがあるエツナの中心部からは 800m 位 離れますが、建築複合 22 と呼ばれ、古典期前期に遡るグループです。 広場の西側に 魔法使いの老婆のピラミッドが東向きに建てられ、広場の北東と南東に崩れた小建造物があり、広場中央に矩形の祭壇を伴います。

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 (Lado frontal de Pirámide de la Vieja Hechicera)

ピラミッドは五層の神殿に次いでエツナでは2番目に大きな建造物になると思いますが、高さはどこを調べても出てきませんでした。 修復は 1996年に 開始されたようですが、途中で中断しており、修復活動時は少しまばらに整理された木々も現在は鬱蒼と茂る密林に戻ってしまっています。

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 (Vista lateral del primer cuero)

これはピラミッド正面を側面から見たところで、中央階段の横に急な斜面と階段が修復されていますが、その上は密林です。 以前は上まで登って 上部神殿が確認出来たようですが、現在では余程の覚悟をしないと登れません。

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 (Lado norte de primer cuerpo)

上の写真の同じ部分を正面から見たところです。 階段横は鋭角的な作りですが、基壇の角は丸く仕上げてあり、典型的なペテン様式を 示しています。

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 (Cúspide cubierta por la serva)

念の為ピラミッド上部にカメラを向けてみました。 2001年には国道からでも見えた上部神殿は緑で覆い尽くされ、断片すら見えません。  修復が完了したらまた来てみたいですが、何時の事になるでしょうか?


石碑の展示   EXHIBICION DE LAS ESTELAS
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 (Estelas guardadas en el área de entrada)

入口に入った所で触れましたが、石碑の展示がありました。 エツナでは現在までに32本の石碑が確認され、この内9本の石碑と一部 石造物が集められています。 かなり風化が進んでいますが解読作業が進み、現在までに10名位のエツナの王とその歴史の一部が 解明されています。 

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 (Estela 22)                             (Estela 20)

石碑 22 は 9.11.0.0.0 の日付があり、652年の 11 カトゥンを記念したもので、支配者3 のものとされます。 石碑 20 は 9.11.4.14.16 (657年)の日付で 支配者3の妃である支配者4 のものと考えられます。

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 (Estela 1)                             (Estela 2)

石碑 1 と石碑 2 はそれぞれ 9.14.10.0.0. (721年)と 9.15.0.0.0 (731年)の日付で、やはりカトゥンに関わる祭事で、支配者7 によるもの とされます。

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 (Estela 5)                             (Estela XX)

石碑 5 は下半分だけですが、捕虜の上に立つ支配者8 で、日付は 790年になるようですから 9.18.0.0.0 の祭事と考えられます。 右の石碑は 説明の紙がはがれていたので何番かわかりません、写真だけ。

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 (Estela 9)                              (Estela 8) 

石碑 9 は短期暦で 9 Ajaw 17 Mol (810年)の日付があり 19 バクトゥンと関係ありそうです。 石碑 5 と同じく支配者8によって作られた 石碑ですが 石碑の様式が明らかに異なっており、エツナ内部で変化が起こっている事を示していると言えます。 石碑 8 は石碑 9 と共に小アクロポリス で発見され、正面の図像が側面まで回り込む同じ様式で、対になっていたと考えられるようです。

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      (Estela 15)

石碑 15 はまた全く異なる石碑の様式に変わっています。 石碑は上中下に3分割され、異なるシーンが刻まれ、グアテマラの セイバル遺跡の石碑 3 と様式が酷似しています。 エツナもセイバルも 9世紀にプトゥン人の流入があったと考えられるのでしょうか。

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 (Altar 1, Museo en Reducto de San Miguel)

州都カンペチェ市の博物館にもエツナの石造物が収められているので併せて見ておきます。 これは小さいですが見事に彫刻された祭壇 1 で、 サン・ミゲル砦のマヤ考古学博物館蔵。 支配者3の妃である支配者4が刻まれているので、石碑 20 同様 7世紀中頃のもので、出所はグラン・ アクロポリスの五層の神殿になるようです。

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 (Estela 19, Museo en Baluarte dela Soledad)    (Estela 6, Museo en Reducto de San Miguel)  

左はラ・ソレダ砦にあるマヤ建築博物館に展示されている石碑 19 で、支配者 6 により 8.13.0.0.0 (692年)のカトゥンに作られたものです。  右はサン・ミゲル砦のマヤ考古学博物館収蔵の石碑 6 で、球戯者が膝で球戯場の傾斜にもたれ掛るユニークな図像です。 時代は支配者 9 の 古典期後期から終末期にかけてになるようです。

古典期後期に栄華を極めた多くのマヤ王朝が、所謂古典期マヤの崩壊で消えていく中、エツナは生き延びて後古典期を迎えます。 後古典期には 活発な建築活動はありませんが、古典期の建物に手が加えられ、古典期に作られた石碑が移動されたり碑文の階段が別の建物に置き直されたり している為、碑文と建物との関連でエツナの歴史を解明する事を難しくしているようです。




エツナは広くて見どころが多く、2001年、2006年、2013年、2014年と4回にわたる訪問でやっと修復された所を全部まわりました。 その間に 新たに修復されて公開が始まった所があったり、逆に遺跡保護の為に非公開になった所があったり…。 この間のエツナ遺跡の移り変わりがわかる反面、 まとめは全体が冗長になってしまいました。


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