CALAKMUL
マヤ遺跡探訪
CALAKMUL
カラクムルは最も規模の大きなマヤ遺跡のひとつで、その広さは30㎢以上、資料によっては70㎢で、 中央部だけでもバチカンやモナコよりも広く 2㎢以上あります。

先古典期末には主要建造物の建築が始まり、古典期の前期から後期にかけて勢力が最大となり、南のグアテマラ・ティカルと 覇を競った、所謂古典期マヤの二強のひとつです。 周辺のマヤセンターを切り従え、カラコルと同盟してティカルの王を捕獲、ティカルを 100年以上に わたる停滞に追い込むなんていうような事もあったようです。

2002年正月休みを利用して初めて訪問、昨年2006年再度訪問する事が出来ました。 初回訪問直後にユネスコの世界遺産に登録 され、更に新しい発見、発掘物も続々で再訪時は期待して行ったのですが…

グアテマラ国境から30Km北の自然保護区内にあり、自然は素晴らしいですが、その分アクセスが悪くなります。
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    (訪問日 2002年1月4日、2006年11月19日)
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 (Desviación a Calakmul en Federal 186)

国道186号を挟んで チカナ遺跡 の反対側のエコ・ビレッジに前泊、朝8時に車で出発しました。   国道を西へ45Km行った所で、カラクムル左折の標識があります。

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 (Caseta de cobro para el tránsito a Calakmul)

左折(南下)すると直ぐに通行料を徴収する検問所があります。 

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    (Peaje para coches y pasajeros)

料金は車一台40ペソ、人間も一人当たり40ペソ徴収されます。 環境税ですね。
高いと言うか安いと言うか、 ともかくここからカラクムル遺跡まで60Km、カラクムル
へ行く専用道路です。

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 (Quota de calidad Maya?)

道中はこんな感じ。 場所によっては樹木に道路が呑み込まれて狭くなっている所もあり、これを延々60Km、しかも 制限速度30Km。 まともに行くとこの道だけで2時間かかる事になりますが、遺跡まですれ違った車は数台だけ。  当然制限オーバーで。   m(_ _)m  

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 (Entrada al sitio arqueológico de Calakmul)

道は遺跡で行き止まり。 駐車場には先客の車が6台ありました。 この狭い道、大型バスは難しいでしょうね。  (通行料金表示にはバスの料金も書いてありましたが…)

カンペチェ州の州遺産、メキシコの国家遺産の表示がありますが、世界遺産でもあります。 看板の向こうの藁葺き 屋根は遺跡の入り口事務所です。

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 (Plano de Calakmul dibujado sobre las baldosas)

遺跡探索に先立って地図の確認です。 タイル張りの案内板がありますが、右側の緑の線で囲った所が遺跡の 入り口事務所で、遺跡の見学コースはおよそ左側の緑の線内です。


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主要部を拡大し、建造物の番号をローマ数字でふりました。  タイルの一辺はおよそ500mです。

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    (Indicador de ruta)

遺跡は吠え猿の鳴き声がこだまする密林の中で、標識がないと迷ってしまいますが、写真のようなコースを案内する標識がしっかり 整備されています。

コースは、長、中、短の3つのルートが用意されていて、ルート上に設置された標識には、大きな矢印の上に四角 で長・中・短 (Larga, Media, Corta) と表示されています。 今回は再訪という事で最長ルートを選んでみましたが、 これは不正解でした。 自然目的ならともかく、最長ルートは密林を大きく迂回するばかりで その間あまり見るべきものも無く、 遺跡目的なら単に時間の無駄。 建造物 I、IIを中心にした最短ルートか、これにアクロポリスを追加した中間ルートがお勧めです。

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 (Estructura VIII)

と言う事で、最短ルートで遺跡探索を始めます。

入り口で入場料を払ってから最短ルートでも林の中を1Km以上歩きます。 エコ或いは遺跡保護から駐車場が遠くにしか作れないのでしょうか。  そして写真の小さな建造物 VIII の横にでます。 正面に大きな石碑を従えますが、石碑は彫刻されていたのかどうかわからないくらい風化しています。

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 (Estructura VII)

VIII の西隣、中央広場 (Plaza Central) の北側に 大きな建造物 VII が南向きに建てられています。 2002年訪問時は修復直後で白亜のピラミッド でしたが、すっかり古色を帯びてきていました。 このピラミッドは頂上まで登る事をお薦めします。

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 (Vista desde la cima de Estructura VII, Estructura II a la derecha)

何故登るべきかというと、周り中 木々が生い茂って見通しが利かず、VII の上から正面に建造物 II、左奥に建造物 I とカラクムルで一番高い 二つの建造物が見えて、やっと位置関係が掴めるのです。  逆光で建物が見にくいですが、右の小山が II、左が I です。

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 (Acercamiento de parte superior de Estructura II)
正面の建造物 II を望遠(35mm換算で170mm位)で撮ってみました。         画像
大きな中央階段の上に、4本の角柱の残る神殿跡があり、その奥に一番高い部分が聳える様子がわかります。

建造物 II、この写真に映っているのは上半分だけで、下半分は木々に覆われて見えません。 全体を撮ろうと 思ったら木を切る訳にはいかないので、航空写真しか手がありません。

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 (Guía turística por Edo. de Campeche)

手元の「Campeche メキシコの秘宝」というカンペチェ州の観光ガイドに素晴らしい航空写真があり、写真に撮りました。  この観光ガイド、タイトルの通り日本語で準備された立派なものです。

この航空写真で 4本の角柱のある神殿(神殿 2B)の奥行きとその背後に一番高い神殿 (神殿 2A ) が続く様子と、下の方は中央階段が左右に仮面の装飾 を伴って中央広場に向かって伸びている様子が確認できます。

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 (Vista desde la cima de Estructura VII, Estructura II en frente)

手前の石組みは建造物 VII の頂上で、ここから正面の建造物 II との間に広がる緑の高木の林が中央広場にあたります。 広場を囲んで建造物が 幾つもありますが、高木に遮られて見えません。

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 ( 5 estelas en frente de Estructura VII )

建造物 VII を降りて中央広場に向かいます。 正面に石碑が5本林立しているのですが、残念ながらボロボロ、図像も文字も見えません。

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 (Estructura IV-A)

建造物 VII から左側(広場の東側)に建造物 IV が広がります。 中央に一番大きな建造物 IV-B があり、左右に同形の IV-A と IV-C が取り付け られています。  写真は左手前が建造物 VIII 前の風化した石碑で、その先の階段が北側の IV-A になります。

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 (Estructura IV-A)

建造物 IV-A は上部が崩れたままで、風化した石碑が1本あります。 横面に文字が刻まれ正面には図像が残りますが…。

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        (Detalle de Estela en frente de IV-A)

肖像の顔の部分は失われていますが、胸飾りは確認出来ました。

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 (Estructura IV-B)

これは中央の IV-B。 建造物 VII もそうでしたが、ここも建造物の前に石碑が林立しています。

古典期に栄えたカラクムルには 120本あまりの大量の石碑が残され、マヤ神聖文字で歴史が刻まれていましたが、残念ながら風化が甚だしく、 なかなか歴史解明は進まないようです。 メキシコ市の人類学博物館には カラクムルの石碑が3本 あり、1本は 風化が少なく立派なものでした。

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 (Estructura IV-B)

これは同じ IV-B を右横からみたところ。 IV-A と IV-C は 751年にかけて増築されたものに対して、IV-B は先古典期からの古い建造物に繰り返し 増改築が加えられたものだそうです。

カラクムルの初期の王についてはあまり知られていませんが、6世紀中ごろの王として トッーン・カッブ・ヒッシュ王の名前が、ナランホやヤシチラン の石碑に現れ、その王の墓所がここ建造物 IV に設けられたようです。

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 (Estructura IV-C)

こちらは南側の IV-C。 上の IV-A も同じ形をしていた事になります。

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 (Estructura VI)

建造物 IV から広場の反対側(西側)には木々の向うに建造物 VI が見えますが、この建造物 VI と建造物 IV-A, B, C で太陽観測の複合体を 構成し、春分と秋分の日には建造物 VI から東の空に昇る太陽が建造物 IV-B の背後から現れ、IV-A と IV-C は夏至と冬至の太陽の位置を 示しています。 太陽観測複合は最初に発見されたペテン地方の ウアシャクトゥン が有名です。

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 (Estructura VI)

建造物 VI に近づいて南東側から。 古くから祭礼の行われてきた所で、東側の建造物 IV を利用して太陽の運行の観測にも用いられたようです。  西側の観測地点と東の三連のピラミッドを組合せた天文観察複合は 有名なウアシャクトゥンの他、カラコルやヤシャー等にも残されます。

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 (Estructura VI)

建造物 VI の上の石碑、左から石碑 24、23 です。 かなり風化が進んでいますが、図像と共に文字も残され、8世紀初めのユクノーム・トーク・ カウィール王のものとされます。

碑文からのカラクムルの歴史解明が進まないと書きましたが、解読の難しい石碑の他に、王名表の描かれた彩色土器があり、また他のマヤセンター に残された文字記録からもカラクムルの足跡が明らかになり、『マヤ王朝誌』では 18名の王によるカラクムルの歴史が再構成されています。

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 (Estructura V)

上述のトッーン・カッブ・ヒッシュ王を継いだ王についてはカラクムルでは碑文が確認されませんが、「空みる者」王の名前がカラコルの祭壇の碑文に 記され、カラコルと共に 562年にティカルを攻略し、ティカルを暗黒時代に追い込んだようです。 また 611年には「渦巻き蛇」王がパレンケを攻略 した事がパレンケの碑文の神殿の碑文に刻まれ、カラクムルの繁栄が続いたようですが、この時代の石碑はカラクムルにはありません。

遺跡に戻って、写真は低層の建造物 V です。 中央広場の中ほど南寄りにある祭壇のような基壇で、古典期後期に建てられ周囲に石碑が 12本置かれ ました。 写真は北東側から撮ったもの。

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       (Estructura V, lado norte)

これは建造物 V の北面で、文字と図像が残る石碑 29(左)と 28 があります。 風化の為に王の名前は読み取れませんが 623年の日付が読み取られ、 「渦巻き蛇」王を継いだ王の手になるもののようです。 建造物上部には大部屋があり、リオ・ベック様式だそうですが。

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 (Estructura V)

建造物 V の南面には階段があり、かなり風化の進んだ石碑が立ち並び、カラクムルで一番高くて大きな建造物 II と向かい合います。

カラクムル遺跡の発見は1930年頃で、本格的な調査修復は80年代から90年代にかけて行われ、建造物 II も 修復前は土砂と生い茂る緑に 覆われていたようです。


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 (Estructura II)

さてその建造物 II 。 上の方で建造物 VII から上半分を望遠で見ましたが、これはその下の方。 建物下部もとても大きく、広角(35mm換算で28mm位) で斜めに撮っても幅 120mの前面が入りきりません。 (周りは林なので あまり後退して撮れません)

建造物 II は先古典期に建造され、その後繰り返し増改築が行われましたが、現在 遺跡で目にするのはおよそ古典期後期 初め頃の姿が掘り出されたものの ようです。 高さは 45m あり、ここに写っているのは中程迄。 更に上方へ神殿、階段と続いていきます。 全体像は6枚上のガイドブックにある航空写真 の通りです。

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        (Estructura II y Estelas 38 - 42)

611年に王位にあった事が確認される「渦巻き蛇」王の後、短命の王が続き、636年に即位した「大ユクノーム」と呼ばれるユクノーム・チェーン2世 によりカラクムルは長期にわたる安定と繁栄を謳歌したようで、カラクムルの主要な建造物はこの時代に完成され、石碑も 18本残されます。

この写真は建造物 II 麓の石碑群、石碑 38 - 42 で、ボロボロになっていますが、8世紀初めのユクノーム・トーク・カウィール王のもののようです。

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        (Estela 43)

一段目の基壇に登り、左の方に石碑 43 があります。 これは程度が良い方でしょうか? でも風化の一途ですね。 年代も王の名前も不明です。

この石碑の右、中央階段の基部の窪みからは、9.0.0.0.0.(435年)と9バクトゥンの始めを刻んだ石碑 114 が発見され、これがカラクムルで 刻まれた最も古い日付になるようです。

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        (Estela ??)

これは中央階段の中程にある石碑で、真ん中で折れたものを繋ぎ直してあります。

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        (Detalle de Estela ??)

上の石碑に刻まれた肖像のアップです。 風化してしまったのが残念ですが、このまま置いておいたら更に風化してボロボロに?

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 (Mascarones)

中央階段にある石碑の左右には古い時代に取り付けられていた仮面の跡が残ります。 写真左は左側の仮面、写真右は右の仮面のアップです。 中央階段の 左右に上下三連、計6個の仮面が置かれていたようです。

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 (Parte superior de Estructura II)

建造物 II の中腹まで登りました。 写真左側は下から見えた 4本柱の神殿(2B)跡の側面で、更に上の神殿に繋がる階段があり、これが下からは見えなかった 建造物 II の上部構造になります。

「大ユクノーム」の繁栄の時代は、ペテシュバトゥン地方のドス・ピラスを中心とした動乱期にあたり、「大ユクノーム」と息子のユクノーム・ イチャーク・カック王(即位 686年)は、ドス・ピラスのバラフ・チャン・カウィールを助けて、672年にティカルのヌーン・ウホル・チャークを 打ち破ります。 しかし 695年になると今度はイチャーク・カックがティカルの次の王ハサウ・チャン・カウィール敗れて犠牲になったようです。  写真の 4本柱の神殿(2B)跡からは埋葬 4 が見つかり イチャーク・カック王のものと考えられています。

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 (Parte superior de Estructura II)

上の写真の撮影位置から少し前進して横から見ると、建造物 II の最上部の神殿(2A)が顔を覗かせます。 あと一息で頂上!

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 (Vista panorámica desde E-II, en frente se ve E-VII)

一番上まで登りました。 見渡す限り一面緑の密林です。 手前は埋葬4 が見つかった神殿 2B で、正面の密林の中には建造物 VII が頭を出します。  建造物 II 上部の望遠写真を撮った所でした。

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 (Acercamiento de E-I, desde E-II)

建造物 II から南東方向に建造物 I の上の方が見えます。  もちろん望遠写真です。

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 (Estructura II)

建造物 II 最上部の神殿には居室跡もあります。 こんなに高い所にも貴族が居住していたのでしょうか、それとも儀式の時だけ 使用されたのでしょうか?

降りる時に下までの階段の数を数えたら全部で111段ありました。 (^-^;

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 (Estructura III)

さて中央広場を離れて建造物 III です。 ペテン様式で造られ、唯一建築当時から改装されていない建物で貴族の住居だったと推測されて います。 墓室と副葬品も出ています。

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        (Estructura III)

建物左側の居室部分が残っているところです、漆喰が少し残っているようですが。

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 (Estructura I)

建造物 III の先の建造物 I に辿り着きました。 建造物 I は II と並んで先古典期に遡る建造物で、二つの大きなピラミッドは ca = dos, lak = adyacente, mul = monticulos 「二つの連なる丘」 ? と、カラクムルの名前の謂れになっています。

ユクノーム・イチャーク・カック王がティカルに敗れてカラクムルは一時的に衰退したようですが、直ぐにユクノーム・トーク・カウィール王(~702 - 731年?)によって復興が計られ、トーク・カウィール王は「大ユクノーム」を凌ぐ 20本を超す石碑を残します。 建造物 I の前の石碑も多くが このトーク・カウィール王のものになります。

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 (Estructura I)

建造物 II に次ぐ高さで、上まで登りました。 天気が良いと南にグアテマラ・ティカル遺跡の聳え立つ神殿が望めるそうですが、 望遠レンズで必死に捜しても見つかりませんでした、本当かな?


ここまでが最短ルートになりますが、結構見どころ沢山です。 でも更にアクロポリスもあり、行ってみます。


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 (Estructura XV)

これは遺跡にあったアクロポリスの地図です。 赤の破線が中間ルート、青が最長ルートなんですが、地図の左半分は殆ど発掘されておらず、 発掘された建物も多くが林に囲まれていて、何処がどこなのか本当に迷います。

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 (Estructura XV)

まずアクロポリスの南東端から。 前面に石碑 74 - 79 の5本の石碑が並ぶ建造物 XV で、石碑 75, 77, 79 は「大ユクノーム」のもののよう ですが、石碑自体ボロボロです。

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 (Estructura XV)

上部神殿に墳墓があり、石碑 79 から 7世紀後半のユクノーム・イチャーク・カック王の母親が埋葬されたと推定されています。

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 (Estructura X ?)

これは建造物 XV の先にあった建物ですが、番号がわかりません。 アクロポリスの小神殿は林の中で方向を見失いがちです。 前面のみならず背面にも 階段があったりと、どれがどの建造物か注意しないと迷います。 この神殿は XV の先なので地図からすると 建造物 X あたりかと思いますが、定かでは ありません。 お分かりの方、ご教示ください。

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 (Estructura XIV)

これは建造物 XIV の中央広場に面した東側。 前に置かれた石碑から 740年に建てられた建造物と考えられるようです。

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 (Estructura XIV)

そしてこれは同じ建造物 XIV のアクロポリスの内側を向いた西面です。 

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 (Juego de Pelota, Estructura XI)

振り返って西方向には東側から見た球戯場、建造物 XI の外壁が見えます。 この方向からだと球戯場だと解りづらいのですが。

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 (Juego de Pelota, Estructura XI)

北側から見ると一目瞭然、球戯場です。 球戯面の囲いが無いシンプルなタイプで球技の的となる環もマーカーも無いそうです。

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 (Juego de Pelota, Estructura XI)

これは南側から見た球戯場。 正面奥には建造物 XIII が見えてきます。

球戯場の横に置かれた説明版によると、731年の球戯場の建設を祝った石碑 66 は4つに割られて新しい球戯場の建造物の中にに埋められていたそうで、 次のカトゥンの日の 751年に現在目にする球戯場が作り直されたと考えられています。

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 (Estela 66)

球戯場の北側、建造物 XIII との間に石碑 66 が繋ぎ合わせて建てられていました。  短期間における球戯場の作り直しは、この間にカラクムル 内部で権力構造の変化があったと考えられ、古典期終末期に近くのカラクムルの混乱した様子が窺えます。

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 (Estructura XIII)

建造物 XIII はアクロポリスの北東角にある、アクロポリスで最も高い建造物で、上部に二層にわたる居室があります。 写真は東側から側面を 撮ったもの。

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 (Estructura XIII y Estela 88)

正面には石碑 88 があり、これは 8世紀後半のものになるようです。

建造物 XIII は是非一番上まで登って下さい、建造物 II の上部が北西側から望め、上部神殿が 更に奥まって築かれている様子がわかります。 

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 (Acercamiento de E-1, desde la cima de E-XIII)

これが建造物 XIII から見える建造物 II です。 素晴らしい眺めです。   画像



これでカラクムル遺跡訪問はほぼ終了ですが、最長ルートでアクロポリスの更に西の方へ道が伸びています。


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 (Estelas)

道の途中にはこんな傾いた石碑も。 後ろの土塁は未発掘の建造物で、ここが何処にあたるのかは???

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 (Residencias)

これも途中ですが、アクロポリスの北側にあたるのでしょうか? よくわかりません。

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 (Unidad Residencial Noroeste)

そして北西の居住区に至ります。 公の場ではなく住居を目的として作られ、石組みの屋根やベンチの支えなど、質の高い仕上がりで、貴族層の 住まいだったと考えられています。

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 (Unidad Residencial Noroeste)


これでカラクムル遺跡訪問を全て終了です。 ルートに沿って解説を加えてきましたが、史実を交えながらの説明で 話が前後したり読み難い所が 多かったと思います。 m(_ _)m




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 (Reconocimiento de Patrimonio Mundial de UNESCO)

また1Km以上歩いて遺跡の入り口に戻ります。 これは遺跡に入った所にある世界遺産認定の銅板です。


カラクムル遺跡を訪問して不満に思うのは、ここまで苦労してやって来ても、建造物しか見られない事です。 他の主要なマヤ遺跡 によくあるような、Museo del Sitio (遺跡に併設された博物館)はありません。

国道の分岐点からだけでも往復 120Km 、真面目に制限速度を守ったら4時間かかります。 わざわざ世界遺産の遺跡まで足を運んだ訪問客 に対して、遺跡の見せ方にもう一工夫あってもと思うのですが…。


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    (Máscara de jade, Museo Regional de Campeche)

   カラクムルで発掘されたものの一部は、州都カンペチェ市の博物館で見る
   事が出来ます。 スペイン人の築いた城砦がカラクムル同様 世界遺産に
   登録されていて、その中にマヤ博物館があります。

   これはその展示物から、建造物 III で発見されたヒスイの仮面です。

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    (Máscara de jade, Museo Regional de Campeche)

   これも建造物 III からのヒスイの仮面ですが、建造物 II、VII、XV からも
   ヒスイの仮面が出土しています。

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    (Máscaras de jade, Museo Regional de Campeche)

   どの建造物からの仮面かわかりませんが、更に2つの仮面がありました。

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    (Vasija policromada, Museo Regional de Campeche)

   鳥の絵が描かれた彩色土器。 確かカラクムル出土だったと思います。
   鮮やかな色彩は当時のままのようです。

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    (Máscara funeraria, Museo Regional de Campeche)

   建造物 IV 出土の有名な陶器の仮面もこの博物館に展示されています。



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    (arqueología Mexicana, VOL.- XIII NUM. 75)

   この画像は建造物 VII の北に位置する北のアクロポリスで最近発見され
   た彩色壁面です。 マヤ・ブルーの薄絹をまとった婦人の描写は秀逸です。
   
   今回この壁画を見学できないものか期待していたのですが、見事に裏切
   られました。 この画像は考古学局(INAH)の隔月刊の "arqueología" 75号、
   Sep-Oct, 2005 からスキャンしました。  将来的に何処かで公開してくれる
   のでしょうか。 こういう素晴らしい遺物を効果的に見せる事で、世界遺産
   への更なる集客が可能になるものと思いますが…。



カラクムル遺跡はこれで終了ですが……、カラクムルの翡翠の仮面はその後本格的に修復が行われて大分容貌が変わっています。  2010年から開催された特別展示会 で紹介してありますので、王の新しい顔を確認してみてください。


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