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MÁSCARA VERDE "ROSTROS DE LA DIVINIDAD"
         緑の葬送面  マヤ特別展 「聖なる王の素顔」
マヤの王侯貴族の埋葬からは翡翠で作られた葬送の仮面が発見される事があります。 翡翠は貴重だったので王墓に必ずあるというものではなく、 発見された仮面は権勢を誇った王達の素顔に迫れるものとして貴重です。

仮面は細かい翡翠片を繋ぎ合わせたモザイク面が多く、2000年を過ぎてその修復作業が進み、その成果の一端は昨年から始まったマヤの 特別展示会で公開されていて見る事が出来ます。 2010年 8月にメキシコ市の国立人類学博物館から始まった "Rostros de la Divinidad : los Mosaicos Maya de Piedra Verde" です。  少し意訳すると、 「聖なる王の素顔 : マヤの翡翠のモザイク面」 といった感じでしょうか。

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丁度グアダラハラ市で同展示会が開催中だったので帰国前に日帰りで行ってきました。 魅力的なマヤの展示品が多く展示されていましたが、 このページでは翡翠の仮面に絞ってまとめてみます。

  (訪問日 2011年11月29日)
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同展示会はメキシコ市で盛況裡に終了した後、海を渡り 11月から2011年1月までイタリアのナポリで続けて開催され、その後フランスの 「メキシコ年」 記念行事の一環として 3月からはパリでの開催が予定されていたのですが…、折からのメキシコ・フランス間に起きた 外交問題の為に直前にキャンセル、マヤファンとしては展示品がどうなってしまうのか心配でした。

でも展示品は無事帰国、3月からモレリア市、6月からプエブラ市、そして10月からグアダラハラ市とメキシコ各地で同展示会が続けて開催され ました。 今後の予定はよくわかりませんが、パリでの開催や、展示品貸出しで協力した博物館のあるカンペチェやメリダ等での開催も検討 されているようです。 今後ユカタン半島への旅行予定があれば、要チェックです。
(その後、パリでの開催が実現し、帰国後は 2012年11月のカンクン・マヤ博物館のオープンに合わせて特別展が継続、その後は…? 2013年1月記。)

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パレンケ PALENQUE
展示の順序に従い、まず最も有名なパカル王のパレンケから。

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 (Seccion de Palenque en "Rostro de la Divinidad")

世界遺産にも指定されている パレンケ はチアパス州にある古典期の マヤ遺跡で、碑銘の神殿から手付かずの王墓が発見され一躍注目を浴びました。 埋葬されていたのはパカル1世で、その 墳墓が棺ごと再現されています。 首都の国立博物館で見るのと同じようですが…。

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         (Réplica de Máscara de Pakal exhibida)

でも中にある仮面はこれ、複製でした。 よく出来てはいますが、実物を見慣れていると物足りません。
展示物には複製はその旨 説明書きで断りがありましたが、ここでは特になし、でも実物ではありません。

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         (Misma Máscara exhibida en Museo Nacional de Antropología MNA)

こちらが直前の 17日に国立人類学博物館で撮ったもの、やはり複製とは迫力が違います。 門外不出と言う事でしょうか。  キニチ・ハナーブ・パカル1世(683年没)の墳墓は 1952年に発見され、断片化した翡翠の小片は 1955年に最初の復元が行われ、 その後幾度か修復が繰り返され、最新の姿がこの写真です。

( 2003年にグアテマラから取り寄せた翡翠で精巧な複製が作られたそうですが、もしかすると展示会のものがその複製かもしれません。  人類学博物館の展示が複製とは思いたくないのですが。)

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 (Primera restauración, foto en 2000 MNA)    (Después de última restauración, foto en 2003 MNA)

左は 1955年に修復された姿、2000年に国立博物館で撮った写真です。 改装の為 暫くマヤ室は閉鎖されていましたが、2001-2002年に科学的な 見直しで断片が再構成され、2003年にマヤ室がリニューアル・オープンした際には写真右の姿に変わっていました。 頭蓋変形した頭は扁平に なっています。

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 (Mosaico cinturón ceremonial, tumba de Pakal I)      (Cinturón ceremonial, Templo Perdido)

同じくパレンケから翡翠の腰飾りが3つ集められていました。 左の2つは上のパカル1世の墳墓の副葬品で棺の蓋の上に置かれていたそうです。  顔はパカル王ではなく守護神のイツァムナとの事。 右はパレンケの中枢からかなり西のはずれになる失われた神殿で発見された墳墓の副葬品で、 墳墓は恐らく 642年に没したパカル1世の父、カン・モ・ヒシュのものだろうとの事。  腰飾りは3つとも複製ではなく実物です。

オシュキントック OXKINTOK
展示会ではマネキンを使った墳墓の再現がパレンケのものを含めて5つあり、2番目がこのオシュキントックからのもの。  オシュキントック はユカタン州西部でカンペチェ州との州境 にある遺跡です。

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 (Reproduccion de Tumba 8 de CA-14)

再現されている埋葬は アー・カヌル・グループの建造物 CA-14 (600-700AD) から 2001年に発見された8号墓で、Arqueología #65 Jan-Feb, 2004 にニュース欄で 修復された貝製の胸飾りが、下の翡翠の仮面と共に紹介されていました。 メリダの地方考古学博物館所蔵ですが、 普段は展示されていないもので (2006年11月には展示無し)、是非この展示会で目にしたいもののひとつでした。

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           (Pendiente de concha, Tumba 8 de CA-14)

発掘時はばらばらの状態だったものを、貝の種類、形状を調べて丹念に繋ぎ合わせて修復に漕ぎ着けたそうです。 全くジグソーパズル ですね。 貝は 4種類の異なるものが使われ、黒い眼は黒曜石が使われています。 見ての通り半開きにした嘴を持つ鳥を模したもので、 芸術的と言うか何と言うか凄いです。 頭飾りに使われた可能性もあるようですが、埋葬では胸の上で発見されているので、胸飾り若しくは ペンダントとして首から下げたものと考えられています。

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                     (Máscara de jade, Tumba 5 de CA-3)

もうひとつのオシュキントックからの発見がこの翡翠の仮面で、これは同じアー・カヌル・グループでも別の建造物 CA-3 (550-630AD) の5号墓で 1988年に発見され、550-630AD 頃のものとされます。 オシュキントックでは神聖文字が刻まれた石造物はあるものの 解読は不完全で、歴史の解明には至っていません。 その為 上の8号墓同様 この5号墓も埋葬された王?の詳細はわかりません。

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 (Máscara fragmentada en numerosas teselas)

翡翠の仮面は発見時は 339 もの断片になっていたそうで、展示会のパネル展示にばらばらになった翡翠片の写真がありました。  目の虹彩には貝が用いられ黒曜石の瞳が嵌め込まれています。 こんなジグソーパズルが売られていたら挑戦してみたいですね。(笑)

カラクムル CALAKMUL
次は古典期マヤ二強のひとつ カラクムル です。 ティカルと 並んで マヤ古典期に覇を競った強国カラクムルでは 5つの墳墓から葬送面が見つかっていて、展示会ではその内2つがマネキンと共に 再現されていました。

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 (Reproduccion de Tumba 1 de Estructura VII)

これは 1984年に建造物 VII で発見された墳墓1が再現されたもので、壁に嵌め込まれていました。 メキシコ市で開催された最初の展示会 では下の画像の通り床に埋め込まれていて上から覗き込めたのですが。 でもより近くで見られるのはメリットでした。

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                    (Exhibición en 2010 MNA)

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 (Detalle de Tumba 1)

近づいて見下ろすとこんな感じです。 必死にカメラを持ち上げて仮面の正面を狙いましたが、これが限界でした。 (写真下左)    ばらばらになって発見された翡翠の珠は修復されて被葬者の全身を飾り、ペンダントには風を表す 「T 」(ik) が彫られています。

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 (Máscara restaurada en 2004 y misma máscara de primera restauración en 1986)

オシュキントックの仮面でも見たように 翡翠片を繋ぎ合わせたモザイク面は接着剤が劣化してバラバラの状態で発見されます。 この仮面も 84年の発見時は多数の翡翠片の状態で、 86年に57個の翡翠片を繋いで右の写真のように復元されました。(2000年にカンペチェの博物館で撮影)   しかし繋ぎ合わせられなかった翡翠片が多数残ってしまいました。

2001年から始まった仮面修復プロジェクトでパレンケのパカル1世の仮面を仕上げた後、2003年からこの仮面に取り組まれ、 合計 98個 の翡翠片を全て再構成し繋ぎ合わせて現在見る姿になりました。 修復完了が 2004年です。 全くの様変わりで、同じものと 言われないと気付かないかもしれません。

修復された仮面は随分綺麗に磨き上げてありますが、複製でない事を祈ります。 

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 (Reproduccion de Tumba 1 de Estructura III)

もうひとつ再現されているのが建造物 III の墳墓1です。  1988年に手付かずの状態で発見された墳墓1からは翡翠のモザイク面の他に 立派な胸飾りや腰飾りも見つかり、併せて出土した副葬品の時代測定から、上の建造物 VII より古い古典期前期 250-450年頃の墳墓と 考えられています。

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 (Vasija tetrápode que retrata el seputado)     (Máscara restaurada en 1989)

副葬品の4足土器の蓋には埋葬された王の顔が模してあり、バラバラになった仮面は早速 89年に最初の復元が試みられました。 写真右は 最初に復元された姿で、2000年にカンペチェの博物館で撮りました。

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            (Ultima restauración en 2005)

右上の仮面が修復プロジェクトの手を経て 2005年に生まれ変わったのがこの写真。 建造物 VII の仮面同様、最初の復元では残された沢山の 翡翠片も繋ぎ合わせた結果です。

国立人類学博物館に修復プロジェクトの工房が設けられ、考古学者に加えて鉱物、貝類、人体等様々な分野の専門家の協力を得、パレンケの 仮面修復で培った復元技術も駆使して、可能な限り当時の姿に近づけられるよう細心の努力が払われました。

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 (Cinturón ceremonial restaurado en 2007)     (Pectoral restaurado en 2008)
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 (Cinturón restaurado en 1989)    (Pectoral restaurado en 1989)   (Pectoral exhibido en 2009 MNA)

葬送面と一緒に発見された腰飾りと胸飾りも同様に再復元が行われました。 下左の腰飾りは上左の姿に変身、胸飾りも下中央の最初の復元が 上右の姿に。 腰飾りが2007年に、胸飾りは2008年に復元が完成しています。 下右の胸飾りは 2009年に復元が済んで人類学博物館に 展示されていた時のものです。

カラクムルからはさらに3つの葬送の仮面が回収されていますが、これについてはこのページの下の方で触れてみます。

ラ・ロビロサ LA ROVIROSA
カラクムルの次にラ・ロビロサの仮面があり、儀礼用の仮面と言う事で墳墓の再現ではなくアクリルの展示台に載せてありました。 ラ・ロビロサはキンタナ・ロー州南部だそうですが、 Arqueologia でも取り上げられた事がなく、聞いた事もない名前です。  懸命に詳しい地図をあたりましたが、見つかりません。

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                           (Ubicación de La Rovirosa)

シバンチェの仮面を特集した Arqueologia #84 P.14 の地図に偶然ロビロサの名前が記されているのを見つけ、やっとその場所がわかりました。  他に場所のわかるものがないので、地図をスキャンさせて頂きました。 翡翠を持っていたと言う事はある程度重要なセンターだった筈 ですが、遺跡の詳しい地図でも出て来ないので、遺構はあまり残っていないのか、或いはごく最近発見されたものなのか?

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 (Máscara ceremonial de La Rovirosa)

さてその儀礼用の仮面、意図的に顔を歪めてあるそうで、横から見ても判らないので正面からも見てみました。 成程 向かって左の頬が長く目が吊り上っています。 仮面は宗教的な意味合いを込めてこのように左右非対称に歪めてあるそうです。  古典期後期とだけ書いてありますが、詳細は何もわかりません。
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この仮面も修復プロジェクトによる成果のひとつで、修復前の 2004年にはこの画像の通り、多数の翡翠片でした。 (画像は You Tube から切り出させて頂きました。)


シバンチェ DZIBANCHE
展示会で再現された墳墓の最後はシバンチェから。  シバンチェ もキンタナ・ロー州の南部にある古典期マヤの遺跡です。 仮面が5つ発見されているようですが、 展示会にはこのうち3つが出展されていました。

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 (Reproducción de Camara 203 de Templo de los Cormoranes)

まずマネキンつきの墳墓の再現。 展示会の説明書きには鵜の神殿の 203号室からと書いてあったのですが、雑誌 Arqueología では 建造物 II 第3室 1号墓からとなっていました。 建造物 II は鵜の神殿と通称されます。 部屋や墳墓の名称は研究者や時期に よって変わってしまう事もあるようですね。

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 (Máscara restaurada en 2006)                 (Arqueologia #81)

これがマネキンの胸の上に置かれた仮面で、正面からの写真は撮れませんでした。 この仮面は 1993-1994年の発掘で発見され 96年に復元され ていましたが、修復プロジェクトの手で新たに 121 の断片全てを繋ぎ直して再復元され、雑誌 Arqueología #81 Sep-Oct 2006 で紹介されて いました。 右の画像は Arqueologia #81 の 8ページを写真に撮ったもので、上の仮面が 96年の修復、下のふたつが再復元された後のもの です。

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 (Reproducción de Camara 201 de Templo de los Cormoranes)  (Máscara restaurada en 2007)

2つ目の仮面もシバンチェの鵜の神殿から見つかったもので、他の奉納物と共に発見された状態が再現されていました。 墓ではないので 墳墓の再現ではなく奉納室の再現です。 鵜の神殿の 201号室からと説明書きにありましたが、雑誌 Arqueología では鵜の神殿 1号室でした。  同じ部屋を意味するものと思います。

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 (Máscara encontrada en Templo de Búho restauración en 2007)

3つ目の仮面は鵜の神殿裏にあるミミズクの神殿の階段の窪みから見つかった仮面で、これも葬送の仮面ではなく建物に奉納されたもののようです。  これらシバンチェの仮面は翡翠ではなく緑玉髄(クリソプレーズ)で作られているそうですが、翡翠ではなくても古典期マヤの仮面と してその価値は計り知れません。

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 (Máscaras antes y después, Arqueología #84)

2つ目と3つ目の仮面もひとつ目の仮面同様 96年に一度復元されましたが、仮面修復プロジェクトの手で 2007年に再復元が行われて います。 雑誌 Arqueología #84 Mar-APR 2007 で特集が組まれ、最初の復元と最新の復元と写真を並べて比較してあり、違いが 明らかなので こちらの Arqueologia のページ の画像を お借りします。

パレンケやカラクムルの仮面が埋葬者の素顔を模して作られているのに対して、シバンチェの仮面は頭蓋変形と突き出た顎以外は全体が丸みを 帯びていて同じように見えますが、目や口からはそれぞれ特徴が表わされているとの事です。




展示会 "Rostros de la Divinidad" に集められた メキシコで発見されたマヤの翡翠の仮面は以上ですが、他にどんなものがあるのか、 折角なので以下まとめてみました。

マヤ考古学博物館  MUSEO DE ARQUEOLOGÍA MAYA,CAMPECHE
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            (Fotos tomadas desde Catalogo de exhibicion en 2007, Tokio)

特別展ではカラクムルの仮面は修復プロジェクトで再復元された2つが紹介されていましたが、他に3つの仮面があり 2007年に上野の 国立科学博物館で開催された「インカ・マヤ・アステカ展」で日本に来ていました。 写真はその時のカタログから撮ったもので、左上が 建造物 II-B、右上が建造物 XV、下が建造物 II-D から発見されたものです。

特別展の2つを含め全てカンペチェ市にあるマヤ考古学博物館所蔵で、3日前の 26日にカンペチェまで足を運んでみたのですが、見学できた カラクムルの仮面は2つだけ。 2つはグアダラハラへお出かけ、これは想定内でしたが、残る1つがなんとカナダでの展示会の為に出張中!

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 (Cámara funeraria del Gobernante Yuknom Yich'ak K'ak', Estructura II B)

でも仮面の発見された墳墓の再現は圧巻でした。 再現というより墳墓をそのまま持ってきたもので、遺体の置かれた木の板から遺体を 包んだ布まで遺骨を含めて博物館に移されたようです。 かなりの木製品、布製品は風化してしまったようですが、復元された翡翠の首飾り、 胸飾りや副葬品の数々は凄い迫力です。

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 (Plato Códice ofrendado que lleva nombre del Gobernante)

この墳墓は 1997年に建造物 II B で発見され、副葬品のコデックス土器に所有者の名前があった事から、埋葬されたのが686年に即位した ユクノーム・イチャーク・カック王と判明しています。 左がそのコデックス土器で、右は王の名前が記された部分です。

このコデックス土器はグアダラハラの特別展に来ていましたが、仮面の方は墳墓と共にカンペチェに居残り。 下左の写真がこの墳墓に あったイチャーク・カック王の仮面です。

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 (Máscara de Yich'ak K'ak' restaurado en 2007)  (Máscara de Estructura XV)

イチャーク・カック王の仮面は発見時は崩れていましたが、 Arqueologia のバックナンバーをチェックしてみると、2000年にはバラバラの 写真、2004年には復元された後の写真があり、この間に修復が行われた事になります。 断片が部分的にブロックで残っていたので比較的 復元は容易だったかもしれません。

イチャーク・カックはカラクムルの最盛期を築いた大ユクノーム王の息子で、大ユクノームの時代から功績があったようですが、即位後間もなく 695年には星の戦争でティカルに敗れてカラクムルが衰退に向かってしまうという 不幸な王でした。 カラクムルで埋葬されたと言う事は ティカルに敗北した後も生きてカラクムルに戻ったようです。 埋葬が 702年と書いてある文献もありました。

写真右は建造物 XV 墳墓3から見つかった仮面で、11月26日に撮った写真です。 1996年の雑誌 Arqueología で現在見る仮面と同じ写真が あったのでこの間新たな修復は行われていない事になります。 

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 (Arqueologia #42 2000)

これは Arqueologia #42 Mar-Apr 2000 の 16-17ページで、カラクムルの仮面のこの時点での姿がわかります。 左ページ上は建造物 VII の再復元前の姿、右ページも同様に建造物 III の腰飾りと仮面の再復元前です。 建造物 XV の仮面は今と同じ。 そして左ページの 真中にある建造物 II D の仮面を博物館で見れると思っていたのですが、前述の通りカナダへお出掛け中でした。

ウェブで調べてみるとありました。 トロントにある王立オンタリオ博物館で "MAYA SECRETS of their ANCIENT WORLD" という展示会が開かれています。 大英博物館やアメリカ、カナダの博物館からのものもありますが、 大半はメキシコからで、なんと 250点もの展示物があるそうです。 しかも開催期間が11月19日から来年の4月まで、更にオタワで5月から10月 まで続けて開催されるとの事、まる一年の間メキシコの博物館は歯抜けになってしまうではないですか! (-。-;)  トロントまで行きますか?  因みに入場料は C$25 です。

パレンケ遺跡併設博物館  MUSEO DE SITIO, PALENQUE
今年のマヤ旅行ではパレンケも立ち寄って改装された併設博物館を見てきました。 パレンケではパカル1世の仮面の発見以降も更に葬送の 仮面が発掘回収されています。 

下左は併設博物館に展示されている「赤の女王」と名付けられた、建造物 XIII の墓室から見つかった仮面なのですが …、これ複製です。 本物はと言うとこれもカナダへ出張中。(涙) カナダの展示会の出展物リストの中にこの仮面もありました。  まあ展示ケースがガランとしているより複製でもあって良かったとしましょうか。

1994年に辰砂で真っ赤になった石棺の中から赤い頭骨の周りに緑色の石が散らばった状態で見つかり、2001年にこの複製の形に修復されて たもので、実物を目にしたかったのですが。 なお緑色の石は翡翠ではなく孔雀石のようです。

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  (Réplica de Máscara de Reina Roja)          (El Original)

2013年1月に再度博物館を訪れると、カナダから「赤の女王」が戻っていました。(写真右) 複製と比べると圧倒的な存在感です。

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(Cinturón ceremonial de Tumba de Reina Roja)  (Cinturón ceremonial de Estructura XVIII-A)

代わりと言ってはなんですが、赤の女王の石棺にあった腰飾りと思われる仮面が修復されて展示されていました、写真左です。 そして もうひとつ建造物 XVIII-A で発見された古典期前期のものと思われる腰飾り(写真右)も実物が展示されていました。

以上でメキシコで発見されたマヤの仮面は殆ど全てです。 特別展示会のお蔭で各地からの仮面が効率よく見ることが出来て、行った 甲斐はありました。 同展示会にカンペチェとパレンケの博物館をプラスするとほゞ完璧だったのですが、カナダのマヤ展は誤算でした。  仮面の特別展示会はまだ継続されるようですが、終了したら展示物はそれぞれの博物館に戻されるのでしょうか、それともメキシコ市の 国立人類学博物館でしょうか?
グアテマラ、ベリーズの翡翠の仮面 Máscaras Verdes en GUATEMALA Y BELICE
マヤはメキシコだけではないので、ついでに他の国の翡翠の仮面も…。

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 (Máscara de Tikal, MNAE Guatemala)   (Máscara de Jade, Museo de Miraflores)

グアテマラでは国立考古学民俗学博物館にあるティカルからの翡翠の面(写真左)が有名で、カミナルフユ遺跡近くにあるミラフーレス 博物館にも出所がわかりませんが別の翡翠の面(写真右)が展示されています。  またリオ・アスールで盗掘されバルセロナに渡った仮面 もあるようです。

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          (Máscaras de Jade de Santa Rita y Cahal Pech, Museo de Belice)

グアテマラ・ペテン県と国境を接するベリーズにも翡翠の仮面があり、首都のベリーズ博物館に展示されています。 左はサンタ・リタ 出土の古典期前期の仮面、右はカハル・ペチの古典期後期の仮面です。

ホンジュラスのコパン遺跡はマヤのアテネと言われ、芸術性の高い石碑や石造物が多いのですが、翡翠の仮面は見つかっていません。  今後の発掘調査に期待です。

翡翠製品は貴重な上に小さく持ち出し易いので盗掘者の格好の餌食になります。 既に海外へ持ち出されて個人収集家の手に渡ったものも かなりあるでしょう。 ただモザイクの仮面は時を経てかなり断片化している為、盗掘者がそれと認識しても扱い難いでしょうし、それと 判らず放置されバラバラになってしまったものも沢山あるかもしれません。 手付かずの墳墓が見つかって新たな翡翠の仮面が出てくると 楽しいのですが。

展示会 "Rostros de la Divinidad" では翡翠の仮面と共に、マヤの珠玉の名品とも言うべき石碑、石板や彩色土器等も 数多く集められており、仮面以外は「特別展 II 」としてページを改めて紹介しよう と思います。


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