マヤ遺跡探訪
CERROS
ベリーズの旅も7日目、最終日です。  コロサルの対岸にある セロスを訪問した後、 またコロサルに戻り サンタ・リタへ行きます。

セロスは先古典期後期から原古典期の遺跡で、ベリーズでは 先古典期中期のクエヨに次いで 最も古いマヤ遺跡のひとつとされます。 海辺に面した立地から交易の要衝として栄えたようで、遺跡には大きな漆喰彫刻の仮面を持つ神殿が残されます。

前日にホテルでコロサルへ渡る船を頼んだところ手配が付かず、車でなら行けるとの事。 本当は船からのコロサル遺跡を見てみたかったの ですが、止むを得ません。

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     (訪問日 2009年12月5日)
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 (Hand-Cranked Ferry para cruzar New River)

キンタナ ロー州とベリーズ北部に入り込んだチェトゥマル湾の奥深く、コロサル入り江の西がコロサル・タウン、その対岸にセロス遺跡が あります。 船で渡ると 20-30分だそうですが入り江沿いに陸路セロスへ向います。 途中コロサル入り江に注ぎ込むニューリバーを 渡りますが、橋ではなくこれ、Hand-Cranked Ferry。 昨日シュナントゥニッチで乗ったフェリーより大型です。

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 (Hand-Cranked Ferry)

フェリーが出たばかりだと 渡るだけで 20分位かかってしまいます。 着いた時はフェリーが対岸を出るところで、フェリーの時間を含めて 遺跡まで 45分でした。 橋があれば遺跡まで 30分位で行きそうです。 フェリーは無料ですが、乗り場には事故責任は負わないと書いて あります。

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 (Hand-Cranked Ferry)

大型なのでフェリーの横に操縦室?が取り付けられ、支えるロープは左右2本づつ。 ハンドルが2つ付いていてタクシーの運転手も 手伝っていました。 積載量は 20トンあり、大型トラック1台と乗用車2台は収容可能です。

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 (Hacia el sitio Cerros)

ニューリバーを渡り 海抜数メートルの低地を写真のような大きな水溜りも超えて遺跡に向っていきます。 この標識の3分後に セロス到着でした。

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 (Entrada del sitio Cerros)

遺跡の入口には一応看板はあり、セロス "Maya Hill" とありますが、セロスはスペイン語で丘の複数形、もともとの遺跡の名前は 不詳です。 看板は歪んで倒れ掛かっていて あまり人が沢山来るようにも見えません。

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 (Visitor Center)

車を降りて正面のビジターセンターへ向います。 この辺りは綺麗に整備されており、ビジターセンターには小さな博物館が付設され、 入場料の徴収もありました。

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 (Mapa del sitio)

ビジターセンターの外壁に取り付けられたセロス遺跡の地図。 周辺部の後古典期の集落も含み、調査で確認された建造物が印されて いますが、殆どの建造物は草木に覆われたままです。

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上の地図から中心部のみ切り出しました。 この海と運河に囲まれた部分が 100BC-100AD にセロスが繁栄した場所になります。  セロスの中心は北の先端部、 29番で四角く囲まれた部分、更に 50番の球戯場辺りのようですが、 MAP ボタンの地図は実際に歩いた先端部だけ にしました。

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 (Camino para los templos)

ビジターセンターから遺跡に向かい約2分で神殿へ5分の標識がありました。 上の地図で海沿いに道が赤く2本示されていますが、 東側の道(写真右)を歩いていきます。

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 (Camino para los templos)

道の名前は "MOSQUITO TRAIL"、既にベリーズ滞在1週間、腕から足元までかなり献血済みで、蚊の道なんて願い下げです。  前を行く運転手は片手にハタキのようなものを持って蚊を叩き落していますが、これ迄に見たことも無いような大量の蚊が渦を巻いて 運転手の体を取り巻いています。 人の事を心配している場合ではありません、蚊の渦はこちらにも。

蚊よけスプレーでしっかり防御してましたが、それでも耳と額をを5‐6ヶ所やられました。 まるで耳無し芳一になったような。  ベリーズのマヤ遺跡、乾期でも蚊よけ対策は必須です。

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 (Basamento inferior de Estructura 4)

蚊の大群と戦いながら何とか建造物4の前まで来ました。

セロスの歴史は 400BC 頃に遡るようですが、交易の要衝として富を蓄え 100BC 頃になると王権が確立されて神殿建設が始まります。  最初に作られたのが仮面のある神殿5 で、次の王が神殿6 と この神殿4 の順で建築を続けます。 神殿4 は東向きに作られ、写真は 下の基壇東側にある階段で 神殿4 の入口になります。

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 (Templo superior de Estructura 4)

神殿4 は 東西 68m、南北 58m の基壇の上に神殿ピラミッドが築かれ、基壇の高さ 9m に上部神殿 12m をあわせて 広場からは高さ 21m になる 紀元前のマヤの建造物です。 下の基壇を登ると目の前に写真の神殿ピラミッドが聳えます。

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 (Estructura 4)

左はビジターセンターにあった建造物4 の平面図で下部基壇と上部神殿の関係がわかります。 上部神殿を登ると上に壁の跡がありました。

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 (Estructura 4)

神殿上部から今登ってきた東方向を見下ろすと、上部神殿の下、基壇を登った所に小さな踊り場があり、その左右角には小さな建造物が 2つ作られていたようです。

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 (Plaza en frente de Estructura 4)

上部神殿から見下ろすと先は緑に覆われていましたが、神殿前には写真の通り大きな広場スペースが確保されています。

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 (Estructura 4)

下の基壇と上部神殿をもう一度。 何の変哲も無いピラミッドと言ってしまえばそれまでですが、これが 2000年前のものと思うと 感慨も一入です。

セロス遺跡が注目を浴びたのは 1970年代の発掘調査で4つの大きな漆喰彫刻の仮面が発見されたことによりますが、その仮面があるのは 建造物5、建造物4 のすぐ隣です。


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 (Estructura 5)

建造物4 の北側に回るとお目当ての建造物5がある筈ですが、目の前にあるのはピカピカの神殿。 でもこれが有名な仮面の神殿、 建造物5、カリブ海を背にセロスで最初に築かれた神殿ピラミッドの現在の姿でした。 

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                   (Mascarones originales al momento de excavación)

発掘当時の写真がビジターセンターに展示されていましたが、仮面はボロボロで凄い迫力です。 時代的には 50BC とラマナイの 巨大な仮面より 500年も遡り、紀元前に作られた彩色漆喰彫刻になります。

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 (Estructura 5)
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もう少し近づいてみます。 ボロボロの迫力ある仮面が、ピカピカのレプリカに。 オリジナルの漆喰は内部に閉じ込められ、その上に レプリカが被せられているようです。 新品のレプリカでは時代も感じられずに情緒無い事この上ないですが、大切な漆喰彫刻を後世に 残していく為には止むを得ない事でしょうか。 もう少し予算があれば別の保存方法もあると思いますが。

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 (Cuatro mascarones de Sol y Venus)

左右の漆喰彫刻を切り出して並べてみました。 レプリカは実物よりのっぺりしている感じですが、何が描き出されていたのかを 見るにはとても有効です。

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ビジターセンターにはパネル展示で建物の復元図と漆喰装飾の説明もあり、下段の仮面が太陽を表わして 右(東)が昇る太陽、左が 沈む太陽、上段の仮面は金星で 右が明けの明星、左が宵の明星を表わしたものだそうです。 英語の Wikipedia のセロスの項では、太陽は ポポル・ブフ神話 に出てくるイシュバランケの姿をし、金星は フンアフプだそうです。

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 (Estructura 5)

階段の左側は発掘前の状態が残してあり、これは嬉しい配慮です。 蚊叩きを持った運ちゃんはもう神殿の上、行って見ましょう。

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 (Estructura 5)

神殿上部は低い壁で仕切られていたようです。 この神殿上部には柱を立てる為の穴が4ヶ所 有ったそうですが。

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 (Estructura 5)

仮面の神殿の上からカリブ海を望みます。 水平線に見えますが、実はこれ地平線。 コロサル入り江の対岸が海水面の上に細く 横たわっています。 神殿の直ぐ背後には波が打ち寄せ、高波が来たらと心配になりますが、湾の奥深くなので波は静かそうでした。

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 (Estructura 5)

これは仮面の神殿の西側です。 この神殿を築いたのはセロスの最初の王ですが、その墓は次の王が立てた建造物6 で発見された ものと考えられています。

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 (Estructura 6 cubierto por vegetaciones)

と言う事で建造物6 なのですが、写真の通り一面緑に覆われています。 発掘調査後に原状保存の為 埋め戻されたよう です。 ここで発見された墳墓からは翡翠の副葬品が回収され、仮面の神殿を立てた初代王の墳墓だったと推定されています。  (副葬品の翡翠は下のパネルの写真を参照)

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 (Embarcadero)

調査の結果、建物を飾った漆喰の仮面は建造物6 や建造物 29 にもあったそうで、建造物6 は上の写真の通りですが、建造物 29 と 球戯場は行ってみる価値がありそうです。 でもまた大量の蚊が渦巻く小道を通って行く事を思うと……もう無理。 セロス訪問 はここまでにしてビジターセンターへ戻りました。  写真は現在のセロスの埠頭です。

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 (Uno de los paneles de explicación en el Visitor Center)

ビジターセンターでは写真のようなパネルを沢山並べて、セロス遺跡について解説されています。 セロスでは 建造物5 で 見られるような 階段脇を大きな仮面で飾り立てる様式があり、こうした様式は古典期前期になると中部低地マヤでは一般的に なりますが、セロス自体は古典期前期に入る頃には王権支配が消滅してこうした様式の発展は残念ながらありませんでした。

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 (Pequena exhibicion de los artículos excavados)

写真はビジターセンターで展示されていた発掘品の一部です。 翡翠の副葬品はベリーズ博物館に移されています。

三代目の王は建造物 29 を作ったそうですが、100AD 頃になると王権は衰退し 新たな建造物の建築は行われなくなり、 また海辺の寒村に戻っていったようです。 交易ルートの変化、他のマヤセンターの勃興、王の家系の断絶等が考えられる ようですが、対岸のサンタ・リタやニューリバーを遡ったラマナイなどとの関係も気になります。


もうこれ以上の献血は堪りません。 逃げるようにセロスを後にして、最後の目的地 サンタ・リタ へ向います。


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