PINTURA MURAL
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PINTURA MURAL DE PERIODO CLASICO

            マヤ古典期の彩色壁画 - シェルハ遺跡
マヤの石造建造物の多くは彩色され壁画が描かれたりしましたが、気温が高く雨の多いマヤ地域では通常こうした色彩が残る事はなく、 辛うじて室内に描かれていたものが何らかの原因で消えずに後世に残される事があるようです。

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  (Pintura Mural de Cuarto 2, Casa de los Pajaros, Xelhá)

写真は有名な トゥルム遺跡 の北にある シェルハ遺跡 に残される古典期前期の壁画です。 1500年も前の古典期前期に遡る壁画はマヤ地域全体を見回しても殆ど見当たらず、 そんな希少な壁画がこんな形で残され簡単に見られるというのは驚きですが、更に驚きなのは観光客であふれかえるトゥルム遺跡に対し、 直ぐ近くの歴史の古いシェルハ遺跡の方はいつも閑散としている事です。

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マヤの壁画は古典期マヤで一般的に見られる彫刻された石碑や祭壇、また彩色された漆喰装飾と比べると圧倒的に数が少なく、 壁画の題材、描き方の様式、色使い等がそれぞれ異なる為に比較検討が難しいのですが、当時のマヤ社会を知る重要な手掛かりになります。

マヤの古い壁画と言うと 1946年に発見され 792年頃に描かれたと思われる ボナンパック遺跡 の壁画や、更に古くは 1937年に発見された ウアシャクトゥン遺跡 の 400年頃に遡る壁画が有名でしたが、ウアシャクトゥンの壁画は既に盗掘で壊されて模写が残るのみ。 でもこの所ペテン地域東部で、2010年にシュルトゥン遺跡、2011年にサン・バルトロ遺跡、更に 2013年に チロンチェ遺跡で建物内部に残された驚くような壁画の発見が相次いでいます。

サン・バルトロの壁画は紀元前に遡るマヤ創生期の先古典期のものでしたが、これを除くとシェルハとウアシャクトゥンのものが 古典期前期の最も古いものになり、ウアシャクトゥンの壁画は既に喪失されているので、シェルハはサン・バルトロに次いで現存する 古い壁画になるかもしれません。 そんな壁画が自動車の騒音がこだまする国道際でひっそり眠っているのです。

シェルハ遺跡 鳥の家の壁画  Pintura Mural de la Casa de los Pajaros, Xelha
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 (Casa de los Pajaros, Xelhá)

これが壁画が残るシェルハ遺跡の建造物 86 で、鳥の家と通称されます。 シェルハには 2004年以来 2008年、2014年、2017年と 4回訪れましたが いつも閑散としており、建物の東側にはカンクンとトゥルムを結ぶ国道 307号があり、ひっきりなしに車が通りますが、 トゥルムへ行く観光バスは素通りです。

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 (Panel de explicación y Planta de la Casa)

現地の説明プレートには建物の平面図があり、切り出して北を上にしました。 大きな保護の屋根が設けられていますが、 外壁は失われている為、壁画は外から丸見えです。 南北に並ぶ部屋を仕切る壁の両面に壁画が残され、北が部屋 1 、南が部屋 2 になり、 後古典期には建物の南北に階段が追加され、西側の部屋には墓が造られましたが、南北の部屋は引き続き使用されたようです。


《 部屋 1 の壁画  Pintura Mural, Cuarto 1 》

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 (Pintura Mural, Cuarto 1)

部屋 1 の壁画 から見ていきましょう。 上は建物の外から覗いたところで、左に国道 307 が見えます。 下は正面から見た 壁画の全体です。 下の方は塗色がかなり剥げ落ちていますが、白地に赤茶色と黄色で描かれていたそうで、黄色く塗られた部分は 殆ど見えなくなっています。

中央の赤茶色の2本の線の間には文字が描かれ、一番上のアハウの文字だけ読み取れるそうです。 アハウは王や支配者を意味すると 同時に、 ツォルキン歴 の日を表わす 20の文字のひとつでもありますが、ここでは王を意味するのかそれとも暦なのか? 下の部分が消えているので判断がつきません。 文字の両側には赤茶色で枠取りされた中に壁画が描かれ、これは下の拡大した画像で見てみましょう。

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 (Detalle de la Pintura y Dibujo reconstruido)

上から左の壁画、右の壁画、そして現地の説明プレートから模写の部分の切り出しです。 模写を見ると下方の剥げ落ちた部分と 薄れてしまった黄色い部分が補われていて、壁画の全体像が理解でき、アハウの文字も見えます。

鳥の壁画ですが、左右共に鳥かごの周りを飛び回る2種類の鳥が描かれ、赤い尾羽が開いた鳥が沢山確認でき、こちらが コンゴウインコ、少し小さめで尾が短く黄色で描かれ見え辛い鳥はキバナボウシインコかコボウシインコと考えられるようです。

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 (Guacamaya Roja posada sobre Altar G-2 de Copán y Loro Frente Blanca)

上はコパン遺跡の祭壇 G-2 にとまったコンゴウインコで、空を舞うと壁画のように赤い尾が目立ちます。 右下の写真は パレンケで撮ったコボウシインコで、コンゴウインコ共々中米原産のインコです。

シェルハ遺跡は古典期には内陸に位置するコバ遺跡の交易拠点として繁栄したと考えられますが、同時に女神イシュチェルの聖地 だった コスメル へ多産、 安産を祈願する巡礼者の起点にもなったようです。 壁画の鳥たちは豊かな自然を象徴し、シェルハの支配者の権勢を誇示し、 豊穣、多産への願いも込められたものだったでしょうか。


《 部屋 2 の壁画  Pintura Mural, Cuarto 2 》

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 (Pintura Mural, Cuarto 2)

こちらは部屋 2 の壁画で、鳥の壁画の裏側にあたります。 壁画の前には目の粗いネットがあるので、全体の写真はネットに近づいて 写真を2枚撮って繋ぎました。 1枚で撮ろうとすると手前のネットが映り込んでしまいます。

壁画の左側は太い赤茶色の線が3本とチェッカーボードのようなマス目模様があり、右側には人物が描かれた壁画があります。 更に右側に太い線が2本見えますが、シンメトリックだったとすると右側にもマス目模様が有ったような気がします。

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 (Detalle de la Pintura y Panel de explicación)

上の画像が壁画の左側で、マス目模様は2色では無く、赤茶、灰色、黄色の3色で塗り分けられ、ばつ印が沢山付けられています。 デザインなのか、或いはゲームなのか、謎です。

人物像の方は見ての通り塗色が薄れて見辛いので現地の説明プレートの助けを借りて細部を見てみましょう。 前を向いた 胸から上の上半身で、鳥の羽と渦巻き模様のある大きな被り物や首飾りや腕輪で着飾り、旗のようなものを持ち、 赤茶色の他に、青緑、白、黄色を使って描かれていて、テオティウアカン様式の影響が指摘されます。 模写には丸めがねが書かれていて、 中央高原のトラロック神との解釈もあります。

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 (Tlaloc pntaco en Teotihuacan)

マヤ地域とは異なり空気の乾燥した中央高原のテオティウアカンには色々なテーマの数多くの壁画が残されますが、 シェルハの壁画に似通ったものを探してみました。  左は テティトゥラ宮殿 の緑のトラロックと呼ばれる壁画、 右はトラロックの天国という壁画が有名な テパンティトゥラ宮殿 の柱に描かれたトラロック神です。 どうでしょう、シェルハの壁画との共通性は?

テオティウアカンのマヤ地域への浸透は古典期マヤの一大テーマで、紀元 378年 1月にテオティウアカンの軍事指揮者シャフ・カック が エル・ペルー・ワカ に入り、ここから ティカルウアシャクトゥン を制圧していった事が 石碑に残された記述から明らかになっています。 378年にシャフ・カックがウアシャクトゥンで王位に就き、テオティウアカンの王子ヤシュ・ヌーン・アインがティカルで 379年に即位、 同じくテオティウアカンの影響を受けている コパン ではヤシュ・クック・モの王朝が 428年に創始、 パレンケ はカン・バラム1世が 431年に王朝を創設と、テオティウアカンの影響が広くマヤ社会に及んでいたと思われますが、 そのテオティウアカンの文化が遠く離れたカリブ海沿岸北東のシェルハにまで見られるとは!

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 (Friso estucado con estilo teotihuacano, Templo de los Cormoranes, Dzibanché)

この漆喰彫刻壁画は 2012年頃に発掘・修復が終わり公開されたシバンチェ遺跡のミミズクの神殿を飾っていたもので、やはり テオティウアカンの影響を示します。 シバンチェ はシェルハよりはペテン地域に近いですが、同じキンタナ・ロー州です。

古典期マヤでティカルと覇を競ったカラクムルのカーン王朝は、実はシバンチェの王朝が移り住んだものだったというのが最近の定説で、 そのシバンチェも実はテオティウアカンの影響を受けていたという事になり、テオティウアカンのマヤ地域における影響は 何ともスケールの大きな話になってきます。

少し話が主題から外れてきたので、シェルハの壁画はこの辺で。 トゥルムへ行く機会があれば是非シェルハにも寄ってみる事をお勧めします。

その他の古典期の壁画  Otras Pinturas del Periodo Clasico
古典期終末期から後古典期の壁画についてはまたページを改めるとして、上の方で説明したその他の古典期の壁画を簡単に紹介しておきます。

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  (Reproducción de pintura mural de San Bartolo, Museo Popol Vuh)

2011年に盗掘坑から研究者が中に入って偶然発見したサン・バルトロの壁画です。 紀元前に遡るマヤ最古の壁画として脚光を浴びました。 グアテマラシティーの ポポル・ブフ博物館に復元画 があったので写真に撮りました。 実物はひび割れ、剥離等でこれ程綺麗ではないようですが、公開されていないので模写を見る他ありません。

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  (Reproducción de pintura mural de Uaxactún, Museo Popol Vuh)

ウアシャクトゥン遺跡の建造物 B XIII で 1937年に発見された壁画は既に盗掘者の手で壊されてしまったようですが、同じく ポポル・ブフ博物館に復元画 がありました。

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  (Pintura mural de lado este de cuarto 1, Templo de las Pinturas, Bonampak)

マヤの壁画で最も有名なボナンパック遺跡から壁画の神殿 第1室の東側です。 全部で3部屋ある室内 全面を埋め尽くす壁画は文字も含み、 石碑で解明されている史実と併せてそのストーリー性まで解明され、しかも現地で実物を見る事の出来る貴重な壁画です。 1946年の発見から 70年を超す年月を経ていますが、その間修復が繰り返され、現在はこの写真で見る姿に。 このホームページでは 遺跡のページの他に、 壁画の修復と解読 を別途まとめてあります。

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  (Pintura de Esquina sureste de Estructura sub 1-4, Calakmul, Recorte de Programa TBS)

カラクム遺跡で 2004年に発見され発掘修復の進む壁画には、マヤの日常が生き生きと描かれ、大きな関心を呼びました。 2017年 1月に 現地に行きましたが、壁画は非公開で 壁画のある建物に近づく事すら出来ません。 TBS の THE 世界遺産 で紹介されたので、 その時の映像から切り出した画像です。 壁画の詳細は カラクムル考古学プロジェクト で取り上げてあります。

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  (Pintura mural en el Palacio, Toniná)

部分的なものであれば、まだ他にも色々壁画があります。 これは王の立像や捕虜の石板で有名なチアパス州の トニナ遺跡 に残された壁画の部分で、 全体がどんな壁画だったのか興味深いですが、貴族と思われる人物像が残されます。

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  (Pintura Mural de Estructura 42 sub, Ek Balam)

ウキット・カン王の霊廟が発見され 一躍関心を集めたエク・バラム遺跡ですが、霊廟の柱に写真の小さな壁画があります。 他に王朝誌を綴った 文字だけの彩色壁画も残され、 ウキット・カン・レック・トック王 - エク・バラム のページで詳述してあります。

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  (Pintura mural de Xultún)

これは冒頭で触れた シュルトゥン遺跡で発見された壁画で、画像は ナショナルジオグラフィックの写真 を拝借しました。 詳細はナショナルジオグラフィックを参照ください。

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  (Reproduccion de Pintura Mural de Chilonché)

こちらも冒頭で触れたチロンチェ遺跡の壁画で、画像は Arqueología MEXICANA #137 Jan-Feb, 2016 からスキャンしました。 デジタル技術も駆使して綺麗に模写されていますが、実際はボロボロに風化しているようです。 建物内部の3面に色々な場面が描かれ、 人物の名前も一部添えられているそうですが、それにしても優雅で官能的でもあるこの壁画、他に例を見ないもので 今後の解読と解釈が待たれます。

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以上、マヤ古典期の主な壁画はおよそ網羅していると思いますが、他にもティカルを始めとして葬室に残された壁画もあり、特にパレンケの 建造物 20 で見つかっている創始者カン・バラム1世のものと思われる墓室は全体が真っ赤に塗られて図像もあるようですが、崩れやすい墓室内部の 本格調査はまだこれからです。

古典期の終末期から、続く後古典期にもいろいろな壁画が見つかっており、こちらはまた別途まとめてみたいと思いますが、 古典期のマヤ壁画は取敢えずこの辺で。


最後にもう1点。 シェルハの壁画は何時頃どのような形で見つかったのでしょう。 最近発見された壁画だとその経緯が詳しく報道されるのですが、 シェルハ遺跡自体の発見は 1842年に遡り、1920年代に調査されていますが、当時の壁画の様子を伝える資料は見つかりませんでした。

何時から外壁が無くなって外気に触れるようになったのか。 2008年に来た時は黒カビが目立ち心配したのですが、 その後クリーニング作業が行われたようです。 でも今のままでは自然の風化を止める手立てはなく壁画が何時まで存在し続けられるのか 心配になります。 発見の経緯をご存知の方居られましたら、是非ご教示下さい。



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