トニナ訪問は2回目、初回はあまり事前知識なしに訪問して巨大なアクロポリスに圧倒され、是非もう一度行って見たいと思っていました。
前回はサン・クリストバルから日帰りでしたが、今回はパレンケから南下するルート。 一人で山道の運転は多少不安でしたが…。
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(Desde Palenque hacia Ocosingo, Federal 199)
低地のパレンケから、海抜 900m のオコシンゴへの道は途中 1000m を超える山岳地帯で、ミソルハやアグア・アスールと言った風光明媚な観光地もあり
ますが、殆ど休憩なしにオコシンゴを目指します。 高低差のある曲がりくねった山道は崖崩れで片側通行の場所が何ヶ所も有り、サパティスタ運動の
看板が出てきたりと、なかなかのアドベンチャーでした。
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(Entrada a Ocosingo)
パレンケのホテルからオコシンゴの街まで 120Km あり、山道の為 たっぷり2時間20分かかりましたが、無事到着です。 街の入り口の標識には人口
52.283人とあり、まずまずの大きさの街。 トニナを示す矢印も有り、まずは一安心です。
トニナ遺跡へ Hacia Sitio Arqueológico
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(Vista aérea de zona arqueológica de Toniná)
GOOGLE EARTH で空から見たトニナの画像で、左上がトニナのアクロポリス複合、右下の白い屋根が遺跡入り口の博物館です。
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(Gran Acrópolis de Toniná)
これは遠くから見えるアクロポリスの正面です。 オコシンゴから東へ進み、最後は西側に回り込む形で遺跡へ入るので、周辺道路からトニナのアクロポリスが
望めます。
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(Gran Acrópolis de Toniná)
七層のアクロポリスは斜面に張り付いて登っていくことになり、現場では上下左右の関係が判り難くなるので、遠くから望遠で確認しておくと有用です。
この望遠写真では三層目から上のアクロポリスが写っています。
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(Gran Acrópolis de Toniná)
アクロポリスの南東側の望遠写真。 上の写真はアクロポリスの2層目から上、下は4層目から上です。 2003年の訪問時には緑で覆われていた建造物
も姿を見せていて、期待が膨らみます。
トニナ遺跡 Sitio Arqueológico de Toniná
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(Area de entrada del sitio arqueológico)
さて 遺跡到着です。 駐車場に車を停めて右の写真の小屋で入場料を支払い、左の写真の白いトニナのモニュメントが遺跡の入り口です。
(Entrada del museo de sitio de Toniná)
遺跡に入って直ぐ右手に遺跡併設のトニナ博物館があります。 博物館の入口左側には新しい石碑が建てられ、 12バクトゥン 19カトゥン 7トゥン 0 ウィナル 0 キン
(2000年7月15日) とマヤ文字でオープンの日付が刻まれています。 右側の緑とオレンジの壁は雷紋の神殿の図柄を模してあります。
トニナ博物館の詳細はこちらから。 博物館は必見です。
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(Hacia zona arqueológica)
博物館から遺跡は西へ向かって一本道を 500m 位歩きます。
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(Lado este de Acrópolis)
一本道の途中からアクロポリスの南東側が見えます。 下の画像の通り 前回来た時はまだ緑に覆われていましたが、アクロポリス東面の修復が進ん
だようです。
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(Foto en 2003)
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(Lado este de Acrópolis)
修復の進んだ東面のクローズアップです。 正面のピラミッドが7層目の基壇上に聳える建造物 5D-2、煙たなびく鏡の神殿で、神殿上部は
アクロポリスの麓から 70m 以上の高さです。
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(Acercando a zona arqueológica)
さて先に進みます。 一本道の先は谷間になっていて、手前に売店と民家があります。
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(Anuncio por Movimiento Zapatista)
そして谷間の手前にこの垂れ幕が。 サパティスタ民族解放軍のもので、「自由」、「正義」、「尊厳」のスローガンと共に、メキシコ革命の革命家
エミリアーノ・サパタ、お馴染みのチェ・ゲバラ、そしてサパティスタのマルコス副司令官の肖像がプリントされ、トニナ遺跡がサパティスタの
自治区にある事を宣言しているようです。
(遺跡自体は国が買い上げて国有地にしている筈ですが、境界を巡って争いもあるようです。)
サパティスタ民族解放軍は 抑圧された先住民を解放する為に組織された武装グループで、90年代には政府軍との間で軍事衝突がありましたが、最近は
政治路線に転じているようです。 でも武装解除したと言う話は聞きません。
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(Última subida a zona arqueológica)
垂れ幕の奥の谷間へ降りると小川があり、その先はこの写真の石段です。 石段を登って遺跡へ向かいます、地図で緑の矢印で示した所です。
北にアクロポリスがありますが、まず先に南側の球戯場へ。
球戯場 1 Juego de Pelota 1
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(Juego de Pelota 1 en 2003)
左の写真は2003年のもので、階段を登ると球戯場の球戯面に出たのですが、球戯場の整備が進んで見学ルートが変わり、階段の先は地図に示したように
球戯場北側にあたる大広場 (Gran Plaza) でした。 元々の球戯場への正式な入り口は 2003年に通った階段だったようです。 そして写真右はやはり
2003年の写真で、球戯場の北半分だけ発掘修復されていましたが…。
![画像](020.JPG)
(Juego de Pelota 1, Vista desde norte a sur)
これが北側から見た現在の球戯場で、写真の手前左の低くなった所が元々の入り口でした。 そして球戯場の南端まで全て掘り出されています。
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トニナには球戯場がふたつあり、これは大きい方の球戯場 1 で長さが 70m あります。 形状は半地下式の ダブルT字型 (Tの字がふたつ重なった) で、
これは大まかなスケッチです。 スケッチ右上の太線が切れた部分が元々の球戯場の入り口です。
![画像](021.JPG)
(Juego de Pelota 1, Vista desde norte a sur)
球戯場は幅があって、なかなか良いアングルで全体を一枚の写真に収められません。
スケッチの上の方の T字を上(北)から見下ろすとこの写真です。 球戯面はモザイク状に石が敷き詰められていますが、当時はこの上に漆喰が塗り込め
られていたそうです。
![画像](030.JPG)
(Parte norte de Juego de Pelota 1)
これは上の T字の左肩から見下ろした所で、T字の頭の方が階段状になっていて、観覧席だったと考えられます。 観覧席の右の暗くなったところが
元々の入り口。
![画像](022.JPG)
![画像](023.JPG)
(Montículo, H6-1) (Altar de los Sacrificios)
スケッチの左側に示したように、球戯場 1の西側に矩形の基壇(写真右)と未整備の大きな遺構があります。 基壇は生贄の祭壇と呼ばれ、球戯の後の
供犠が行われたところでしょうか。 未整備のピラミッド(写真左)の前には小祭壇が5つ並び、トニナ特有の石造円板がここに奉納されていました。
![画像](024.JPG)
(Parte sur de Juego de Pelota 1)
球戯場の西側を南に進み、逆さになった T字の頭の部分を西から東方向です。 この辺りは球戯面の床に敷かれた石がかなり失われています。 球戯場
南側の階段 (写真右側) の上にはスティーム・バスがあったそうです。
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(INAH anuncia nuevo descubrimiento, Arqueólogo Juan Yadeun)
この球戯場の南側では 2011年 7月に捕虜の石像2体と球戯場マーカーのパネル2枚が発見され、ニュースになっていました、メキシコでの話ですが。
特筆されるのは2体の捕虜が胸と腰飾りに刻まれた神聖文字からコパンの戦士と考えられる点で、7世紀末のウシュマシンタ川を巡るパレンケとの争いに、
遠く離れた
コパン がパレンケに加担していた事になります。 コパンは 18 ウサギ王
として知られるワシャクラフーン・ウバーフ・カウィールの時代です。
この石像はまだ博物館には展示されておらず、上の写真は INAH のニュース・レター243
から借用しました。 写真の中でインタビューに答えているのはトニナ調査の INAH 責任者フアン・ヤデウン氏です。
チアパスでコパンの戦士の発見 と題した INAH の
リリースが ありました。
Arqueologia #135 Sep-Oct 2015 では、この石像は 692年の戦闘で捕虜になったブクと言う名前のパレンケのカン・バラム2世の臣下と説明されており、
696年の球戯場の奉納で供犠に供されたと考えられるようです。 コパンの戦士と言うニュースリリースですが、2体発掘された捕虜の石像の
内の1体がコパンの戦士だったのか? 正確なところを知りたいものです。
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(Juego de Pelota 1, Vista desde sur a norte)
これは南の球戯面から北方向を見たもので、球戯場のマーカーは真新しい複製が2種類取り付けてあります。 手前の4つが天の蛇の口を開けたもの、
奥の2つはパネル上に捕虜の上半身が挿し込まれたもので、比較的最近取り付けられたようです。
![画像](026.JPG)
(Lado oeste de Juego de Pelota 1)
トニナの調査研究は日が浅く、また新たな発見が続く為、なかなか定説と言うものがありませんが、Arqueologia #110, Jul-Agu. 2011 に 前述のフアン・
ヤデウン博士による記事が6ページにわたり掲載されていました。
トニナの歴史を、テオティウアカンの影響を受けた時代、マヤの宗教・信仰に回帰したキニチ・バークナル・チャーク (在位 688-707)以降、更にトルテカ
の影響が始まった 840年頃から崩壊まで、と3つの時代に分ける、多少野心的とも思える説が唱えられていますが、現場の責任者の見解ですからこれを
尊重して説明を進めます。
トニナは 687年にパレンケに蹂躙され、トニナの支配者2 がパレンケの捕虜になった事がパレンケの記録で知られます。 後を継いだキニチ・バークナル・
チャークはひとつの太陽の時代の終焉と考え、水の神トラロック等のメキシコ中央高原の信仰を取り払い、元々のマヤの信仰に基づいてトニナの再建に
あたります。
![画像](027.JPG)
![画像](146.JPG)
(Réplica de marcador en la forma de serpoiente)
蛇のマーカーはヤデウン博士によるとテオティウアカンの影響を受けたもので、699年のバークナル・チャークによる球戯場改築の際に取り壊されたそうです。
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![画像](028.JPG)
(Réplica de marcador en la forma de prisionero)
キニチ・バークナル・チャークはトニナの再建と共にパレンケに対する攻勢を強めます。 トニナに残された捕虜の石彫りから トニナの軍事的成功が
確認出来、新しく付け替えられた後ろ手に縛られた捕虜のマーカーも パネルに刻まれた文字からパレンケやその同盟国からの捕虜で、695年頃の戦闘で
捕獲した有力貴族と考えられます。 そして 711年にはトニナがパレンケに攻め込んで、カン・ホイ・チタム2世を捕獲と、トニナの優勢が続きます。
90年代からの発掘で既に同様のマーカーパネルが見つかり入口にある博物館に展示されていますが、新たに発見された2枚は同じ時に設置された
6枚の内の一部になるようです。
球戯場 2 Juego de Pelota 2
![画像](137.JPG)
(Juego de Pelota 2 y 5 Pedestales en frente)
アクロポリスの基壇 1 のすぐ南側に もうひとつ球戯場 2 と呼ばれる小さな球戯場があります。 南北に並ぶ2本の低い基壇で、写真は基壇 1
のテラスから見下ろしたものです。
![画像](138.JPG)
(5 Pedestales)
南側の基壇の南に矩形の小建造物が5つ並び、ここに新しいカトゥンを祝う円形石板が奉納され、儀式が行われたようです。
アクロポリス Gran Acrópolis
![画像](029.JPG)
(Vista panorámica de Gran Acrópolis)
球戯場の説明が長くなりましたが、ここからアクロポリスです。 アクロポリスは7層の基壇を持つ複合建造物で1層目の基壇の幅は 200m を超え、
高さは最近の3次元測定で 75m を超えると言われ、数あるマヤセンターの中でも有数の巨大建造物になります。
7層のアクロポリスは宮殿、神殿、階段が複雑に入り組んでいて、登っていくと数えていても何段目に居るのか判らなくなります。 地図には各基壇の番号を
テラスに当たる部分に赤いローマ数字で記しました。 一段目の斜面、テラス、二段目の斜面、テラスと理解していくと誤解が少ないようです。 主要
建造物は青字で示してあります。 正確を期したつもりですが、元になっている地図が 80年代の旧いもので、多少不正確な所があります。
以下、基壇毎に見ていきます。
基壇 1、 2 Plataforma 1 y 2
![画像](031.JPG)
(Parte oeste de Acrópolis)
広場から見たアクロポリスの西側です。 基壇 1、2の斜面とテラスには階段以外目ぼしい建造物はありません。 2003年には緑に埋もれていた左側の
階段が発掘修復され、樹木が取り除かれて見晴らしが良くなっていました。
![画像](032.JPG)
(Parte este de Acrópolis)
広場から見たアクロポリスの東側には、基壇 2 の斜面に当たるところにラベリント(迷宮)の3つの戸口が見えます。
![画像](033.JPG)
(Terraza de Plataforma 1, vista desde este a oeste)
基壇 1 に上がって 西方向ですが、テラス上は緑の芝生が整備され西端に木が立っているだけです。
![画像](034.JPG)
(Reloj de Sol, sobre Plataforma 1)
基壇 1 のテラス中央から東寄りに小さな矩形の建造物があり、上に石柱が立っていて、日時計だそうです。
![画像](035.JPG)
(Laberinto)
日時計の右側、基壇 2 の斜面に当たるところに迷路の入り口があり、迷路 (Laberinto) は基壇 2 に埋め込まれたような感じです 。
![画像](037.JPG)
![画像](038.JPG)
(Laberinto, eterior e interior)
迷路の正面と内部です。 迷宮の中は通路になっていて上の段に繋がっている訳でもなく、そのまま入った所から外に出ます。
どういう目的を持った建物だったのでしょう?
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(Templo del Agua, parte superior de Laberinto)
これは迷路真上で基壇 2 のテラス東端になり、水の神殿と呼ばれるようです。
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(Santuario de Templo del Agua)
水の神殿奥の草葺き屋根の下に漆喰で装飾された水の出口のようなものがあり、全体が漆喰彫刻で飾られていたようです。 かなり風化が
進んでいるので図像が見難いですが。
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(Terraza de Plataforma 2, vista desde este a oeste)
基壇2のテラス、水の神殿から西方向です。 緑の盛り上がった所は建造物跡ですが、未修復。
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(Terraza de Plataforma 2, vista desde Plataforma 3)
更にその西側、上の基壇から見下ろしたもので、未修復の建造物跡の先に小さな矩形の基壇があり、奥にも未修復の建造物跡があります。
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![画像](055.JPG)
(Estremo oeste de Terraza de Plataforma 2)
更にその西、基壇 2 のテラスの西端になりますが、南北に並ぶ柱の基部が並びます。 アクロポリスの底部は基壇 2 のテラス上でも 200m 近くあって、
兎に角 長いです。
アクロポリス複合では、太陽の昇る東側がより重要な場所として、王を始めとする貴族の為の重要な建造物が集められたのに対して、太陽の沈む西側は
より下位の人達の為の建造物が設けられました。 建築の材料や装飾の質も東の方が優れ、西の方は質素だったようです。 そして当然下より上の方が
重要になります。
基壇 3 Plataforma 3
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(Basamento del Palacio de las Grecas)
東側から基壇 3に登ると目の前に雷紋の神殿の基部が現れます。 雷紋の装飾が施された基部は基壇 4 の斜面にあたります。
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(Terraza de Plataforma 3, vista desde este a oeste)
雷紋の壁の前から基壇 3 のテラス西方向を見ると、建造物の跡が幾つか修復されています。
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(Terraza de Plataforma 3, vista desde este a oeste)
基壇 3 のテラス上を西の方へ行って見ます。
![画像](051.JPG)
(Estatua de Gobernante de Toniná colocada en el pendiente de Plataforma 4, Réplica)
基壇 3 のテラスの中央辺りまで来て上を見上げると基壇 4 の斜面中腹には王の立像が据えられています。 球戯場の
マーカー同様、複製です。
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(Parte oeste de Terraza de Plataforma 3)
基壇 3 のテラスを更に西へ。 横長の建造物が見えてきます。
![画像](053.JPG)
(Parte oeste de Terraza de Plataforma 3)
厚い壁で仕切られた部屋が並びますが、天井は失われ、建物の装飾も残っていません。 ここはアクロポリスの西側になるので、建物の作りも
簡素だったのかもしれません。
![画像](057.JPG)
![画像](056.JPG)
(Extremo oeste de Terraza de Plataforma 3)
この辺りが基壇 3 のテラスの最西端になります。 右の写真は一番西端まで行ってアクロポリスの角を見上げた所で、一番上の木が生えて
いる部分が基壇 4 の最西端でしょう。
![画像](058.JPG)
(Terraza de Plataforma 3, vista desde oeste a este)
あまり見るものもなく、基壇 3 のテラスを東の方へ戻ります。
![画像](059.JPG)
(Réplica de estatua de Gobernante Tozts Choj, Monumento 168)
基壇 4 の斜面中腹の王の立像をアップで。 この王の立像はモニュメント 168 で、568年即位のトニナの初期の王 「ジャガー・鳥・イノシシ」
のものと考えられます。 この立像は3つに割れてアクロポリスの最上部で発見されたもので、元々この場所に置かれていたのかは疑問です。
オリジナルは遺跡の博物館に展示されます。
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(Parte este de Terraza de Plataforma 3)
基壇 3 のテラスを更に東へ。 右隅の保護の為の屋根が水の神殿の上部で、中央の青い保護シートの左の柱は雷紋の神殿上部です。
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(El Palacio de las Grecas)
基壇3のテラスを東から西へ往復して雷紋の神殿まで戻りました。 雷紋の神殿の基壇に隣接する形で東側に玉座がありますが、これは次の章で。
基壇 3.5 Entre Plataforma 3 y 4
玉座 (Trono) は基壇 4 の斜面中程にあり、玉座のある床面から同じ高さで東へ宮殿 (Palacio) が伸びているので、玉座から宮殿を基壇 3.5 としました。
ここだけの呼称です。
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(Trono con las patas de Jaguar)
基壇 3 から黄色い足跡に従い 幅の狭い階段を登っていくと目の前に玉座があります。 玉座には「座るな」と注意書きがありました。 (^-^)
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(Trono con las patas de Jaguar)
玉座は背もたれの部分に漆喰装飾が残され、玉座を支える柱はジャガーの足が彫られているそうですが、どれが足だか?
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(Trono con las patas de Jaguar)
玉座の前の通路は右側(東)に伸びていて宮殿に繋がっています。 王はここまで出てきて複数の部下に下知していたような感じです。
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![画像](066.JPG)
(Pasillos en el Palacio)
宮殿は幾つかの建造物と狭い通路が複雑に入り組んでいます。 写真は玉座の先から北に伸びる通路(左)と東に伸びる通路(右)です。
![画像](069.JPG)
![画像](068.JPG)
(El interior del Palacio)
東に向かう通路の先にあるアーチ(写真左)をくぐると奥にベンチがありました。 ここは室内だったのか、或いは通路なのか?
![画像](067.JPG)
![画像](071.JPG)
(Casa de las luciérnagas? y el muro decorado)
そして通路?に面した北側に木製の扉が付けられ施錠されていました。 2010年2月に宮殿から極彩色の漆喰装飾壁が当時の色彩そのままに発見されて
いるので、恐らくこの扉の中ではと思います。 遠くから見ると青いビニールシートが掛けられていたのがここで、残念ながら中へは入れません。
この建造物は蛍の家と呼ばれるようです。
壁画にはキニチ・バークナル・チャーク (在位 688-707?)の名前と 708年の年号があるそうで、丸い穴の向うには王の頭部彫刻が覗けます。 パレンケ
に敗れた後にトニナを立て直したバークナル・チャーク王の居所だったのでしょう。 装飾壁の画像は INAH のものをお借りしました。
![画像](070.JPG)
(Terraza Este)
扉のある建物の北側に東のテラス (Terraza Este) があります。 この写真は東のテラスを北東側から南西方向に見たところで、左上隅に見えるのが
扉のある建物を覆ったビニールシートの一部です。
![画像](072.JPG)
(Casa de Flor)
東のテラスの北側に花の家と呼ばれる建造物があり、部分的に修復されています。 壁面にトタン屋根が付けられ、発見された漆喰彫刻が保護され
ます。
![画像](073.JPG)
(Muro modelado en estuco y pintado)
発掘された漆喰装飾の全体を撮ろうとすると金網越しになってしまいます。 下部に大きな図柄で彩色が残る彩色壁があり、その上部右側に漆喰で成形された
ベンチがあります。
![画像](074.JPG)
![画像](075.JPG)
(Detalle del Muro)
彩色された下部を金網の下にカメラを入れて撮ります。 これはトニナ初期のもので、地の怪物を表わしたものだったようです。
![画像](076.JPG)
![画像](078.JPG)
(Banca con las inscripciones de Gobernante 8)
漆喰成形されたベンチは幅1メートル位の小さなものですが、残された文字に支配者8の即位が刻まれている事からおよその時代が確認されました。
即位年は記されていませんが、支配者8は 756年に生まれ 8世紀末から 9世紀初めにかけてトニナの王位に就いていた事がわかっています。
彩色壁の方は古い建造物の上部を削り取って埋められたので、彩色をそのままに残されたのでしょう。 ヤデウン博士の、ひとつの太陽の時代の終焉
とトニナの再建という説に符合します。
![画像](149.JPG)
(Plaza Este hacia oeste)
東のテラスの西側には屋根を残した大きな建造物があり、この辺りが宮殿地区の西端になります。
![画像](080.JPG)
(Pared y techo de la casa en el Palacio)
建物には逆T字の窓があり、室内にはアーチ天井がそのまま残ります。
![画像](081.JPG)
(Pintura mural en el Palacio)
そして奥の部屋には何と壁画が。 かなり崩れてきていますが、鮮やかな色が残ります。 柱に人物と思われるものが描かれていて、ズームして
みました(下の写真)。 この壁画の説明はみあたりませんが、場所から考えて8世紀頃のものではと思います。
![画像](083.JPG)
(Pared decorado en estuco)
宮殿を終えて宮殿の西側にまわります。 藁葺き屋根の奥にこんな漆喰装飾が残されていました。 これは 2003年に来た時も見ています。 藁葺き屋根は
上の壁画の反対側になるので、同じ建物になるのかもしれません? X の図柄はマヤではよく骨を組み合わせて描かれますが。
![画像](084.JPG)
(Vista del cúspide de Acrópolis)
宮殿の西端からアクロポリスの頂上を見上げると、少し下からでは見えなかった一番上にある神殿がやっと見えてきます。
![画像](085.JPG)
(Estatua de Gobernante en el pendiente de Plataforma 4)
そして西側を見ると同じ高さに王の立像が見えます。 まだここは7層の3.5段目。 先を急ぎます。
基壇 4 Plataforma 4
![画像](086.JPG)
(Estructura E5-17)
基壇 4 に登ってテラス上、西方向です。 写真正面は地図に E5-17 と記してある建造物で、基壇 4 のテラス上から基壇 5 の斜面にかけて建てられて
います。
![画像](087.JPG)
(Parte oeste de la terraza de Plataforma 4)
基壇 4 は更に西へ延びていて、これは E5-17 の西側です。
![画像](088.JPG)
(Parte oeste de la terraza de Plataforma 4)
更にその西。 この写真に写っている所が基壇 4 の一番西側になります。
![画像](089.JPG)
(Muro con decoración en estuco)
E5-17 西側手前にあたる傾斜の所に少し長めの保護の屋根があり、行って見ます。
![画像](090.JPG)
![画像](092.JPG)
(Muro con decoración en estuco)
屋根の下には、左側に地の怪物がモチーフのような漆喰彫刻があり、右側には幾何学模様があります。 幾何学模様の方が奥にあるので、
より古い時代のものになるでしょうか。
![画像](093.JPG)
(Estructura E5-17)
西から見た建造物 E5-17 です。
![画像](095.JPG)
(Estructura E5-18 y Tumba excavada)
E5-17 の東側になる E5-18 の前には小さな矩形の建造物があり、前面に葬室があったようです。
基壇 5 Plataforma 5
![画像](098.JPG)
(Vista hacia cúspide de Acrópolis)
さて、基壇 5 のテラスに上がりました。 北正面にアクロポリス最上部が聳えます。 写真右側の大きな屋根の下に有名な 「4つの時代の壁画」 が
ありますが、これは後回しにして西側から。
![画像](097.JPG)
(Terraza de Plataforma 5, vista de este a oeste)
基壇 5 のテラスを東側から西方向を見たところです。
![画像](096.JPG)
(Estructura E5-14)
基壇 5 の西側に建造物 E5-14 があり、テラス上に建てられています。
![画像](148.JPG)
(Estructura E5-2, Templo del Dios de Agua)
建造物 E5-14 の中央寄りに建造物 E5-2、水の神の神殿があり、上部神殿は基壇 6 ですが、階段が基壇 5 のテラスから基壇 6 の斜面に沿って
立ち上がっているので、ここで紹介してしまいます。
![画像](101.JPG)
![画像](102.JPG)
(Escalinata central de E5-2 y decoración en estuco)
建造物 E5-2 の正面階段前と左に漆喰彫刻がありますが、どちらも断片です。 階段下の方は水の神チャークの顔の下半分で、水の神の神殿の由来は
この漆喰彫刻のようです。
![画像](103.JPG)
![画像](104.JPG)
(Entrada a la tumba y un sarcófago adentro)
基壇 5 テラスの中央に墓室があり、中に石棺があります。 これは 2009年12月に発見されたもので、中から骨や土器類は見つかっていますが、
豪華な副葬品はなく、石棺にも彫刻はありません。 840-900年頃のトルテカの影響が始まった時代のものと考えられるようです。
![画像](099.JPG)
(Terraza de Plataforma 5, hacia este)
上の墓室の東側。 矩形の小基壇の前にもうひとつ墓室があったようです。 そして奥の屋根の下が 「4つの時代の壁画」 です。
![画像](106.JPG)
(El Mural de las Cuatro Eras)
これが 「4つの時代の壁画」 と題される漆喰壁画。 と言ってもタイトルは後の人が勝手につけたもので、「4つの太陽の壁画」 (El Mural de los Cuatro
Soles)、 「死の壁画」 (El Mural de la Muerte)、 「骸骨の壁画 」 (El Mural de las Calaveras)、更に 「夢の主の壁画」 (Frieze of the Dream Lords)
等、様々な名前で呼ばれます。
タイトルからしてこうですから、描かれている図柄の解釈もまた一様ではありません。 交差する帯の間に置かれた生贄の首からテオティウアカンとの関連
を指摘するもの、ポポル・ブフの登場人物とマヤ神話を説明するもの、マヤ貴族の神話上の動物で表現される別人格のワヨブと解釈するもの、またメゾアメリカ
で一般的な4つの太陽の時代に重ね合わせるもの…。 、
この漆喰壁画は現地の説明板に拠ると高さ 4m 幅 12m の大きなもので、 1990年のシーズンに発見され、1991年に修復されています。 全体がわかるように
およそのスケッチを書いてみました。 壁画は4ページにわたる絵文書で、灰色に塗った部分に壁画が残りますが、かなりの部分が既に失われていて、
これが壁画の解釈を難しくしている一因でしょう。
![画像](110.JPG)
(Detalle del Mural)
壁画の中で一番保存状態の良い部分は手前の祭壇のような小さい構造物で隠れていて正面からは見えません。 隠れていたので残ったのかもしれません。
取敢えず可能な範囲で右から順に写真を撮ってみました。
![画像](153.JPG)
![画像](154.JPG)
(Detalle de Ixbalanque, en 2003 y en 2011)
これは1ページ目 (スケッチの1) の下の部分で、左が 2003年、右が今回 2011年の写真です。 屋根で保護されただけでは吹き込む雨で劣化するのではと
心配でしたが、しっかり修復されていました。
ここに描かれているのは現地の案内板によるとマヤ神話ポポル・ブフに出てくる双子の兄弟のひとり イシュバランケで、身をくねらせて冥界に落ちていく
ところだそうです。 しかし「古代マヤ王歴代誌」では、体をくねらせてタバコを吸う、になってしまいます。 口から出ている煙の模様は右膝下や体の
あちこちの部分にもあるので、タバコではないでしょう。 解釈ひとつでこれですから、全体の正しい理解は極めて困難と言えます。
![画像](152.JPG)
(Parte central del Mural, Libro de Los MAYAS)
現地で撮った写真では説明が難しいので、LOS MAYAS, Una Civilización Milenaria にあった画像をスキャンしました。 これは屋根が付けられる前に
上から見下ろして撮ったもののようで、中央の小さい構造物で隠れている部分もはっきり映っています。
現地の説明板に沿って説明を続けます。 2ページ目左に球戯者の帯を付けて玉座に横たわったフンアフプが吹き矢で上にいる天の怪鳥を撃っている場面
です。 (腕に斑点があるのでこちらがイシュバランケかもしれません。)
3ページ右は目と髪を持ち手袋をはめ革製のブーツをはいた巨大なドクロが切り取った頭部を持って踊っている、と解説されます。 この場面については
諸説あり、ドクロの右にある3文字の一番下が ピパ (ポモナ近郊) で有る事から、ドクロがピパの王のワヨブであるとか、切り取られた首がポモナの
捕虜であるとか…。 また足の甲に付けているのは亀の甲羅と言う説明もありました。
3ページ下の図像もユニークです。 冥界の神が大きなリスの姿をして冥界の勢力を代表しているそうです。 この図像についても異説があり、屋根裏から
球戯用具を運んできて双子の兄弟に渡すネズミであり袋の中は球戯用具、という解釈もあります。 まあ兎に角いろいろな見方があるものですが、
正しくはこれを作ったトニナの人達にしかわからない?
![画像](111.JPG)
(Pintura mural de Palacio de Atetelco, Teotihuacan)
これはテオティウアカンのアテテルコ宮殿にある壁画の部分で、格子状の帯は羽毛で描かれ、帯の交差した部分に羽飾りのついた円板があります。
トニナの壁画に似ていなくもないですが。
基壇 6 Plataforma 6
![画像](112.JPG)
(Vsita frontal de Plataforma 6, de este a oeste)
基壇 6 はあまり奥行きがない中、E5-2 から E5-5 の4つの建造物がひしめきます。 中央の E5-3 と E5-4 は屋根が失われ壁を残すのみ。
この写真は東側から基壇 6 を横から見たところで、奥に見えるギザギザの階段が下の基壇から既に見た E5-2、水の神の神殿です。
![画像](113.JPG)
(Estructura E5-5, Templo del Monstruo de la Tierra)
これは基壇 6 の東端にある E5-5、地の怪物の神殿で、南西から見た写真です。
![画像](114.JPG)
(Figura en estuco del monstruo de la tierra)
地の怪物の神殿前の階段に地の怪物を模した構造物があります。 地の怪物の口の中にある球形は太陽で、太陽をを貪り食っている様子と言われます。
![画像](115.JPG)
(Pequena terraza entre E5-3 y pendiente de Plataforma 7)
これは建造物 E5-3 と E5-4 の裏側で、左奥に見えるのが E5-2、水の神の神殿。 基壇 7 斜面に取り付けられた階段 (写真右) を登って基壇 7 のテラス
にでます。
![画像](117.JPG)
(Vista general de parte superior de Acrópolis)
基壇 6 を望遠写真で確認してみると、右下角の屋根飾りがあり前面が崩れている神殿が E5-5、地の怪物の神殿で、左側緑の樹木の横が E5-2、水の神の神殿
です。 建造物 E5-3 と E5-4 は辛うじて基部が確認出来ます。 そしてその上が最後の基壇 7。
![画像](116.JPG)
(Escalinata que conduce a la Terraza de Plataforma 7)
基壇 7 斜面の階段。 ここを登って頂上まであと一息です。
基壇 7 Plataforma 7
![画像](119.JPG)
(Estructura D5-2, Templo del Espejo Humeante)
基壇 7 のテラス上は、基壇 6 より更に狭い所に建造物が建て込んでいます。 正面がアクロポリスで最上部になる D5-2、煙たなびく神殿で、左の
屋根が付いた建物が D5-3、虜囚の神殿です。 右側にも小振りの建造物があり、地図で VII と記してある部分にあたりますが、建造物番号は不明、
D5-4 になるでしょうか。
![画像](120.JPG)
(Estructura D5-3, Templo de los Prisioneros)
これは D5-3、虜囚の神殿の南東角。 神殿の東面と南面に漆喰彫刻があります。
![画像](121.JPG)
(Pared decorado con los prisioneros en estuco)
保護の為の屋根の下です。 全部で8人の捕虜が刻まれていましたが、かなりの部分は既に失われています。
![画像](122.JPG)
![画像](123.JPG)
(Detalle de los prisioneros)
中でもまだ原型を残す2人の捕虜がこれです。 688年即位のバークナル・チャーク王がパレンケを始めとする勢力と戦って捕えた捕虜だそうです。
![画像](129.JPG)
(Lado oeste de D5-3)
D5-3、虜囚の神殿の西面は崩れていて内部の2列の部屋が露出しています。
![画像](130.JPG)
(Estructura D5-1, Templo de la Luna ?)
虜囚の神殿の裏には大きなピラミッド神殿がふたつあり、これは西側の D5-1 でl、前回は緑に覆われて未修復でしたが、今回は写真のように一通り
修復が完了していました。 博物館の人に聞いたら、月のピラミッドと言っていましたが確かな事はわかりません。 写真は南東角です。
![画像](131.JPG)
(Estructura D5-2, Templo del Espejo Humeante)
これは隣の D5-2、煙たなびく神殿の南西角。 この頂上がアクロポリスで一番高い所で、前回も登っています。
![画像](126.JPG)
(Estructura D5-2, Templo del Espejo Humeante)
煙たなびく神殿に登るのは南面にあるこの中央階段からです。
![画像](124.JPG)
(Fachada con decoración en estuco)
最後の階段を登る前に階段右側に一部漆喰彫刻があるのでこれを見てみます。
![画像](125.JPG)
(Los prisioneros)
残っているのはこの部分だけですが、捕虜が4人並んで座らされているように見えます。 彫刻の上下に神聖文字が並びますが、恐らく戦争の
記録や捕虜の出自が書かれているものと思います。
トニナの歴史については球戯場の所で少し触れたように、発掘の歴史が浅く新たな発見が続く現状で、定説が定まりませんが、支配者2が捕えられるまでの
初期、688年以降となるバークナル・チャークによる再建後の時代、更にトルテカの受けた 840年以降の後期、と3つの時代に分けて捉えられます。
アクロポリスについては、建設は古典期前期に遡るものと考えられますが、バークナル・チャークによる再建、更に 800年前後の支配者8による改築、
トルテカ系勢力浸透による改変、等を経て土に埋もれていくことになります。 この為土砂を取り除き発掘を進める過程では異なる時代のものが姿を
表わすことになりますが、建造物の多くはバークナル・チャーク王の時代以降に建てられたものになり、基壇 7 の神殿群もバークナル・チャークの
時代に改築および新築されたものだそうです。
アクロポリスの頂上 La Cumbre
![画像](127.JPG)
(Vista desde cúspide de Acropolis, hacia sur)
一番上まで登りました。 ただ一言絶景です。 写真では伝わりませんが、一番上に腰かけて そよ風を感じつつ周囲を見渡す至福の時です。
目の前に広がるのは廃墟ですが、周囲の山並みは当時もあまり変わらなかったでしょう。
![画像](128.JPG)
(Vista panorámica)
上の写真は 24mm広角で撮りましたが、まだ広がり感が不十分。 パノラマ合成してみました。
![画像](134.JPG)
(Templo del Monstruo de la Tierra y techo que proteje el Mural de los cuatro Eras)
左下に見える屋根飾りは D5-3、虜囚の神殿で、その先の藁葺き屋根が 「4つの時代の壁画」。 左隅に屋根がありますが、ここは行き損なったみたい
です。 丹念に見て回った積りでしたが、また行かなくてはなりません。
![画像](135.JPG)
(Templo de los Prisioneros)
これは右下に見下ろした D5-3、虜囚の神殿です。
![画像](132.JPG)
(Estructura D5-1, Templo de la Luna ?)
西側には新たに発掘修復された D5-1 が見下ろせます。 バークナル・チャーク王によって D5-2 が建てられるまでは D5-1 が最も高いところだった
ようです。
![画像](133.JPG)
(Templo del Espejo Humeante y Templo del Monstruo de la Tierra)
朝8時にパレンケを出発、トニナの入り口で博物館に寄りましたが、既に午後3時を回っています。 この日の宿は標高 2000m を超えるチアパスの旧州都
サン・クリストバルに取ってあり、まだ曲がりくねった山道が続きます。 ゆっくりしたい気分ですが、そろそろ引き上げる時間。 アクロポリスを東側
から降りました。
写真は東側から見上げた E5-5、地の怪物の神殿と D5-2、煙たなびく神殿です。
![画像](139.JPG)
(Vista general de Gran Acrópolis de Toniná)
アクロポリスを降りて、最後にアクロポリスの全景をもう一度。
記録の意味も込めて球戯場もアクロポリスも詳細にまとめましたが、かなり冗長になってしまったかもしれません。 m(_ _)m
トニナはマヤの最も重要な遺跡のひとつですが、アクセスが悪いので訪れる人の数も多くありません。 この為 所謂観光地ずれもなく、遺跡情緒たっぷり
です。 その上発掘調査が進行中で、次に何が出て来るのか、また何か新しい史実が明らかになるのか…、興味が尽きません。 帰ってきたばかりですが、
また訪問してみたい遺跡です。
遺跡で発見された遺物の一部は首都の人類学物館に展示されますが、大半のものが
遺跡入り口にある博物館 に集められています。 謂わば産地直送の博物館。 遺跡と発掘物を両方見る事でトニナの理解がより一層深まります。
2016年2月に 3度目の訪問を実現させました。 最新の状況を
「トニナ 2」 としてまとめてあります。