マヤ遺跡探訪
TONINA 2
2003年、2011年に次いで、3度目のトニナ訪問になりました。

2012年12月マヤ暦終了でマヤ文明が注目を集め中、トニナでは2010年末から建物や漆喰彫刻の修復が行われ、 前回訪問時はまだ修復作業中で今回やや姿を変えている建物もありました。

修復が進む中、トニナの歴史も一部明らかになってきていますが、まだまだ定説には至りません。 遺跡の詳細は 「 トニナ 1」 に譲り、ここでは修復された建物や漆喰彫刻を紹介し、解明された史実も加えて トニナの実像を掘り下げてみたいと思います。

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    (訪問日 2016年2月23日)
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トニナ王朝  DINASTIA TONINA
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 (Monumento 168, Gobernante Zots Choj) (Monumento 26, Gobernante 2) (Monumento 146, Gobernante 8)

始めにこれまで知られている トニナの王を古い順に列挙してみます。
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   (主に古代マヤ王歴代誌 "Chronicle of the Maya Kings and Queens" を参考にしました。) 

王の立像は沢山見つかっていますが 多くは頭部が落とされており、頭部が残され王名が判明している立像は上の3体です。  左は6世紀後半 トニナ王朝初期のソッツ・チョフ王 (ジャガー・鳥・イノシシ) のモニュメント 168 で、568年の即位年が刻まれているようです。 1989年にアクロポリス頂上に聳える 建造物 D5-2 の前で3つに割れた状態で発見され、複製がアクロポリス中腹に据えられ グラン・プラサを見下ろしていますが、元々ここに置かれていたかは疑問です。 実物は修復されて遺跡併設の博物館に展示されています。

中央はモニュメント 26 で出所不明ですが、支配者2の立像と考えられ、首都の国立人類学博物館の常設展示されています。 右は支配者 8 のモニュメント 146 で、ソッツ・チョフ王の立像と共に遺跡の博物館で見る事が出来ます。

遺跡の修復  RESTAURACION
冒頭に書いたように 2012年12月を目指して、主だった建造物と漆喰彫刻の修復が進められました。 2012年マヤ終末論で訪問客が 増える事を見越して作業が進められたようです。

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 (Lado este de Estructura D5-2 en 2016 y 2011)

アクロポリス頂上に聳える建造物 D5-2 は 2011年に来た時も修復が進んでいる事を実感したのですが (写真右)、まだ修復途上だったようで、 今回 5層目から頂上に伸びる階段が完成していました (写真左)。
写真は建物東側面で、これまで階段は南正面だけでしたが、北面と西面にも以前は無かった階段が取り付けられています。 建築当時は四方に 階段が取り付けられていたと言う事になるようです。

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 (Lado este de Estructura D5-1 en 2016 y 2011)

こちらは建造物 D5-2 から見下ろした D5-1 の東側面で、一瞬別の建物と勘違いしそうですが、右が 2011年の修復途上、左が修復後の現在の姿で、 4面全てに階段か出来ています。 発掘調査で階段が確認されて復元されたのでしょうが、どの位昔の姿に忠実に復元されたのでしょうか。

修復は 13 の建造物が対象になったようですが、他は多分小規模な補修だったようで特に気が付きませんでした。 修復する側にとっては、あまり修復中の 写真は好ましくないでしょうし、粗探しはこの辺にしておきます。

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 (Réplica de Monumento 168)                (Réplicas de Monumento 26 y 172) 

遺跡の各所に石造物の複製が据えられていますが、これも今回の修復活動の一環だったしょうか。
アクロポリス中腹の中央には上述のソッツ・チョフ王のモニュメント 168 が置かれ(写真左)、アクロポリス最上層の建造物 D5-3 虜囚の神殿前には 同じく上で紹介済みの 支配者2のモニュメント 26 と パレンケからの捕虜が刻まれたモニュメント 172 (写真右)が設置されています。  モニュメント 168 は 2011年に既にここに置かれていたのでやや古色を帯びてきていますが、モニュメント 26 と 172 はその後に 据えられたので赤く 塗られた砂岩はまだ真新しい感じです。

建造物 D5-3 の東側の D5-4 の前にも同じように王の立像、モニュメント 146 と捕虜の石板、モニュメント 154 が置かれ、他の基壇にも 石碑、円形祭壇、石像がひとつづつあります。 これらの石造物は元々あったような場所に置かれて遺跡の雰囲気を高めてはいますが、 実際それぞれの場所にあったものではなく、元からここにあったという誤解を与えるようなら過度の脚色と言う事になりチョット疑問です。

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 (Réplica de marcadores de Pricionero y Serpiente celeste) 

グラン・プラサ東側の球戯場には複製のマーカーが取り付けられています。 東西のふたつの斜面上部に中央と北端、南端で 合計6つのマーカーがありますが、中央と南端の4つが古い時代の天のヘビを模ったマーカー(写真右)、北端の2つが 700年頃の改築後の 捕虜の半身像のマーカー(写真左) になっていて、異なる時代のマーカーが混じった形ですが、元々あった場所に復元されているので, こちらはとても意義深い複製の設置になっていると思います。

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    (Réplicas de Monumento 69 y 148) 

ふたつの斜面に挟まれた球戯面の中央に円形祭壇の複製(写真左)が埋め込まれていますが、これは 780年頃の球戯場の最後の改築の際に 置かれた モニュメント 69 がこの場所で発見されたもので、オリジナルがチアパス州都の地方博物館に移されています。  球戯場の西側にある生贄の基壇の東側にモニュメント 148 の複製(写真右)が置かれていて、遺跡の博物館にある風化した実物より 図柄が見易いですが、元々ここにあったものかは不明です。

パレンケとの戦争  Guerra contra Palenque
トニナの巨大なアクロポリスは マヤの聖なる山の信仰 に倣っては自然の丘を造成して作られたと思われ、その建設と王朝の起源は古典期前期に遡るようですが、初期の建造物や記念碑はその後の 増改築で覆われ、その実情はまだ十分解明されていません。

古典期後期に入り周辺のマヤセンターとの争いが激化する中、トニナは大きく発展していく事になりますが、その契機となる象徴的な出来事が石造物に 刻まれています。  

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    (Monumento 17, Gobernante 2)  (Gobernante 2 amarado, Réplica de Tablero de Templo 17, Palenque)

前述の通り立像 (写真左) が確認されている支配者2ですが、パレンケの神殿 17 で発見された壁面彫刻 (写真右、複製) ではカン・バラム 2世の前で縛られて跪く形で表され、添えられた碑文から 687年にパレンケがトニナに攻め込んで支配者2を 鹵獲した史実が明らかになります。

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(Kan Joy Chitam II en Trono, Tablero de Palacio, Palenque) (Kan Joy Chitam II amarado, Monumento 122)

王を捕られたトニナでは翌 688年にキニチ・バークナル・チャーク王が即位してパレンケに対する反抗を始め、数々の戦勝を収めた事が 捕虜の石板に残されますが、711年にはバークナル・チャーク王を継いだ支配者4 がパレンケに星の戦争を仕掛けて カン・バラム 2世の次のカン・ホイ・チタム 2世を捕虜に取り、縄を打たれたカン・ホイ・チタム 2世が石板 モニュメント 122 (写真右) に残されます。 カン・ホイ・チタム 2世はパレンケの宮殿の北の回廊に置かれていた石板(写真左) に玉座に座った姿で刻まれていたですが。

このようにマヤの強国同士で短い期間に互いの王を捕獲しあい、その姿が石に刻まれて残されると言うのはマヤ全体を見渡しても極めて珍しい例 になります。

第6代 キニチ・バークナル・チャーク王  K'inich Baaknal Chaak
パレンケに蹂躙されたトニナをすぐさま立て直したキニチ・バークナル・チャーク王は周辺国との戦いに勝利しただけでなく、 古いアクロポリスの建造物群を作り変えて行った建築活動でも知られます。

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 (K'inich Baaknal Chaak a la izquierda, Tablero de jugador de pelota, Monumento 171)

トニナで最も偉大な王の一人と考えられるバークナル・チャーク王ですが、残念ながら完全な立像は確認されず、死後の 727年に作られた 球戯者を刻んだモニュメント 171 にその姿が残されます。 左側が冥界にいる祖先神として球戯者の姿をしたバークナル・チャーク王で、 右側のキニチ・イチャーク・チャパト王と対峙しています。

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    (Réplicas de Monumento171) 

モニュメント 171 の複製は宮殿遺構の内側に置かれています。 戸口のまぐさ部分に裏返しして再利用されていたそうですから、元々あった場所では ないかもしれません。 偉大なバークナル・チャーク王が刻まれた石板ですからここに複製を置きたくなる気持ちは理解できますが。

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 (Plataforma 7 y 6, dibujo copiado de Arqueologia #110)

バークナル・チャーク王の時代に始まったアクロポリス上部の大改築について Arqueologia #110, Jul-Agu. 2011 で説明があり、頂上部だけですが 細かい平面図があったのでスキャンしました。(青字で建物名を付記してあります。)

元々アクロポリス上部には 建造物 D5-1 がひとつ聳えていましたが、688年以降の全面的な大改築の結果、東側に より高い D5-2 が建てられ、南東側にも D5-3 と D5-4 が設けられたそうて、狭い基壇 7 には5つの建物がひしめき合っています(D5-1~D5-5)。 基壇 6 にも建物が2つ追加されて E5-2 から E5-5 の4つの神殿が横に並ぶようになりました。

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  (Foto panorámica, vista de lo alto de Gran Acrópolis)
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これはアクロポリスで最も高い D5-2 の頂上部から見下ろしたパノラマ合成写真ですが、手前左が D5-4、右が D5-3 になり、下の基壇 6 には E5-5 から E5-2 (左から右)が並びます。 目の前に建物が密集するので 22mm の広角で撮っても 基壇 6 の建物4つを1枚に収めるのが精一杯、 左右に2枚撮って合成し、フォトショップで繰り返し歪みを補正しました。 基壇 5 や 4 と 東側に広がる宮殿(写真左)も1枚の写真で見れるので 建物の位置関係を見るのに役立ちました。


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アクロポリス頂上の平面図のような 最新の全体図が欲しいところですが生憎見当たらず、これは トニナ 1 で使用しているアクロポリス全体図です。  発掘に取り掛かった 80年代 始めに作られたものがベースになっているので多少現状と合わない所もありますが、複雑なアクロポリスの造りを理解するには 有用です。 (地図には基壇の番号をテラスに当たる部分に赤いローマ数字で記しました。 主要建造物は青字で示してあります。)  


回復された漆喰装飾  Decoraciones en estuco recuperadas
ここからは発掘、保護された漆喰彫刻などの遺物を順に見て行きます。 「トニナ 1」 では下の基壇から登っていきましたが、ここでは既に頂上部に いるので、逆に降りていく事になります。 それぞれの位置は上の地図の基壇と建物番号を参照ください。


基壇 7   Plataforma 7

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  (Decoración estucada en las alfardas de D5-1)

まず建造物 5D-1 北面の階段手摺り部分で発見された漆喰装飾で、階段基部の左右に一対あります。 建物修復に伴い保護された装飾で、 2011年に来た時は未発掘だったものと思います。 大地の怪物を模したもののように見え、頂上部の改築以前のものになるでしょうか?

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 (Fachada con decoración de pricioneros, D5-2)

建造物 D5-2 の北側正面の階段脇に漆喰彫刻が一部回復されていて、こちらは 688年以降に作られた建物で、モチーフも捕虜が描かれたものです。  捕虜の下に神聖文字が横に並びますが、戦争の記録や捕虜の出自が記されていたものと思います。 補修はされているのでしょうが、2003年に始めて トニナに来た時には既にここにありました。

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 (Pared decorado con los prisioneros en estuco, D5-3)

建造物 D5-3 の側壁には捕虜の彫刻が8体あったそうで 東面と西面に彫刻の一部が残されます。 壁龕に嵌め込まれた 厚みのある漆喰彫刻ですが、 残念ながらかなり崩れてしまっていて、上の写真は一番状態の良い2体です。 この捕虜の彫刻も 2003年以来変わりません。


基壇 6   Plataforma 6

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 (Estructura de monstruo de la tierra, E5-5)

基壇 6 に降りて、東側の E5-5 の前にこの漆喰の造形物があります。 地の怪物を模したもので、怪物の口の中にある球形は太陽で、 太陽をを貪り食っている様子と言われます。


基壇 5   Plataforma 5

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  (Foto panorámica de Plataforma 5)

基壇 5 はかなり開けているので中央で写真を撮ってパノラマ合成してみました。 円く 歪んでいますが左隅の木の下が E5-14、その右が E5-2 の 基部、中央右の小基壇が E5-10、右隅の保護の屋根と続き、ここに 「4つの時代の壁画」 と呼ばれる漆喰壁画があります。

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 (Parte inferior de E5-14)

E5-14 の階段下に保護の屋根があり、手前には墓室が口を開けます。

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 (Decoración en estuco en la forma de Chaak ?)

中央階段基部に保護されている漆喰彫刻は水の神チャークと思われ、 E5-14 は水の神の神殿とも呼ばれるようです。

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 (Frizo decorado en estuco, E5-14)

中央階段左の保護の屋根の下には赤い彩色の残る漆喰彫刻があり、図像と文字が刻まれていたようですが…。

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 (Sarcófago encontrado)

これは墓室の中の石棺で、2009年12月に発見されたものです。 骨や土器類は見つかっていますが、 シンプルな造りで 840-900年頃のものと考えられるようです。

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 (Mural de las Cuatro Eras)

基壇 5 の東側には大きな保護の屋根が取り付けられ、ここに「4つの時代の壁画」 の漆喰壁画があります。

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 (Mural de las Cuatro Eras)

これは横から見た壁画で、壁画正面には祭壇のような構造物があり、いつも写真に苦労していました。

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 (Mural de las Cuatro Eras, parte central)
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今回は小さなカメラを自撮り棒で持ち上げて写真を撮り、2枚の画像を合成してみました。 金網の中に入らない限りこれ以上の写真は 無理そうです。 大き目の画像をアップしてあるので、写真拡大アイコンをクリックしてみてください。

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 (Mural de las Cuatro Eras)

全天球カメラも試しましたが、結果は芳しくなく…、壁画全体が収まるところでトリミングしました。 祭壇の前部には パレンケのカン・ホイ・チタム 2世が縛られている石板、モニュメント 122 の複製が嵌め込まれていました。    「4つの時代の壁画」 の詳しい説明 は トニナ 1 の所を参照ください。



基壇 4   Plataforma 4

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 (Foto panorámica de Plataforma 5, parte este)

東側から見た基壇 4 のパノラマ画像です。 保護の屋根の右側が 地図で E5-19 と記した建物の正面、左側が E5-18 の側面で、その上に基壇 5 と 6 の 建造物が続きます。

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 (Fragmento de friso estucado)

屋根で保護されていたのは 崩れた建物の一部 (写真右) で、軒蛇腹に漆喰彫刻で幾何学模様が施されていたように見えます。

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 (Friso estucado al lado izquierdo de E5-17)

基壇 4 を西の方に進むと E5-17 の左側に横長の保護の屋根があります。

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 (Decoración en estuco recuperada)

左寄りにある戸口の左右には大地の怪物の牙のようなもの (写真上) が漆喰彫刻で表され、右側の漆喰彫刻には幾何学模様が残されます。 3つ繰り返される紋章のようなものは ボナンパックの石碑 1 で王が持つ槍についている飾りと同じでした。



東側の宮殿   Palacio

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 (Palacio, lado este de Acrópolis)

アクロポリス東側の基壇 4 から基壇 3 にかけて貴族の居住区だったと思われる区域があります。 アクロポリス頂上部から見下ろすと 左手に屋根の付いた建物跡 (写真左手前) があり、ここから広場を跨いで更に下の方に繋がる部分です。

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 (Friso progegido bajo techado)

これは屋根の付いた建物跡で、上の方に聳えるのは建造物 E5-5 と D5-2 です。

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 (Friso de los danzantes)

屋根の下に保護されているのがこの漆喰彫刻で、着飾った踊り手が4人描かれ、赤い彩色も一部残っています。 踊り手の一瞬の動きを 止めた写実的な表現には驚かされます。 ここは 2011年に来た時は見落としていたのでリベンジ出来ました。


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 (Ruina de Palacio)

広場の下に更に宮殿が続き、細かく仕切られた部屋は防御の為の分厚い壁で囲まれ、パレンケに対して勝利を収めていった バークナル・チャーク王 の時代の建造になるようです。 写真の中央右に小屋根が見えますが、ここには下の漆喰彫刻がありました。

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 (Decoración en estuco recuperada)



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 (Decoración en estuco recuperada en el Palacio)

これも上の宮殿跡の内部にあったと思いますが、大きく口を開けたヘビの漆喰彫刻です。  宮殿内部にありますが、バークナル・チャーク王より前の時代のものが掘り出されたのでしょうか。


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 (Edificio norte de Terraza Este)

これは地図で Terraza Este と記してある東の広場の北側の建物を見下ろしたところで、2階部分に漆喰彫刻があります。

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 (Friso estucado)

古い建物の側面を飾った漆喰装飾になるようで、左側に顔があるようですが大地の怪物でしょうか。 この彫刻も気を付けないと 見落としてしまいそうな場所にあります。

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 (Pintura mural)

2階部分から建物内部の階段をおりて東の広場に出られます。 東の広場の西側に面した建物内部の部屋には色鮮やかな壁画が残され、柱の部分には 赤い衣装を付けた人物が描かれているようです。 漆喰の盛り上げは無く、平面画です。

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    (Muro modelado en estuco y pintado)

東の広場に出て、北側の花の家と呼ばれる建物の中にある漆喰彫刻です。 金網の中で しかも手前に新しい建物の壁があるので写真が撮り辛いですが、 小さなレンズを金網の中に入れて、これが精一杯の写真です。 バークナル・チャーク王の時代より古いものですが、何が描かれているのか、 勿論素人には読み解けません。

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 (Banca con las inscripciones)

上の漆喰彫刻は上部が切り取られて、上に漆喰彫刻で飾られたベンチが作られています。 漆喰彫刻には神聖文字が刻まれていて、支配者 8 の 即位が記されているそうです。 即位年はありませんが、支配者 8 は 787-806年の存在が確認されており、8世紀後半以降に作られたベンチに なるようです。

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 (Inscripciones de Gobernante 8)

左は支配者 8 の即位を記した神聖文字の部分、右の写真では古い漆喰彫刻が切り取られてベンチが設けられている様子がわかります。

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 (Terraza Este)

これは東の広場のパノラマ画像で、西側から東方向をみたところです。 左の屋根の下に漆喰彫刻とベンチがありましたが、広場の反対側の屋根部分が 残る建物からは 2010年2月に極彩色の漆喰装飾壁が当時の色彩そのままに発見されています。

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             (Muro decorado con colores vivos en el interior de Palacio)

この漆喰装飾壁は残念ながら公開されておらず、入口には扉が付けられ施錠されています。 以前メキシコ・シティーの飛行場で 遺跡の写真展が開催されていて、この漆喰壁のパネル展示があったので写真の写真になりますがカメラに収めておきました。 著作権は INAH です。

この建造物は蛍の家と呼ばれ、壁画にはバークナル・チャーク王の名前と 708年の年号があるそうで、丸い穴の向うには王の頭部彫刻が覗けます。  パレンケ に敗れた後にトニナを立て直したバークナル・チャーク王の居所だったのでしょうか。

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 (Trono con las patas de Jaguar)

宮殿から基壇 3 に降りる途中に写真の玉座があります。 玉座は背もたれの部分に漆喰装飾が残され、 玉座を支える柱はジャガーの足が彫られているそうですが? 3本ある脚の下には赤と青で彩色された漆喰彫刻の一部が回復されていました。



基壇 3   Plataforma 3

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 (Palacio de las Grecas)

基壇 3 に降りました。 目の前に雷紋の神殿の基壇部分に大きな雷紋のモザイク装飾があります。 雷紋の右の屋根の下が玉座でした。

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 (Decoración de friso sobre las grecas)

雷紋の左上の方に漆喰彫刻が部分的に残っていて、単に平石で造形しただけではなく漆喰で装飾されていたようです。

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 (Templo del Agua)
雷紋の壁から少し下がった所に水の神殿と言うところがあり、写真の保護の屋根の下に漆喰が施された造形物があります。  基壇 3 から少し下がった所で、基壇 2 になるのかもしれません。

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 (Santuario de Templo del Agua)

造形物の上の方に水が流れ出す出口のような四角い穴が開いていて、全体が漆喰彫刻で飾られていたようですが、 かなり風化が 進んでいます。



迷宮   Laberinto

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 (Fachada principal de Laberinto)

アクロポリスの下層にはあまり見るべきものがありません。 やはり高層部分が重要なところで装飾や記念物が多く置かれたようです。

基壇 1 の東側には迷宮があります。 開口部が3つ見えますが、右側にもうひとつ入口が埋もれているそうです。 内部は迷宮の名の通り 入り組んでおり、上の基壇に繋がる階段もあったようですが、現在は塞がれています。

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 (El interior de Laberinto y Mapa gravado en la pared)

迷宮の内部に通路の地図が刻まれていると聞いていましたが、何分 中は暗くてこれまで何処にあるのかわかりませんでした。  今回見どころを逃さないように遺跡の入口でガイドを頼んでおいたので場所がわかりました。 左側の入口を入って左に進み、直ぐ右側の壁に 地図がありました (写真右)。 でもこれが内部の正確な平面図になっているかと言うとチョット ? です。



以上、これまでに発見されている漆喰彫刻などの見どころをアクロポリスの頂上から迷宮まで順に見てきました。 ガイドに全部見せてくれるよう 頼んでおいたので、多分見落としは無いと思います。 これからトニナに行かれる方は 「 トニナ 1 」 を見てからこのページの 「 トニナ 2 」 を確認すると有効かと思います、いろいろ 重複する部分もありますが。



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 (Parte oeste de Gran Plaza en la zona de EZLN)

トニナは今回 3回目の訪問になりましたが、何度来ても飽きない魅力的な遺跡です。 グラン・プラサの西側はまだ国有化されておらず、 金網の柵の中にはサパティスタ民族解放軍(EZLN) の看板が立っています。 まだ未発掘の土塁も残され発掘調査を続ければ 驚くような発見があるかもしれません。


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 (Vista general de parte superior Gran Acrópolis)

最後にアクロポリス上層部の遠景。 球戯場 1 の南西の H6-5 戦争の神殿 から撮った写真をトリミングしました。  グラン・プラサからの高さは 70m を超える壮大なアクロポリスは数あるマヤ遺跡の中でも有数の規模を誇ります。 もっともっと注目されて良い 遺跡だと思います。



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( トニナで発見されたモニュメントは文献によって番号が異なる場合がありますが、ハーバード大学出版の CORPUS OF MAYA HIEROGLYPHIC INSCRIPTIONS Volume 6 Part 1-3, Volume 9 Part 2 で用いられている番号を採用しました。 )


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