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MUSEO DE ARQUITECTURA MAYA,
    BALUARTE DE LA SOLEDAD, CAMPECHE

     マヤ建築博物館、カンペチェ市ラ・ソレダ砦
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世界遺産に登録された城塞都市カンペチェ市の中心にあるラ・ソレダ砦にはマヤ建築博物館が設けられ、マヤの石造物が集められています。  砦の内陸側にあるブロンズ像の馬車の横に入り口があり(写真上)、入り口をくぐるとアーチの中が博物館です(写真下)。

市の南西はずれのサン・ミゲル砦にある マヤ考古学博物館 は土器や翡翠製品等を 含めたマヤ全般の博物館ですが、このマヤ建築博物館は石造物が中心で、プーク、チェネス、リオ・ベック様式を体系的に説明してあり、カンペチェ州 マヤ遺跡訪問に先立って是非見ておきたい博物館です。

(訪問日 2013年 1月9日)
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まず博物館の見取り図です。 受付横の入り口を入った最初の展示室は 「建築と文字」 題され、博物館の導入です。 導入の後、一度外に出て第二室 のプーク様式、第三室のチェネス様式、リオ・ベック様式、最後に第四室のペテン北部様式の順にまわります。

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これは博物館で使われる遺跡地図で、ユカタン州からカンペチェ州北部に広がるプーク様式地域、その南に位置する、チェネス様式、リオ・ベック様式地域 、更に州最南部のペテン北部様式地域まで、それぞれの地域が遺跡名と共に示されます。 公開されていないマイナーな遺跡まで示され、博物館の展示物の 出所が殆どこの地図でわかります。

カンペチェ州のマヤ建築と文字 Arquitectura Maya y Escritura en Campeche
では早速第一室から。 入り口を入ると真正面にこの巨大な仮面が出迎えてくれます。

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  (Mascarón arquitectónico, Miramar, Clásico Tardío)

写真でも見た事のなかったこの仮面ですが、博物館の説明はこうです。 「チェネス地域では建物の角は長い鼻を持つ神の仮面で飾られますが、この仮面が 何なのか、まだ解釈が定まりません。 仮面は聖なる山の神であり、仮面で飾られた神殿は冥界の深淵への入り口を表わすと言う解釈がある一方、この仮面は マヤの世界観で最も重要な神である世界の創造神イッァムナーの像だという解釈もあります。」

展示物の出所が上の地図に示されると書きましたが、実はこの仮面の出所であるミラマールと次のカヤルだけは地図に記載がなく正確な場所がわかりません。  説明文からチェネス地域のようですが、係りの人に聞いてみても場所がよくわかりませんでした。 小さな石片を組み合わせたモザイク彫刻ではなく、 大きな石から仮面が削り出されていて、今までに見た事の無い彫刻でした。

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建築のコーナーという事で、マヤの建造物のスケッチと用語の説明があり、多少不正確かもしれませんが日本語訳を書き足しました。

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                    (Jambas, Cayal,  Clásico Tardío)

これは貴族の住居を飾った脇柱にある彫刻で、踵が上がった様子から儀式で踊る貴族と考えられます。 博物館の地図にカヤルと言う遺跡が記載 されていませんが、エツナの北にサン・アントニオ・カヤルという街があり、プーク地域になるのかもしれません。

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   (Columnas esculpidas, Xcalumkín, Clásico Tardío)

この円柱2本はプーク地域の シュカルムキン からで、シュカルムキンのサハル (地方王)が小人を従えたり、鏡を持って踊る様子が刻まれているようです。

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      (Columna y capitel, Xcochá, Clásico Tardío)

これは非常に良い状態を保った柱頭と円柱で、シュカルムキンの少し南のシュコチャという公開されていない遺跡からですが、シュカルムキン同様 王はサハルという地方王の称号が刻まれるようです。 王は槍と盾を持って戦いの装束で着飾り、足元には捕虜を従えて刻まれます。

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 (Estela 3, Itzimté, Clásico Tardío)

ここからイツィムテの石碑3本の展示があります。 殆ど名前も聞いたことのなかったセンターですが、プーク地域の東端になるようです。

最初の石碑 3 は高さのある立派なもので、地方王ではなく アハウ=王と書かれており、イツィムテ は シュカルムキン や シュコチャ より大きな センターだったかもしれません。 上段と中段には戦勝記念の祭事を執り行う王が刻まれ、下段に ボナンパックの石碑1 と同じ大地の怪物ウィッツ・モンスターの図像が刻まれます。

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     (Estela 6, Itzimté, Clásico Terminal)

石碑6 は 10アハウ 1トゥン と古典期終末期にあたる 910年の日付が刻まれ、イツィムテで建てられた最後の石碑になるようです。 奇妙な犬の 被り物を付けた王の容貌も古典期後期の王とは異なるように見えます。

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   (Estela 12, Itzimté, Clásico Tardío)

この小さな方形の石彫りも石碑との事で、石碑12となっていました。 869年にあたるカトゥン3アハウの終了を記念して作られたもので、全身 鳥の羽を纏った王が歩いていて、下面のゴザ目は王権の象徴です。

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   (Estela 1, Dzibilnocac, Clásico Tardío)

チェネス地域のジビルノカック遺跡からの石碑もありました。 文字ばかりですが、側面にも一部文字が広がります。 731年にあたる年号とウコム と読める王の名前が認められるようです。

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  (Pilastra de un palacio, Xcochá, Clásico Tardío)

これはシュコチャの角柱で、上の方の柱頭と円柱同様、驚くような状態の良さを保ちます。 正面に槍と盾を持った王が刻まれ、左右両側面には10文字 づつの神聖文字が刻まれ、カトゥン2アハウの18トゥンの終了時に石碑が建てられた事が記されます。

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 (Cornisa de edificio norte del grupo jeroglífico, Xcalumkín, Clásico Tardío)

建築と文字のコーナーで最後の展示物は、神聖文字が刻まれたシュカルムキンからのコーニス(軒蛇腹)で、シュカルムキンの貴族の名前が記されている ようです。

キンタナ・ベリョ室 プーク様式  Sala Nazario Quintana Bello - Estilo Puuc
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チュンフフ遺跡の宮殿を例にとり、スケッチでプーク様式建築の特徴が説明されていました。 日本語訳を付け足してあります。  (チュンフフは今回初めて訪問しました。 チュンフフ遺跡 はこちらから。)

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   (Escultura, Chunhuhub, Clásico Tardío)

そしてこれはそのチュンフフで建物を飾った装飾で、権力、戦争、犠牲に関連する太陽神キニチ・アハウを表わしたものです。 INAH のウェブページによると この羽を付けた彫刻は、博物館の代表的な展示物で、目玉のひとつのようです。

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   (Estela 7, Itzimté, Clásico Tardío)

建築と文字の第一室で3本石碑が展示されていたイツィムテですが、もう1本石碑7が展示されています。 2アハウのカトゥンの終了を祝った 751年の 石碑で、王が儀礼の踊りをしていると説明されますが、かなり風化しています。

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        (Dintel central, Xculoc, Clásico Tardío)

これはチュンフフの西隣になるシュクロックからの彫刻されたまぐさ石で、ケツァールの羽で着飾った貴族が描かれます。

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  (Columna, Bakná, Clásico Tardío)

カンペチェ市の東になるバクナ遺跡から、彫りの深い見事な円柱が展示されています。 円柱の正面と左寄り(写真左側) の写真2枚 ですが、右側の 展開図のスケッチが理解し易いでしょう。  左側の玉座に王が座り、正面で小人が踊り、その左にトランペットを吹く 2人 と右に斧を持った軍事指導者が立つ 構図です。

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         (Estela 19, Edzná. Clásico Tardío)

エツナ はカンペチェ州ではカラクムルに次いで規模の大きなセンターで、 石碑は30本以上あり、10本近くが遺跡でまとめて展示されますが、大半はかなり風化が進んだものです。 この博物館には石碑19が1本展示され、 王が捕虜を踏みつける戦勝記念の構図はグアテマラのドス・ピラスやナランホあたりで良く見られるものでした。  (王は 7世紀末の支配者6 になるようです。)

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  (Columnas y marco arquitectónico del edificio norte del grupo jeroglífico, Clásico Tardío)

プーク様式の最後に再びシュカルムキンの石造物が登場です。 碑文のグループの 北の建造物 から、円柱と縁取りとあります。 円柱はサン・ミゲル砦にある マヤ考古学博物館 にも類似のものがありますが、どれがどれなのか? 縁取りの方は 2003年にはメリダのカントン宮殿でバラバラの状態で 展示されていましたが、その後 修復保存が行われてここに移されたようです。

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  (Atlantes de Xculoc, Clásico Tardío)

プーク様式の第二室から第三室へ入る戸口の上に手を上にあげた彫刻が3体飾ってありました。 特に説明がなかったのですが、同様のものが首都の 人類学博物館に展示されていて、シュクロックからのアトランティスとの説明がありました。

サラサール・オルテゴン室 チェネス様式 Sala Salazar Ortegón - Estilo Chenes
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ホチョブ遺跡 建造物2のスケッチを用いて、チェネス様式で特徴的な 仮面で 飾られた戸口が解説されていました。 日本語訳を付記してあります。 冒頭のミラマールの仮面の所で説明があったように、この仮面が創造神 イツァムナーを表わすのか、それとも大地の怪物なのか、議論が定まりません。

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             (Columnas, Santa Rosa Xtampak. Clásico Tardío)

建造物そのものを博物館へ持ってくる事は出来ないので、遺跡からの遺物の一部を博物館で展示と言う事になります。 代表的なチェネス様式のサンタ・ ロサ・シュタンパックからは 彫刻された円柱が2本と下の 梁に描かれていた フレスコ画 がありました。

2本の柱には、空、農業、貴族の血筋に関連したカウィール神が表わされ、王権の象徴であるムシロ目(ゴザ目)の上を歩いています。 これ等の柱は 王達の住まいを飾っていたものと考えられるようです。

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 (Tapa de Bóveda, Santa Rosa Xtampak. Clásico Tardío) (Tapa de Bóveda, Dzibilnocac. Clásico Tardío)

左のフレスコ画が サンタ・ロサ・シュタンパック から、 右がやはりチェネス様式の ジビルノカック からのもので、 共にカウィール神(K神)が描かれます。 建物の落成の折、豊穣と一族の繁栄を願って、カウィール神に因んだフレスコ画が置かれたようで、 プーク様式とチェネス様式の共通の特徴です。

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   (Esleta 7, Dzibilnocac. Clásico Tardío)

これはジビルノカックの石碑7で、右手にダイヤ型の飾りのついた槍、左手に楯を持った戦士が上段に描かれ、下段には皮を剥がれた鹿が配されます。  鹿は豊穣の為に生贄にされてその肉はタマレスに混ぜて供え物になりましたが、同時に戦争の捕虜も暗示するようです。

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               (Fragmento de Escultura, Dzibilnocac. Clásico Tardío)

この石像彫刻もジビルノカックからで、建物を飾った彫刻の一部で、被り物の中央はムシロ目で、両側に鳥の羽が付いています。

サラサール・オルテゴン室  リオ・ベック様式 Sala Salazar Ortegón - Estilo Río Bec
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リオ・ベック遺跡 グループB 建造物 6N1 のスケッチで、疑似の塔と神殿をもつリオ・ベック様式の神殿が説明されます。 疑似の塔と神殿とは、 実際に使用されない装飾の為だけの塔と神殿と言う事で、スケッチには日本語訳を書き加えてあります。


リオ・ベック遺跡は今回初めて訪問する事が出来ました。  詳細はリオ・ベック遺跡のページで

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  (Banca jeroglifica norte, Estructura 6N2 del Grupo B, Rio Bec, Clásico Tardío)

リオ・ベック遺跡 グループB 建造物 6N1 の北側にある低層の建造物 6N2 で発見されたベンチが展示されます。 まだ彩色が残り、書かれた文字が 読み解かれており、INAH のウェブページでも博物館の目玉とされていました。 805年 7月20日の日付があるようですが、拡大してもあまり はっきりとは見えません。 ベンチの脚にはスケッチにもあるように漆喰彫刻が施され、彩色も加えられていたようですが、既にかなり風化 しています。

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(Fragmentos de decoracion en forma de cruces y estera, Región de Rio Bec) (Máscara Ornamental, Hormiguero)

リオ・ベック様式の建物を飾った石材が2点展示されますが、左のムシロ目の装飾は王の住まいを、右の十字模様は世界の四方向を示すのに 用いられたようです。

右の漆喰彫刻はオルミゲロ遺跡で建物を飾った漆喰彫刻で、貴族の女性の素顔が偲ばれます。

パチェコ・クルス室 ペテン北部様式 Sala Pacheco Cruz - Estilo Norte de Peten
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カンペチェ州でペテン様式と言うとやはりカラクムルで、高さ 45m の建造物 II が紹介されていました。 

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  (Estela 114, Estructura II de Calakmul, 435 - 441 AD)

カラクムルの建造物は現地で見る事にして、博物館にはカラクムルからの重要な石造物が集められています。 石碑 114 は 建造物 II からで、カラクムルで発見されている石碑の中で最も古いものになり、正面の図像 以外に背面と両側面にも神聖文字がびっしり刻まれます。 石碑に刻まれているのは恐らく初期の王チャン・ヨパートで、碑文には 441年の建物の 奉納や 435年の9バクトゥン (9.0.0.0.0.) の祭事などが記されているようです。

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     (Dintel, Estructura IV-B de Calakmul, Clásico Temprano)

これは カラクムルの建造物 IV-B のまぐさ石で、ペテン北部地域では唯一の 浮彫りのあるまぐさ石になるようです。 カラクムルの初期の王については あまり知られていませんが、このまぐさ石には トッーン・カッブ・ヒッシュ王の名前が認められ、カラコルの祭壇1からこの王が 546年のナランホの アルフォサル王の即位を後見した事が知られます。 このまぐさ石があった建造物 IV-B には王の墓所があった事もわかっています。

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     (Estela 45, El Palmar, Clásico Temprano)

これはあまり名前を聞いたことのないエル・パルマールという未公開の遺跡から。 古典期前期の石碑は定型的で、王杓を持ち 儀礼用のベルトをしめて、 背面にマスクをたらしています。 側面の文字が風化していて詳細は不明だそうですが、石碑が45本以上あると言う事は大きな遺跡なんでしょうか?

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石碑の奥にカラクムルの王墓についてパネル説明があります。 ここには建造物 VII の墳墓1で発見された翡翠のマスクが展示されていた筈ですが、 2011年 8月から始まったマヤ特別展 「聖なる王の素顔」 への出展で外出中。 メキシコ各地のみならず、イタリアやフランスでも展示会が行われ、 現在は在カンクンで、ちっとも帰ってきません。 下の写真は グアダラハラでの 展示会 で撮ったものですが、いつまたここに戻ってくるのしょう?

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     (Máscara funeraria de Tumba 1, Estructura VII de Calakmul, Clásico Tardio)




このマヤ建築博物館には実は 2001年に一度来ていますが、当時と比べると展示物が豊富になり、展示方法、説明パネルも充実して 素晴らしい博物館 に変わっていて、個人的には大変感動を覚えました。


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