2001年以来 12年振り2回目のホチョブ遺跡です。 この間 特に新たな発掘修復はありませんが、こちらの興味と知識は格段に高まり、
しっかり細部まで見てきました。
タバスケーニョ、ジビルノカックをまわり、この日3つ目のチェネス様式の遺跡ですが、ホチョブは 建造物 II が首都の人類学博物館に実物大
の複製が建てられるくらい 代表的なチェネス様式の遺跡です。
ジビルノカックのあるイトゥルビデからジバルチェンへ戻り、州道を西へ。 ジビルノカックとの距離は 30Km チョットです。
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(訪問日 2001年4月10日、2013年1月12日)
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ジバルチェンに戻ると、ホペルチェンは右折、ホチョブが直進と、道路標識(写真下左)が出てきました。 水溜(pozo)を意味するチェンが複数形
になってチェネス様式と呼ばれるのですが、さすがにそのチェネス様式地域にあって、ジバルチェンだ、ホペルチェンだと、やたらに街の名前に
チェンがつきます。 ホペルチェンとは5つの pozo、 ジバルチェンは7つの pozo を意味するそうです。
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(Señal de transito a Hochob) (Señal de INAH)
ジバルチェンから西へ向かい、チェンコーのという村の手前を左に折れて未舗装に道に入ります。 遺跡はここから 4Km 先で、
標識には 「ホチョブ = トウモロコシを収穫する所」 と名前の意味が書かれていました。 因みに読みですが、スペイン語読みすると
H がサイレントで 「オチョブ」 になりますが、これはマヤ語の言葉なので 「ホチョブ」 が正解です。 喉の奥の方で発音する JO に
近い音のようです。
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(Caseta de Hochob) (Ultima escalera a la plaza de Hochob)
駐車場に車を停めて、遺跡は小高い丘の上です。 階段の上の事務所(写真左)で入場料を払い、更に階段を登っていきます。(写真右)
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(Plaza Central de Hochob)
階段を登り切ると見えてくるのがこの光景。 広場の奥で陽光を浴びて白く輝いているのが、有名なホチョブの仮面の神殿、建造物 II で、
東西に横長の広場の北側を占めます。
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(Estructura II con máscara de Monstrúo de la Tierra)
近づいてみるとこれです。 基壇の上に全面怪物の仮面の彫刻が施された中央神殿があり、崩れていますが左右に居室を伴います。
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(Maqueta de Estructura II, Museo de Cultura Maya, Chetumal)
往時の姿を復元した模型がチェトゥマル マヤ文化博物館にあったので、これと比較してみます。 どの部分が残り、どの部分が無くなって
しまったか、良くわかります。
地図で確認しておきましょう。 旧版ミニガイドの地図は方角も建物番号も不正確ですが、この地図を基に訂正を加えてあります。 広場は
およそ東西に 50m 、南北に 30m 位あり、入口からの階段を上がってくると広場の南西角に出ました。
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(Montículo de Estructura I )
地図では建造物 II 西側に建造物 I がありますが、これは写真の通り未修復の土塁です。 (写真は乾季だった 2001年のものです。)
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(Templo central de Estructura II )
広場南側にある建造物 VI の階段から建造物 II の壁面彫刻が同じ高さで撮れます。 中央神殿の屋根飾りは基部を残すのみですが、
壁面彫刻はかなりの部分が残され、右側の居室を飾った彫刻も一部残ります。 仮面のマスクは後で詳細に見る事にして、まずは広場を
ざっとひと回りしましょう。
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(Aposento derecha de Estructura II )
これは建造物 II の右翼(東側)の居室内部です。 東側の屋根が無くなって外が見えますが、奥の床面にはベンチも残されます。
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(Lado oriental de estructura II )
これは外に出て東側から見た建造物 II の真横です。 居室は1列だけで、それ程大きな建造物ではありませんが、ホチョブの支配者階級が
政事、祭事を執り行い、居所としても用いられた建物と考えられるようです。
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(Vestigio de Estructura, fuera de Plaza Central)
地図にはありませんが、建造物 II の北東側に建造物跡が広がります。 (写真は 2001年のもの。)
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(Estructura III y Estructura V)
そしてこれは広場の北東角から見た、建造物 III と 屋根飾りのある建造物 V です。
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(Parte central de Estructura III )
建造物 III を正面から見ると中央の神殿が壁面下部まで漆喰彫刻で飾られていた事がわかります。 残念ながら建物上部は既に失われて
いますが、建物が建つ基壇前部には犬歯が並ぶ怪物の下顎の部分がありました。
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(Escultura en mozaico)
中央神殿は建造物 II 同様 大地の怪物が逆T字型に口を開けた構図ですが、両脇には鉤鼻のチャーク像が上下に並び、多少異なる図柄になって
います。 また大きさも建造物 II よりは少し小振りです。
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(Mandíbulas de Monstruo de la Tierra, en frente de Estructura III )
怪物の下顎の部分を拡大してみました。 ジビルノカックの建造物 II にあるものと酷似します。 ホチョブはより大きな規模のマヤセンターに
従属していたと考えられるようですが、ジビルノカックもその候補のひとつです。
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(Banquetas en los aposentos de Estructura III )
建造物 III の左右の居室には奥行きのあるベンチが備えられ、居所として用いられていたようです。
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(Estructura V, vista del norte)
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(Estructura V, vista del noroeste)
北および北西から見た建造物 V です。 見せかけの階段で飾られた鋭角的な基壇の上に屋根飾りのある神殿が設けられています。
チェネス様式では、リオ・ベック様式と異なり、基壇上の神殿は実際に使用されたようですが、どこから登ったのでしょう?
壁面装飾は無く無地ですが、壁面上部には漆喰像を支えたような突起が並びます。
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(Un chultún detrás de Estructura V)
建造物 V の裏側(南)にはチュルトゥン(チェン、水溜)がひとつありました。 (2001年のビデオから)
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(Estructura V, vista del oeste)
鋭角的な基壇の角は丸く処理されていて、これもチェネス様式の特徴です。 (2001年の写真。)
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(Dos filas de aposentos entre Estructura V y VI )
建造物 V (写真奥)と建造物 VI の間は2列の居室で繋がれ、南の列は土砂で埋まったまま
でした。 (2001年の写真。)
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(Estructura VI vista del este)
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(Etructura VI vista del noroeste)
これは東と北西から見た建造物 VI です。 残された屋根飾りや壁面装飾からは、建造物 V と似通った作りの様に見えますが、前に
取り付けられた階段は実際に登れるものだったようです。
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(Plaza Central, vista hacia sur)
さてホチョブの広場を一回りして建造物 II の前に戻り、正面に見える建造物 VI です。 広場は白っぽい砂でざらざらしていますが、
もともと広場には漆喰が敷き詰められていたようで、あちらこちらに漆喰の断面が顔を見せます。(写真下)
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(Plaza cubierta por capas de estuco)
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(Reconstrucción de Estructura II, MNA)
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(Misma estructura en el sitio)
さて、ここから建造物 II の建物装飾を少し詳しく見ていきます。 上は人類学博物館マヤ室裏庭の複製で、下が現地の実物です。
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(Cresteria reconstruida con figuras)
まず仮面上部右側。 複製では屋根飾りを構成する人物像が復元されています。 もともと 13体の人物像が 2段、合計 26体あったようです。
そして屋根飾りと仮面の間の帯状の部分には左右に蛇の横顔があり、絡み合った細い胴で繋がれていました。 この写真では右側の横顔と
左に伸びる胴体が確認出来ます。
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(Perfil de serpiente y cuerpos entrelazados)
現地の実物では屋根飾りは殆ど失われていますが、蛇の横顔は目玉や犬歯も含め、胴体と共に ほぼ元の姿で残されます。
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(Cabeza humana reconstruida sobre techo de casa Maya)
次に左右両脇にある細長いマヤ民家の屋根部分。 複製には屋根の上に人の顔と手が復元されます。
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(Misma parte sin cabeza humana)
現地の実物ではこの部分は殆ど残っていません。 左側も同様です。
![画像](49.JPG)
(Mascarón de Monstrúo de la Tierra, MNA)
![画像](35.JPG)
(Mascarón de Monstrúo de la Tierra, sitio de Hochob)
これは仮面部分の全体で、実物では残念ながら失われてしまっている鼻の部分が上の複製では同じく失われている上部犬歯と共に復元され、
仮面らしくなっています。 実物の方の両眼の間は修復を示す玉石が敷き詰められています。
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(Ojos con resto de pintura)
現地に残る両眼です。 赤い彩色がかなり残っていて、古典期には建造物全体に彩色が施されていた様子を示しています。
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(Colmillos en ambos lados de la puerta central)
怪物の顔は鼻の周りを除いておよそ当時の様子を保っており、逆T字型に開いた口角から左右に伸びた牙の周りを拡大してみました。 口角から
伸びた牙は上に向かって捲いています。 その内側に胴の短い蛇の横顔と、
横向きになった大地の怪物の目 が配されています。
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![画像](45.JPG)
(Perfil de serpiente con cola corta)
これが胴の短い蛇の横顔と、横向きになった大地の怪物の目玉で、言わずもがなですが、左が複製、右が実物です。 モザイク彫刻は
細かい切り石を嵌め込んで漆喰を塗り込めた上に細かい模様付けをしてから彩色されたようで、色は殆ど残っていませんが漆喰の上の
切り込みが部分的に確認出来ます。
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(Perfil de serpiente colocado en cascada)
これは仮面の両脇でマヤ民家の内側に配された蛇の横顔で、左右共に8つの横顔が上下に並べられます。 ひとつひとつの横顔の右下には
チャーク像でお馴染みの鉤鼻があり、その左の四角の中に犬歯と舌があって、四角の左上が目玉、更に四角の左側の小さい四角は耳飾りだ
そうです。 そして右上で右に2本突き出た棒は鼻に差し込まれた骨で死を意味するものだそうですが…。
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(Mandíbulas de Monstruo de la Tierra, en frente de Estructura II )
建造物 II 前の基壇にも、上の方で見た建造物 III と同じ、怪物の下顎があります。 これは人類学博物館の複製も、
チェトゥマルのマヤ文化博物館の模型も省略してしまっていますが、重要な要素だと思います。
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(Foto de Estructura II filmada por Maler en 1895)
ホチョブはジビルノカックやタバスケーニョと同様、テオベルト・マーラーが訪れ、当時の様子が写真に収めており、その写真が修復の
大きな手掛かりになっています。
1895年に撮影されたマーラーの
写真がこちらにあり、お借りしました。 100年以上経っているので著作権はどうなんでしょう?
戸口上部の鼻は既に失われていますが、マヤ民家の上の人の顔や屋根飾りの人物像の一部など現在は失われているものが映っていて、
修復の為の貴重な資料になった事は間違いありません。
![画像](41.JPG)
(Foto de Estructura II filmada por Maler en 1895)
これも 1895年のマーラーの写真で、現在は半分以上崩れて失われてしまった右側の居室の壁面装飾が右隅のチャーク像まで健在です。
鼻の石材の重さには耐えられなかったのか、中央神殿同様、鼻の部分だけ崩れ落ちています。 そしてその後 戸口の上部から右側が全て
崩落してしまい…。
![画像](18.JPG)
(Fachada superior de parte derecha, Estructura II )
これが現在も残る左の部分を斜め横から撮ったものです。 角で立体的になったチャーク像の部分だけ中央神殿より両翼の居室が前に
せり出していたようです。
![画像](19.JPG)
(Escultura en mozaico de Chaac)
真中のチャーク像を拡大してみました。 犬歯が牙の様に大きいですが、それ以外はプーク様式で見られるチャーク像とそっくりです。
チェネス様式とプーク様式の関係、関連が気になるところです
今回の旅では、プーク様式、チェネス様式、リオ・ベック様式の遺跡再訪が目的のひとつでした。 次はリオ・ベック
様式の遺跡です。