リオ・ベック様式の名前の元になっているリオ・ベック遺跡です。 見せかけの塔を持つ典型的なリオ・ベック様式神殿があり、写真を見るにつけ一度
行ってみたいと思っていましたが、何分にも道が整備されておらず難しいと聞いて断念していました。
でもリオ・ベック様式の本丸を見ずしてリオ・ベック様式も語れません。 乾季に四駆があれば行けるし、
ドス・ピラス のように馬に乗っていく方法もあると聞いたので、とにかく ぶっつけ本番で
最寄りの村に行ってみる事にしました。
宿泊地のチカナから国道 186号を東へ。 シュプイルの街を通り過ぎ、南へ折れて ベインテ・デ・ノビエンブレ(11月20日、メキシコ革命の
記念日) という村を目指します。
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(訪問日 2013年1月14日)
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(Señal de transito a Rio Bec) (Entrada al Ejido de 20 de Noviembre)
シュプイルの街からおよそ 10Km 位でリオ・ベック右折の表示が出てきました。 村の名前でなく いきなりピラミッドマークと遺跡名が出てきて
期待が膨らみます。 村までは地図で予習してありました。 村は道の突き当りで "Bienvenidos al Ejido de 20 de … " と看板があります。
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(Ubicación de sitios arqueológicos de estilo Rio Bec)
ベインテ・デ・ノビエンブレの先は 遺跡が正確に何処にあるのか不明でしたが、訪問後にビデオにGPSの正確な位置情報が残っており
Google Earth で辛うじて確認できました。 近くに町も道路もなくジャングルの真っ只中です。 その他のリオ・ベック様式遺跡ともそれ程離れていません。
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(Casa del guia Ezequiel)
前の日にバラムク遺跡の係員から、紫色の家と エセキエル(Ezequiel)と言うガイドの名前を聞いていましたが、話の通り紫色の家が
あります。 ガイドは居るのか、四駆が手配できるのか、それとも馬、或いは出直し???
エセキエル氏が出てきて、「朝まで飲んでいたので自分は行けないが、どんな手配が出来るか聞いてみる。 車であれば 800ペソ、四輪バギーで
500ペソ位。」 と言って近くへ出かけて行きました。
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(Partida a Rio Bec en cuatrimoto)
結論は写真にあるようにサムエル君の運転する四輪バギー。 遺跡まで徒歩で4時間、馬に乗って2時間とも聞いていたので、まずは車輪の
付いた乗り物で行ける事になりホッとしました。 車の方が安心ですが、一人だけだし 小回りの利く四輪バギーで正解だったかもしれません。
ヤマハ製のちょっと年季のいったバギーでした。
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(Huellas de diferentes animales silvestre incluso Jaguar y Puma)
バギーは村外れの耕作地を過ぎてジャングルの小道に入ります。 途中動物の足跡の識別を示したパネルがあり、何とジャガーとピューマの
足跡まであります。 村を出てから 40分位の所でした。 こちらからは見えませんが、向うはこちらを見ているかもしれません。
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(Cuatrimoto y camino maltratado)
パネルが置かれた広場に停めた四輪バギー。 背もたれが無く、椅子のクッションもないので、乗り心地はすこぶる「悪」、四足の馬よりは
「良」ですが…。 サムエル君の職業は養蜂業で、バギーは蜂の世話と蜂蜜集めに使うものでした。 ガイドはたまの臨時収入のようです。
雨期ではないので川らしい川はありませんでしたが、水が貯まってぬかるんだ場所や倒木は随所にあります。 右の写真は車が悪戦苦闘
した跡です。
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<グループA Grupo A>
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(Llegando a Grupo B)
乗り心地の悪い四輪バギーでたっぷり1時間の旅。 地図では直線で 10Km 位なので、悪路を考えると1時間は充分許容出来るところです。
バギーを降りて前に進むと茂みの向うに石造りの塔が忽然と姿を現しました。 遂にリオ・ベック到着、永年の夢 成就です。
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(Lado norte de Estructura 5N2)
近づいてみると 宮殿A (5N2) と表示がありました。 ここはグループAで、グループAはこの建造物がひとつだけなので、宮殿Aと略されている
ようです。 表示には COSTADO PUBLICO とも書いてあり、英語にすると PUBLIC SIDE。 貴族以外の一般民衆も集まり儀礼を行う建造物の正面
と言う事でしょうか?
それにしてもまあ見事に雑草に囲まれています。
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(Lado norte de Estructura 5N2)
この建造物 5N2 は 東西に 50m を超える大きな建造物で、両側に塔が聳え、北側正面にはユニークな漆喰装飾パネルがあるのですが、人の背丈ほど
もある雑草に邪魔されて正面が見渡せません。 ちょっと興醒めです。
フランス隊による活動が 2007年春に終了した頃には建物の前は綺麗に草が刈られてもっと見通しが効いたようですが、このままではまた元の
ジャングルに戻ってしまいます。
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(Panel decorativo en fachada norte)
已む無く漆喰装飾パネルは正面に近づいて横から。 これが雑草に邪魔されないぎりぎりのアングルです。
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(Primer panel desde este)
これは6組ある漆喰パネルの一番左側のもの。 雷紋と意味不詳の図柄が残されます。
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(Seis paneles en total)
6組の漆喰パネルを並べてみました。 上が左側の3枚、下が右側です。 各パネルとも形容のし難い奇妙な図柄が内側にあり、中央の2枚はこれが鳥の
嘴やサボテンのような図柄で挟まれ、それ以外は両側に雷紋があります。 規則性があるようですが、何を意味しているのかわかりません。
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(Reconstrucción de la fachada norte)
これはガイドのエセキエル氏のファイルから写させて貰った N52 北側正面の復元スケッチです。 東西に 50m を超える幅に加え、奥行きは 25m、
高さは 12m を超える大きな建造物で、ベカンの建造物 I と並んでリオ・ベックで確認されている中で最も規模の大きな建造物になるようです。
これは上から見た平面図で部屋 d, b, a の戸口が上の側面スケッチの戸口に合致します。 鋭角的な塔が聳える北面が祭事などの公の行事に用いられ、
南を向いた裏側の居室は貴族の居住に供されたようです。
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(Lado oeste de Estructura 5N2)
建造物 5N2 の西側に回り塔を見上げたところです。 塔はリオ・ベック様式に特徴的な登れない見せかけだけの階段が取り付けられ、角は丸く仕上げられて
モールディングが施されています。
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(Entrada al cuarto "h")
これは多分居室 g, h の入り口にあたる所だと思いますが、ここもどんどん雑草が侵入してきています。
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(Escalera central del lado sur)
真裏には階段が修復され、少し傾斜が急ですが上まで登れました。
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(Torre oeste y cuartos "h" y "g")
階段を上まで登り、西方向。 奥に西の塔があり、手前でマヤアーチが口を開けているのが居室 h と g です。
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(Plazuela en frente de 5N2) (Vista hacia Torre oeste)
同じ場所から広場正面(写真左)と東方向(写真右)です。 黄色い花が綺麗ですが、邪魔でした。
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(Cuartos "f" y "e") (Cuartos "j" y "i")
裏側は東方向にも居室跡が回復されていて、写真左が居室 e, f 、右が居室 i, j になるようです。
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(Torre oeste)
一周して東の塔の裏まで戻ってきました。 塔の二層目のモールディングの上にも雑草が生い茂ってきています。 何とか早目に手入れできる
と良いのですが。 この東の塔の内部には隠し階段があるようですが、登れませんでした。
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(Estructura 5N2 de Grupo A)
グループAはこの辺にして次のグループへ向かいます。
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<グループB Grupo B>
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(Camino a Grupo B)
次のグループB は南へ 600m 位で、バギーに乗っての移動です。
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(Camino a Grupo B)
途中駐車場の標識がありますが、これを通り過ぎ、フランス隊が宿舎に使っていた小屋を横目に見ながら更に南へ向かうと居住区 6N5 の
標識が出てきました。
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(Mapa del Grupo B)
エセキエル氏のファイルからグループB の地図を写しました。 彼はフランス隊の作業を手伝っていたそうで、地図はフランス隊のもののようです。
一番北に 6N5 がありますが、現地では基部すら確認出来ませんでした。 目指すは建造物 6N1 です。
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(Llegando a Grupo B)
そしてバギーを停めると目の前に巨大な見せかけの塔を持つリオ・ベック様式の建造物が。 グループB の建造物 6N1 です。 リオ・ベックで
多分最も有名な建造物ですが、横から見てしまうと塔の上の神殿も基壇部分も薄っぺらく、見せかけだけの建築だというのがよくわかります。
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(Parte frontal de Estructura 6N1)
建造物 6N1 は東向きに立てられており、正午少し前なので、辛うじて午前の陽光を浴びて写真に納まってくれました。 それにしても雑草が
またしても邪魔してくれて、建造物がのった低層の基壇は全く見えません。
建物のサイズを書いたものが見つからず、上の地図の目盛を頼りに計算すると、幅は 27m 位になりそうです。 グループA の建造物よりは
小さいですが、高さは 18m 位ありそうですから、リオ・ベックで一番高い建造物になるのかもしれません。
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(Reconstrucción hipotética de 6N1, fachada norte y este)
建物の特徴を見るのには想像復元図が有効です。 左が南側面、右が東正面です。 Arqueología #18 p18 からスキャンさせて頂きました。
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(Torres Sur y Norte)
南の塔と北の塔です。 上部神殿は見せかけだけで実際には部屋が無く、戸口は壁龕のような窪みだけでこれも見せかけ。 左右の壁面
は無地ですが、壁面上部は仮面彫刻で飾られます。 鋭角的で登れない見せかけの階段、丸く仕上げられた基壇の角、モーディング、全て典型的な
リオ・ベック様式です。
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(Torres Norte y lado sur de templo superior)
建造物 6N1 の前に来ると草で隠れていた正面入り口前の階段が見え、左右の上部神殿の側面を飾る市松模様の十字が確認出来ます(写真右)。
グループA の 5N1 は北側正面に4部屋と裏の居住部に8部屋ありましたが、ここ 6N1 も東正面の2部屋が公共部分で、裏の4部屋が貴族の
居住部分として使われたようです。
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(Torre Sur y panel decorativo)
これは中央部から南の塔にかけてで、中央開口部は崩れていますが、左右壁面にチェッカー・ボード模様が残されます。
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(Panel decorativo típico de Rio Bec, diseño de Checker Board)
チェッカー・ボード模様の壁面装飾を拡大してみました。 木材が新しいので良く見てみると XI 89 と刻まれていて、89年11月に新しいものに
取り替えられたようです。 古い写真を見てもこの部分は崩れていないので、単なる補強でしょう。
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(Aposento principal)
正面の部屋の南側はこんな原始的な補強がしてありました。 崩れかけているのでしょうか?
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(Aposento del fondo)
これは正面の奥の方の部屋です。 この辺りは建設当時の状態が残されるようです。
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(Crestería calada)
建造物中央部奥にも左右に中空の屋根飾りが残り、これは南側の屋根飾り。 建設当時のものがそのまま残るようですが、上と右が少し欠けています。
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(Mascarón de Itzamná)
見せかけの神殿の壁面上部のクローズアップです。 最高神イッツァムナが表現されているようですが、こちらに
復元スケッチ があるので、他の細部と併せて確認ください。
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(Parte trasera)
建物の裏側に回ってみます。 雑草が迫っているので壁に沿って歩くだけで、屋根飾りを入れた背面からの写真など撮れません。
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(Lado sur de Estructura 6N1)
リオ・ベックで最も印象的な建造物 6N1 、たっぷり細部まで見てきましたが、これが最後の写真で、南に面した側面です。 居住部分は
側面が入り口で、しっかり壁面装飾が施されていました。
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(Vestigio de Estructura 6N2)
さてグループB にはもうひとつ重要な建造物があるのですが、こちらは上部構造が殆ど失われ、おまけに生い茂る雑草に埋もれかけています。
写真右が雑草から顔を出した建造物 6N2 で、建物の幅は 20m を超し、 6N1 に似た建造物だったようです。
この建造物 6N2 からは、部分的に彩色が残る玉座と彫刻された台座が回収され、
州都の建築博物館に展示 されています。 短期暦で 805年の日付も解読され、リオ・ベックの重要な歴史資料になるようです。
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(Vestigio de Estructura 6N3)
写真左は建造物 6N3 跡。 草をかき分けていく気になりません。 まだグループD もあると聞き、先を急ぎます。
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<グループD Grupo D>
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(Llegando a Grupo D)
グループD もバギーで移動しました。 グループB から更に南へ 200m 位で、 数分で到着です。
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(Estructura 7N1)
グループD はこじんまりしたグループですが、グループA、B と共に 6年にわたるフランス隊の活動の対象となった所で、漆喰彫刻で飾られた
建造物がひとつ修復されていました。
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(Decoración en estuco en la fachada frontal)
これは右側の壁面の漆喰彫刻で、壁面下部は太い円柱が飾られます。
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(Mapa de Grupo D y fotos de antes y después de restauración)
グループD についてもエセキエル氏のファイルに資料がありました。 右上は修復前の写真で、建物は崩れていますが漆喰彫刻は残っていた
ようで、綺麗にクリーニングされています。 調査図面によるとこの建造物は 7N1 と呼ばれ、幅 13m 位で北向きに建てられています。
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<グループC Grupo C>
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(Unica estructura en Grupo C)
最後に案内されたのがグループC です。 一度グループB へ戻り、6N1 の前から獣道を東へ2分位歩きました。 円柱で壁面が飾られた建物の
一部が残されます。 円柱を多用するプーク様式のルーツのような感じもしますが…。
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(Grupo C)
でも裏に回ってもこれ以上のものは残されません。 グループC はこれだけです。
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<リオ・ベック遺跡について Ruinas de Rio Bec>
リオ・ベックはその特異な建築様式が注目を集めますが、確たる中心を持たない街づくりなど多くの謎を抱え、実態解明はまだまだ
これからです。
1906‐07年にフランスの考古学者モーリス・ドゥ・ペリニーにより発見されたリオ・ベックですが、1912年に確認された
グループB はその後密林に消えて 1973年に再発見されるまで行方不明状態だったそうで、本格的な調査研究はまだ着手したばかりと言えます。
建築様式については
リオ・ベック様式のページ に譲るとして、
遺跡の分布を見てみます。 フランス隊の活動に先立つ 2001年までにリオ・ベックでは中心部の 13㎢ に 20 位のグループが確認されていました。
調査範囲を 10Km 四方の 100㎢に広げて 71 のグループを確認していますが、リオ・ベックは小さなグループの集合体と言うイメージです。
下は 10km 四方(青の枠線)のマッピングとリオ・ベックの中心部です。
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(Mapa general de región Rio Bec y mapa de area central)
強力な王権を背景に 神殿、宮殿、球戯場や広場からなる巨大なセンターを築き上げるのが古典期の一般的なイメージなのですが、リオ・ベックでは
これまで見てきたグループA もグループB も全くこうしたイメージとは異なります。 また王の偉業などを書き記した石碑や祭壇などがあまり見られ
無い事も古典期の一般的な遺跡とは違います。 この為、リオ・ベックは異なる貴族の家系が集まり荘園経営のような事を行っていた地域で、その居所を
見せかけのピラミッド神殿等で競って飾り立てていた、と言う説も出てきます。
でも調査範囲を 10Km 四方に広げたおかげで 2002年には グループB の北東 3Km の所にカートゥン? (Kajtún) と言うグループが確認され、建造物が
63 と石碑も 7本発見されているそうです。 先古典期からの遺跡になるそうで、これまで見てきたリオ・ベックより古い時代のペテン様式を汲む遺跡か
とも思いましたが、リオ・ベックの建築様式も確認されるそうですから、グループA や B とも無縁ではなさようです。
ますます謎が深まるリオ・ベックですが、カートゥンの調査でまた新しい説が唱えられるのかもしれません。
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(Torre sur de Estructura 6N1, Grupo B)
グループC からグループB に戻り、また四輪バギーにのって帰途につきます。
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(En frente de sitio Ramonal)
ベインテ・デ・ノビエンブレ村に戻る少し手前で、
ラモナルという遺跡 に寄りました。
写真はラモナル遺跡の前で、ちょっと四輪バギーに乗らせて貰ったところです。
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(Samuel y cuatrimoto en frente de abarrote en 20 de Septiembre)
村に戻るとサムエル君から村長の所へ行って遺跡の整備費用 25ペソを支払って欲しいと言われ、勿論従いました。 25ペソは遺跡の整備と言うより
遺跡へ行く道の維持で終わっているようです。
INAH の Arqueologia 特別号にはリオ・ベック遺跡は公開されていないと書いてあります。 でも公開されていないのではなく、INAH として
受け入れる体制を作っていないだけで、訪問が禁止されている訳ではありません。
村の雑貨屋で買った冷えたコーラをサムエル君と飲み干して…。 まだ運転するのでビールは飲めません。
今回の旅では、ベカン、チカナ、シュプイル、オルミゲロと、他のリオ・ベック様式も再訪したので、
じっくり写真を見比べてみようと思います。 リオ・ベックを見た後でまた印象が違いそうです。