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2012 en Programa de TV  テレビ番組「マヤ暦の真実」
映画2012の公開に続けて 日本のテレビでも2012年問題の特集があり、これを検証してみました。 映画とは違い2012問題に正面から取り組んでいて 検証のし甲斐はありましたが、それにしても公共の電波でこのような不正確な 内容の番組を流して良いものでしょうか?
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テレビ番組 「マヤ暦の真実」
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                 (Programa de TV especializado del tema 2012)

番組は 2010年元旦と翌2日の2日間、合計4時間に亘り 民放 BSで放映された 正月特番 「マヤ暦の真実」。 2012年12月21日の マヤ終末論をマヤ暦を解明する事からその真偽を検証しよう、という触れ込みでした。

初日は 「マヤ長期暦が何を意味しているのか 古代文明の叡智と謎に迫る!」 という副題のもと、太陽スーパーフレア説やフォトンベルト説 等の終末説を紹介し、マヤ暦の仕組みを詳しく 説明してから、グアテマラに渡って 人類学博物館やヤシャー遺跡、キリグア遺跡等を 紹介していきます。

2日目は 「マヤ長老のトップ ドン・アレハンドロが語る マヤ暦の真実と祈り」 で、アンティーグアからポポル・ブフの チチカステナンゴ、そしてティカル遺跡を訪問、最後に マヤ長老との対話という流れで進んでいきます。
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初日の番組
この番組の為にわざわざ現地ロケも行ったと言う事で、期待して録画も撮りながら見たのですが…。

カレンダーの仕組みを説明し科学的なアプローチで番組を始めたのは良かったのですが、予算をかけたグアテマラ・ロケ部分が 始まると少し様子がおかしくなってきます。 先生と呼ばれるキャスターの方の説明が 『キチェ族がオルメカやテオティウアカンの原点だ』 とか、どうも怪しげな話になっていきます。

先生なる人はマヤの専門家ではなく どちらかと言うとオーパーツ趣味の冒険家。 マヤの正しい理解を持つ前に 異端の説に感染れて しまったようで、番組でもおかしな説明を連発します。 マヤの知識が希薄なのに聞きかじりの知識で断定的な解説をしていく。 見ていて 不快な気分にさせられました。 異端の説についてはこのページの最後にまとめてみようと思います。

ここでおかしな点を全て列記するつもりはありませんが、幾つか指摘してみると。

まずヤシャー遺跡に入って先生が仰るには、『 マヤの遺跡のね、もう5%しか発掘されて いないと言うんですよ、僅かね。 ですからもう殆どがまだ表に出ていない訳ですから まあそう言う意味ではね、あのまあ伝承的に 伝えられているから少し解るものの 遺跡的な事からこう本当の古代マヤの人達の実態を知ると言う事はまだまだ本当に序の口だと 思いますね。 今スタートについたばかりだと思いますね。 』 と。

これ随分と偏見に満ちた発言です。 ティカル、コパン、カラクムル、或いはパレンケ規模の遺跡が更に何十も出て来るような口振りです。  実際マヤの遺跡は小さいものを含めると3000あるとも言われ その多くは発掘されていませんが、碑文から紋章文字の研究も 進み、マヤの大規模センターの大半は特定され、伝承ではなく科学的に その歴史が解明 されてきています。 多くの考古学者達の研究成果に目をつぶり、いたずらにマヤ文明を神秘的なものとして空想の対象にしてしまう態度は、 感心できません。 だいたい番組が冒頭に紹介した長期暦だってその解明は伝承によるものではなく考古学の成果 なのです。

ヤシャー遺跡 については、『ユカタンのマヤ遺跡の影響を受けて おり古い遺跡ではない』 と断言されます。  とんでもありません、ヤシャーは紋章文字も持つ ティカルと同時代のれっきとした古典期の遺跡です。 番組で神聖文字の記された 石碑を紹介し、双子のピラミッドの存在も指摘しているのに、です。 双子のピラミッドがティカル以外ではヤシャーでしか確認されて いない事も、碑文を刻んだ石碑の建立が古典期で終わっている事も 知らない先生?です。 だいたいユカタンの影響とは何を指して 言っているのでしょう?

ここまで聞けばこの先生なる人のマヤの解説が如何にいい加減かわかるのですが、一般の視聴者は信用してしまうのでしょう、 公共放送の責任は大ですね。

ヤシャー遺跡から キリグア遺跡 へ向った先生、キリグアの巨大な石碑F を目にして、これだけ絵が くっきりと残されている石碑は見た事が無いと。 おそらく コパン遺跡 には行った事がないのでしょうね。  それはまあ良いとして、問題は石碑C の解釈です。 この石碑は13.0.0.0.0.4ahau 8cumku つまり13バクトゥンの始めの日(紀元前3114年8月11日)が刻まれている事で知られ、 碑文の解釈は難しそうですが、13バクトゥンの創生時の様子が書かれているようです。 FAMSI の研究論文 が多分一番詳しく解説してくれています。 (PDF ファイルの論文は 105頁の大作で、29-41ページに石碑C の説明があります。)
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(13.0.0.0.0. 4 ahau 8 cumku, Estela C de Quiriguá)     (P.31 de tesis "No es el fin del mundo" de FAMSI)
左は石碑Cの 13.0.0.0.0.4ahau 8cumku が刻まれた部分、右図 (FAMSI の研究論文の 31頁)で水色で囲まれた文字列の上の部分です。

先生と番組のこの石碑の解釈はこうです。 誤解を避ける為にそのまま引用すると 『正面に回って(石碑を)眺めてみると両手に胸のところでジャガーを抱いている。 問題はこのジャガーがひとつの頭 ではなくて、右と左とふたつ描かれている。』 ナレーションが後を続けて 『2つの頭を持つ動物は自然災害を示し、ジャガーは死を意味する。』 と。 更に先生が  『ステラ(石碑)を上から読んでいくと、まあ細かい事を 抜きにすると5200年前に新しいカレンダーがスタートしたと、そしてそれがいよいよその最後を迎える日が来る、と言う事が書いて あるのですね。』  だそうです。
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                             ( Estela C de Quiriguá)

いよいよ 2012年終末論の問題に肉薄してきた訳ですが、でも実はこれかなりいい加減で勝手な解釈です。 上の FAMSI の論文を含めて、 この石碑に『最後の日が来る』 と書かれていると言う指摘はありま せん。 創生については記述はあっても終わりを告げている訳ではないのです。 そして『ジャガーを抱いている』 ですか? これは王様が動物を抱っこしているのではなく 王杓を抱えているのです(上の画像参照)。   王杓の両端にはよく装飾が付いていて、これは蛇であったり、チャークであったり、またジャガーがついていたりします。 ジャガーが 死を意味する場合はあっても、王杓についている場合は、力や権力を意味すると解釈するのが普通でしょう。  『上から読んでいくと、まあ細かい事を抜きにすると…』 ってこの先生マヤ文字読めるのですか? 

番組の進行上、かなり無理やりのこじつけをしてしまいました。 先生は「確かにこれが刻まれているのです」 と力説。 ゲストの 人達は「自然災害、ジャガー=死、恐いですねー」 とお追従の茶番劇。  視聴者に恐怖心だけ残して、ここで番組の第一夜が終了です。
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2日目の番組
さて二日目は「マヤ長期暦が何を意味しているのか 古代文明の叡智と謎に迫る!」 と言う副題です。 初日の放映を見て 失望しましたが、折角マヤの地が映るのだし、一体どうやって番組を締めくくるのかという興味も湧いてきて、更に2時間 お付き合いしました。

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           (Iglesia Santo Tomas)

まずアンティーグアを紹介してから チチカステナンゴ に向います。  チチカステナンゴは キチェ族の中心地で、ポポル・ブフの原典が見つかったとされる 写真のセント・トマス教会が知られます。  ここで先生の歴史解説が 始まります。 そのまま引用すると、

『 ここはマヤ最大の民族、最古の種族とも言われているキチェ族の本拠地です。―――― そしてここでキチェ族を中心にですね、 様々な種族が栄えて、大勢の人達が誕生し、 そして最後に下の低地の方へ下っていく訳ですね。その結果、メキシコ湾沿岸のオルメカ文明と言われる所だとか、或いはトルグ 遺跡?のある場所だとか、テオティウアカンのある場所だとか、チチェンイッツァのある場所だとか、というその低地、あのもう 温度がここに比べればですね、もう完全に20度は違うと、という所にだんだん広がっていったと、その原点である場所がここだ、と いうように思って頂いていいと思いますね。』

これ、凄い解説です。 全く通説とは違う異端の説をテレビで披露してしまいました。 確かにキチェ族は現在その人口からマヤ 最大の種族でしょうが、最古であるかと言うと そうは言えないようです。 スペイン人到来前のキチェ王国は現在のチチカステナンゴ の北 ウタトゥラン に都を構えていました。 しかしその出自には諸説があるようで、 確かな事はわかっていません。 異端の説については最後に触れますが、マヤの研究者達は誰も キチェ族がオルメカやテオティウアカン文明の祖先になるなど とは考えていません!


さて番組を進めましょう。 チチカステナンゴを紹介してからティカル遺跡の型通りの観光案内。 そしてホピ族の予言からオーパーツの 世界へ、この辺りはコメントしようがありません。  そしてティカルでのマヤのセレモニーを紹介しますが、最後の 30分位でやっと 番組お奨めの長老との対談になります。

ここからが番組の本題となるマヤ暦と終末説を検証する筈の対談になるのですが、これがまた何とも噛み合いません。 マヤの神話と想像の 世界を背景にした長老と、不正確なマヤの理解の先生では当然かもしれません。 『地球的な規模の大洪水で人類の文明が一度崩壊したと聞いたがどうか』、 『マヤには5200年という非常に長いカレンダーがあり、 これが終わりに近づいていると言う事で世界の人達が関心を持っているが…』  なんていう質問を先生からされた長老 はさぞ困った事でしょう。

神話的な返答に終始した長老ですが、終末論への長老の見解を整理してみると 『長期暦の起点の紀元前3114年8月11日と 13バクトゥンの終了日である 2012年12月21日という日付は不正確で信用できない。  長期暦とグレゴリオ暦とは合致しない。 しかしいつかは新しい第六の太陽の時代が来る。でもそれは希望に満ちた時代であり、 巷間騒がれている終末論は恐れるに足りない』 と言うような事でした。 長老はそれで良いでしょうが、 科学的にマヤ暦の説明から始めた先生はそれで良いのでしょうか?

最終的に番組はこの長老の見解を是として4時間番組の結論としてしまうのですが、ちょっと待ってください。 『科学者の言う長期暦の起点と終了日は不正確で信用できない。  長期暦とグレゴリオ暦とは合致しない。』 ですか? 長期暦は後古典期になると殆ど使用されなくなり短期暦に置き換え られますが、石碑、コデックス等に数多く残された長期暦から、科学的に検証が進み仕組みが解明されてきた訳で、これを長老と先生 が否定するものではないでしょう。 問題は長期暦を現代の暦にどう比定するかでしょうが、これはスペイン人到来後のユリウス暦 の 1539年11月3日が、長期暦 11.16.0.0.013ahau 8xul にあたると言う文献に残された記述を基にして起点と終了日が計算された ものです。 閏年の問題や、ユリウス暦とグレゴリウス暦の問題などから、全く正確に起点と終点が特定されたかは疑問の 残るところですが、誤差はそれ程大きくない筈です。 

神話と空想の長老にとってはこれはどうでも良い事かもしれません。 しかし番組の冒頭で長期暦を解説してきた先生はどうなんで しょう。 わざわざグアテマラまで問題を検証しに来たのに、長老がこう言ったから、それが正しい、ではお話になりません。

テレビでマヤ長老との対談が初めて実現できたと言う事ですが、そもそも現代のマヤ長老といっても古典期マヤの伝統を継承 している訳ではありません。 後古典期には長期暦が使われなくなった事からも明らかなように、古典期と後古典期の間にはマヤ文化に 大きな断裂があるのです。 長老達がマヤの文化を全てを伝承していれば石碑の碑文も読み解いてくれ、碑文学もマヤの歴史解明も どれだけ簡単に進展したでしょう。 でもマヤ文字を解読し、歴史を解明していったのは長老達ではなく、現代のマヤ学者達なのです。

科学的に長期暦の説明から始めた番組も、非科学的な長老の説明を根拠に 『2012年12月21日という日付は正しくない。 近い将来大きな変革の時が来るかもしれないが、その先にあるものは明るい未来だから、 恐れるな』 と言う結論。 結論こそ間違ってはいないものの、そこに至るプロセスは出鱈目。 4時間もかけたのに、 最後は何だか宗教団体の説教を聞いているようで、何ともお粗末な番組でした。

それにしてもテレビ局も何故専門家の監修を受けなかったのでしょうか。 真面目な研究者達にとっては このテーマ、検討にも値しないと いう事なのかもしれません。


(2012年問題に対する、考古学誌 Arqueologia の見解は 別ページ 「2012年終末論?」にまとめて有ります。)
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「マヤ・トルテカ起源説?」
最後に異端の説と言った事について説明を加えておきます。

これは 「マヤ・トルテカ起源説」 とも言われる ポポル・ブフの神話的解釈を基にした マヤの歴史に対する仮説 の事で、仮説である限り 異端の説にはならないのですが、この仮説が一人歩きして番組の中の 先生のように事実の如くに語られると、これが異端 と言う事になってしまいます。

この仮説を提唱しているのは、キチェー族のシャーマン、ビクトリアーノ・アルバレス・フアレス氏で、日本でもこの説を紹介する本が何冊か 出版されています。 (一度間違って買ってしまった事もあります。)

この仮説は 神話であるポポル・ブフをマヤの歴史書だったと考え、神話の内容を検証して歴史を再構築していったものです。  マヤの起源を 5000年以上前にグアテマラ太平洋岸で栄えたマヤ・トルテカ文明だったとし、ここから人々が別れていって オルメカ文明となり、テオティウアカン文明やペテン地方のマヤ文明となり、テオティウアカンに続くトルテカ文明の時に、人々がグアテマラ に戻ったのがキチェー人である、およそこんなところがマヤ・トルテカ起源説です。

グアテマラへの帰還が11世紀との事で、これは ウタトゥランのキチェー王国建国に符合しますから、史実と言っても 良いかも知れません。 しかし 5000年以上前の太平洋岸のマヤ・トルテカ文明と言ってもその痕跡は認められず、ここから人々がオルメカや テオティウアカンへ移って行ったなんて、当然の事ながら考古学的な裏づけは全くありません。

ポポル・ブフの中にある創世神話は古典期以前に遡るもので、各地で石碑や土器などにその内容が再現されている事から、マヤ共通のもの だったと考えて良いと思います。 原本が発見されたところはチチカステナンゴですが、キチェ族の歴史は別にして、創世神話までもが 後古典期に栄えたキチェー王国の占有物だったとは考えられません。

アメリカで言えば 我が祖先こそメイフラワー号でやってきた…、日本では家系図を作ると祖先がみんな清和源氏だったり…。 ポポル・ブフ の故郷を持つキチェー族がそこから自らの歴史的正当性を主張するのは自由ですが、これを全て史実としてしまってはいけません。
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