マヤ遺跡探訪

UTATLÁN (CUMARCAAJ)
ウタトゥラン (クマルカーフ) は後古典期後期のグアテマラで最も大きな勢力を誇ったキチェ族が 1400年頃に築いたキチェの都でした。

アステカ帝国を征服したエルナン・コルテスは支配下のペドロ・デ・アラバラードをグアテマラ地方の制圧に向わせ、カクチケル族を味方につけた アルバラード軍とキチェー族との間に激しい戦闘が繰広げられます。 敗れたキチェ族は降伏して ウタトゥランにスペイン人達を迎え入れること になりますが、結局はアラバラードにより火をかけられ街は破壊されます。 1524年3月のことでした。
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      (訪問日 2010年11月21日)
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 (Entrada a la ciudad de Santa Cruz de Quiché)

日曜市で賑わうチチカステナンゴの雑踏を離れて、北のサンタ・クルス・デ・キチェへ向います。 写真はサンタ・クルス・デ・キチェ の入口で、チチカステナンゴから車で 25分です。

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 (Palacio de Gobernacion y Catedral de Santa Cruz de Quiché)

ウタトゥランを破壊したアルバラードは 2.5Km 東に街をつくりキチェ人を移住させます。 後にサンタ・クルス・デ・キチェと名付けられ、 写真はその市庁舎の塔と大聖堂です。 サンタ・クルスは帰途に寄りましたが、遺跡での説明の為に写真を先に紹介しました。

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 (Desviación hacia sitio arqueológico de Utatlán)

サンタ・クルスの街の外側を通って遺跡へ。 10分足らずで写真にある遺跡への曲がり角です。

ウタトゥランは征服者側がナウアトゥル語で呼んだ名前で、キチェ語ではクマルカーフ、看板は Gumarcaaj ですが、 Cumarcaj、K'umarkaaj、 Q'umarkaj 等々 まちまちに綴られ、古いサトウキビが生える所、と言う意味になるようです。 

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 (Vista aérea del sitio por GOOGLE EARTH)

GOOGLE EARTH の画像は鮮明で、幹線道路から分岐する曲がり角がはっきり判り、赤い屋根の遺跡博物館、球戯場がある 広場も確認できます。

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 (El interior del Museo del Sitio)

まず遺跡の博物館に入りました。 ここでは K'umarkaaj  (^-^;  キチェ王朝が後古典期に創設され、ククマッツ(グクマッツ)王が 1400年にクマルカーフ(ウタトゥラン)を創設した事が記されます。

キチェ族の出自は定かではありませんが、13世紀始めに西の方から移住してきた民族で、王朝の創始者はバラム・キチェと考えられています。

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 (Maqueta grande de Utatlán)

博物館の中央にはウタトゥランの街を再現した大きな推定復元模型が飾られます(下は中央部の拡大)。 現在は建造物の石材が 剥ぎ取られ 残骸が残るのみなので、当時の姿を理解する助けになります。

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復元模型の横に遺跡の地図があり、これを利用させてもらいます。 地図中央左寄りが 1 d 球戯場で、その上(北)が 1 a トヒール神殿、 その向かいは 1 b アビリッシュ神殿、広場南に 4 a ハカビッツ神殿があり、球戯場南が 3 b カベック宮殿です。

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 (Solo escombros)

博物館から西へ遺跡エリアに向います。 ウタトゥランは丘の上に築かれていて、当時もこの東からの道が街に入る唯一の入口でした。

そして見えてきた遺跡はと言うとこれです。 地面が複雑に起伏していて、ピラミッド跡と思われる土塁もあります。 この草で覆われた 土塁は北から見た 1 b アビリッシュ神殿跡でした。

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 (Parte norte de la Plaza)

少し北へ歩を進めてこの写真。 中央は広場北側にあった建造物の残骸、その左で下部のレンガ色が露出しているのが 1 a トヒール神殿跡 です。

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 (Vista de la Plaza, de norte al sur)

更に少し進むと広場が北から南へ見渡せました。 トヒール神殿の左側(南)に 1 d 球戯場跡が顔を覗かせ、写真左のピラミッド 状の土塁が 4 a ハカビッツ宮殿跡です。

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 (Plaza y Palacio de Jakawitz al fondo)

これは広場とその奥のカベック宮殿跡。 広場が部分的に白く見えますが、漆喰で広場が舗装されていた名残りです。

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 (Restos de Templo Tohil)

一番人工物としての姿を留めているのがこのトヒール神殿で、建物の傾斜が強い為に壁面が露出しています。 でもこれは外壁ではなく 神殿内部の構造物で、外壁の石材が剥ぎ取られた後の神殿の成れの果て。

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 (Detalle de Templo Tohil)

近寄って見ると大小の粗石が土で塗り込められた内部構造がよくわかります。 では表面の石材は何処へ?

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 (Dibujo que muestra Templo Tohil antes de despegarse las piedras, y Torre de Municipalidad)

博物館にはコロニアル時代に描かれたスケッチがありました。 これを見るとアルバラードが破壊した後もまだ表面の石材は健在で、 トルテカ風の神殿がその姿を残します。

しかし 17世紀前半にサンタ・クルス・デ・キチェの教会を建設する為にウタトゥランの石材が大量に持ち出され、組織的な遺跡の破壊が 始まります。 冒頭で紹介したサンタ・クルスの大聖堂もこの時代の建造かもしれません。

写真右のサンタ・クルスの市庁舎の塔もウタトゥランの石材で作られます。 表面が磨かれたウタトゥランの石材は格好の建築材料となり、 ウタトゥランはさながら資材置き場と化してしまい、 20世紀を待たずして全くの廃墟になります。

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 (Restos de Templo de Avilix)

未発掘の土塁と異なり、掘っても石材は出てこない残骸では興味が薄れますが、現在残されている遺跡の姿を見て行きます。  この写真は正面から見た 1 b アビリッシュ神殿跡。

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 (Restos de Juego de Pelota)

アビリッシュ神殿から広場越しに見える 1 d 球戯場跡。

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 (Restos de Juego de Pelota)

球戯場の球戯面。 奥に(西方向)に北の広場と南の広場が広がりますが、林の中です。

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 (Juego de Pelota, Templo de Tohil y Templo de Avilix)

球戯場の西側にまわって、球戯場全景とトヒール神殿、アビリッシュ神殿です。

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 (Paisaje panorámico)
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上の写真の左側を繋いだパノラマ画像です。 残骸だらけでまさに「兵どもが夢の後」。 遺跡情緒があると言えば…。
ここで少しキチェ族とウタトゥランの歴史を見ておきましょう。   画像

写真はチチカステナンゴの市場で求めたマヤの銀貨?で、グクマッツは非凡な王、と刻まれています(安かったので単なるまがい物の 土産品かもしれません。) 1400年頃ウタトゥランに居を構えたグクマッツ王はカクチケル族との同盟により勢力拡大に努めますが、 1435年 北のコハ族との戦いで落命します。

グクマッツ王の後を継いだキカッブは好戦的な軍事に優れた王で、カクチケル族と共に勢力拡大を続け、西は現メキシコ国境近くまで、 東はモタグア川近くまで征服を進め、キチェとカクチケルはグアテマラで最大の勢力になったようです。

しかしキカブ王の治世の晩年、1470年に諸部族がウタトゥランに集まり祭事が執り行われる中、キカブ王の息子たちが有力臣下と共に更なる 特権を求めて反乱をを起します。 キカブ王は難を逃れますが、結果として有力な同盟者のカクチケル族はキチェ族と袂を分かち、 イシムチェに移って自らの都を構えることになります。

1475年のキカッブ王の死後、ウタトゥランのキチェ族はテペプル王の下、イシムチェのカクチケル族を攻撃しますが敗北してカクチケル族 征服を断念。 次のテクム王はツトゥヒル族を攻めますが戦いの中で落命し、キチェ族は更にその勢力を弱めてしまいます。

このような混乱した状況の中、スペイン人到来の知らせが西から届きます。 1521年のアステカ陥落後、カクチケル族はコルテスに恭順の 意を伝えた為、アルバラードの遠征軍はカクチケルの勢力を加えてケッツァルテナンゴ方面でキチェ族との大規模な戦闘に入ります。  熾烈な戦いが繰広げられたようですが、結果は冒頭に記したようにキチェ族の敗北に終わります。

ここから舞台はウタトゥランに移ります。 降伏したキチェ族はウタトゥランの都にアラバラードを迎え入れて謀殺を計りますがが、計略 を見破ったアルバラードは逆に王を捉えて火炙りの刑に処してウタトゥランを焼き払います。 カクチケル族との同盟を破った事がキチェ族 の破滅を招いたとも言えますが、時計の針を少し早めただけだったかもしれません。 いずれにしてもその歴史の舞台となったのがこの ウタトゥランでした。


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 (Adoración en la Plaza)

キチェ王朝は滅ぼされ、ウタトゥランは廃墟になりますが、今でもマヤの人達にとってウタトゥランは聖なる地です。  訪問した日は丁度日曜日で、聖地ウタトゥランで祈りを捧げる人達が沢山見かけられました。

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 (Gruta sagrada)

広場から北へ谷を降りていくと聖なる洞窟があり行ってみました。 入り口には赤い花びらが敷き詰めてあります。 洞窟は奥行きが 30m 以上あったと 思いますが中は真っ暗で小さなロウソクが頼りです。 奥には祭壇があり、花びらとロウソクが供えられていました。 洞窟は更に奥へ広がり、 トヒール神殿の下に行き着くような話もありましたが、危険なので途中で戻りました。

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 (Oración en frente de la Gruta)

洞窟の入口にも祈りを捧げる一団が準備していて、許可を貰い撮影させて貰いました。 祈りの冒頭は意味不明でマヤ語だったようですが、 その後はスペイン語で一般的な説教を垂れているようでした。

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 (Altar hecho por copal y incienso)

敬虔なマヤの人達には申し訳ありませんが、どのように香を焚くのか興味があり写真を撮りました。 左は広場のもので、右が洞窟の前です。  茶色いものがコパルで、ロウソク状のものは香でしょうか?

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 (Templo de Tohil con el cielo azul)

洞窟から広場に戻ると青空が広がっていました。 遺跡の写真は青空に限ります。 トヒール神殿の写真を撮り直しました。

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 (Plaza y Juego de Pelota tambien con el cielo azul)

そして広場と球戯場も青空を背景にして。  写真左にはまた別の祈りを捧げる大きな集団が。

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 (Camino hacia el estacionamiento)

以上でウタトゥラン訪問終了で、博物館前を通り駐車場に戻ります。 写真は博物館前から見た遺跡の入口と駐車場です。

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 (Foto aérea sobrepuesto con el mapa del sitio )

GOOGLE EARTH の空からの画像に遺跡地図を重ね合わせてみました。 今居る所は地図の右端にある赤い屋根の博物館前。 ここから スタートして残骸を見てきた訳ですが、地図を重ね合わせると当時の様子、規模が想像できます。

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                                 (Dibujo de pintura mural, Palacio Cavek)

残骸ばかりだったので少し形のあるものを。 これはカベック宮殿の内部を飾った壁画を模写したもので博物館にあったイラストです。  トルテカ風かミシュテカ風でしょうか。

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 (Articulos de cerámica procedentes de Utatlán en el Museo Nacional)

首都の国立考古学民俗学博物館の展示の中には幾つかウタトゥランからとされる土器の展示もありました。

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 (Cántaro o urna de Utatlán, Museo Nacional)

これも首都の博物館の展示物で、動物の飾りがついた大型の彩色壷です。 骨壷と説明した文献もありましたが、何れにしても ウタトゥランの工芸技術を示すものと言えます。


廃墟と化した遺跡の写真は事前に見ていたので、まあ思った通りでしたが、写真と現実はまた異なります。 廃墟の雰囲気は充分味わい、 またマヤの人達の祈りの場を目にし、期待通りの訪問となりました。


チチカステナンゴ ではポポル・ブフの故郷サント・トマス教会、 町立博物館と日曜市を楽しみます。 チチカステナンゴから途中アンティグアのマヤの音楽博物館 カサ・コホム(Casa K'ojom) に寄ってグアテマラ・シティーに戻ります。

次の遺跡はコパン王朝13代ウアシャクラフーン・ウバーフ・カウィール(13ウサギ王)を鹵獲、供犠にした事で有名な、カック・ティリウ・ チャン・ヨアート王の キリグア。 世界遺産です。


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