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El fin del mundo en 2012 ?  2012年終末論?
2012年12月に人類が滅亡すると言うマヤの終末論がもてはやされています。
長期暦 の13バクトゥンが 2012年12月21日に終わりを迎える事や、 マヤが詳細な天文観察を行っていた事などが、終末論の根拠になっているようですが、誤ったマヤのイメージが蔓延するのも困った ものです。

何時の世にも終末思想と言うのはあって、特にパニック映画ネタとしては欠くことの出来ないテーマであり、1999年7月の人類滅亡 を予測したノストラダムスの大予言で何も起こらなかったので、次のターゲットがマヤの 2012年と言うことだったのでしょうか。

オカルト趣味とは無縁の 考古学雑誌 Arqueologia の 2010年5-6月号で、このテーマを取上げていたので、その見解をお伝えするのも面白いかと思い、2012年問題で 1頁設けてみました。  下の写真は 5-6月号の表紙です。
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       アルケオロヒア 5-6月号 (Portada de Arqueologia #103, Mayo-Junio, 2010)


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この号では 2012年問題についていろいろな面から見解が紹介されますが、まずコデックスから見た 2012年論。  記事の冒頭の部分を訳してみました。 青字の部分です。

マヤ・コデックスに記された予兆と予測
『 最も重要な点から始めると、マヤ・コデックス には2012年の終末論に 関する予言は一切ないと言う事。 マヤの碑文学者達は3つ存在する マヤ・コデックスのどの部分からも2012年終末論に関連する具体的な日付を見出していない。 秘教趣味の人達が唱えるマヤの終末論だが、 誰がマヤ・コデックスを精査しようとその予言の痕跡すら見つけられずにただ失望するだけだろう。 』


と、のっけから 2012年終末論に対しては懐疑的を通り越して、全否定です。  マヤの予言と言うと書かれたものはコデックスと言う事になりますが、このコデックスを検証しても 2012年に世界が終わると書かれた ところは無い、つまりマヤ・コデックスには13バクトゥンの終わり 13.0.0.0.0. 4 Ahau 3 Kankin という日付は見当たらないのです。

コデックスを中心に書いている記事で、マドリー・コデックスとドレスデン・コデックスは多くがツォルキン暦(260日暦)を基にした 予言からなっている事が述べられています。  ツォルキン暦による予言 については ドレスデン・コデックスのページで少し詳しく解説してあります。

パリ・コデックスは3つのマヤ・コデックスの中では 22ページだけの一番不完全なコデックスですが、これはツォルキンで はなく、カトゥンの予言を扱っているとの事。 カトゥンは長期暦で4桁目、つまり20年の単位で、カトゥンの予言とは 20年毎の予言を意味します。 カトゥンはツォルキン暦と組み合わされ、カトゥンの最後の日が 必ずアハウ( Ahau )になる 事から、カトゥン 9 アハウとか カトゥン 7 アハウとか、13通りのカトゥンで表わされ、パリ・コデックスには 13通りの予言の内、10の予言が残されているそうです。

話が少しそれましたが、こうした予言の中に終末に関係するものがあるのでしょうか。 記事の中で終末を扱ったものとして ドレスデン ・コデックス の74ページ目が紹介されています。 以下 青字の部分がその翻訳です。

『 年老いた神チャク・チェルが大甕から水を撒いている様子が認められ、彼女の頭の上には天に棲むワニが描かれ、その開いた口 からは大量の水が吐き出されている。 また彼女の下には死界の象徴である黒い神が描かれている。 スペイン人到来以前のマヤの人達の神話 では、チャク・チェルと黒い神が 世界の創造と破壊に関連付けられていた。 壷から落ちる水の上にはツォルキン暦の5エブが描かれ、 恐らくマヤの人達が大洪水が起きる日付と考えたのだろう。 』

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この頁を終末の根拠にしたがる人達もいるようですが、ここには長期暦は記されておらず、バクトゥンの終わりはツォルキン暦では必ず 4 アハウ になりますが、 5 エブ ですからバクトゥンの終りには符合しません。

終末論か否か、この記事の最後にまとめ的な説明があるので、これも訳してみましょう。

『 予言は歴史の理論であり、マヤの知識人や聖職者達は未来に起こり得る事を知る為に過去について検証しなければならなかった。 しかし 予言は単なる歴史分析だけでなく、暦や天文の周期性、つまり繰り返し起こる事をを認識して予言としていた。 こうした予言は 歴史が未来の安全を保証する資源となるべく考えられた手段だった。 』

かなり意訳しましたが、要するにコデックスの予言は終末を告知するのが目的ではなく、悪い予言に対しては事前に備えられるよう 考えられたもので、もっと言うなら、マヤの人達は終末論者に終わる事なく、常により良い未来を求める人達だった、だからマヤの コデックスには 2012年終末論はなかった、と言う事でしょう。


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「2012年のマヤの予言」 と直接的なタイトルもありました。 これも紹介しておきましょう。  マヤは詳細な天体観察により優れた天文知識を持ち 正確に天変地異を予知していた、だからマヤは世界の終焉を知っていた、と言う マヤ終末論もあり、これを科学的に検証しようと言う、マヤの天文から見た2012年問題についての記事です。   上の記事同様、冒頭で 2012年終末説を否定してしまいますが、まずはその部分の翻訳。

2012年 マヤの予言
『 マヤの預言者は2012年の世界の終末を予言したか? 極論に走ることなく、科学的、文化的なデータ を検証すると、日付を伴う大異変の予言は疑わしいと言える。 』


「我々の銀河の中心にブラックホールがあり、エネルギー、物質、時間を引き寄せていて、26000年振りにこれが開いて、太陽と銀河の 直列により太陽系の均衡を破壊する。」 「2012年に太陽の表面の巨大爆発が多量の粒子を地球に向けて放射しつつ頂点に達する。  地磁気の軸が移動し、その結果は最悪で、今まで経験した事の無いような多くの災害が引き起こされる。」
何て言うのがマヤ終末論者が唱える世界の終わりだそうですが、その根拠となるのは…。

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                 (Pagina 52-53 de la revista Arqueologia #103)

記事では 終末説の根拠として イサパの 25号石碑、マヤの天球図、天空図が連想されるマヤ神話が描かれた壷、の 3つが紹介されます。 上の写真にある 52-53頁です。

まずイサパの石碑。 イサパ はまだマヤ文字が使われなかった先古典期マヤ周縁部の遺跡でマヤの前身とも言われますが、その石碑25号、 紀元前400年頃のものとされます。  古代マヤ人に目撃された天空図で 2000年後の創造周期を予知して建立された石碑という解釈があるそうですが…。  図柄を見てみましょう、下の写真左側です。 逆立ちしたワニの尻尾から葉が生えて、生命樹のようです。 木の右上が 7の コンゴウインコ(ブクブ・カキッシュ)、その下に英雄の双子の兄弟の一人が見えます。

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次にコンピューターで描かれたマヤの天球図(写真右上)、現代のマヤ終末論者が良く用いる図だそうです。 南北に伸びた天の川が 生命樹で、右上に7のコンゴウインコ(ブクブ・カキッシュ)を表わす北斗七星が描かれ、イサパ25号石碑と同じです。  ワニのところはサソリ座になっています。

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このモチーフは土器にも見られ、3つ目は円筒土器に描かれた図柄。 ワニがサソリになっていますが、生命樹と7のコンゴウインコは 25号石碑と同じです。 文字が書かれていますが、特に説明がなく残念ながら意味がわかりません。

でもこれがマヤ終末論の根拠なんでしょうか? マヤ神話ポポル・ブフ では、我こそは太陽とならんとして横暴に振舞うブクブ・カキッシュ を 双子の兄弟が退治するという話があり、解釈によってはこれが前の太陽の時代の終わりと考えられます。 しかしここからブラックホールだ、 太陽の巨大爆発だ、とは随分と飛躍した話に思えますが…。 まあ個人的な意見はさて置いて、記事の説明を進めましょう。

ここから反証です。 天文学の領域で非常に解りにくい内容ですが、要約するとおよそ次のような理由が述べられているようです。

・ 古代マヤ人が天の川に重きを置いていた証拠は殆どない。
・ 銀河を天球図に描くのは非常に難しく現代のマヤ終末論者の天球図は現実的でない。
・ マヤの天文学者達は春分点歳差や黄道に関心を払っていたとは思えない。
・ 天の川の南北の整列は毎年の事で13バクトゥン毎の新しい創造の時だけではない。
・ マヤが太陽の爆発、黒点や磁場について重要性を認めていたと言う証拠はない。

と言う事で、冒頭の 「日付を伴う大異変の予言は疑わしい」 と言えるようです。

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2012年マヤ終末論は、長期暦の13バクトゥンが2012年に終了する事から始まっていますが、循環暦であるハアブ暦や ツォルキン暦と異なり長期暦は直線的な暦で、13バクトゥンが終わると次の13バクトゥンが繰り返されます。

マヤの文字記録であるコデックスに13バクトゥンの終了時に世界が終わると書かれている訳でもなく、如何にマヤの天文が 進んでいたとしても、月、太陽、惑星の運行までで、銀河やブラックホールや黒点まで科学的に理解していたとは考えられません。

2012年マヤ終末論が一過性のもので、無事2013年が迎えられる事を祈りましょう。






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PELÍCULA "2012"     映画 「2012」
マヤの予言により 2012年12月に人類が滅亡すると言う終末論がもてはやされています。  「2012年終末論?」 で 考古学雑誌 Arqueologia の見解を紹介しましたが、ここではマヤ2012年問題をテーマにして話題になった SFパニック映画 「2012」 を検証してみます。  そしてついでにマヤをテーマにした映画 「アポカリプトも」。

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映画 「2012」
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          (Pelicula "2012", mapa del nuevo mundo despues de 2012)

昨年(2009年) 11月 に公開された映画「2012」。 太陽の巨大フレアによりニュートリノが核反応を起し 地核が 熱せられ…、 その結果地球規模の地殻変動が起こり地軸もずれて 人類は滅亡へ…。 この辺りは 「2012年終末論?」 で見た 現代のマヤ終末論者の想い描く結末に似たものになっています。

娯楽映画ですから パニックの中にも 小説家ジャクソンや地質学者のエイドリアン等 主人公達の人間愛、人間模様を絡めて ストーリーが展開していき、最後は巨大な箱舟で一部の人類と遺産を残そうとする 一大スペクタクル巨編なんですが。

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まず2009年にインドの科学者が地球の核の溶解が始まっている事を発見し、エイドリアンからアメリカ大統領へ報告、そして 各国首脳へ。 2010年には現代の箱舟計画とも言えるチョーミン計画が開始されます。 そして場面は2012年に。

映画評論ではないのでマヤとの関連に限って話を進めましょう。 2012の巨大タイトルがティカル1号神殿の画像に置き換わり、 マヤ暦信奉者達が ティカルの広場で集団自殺した と言うニュースが流され、レポーターは2012年12月21日マヤ終末説に言及 します。 これは主人公ジャクソンが寝ている部屋のテレビから流れ、ここから物語が始まっていきます。

次はジャクソンが子供たちと訪れたイエローストーン国立公園。 エイドリアンはここで地殻の観察をしていますが、地殻の溶解は 異常なスピードで進み、別の科学者が 「科学の進歩は意味が無かった、マヤ人は何千年も前から予言していた」 と呟きます。

イエローストーンには 地殻変動による終末を察知した変人チャーリーがいて、個人ラジオ局で終末論を発信しています。 ジャクソンが 彼から見せられたアニメは 「大昔にマヤ文明が初めて気づいた、地球に終末が来る。 2012年に太陽系の惑星直列が起き 太陽の発する ニュートリノが大災害が引き起こし…、2012年の冬至の日に世界は終わる」 と。

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ここまで映画はまだ始まって30分ちょっと、でもマヤに関してはおよそこれだけです。 マヤの暦だ天文だという映画ではなく、マヤは飽く まできっかけだけのパニック映画で、マヤとの関連で見ると少々肩透かしで期待はずれでした。

でも映画はまだ始まったばかり。 ここから2時間に亘り 地球の破滅と人々の避難計画がCGを駆使した大迫力画面で展開されます。  絶体絶命の危機の連続ですが、主人公は絶対に死にません。 SF娯楽超大作を楽しみましょう。



検証してみると言ってもパニック映画を検証しても仕方ありません。 娯楽映画のフィクションですが、結論的にはマヤの2012年終末説 を肯定する形で地球を大々的に壊してしまいます。 2012年12月21日はマヤ長期暦のひとつの区切りに過ぎず、ここから新しい周期に入って いくだけで 人々の生活は何等変わりなく続く筈です。 映画がマヤとマヤ暦に対する偏見を助長するとしたら困ったものです。

上の2012の世界地図。 YEAR 0001 とありますが、2012年の天変地異後の世界を描いたものだそうです。 ユーラシア大陸から南北 アメリカ大陸、オセアニアが殆ど水没し、アフリカ大陸が隆起しましたが、日本はもうありません。 DVD 購入者にネットでダウンロードの案内が あった画像です。

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2012年問題とは関係ありませんが、マヤテーマの映画としては 2006年のアポカリプトがありました。 2012だけでは、マヤ に関して消化不良なので、この映画についても少し触れておきます。

映画 アポカリプト
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                   (Pelicula "Apocalypto")

こちらは全編マヤ、セリフは全てマヤ語で字幕付きという徹底振りですが…。

平和に暮らすマヤ狩猟民の村落がマヤ巨大センターの攻撃を受け、主人公となる村長の息子 ジャガー・ポーを含めて村人達は捕虜に されてマヤの都へ。 若者達は儀式の生贄に供されますが、ジャガー・ポーの順番が来たところで突然日食が始まり儀式が取り止め、ここから ジャガー・ポーの逃走劇が始まります。

忠実にマヤを表現したとの事だったので、少しネット検索してみました。 言葉はユカテク・マヤで、出演者はマヤ人との触れ込みだが 実際はカナダ、アメリカ、メキシコの先住民系の人達で、主役ジャガー・ポーはアメリカ・インディアンの俳優だそうです。 マヤの街 や村、身に付ける衣装、慣習、立ち居振る舞い等々、マヤに熟知していなければなりませんが、著名な考古学者をアドバイザーに迎えている との事でした。

でもマヤ社会が忠実に再現されたかと言うと、首を傾げざるを得ません。 マヤの街は飽くまでティカル風、このピラミッドの傾斜は ティカルそのものです。 その壁面装飾はと言うとこれはプーク様式のチャーク像に見えます。 ティカルが栄えたのは古典期 後期まで、プーク様式はユカタンで古典期終末期から後古典期前期、ところが逃走したポーが最後に目にするのはスペイン人の艦隊、 いきなり後古典期後期の終わり、16世紀です。

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          (Ciudad Maya en "Apocalypto" y detalle de la arquitectura)

他にもおかしな点は多々ありますが、一番大きな問題は生贄の儀式の描写、これはどうみてもアステカです。 アステカ は直接スペイン人に征服され、生贄の場面もスペイン人に目撃されていてこの映画の描写に近かったようです。 マヤにも生贄の習慣は ありましたが、マヤが生贄の為に人間狩りをし、大量虐殺を行ったような史実は伝えられません。

アドバイザーは Dr. Richard D. Hansen でペテン地方研究で権威のようですが、名前を貸しただけであまり映画製作には絡まなかったの でしょうか? 結果として映画はマヤの杜撰な描写に終わっていると言わざるを得ません。

そもそもこの映画の意図するところは何なんでしょう。 マヤ文明の衰退を描く作品と宣伝されていたようですが、やたらにグロテスク なシーンばかりが目に付きました。 監督はメル・ギブソンですから、残酷なマヤ社会を描いておいて 最後にスペインの到来を示し、 キリスト教が悲惨なマヤ社会を救ってあげたのだ、とでも言いたかったのでしょうか。

マヤ社会が描かれた映画としては興味深かったですが、既に述べたように必ずしも正確に描写されている訳でもなく、この映画を見て マヤの社会がこの通りだったなんて夢々思わないで下さい。

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