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CÓDICE DRESDE   ドレスデン・コデックス
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写真はドレスデン・コデックスの復刻版(右の屏風状の本)と 復刻版と対になる J. Eric S. Thompson による解説書(左)です。  メキシコ滞在中に知り合いからプレゼントされたもので、眺めてみるには綺麗で面白いのですが、これを解読しようとすると解説書も 難解で、本棚の肥やしでしたが…。

「マヤ・トピックス」でいろいろなテーマに取り組んできたので、どこまで理解できるものかチャレンジしてみました。  解説を読みコデックスを眺めて行きつ戻りつ、調べ物をしてはと、一向に捗りませんが、およそ全貌は見えてきたので、 まずは概略の紹介から始めようと思います。

ドレスデン・コデックス復刻版 (トンプソン版)
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写真左が手元に有る 発行元FCE のトンプソンによる ドレスデン・コデックス復刻版とその解説書(西語版)で、表紙がアマテ紙模様です。  右はメキシコ土産でお馴染みのアマテ紙に描かれた彩色絵の裏を撮ったもので(表もチラッと)表紙の模様と同じです。  コデックス (=絵文書) がアマテ紙を元に作られているので、こういう表紙にしたのでしょう。

復刻版には 一番上の写真にあるように表紙の中に屏風状に折られた表裏各 39頁、合計 78頁のコデックスがあります。  大判の方が解説書で、文字ばかりで 310頁、難解な上に細かい字で苦戦です。

屏風状のコデックスは左から右へ流れていき 39頁目が終わるとひっくり返してまた左から右へ読みます。 39頁の裏が 40頁で、 78頁の裏が 1ページ目になります。 40頁と 59-61頁の計4頁は白紙で何も書かれていません。 下の図表の通りです。

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トンプソン版では上の写真に有るように上図の頁振りは ( )内に記され、( )の前に過去の通例に倣った頁振りが記されています。  少々ややこしいですが、これは屏風状のコデックスが 24頁と 25頁の間で切断されていて 古い写本では 24頁の裏が 25頁とされた 為で、慣習的には下表の通り 24頁で裏返り 25頁から白紙の3頁分を飛ばして 45頁まで進み、また表に戻り 46頁から先へと進みます。  正しいのは上図の頁振りですが、混乱を避ける為に下表の慣習的な頁振りが用いられます。 (コデックス自体に頁が振ってあれば混乱は 無かったのですが。)

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最初に復刻版を手にした時、単純にコデックスを写真にとって出版したものだと思いましたが、実はコデックスが保管されていたドレスデン は第二次世界大戦で連合軍の爆撃を受け、コデックス自体は失われる事はなかったものの水に濡れて著しくダメージを受けてしまい、 トンプソンの復刻版はダメージを受ける前に作られた別の復刻版が元になっています。

不規則な頁振りと言い、元になる復刻版と言い、何やら複雑ですが、そもそもマヤの時代の絵文書が完璧な状態で残っている筈も無く、 19世紀の復刻版でも既に頁の上の部分が多少消えてしまっています。 ドレスデン・コデックスを紐解く前に、この復刻版が出来るまでの 経緯を見てみる必要がありそうです。

ヨーロッパに渡ったドレスデン・コデックス
ドレスデン・コデックスそのものの歴史はさて置いて、コデックスがヨーロッパに渡った後、このトンプソン版になるまでの経緯を見てみます。

1519年、まだアステカ征服前ですが、エルナン・コルテスからスペイン国王、カルロス五世に新大陸からの献上品として贈られたものの中に このコデックスが含まれていたと言う説があります。 但しこれは推測で確証はありません。 確かなところでは 1739年に ドレスデンの 王立図書館長だったヨハン・ゲッツェが 旅行先のウィーンでコデックスを買い求め、1740年にその存在が図書目録に記されたとの事です。  ヨーロッパに渡ってからのコデックスの所有者は不明ですが、カルロス五世の居所はウィーンだったので、献上品が 200年以上の時を経て ゲッツェの手に渡ったのかもしれません。

ドレスデンの蔵書となった後、暫くは殆ど人目に触れる事もなく、19世紀に入り少しづつその存在が知られるようになり、メゾアメリカの 古文書の収集、復刻に熱心だったイギリス人キングスバラ卿により、Antiquities of Mexico (メキシコの古代遺産?)全9巻の中の3巻目 としてドレスデン・コデックスの全貌が紹介されます。 この出版は 1830-31年頃で、イタリア人アゴスティーノ・アグリオが原本を模写 したものでした。 アグリオは専門家ではなかったので、図像は素晴らしく模写されていてもマヤ文字はかなり不正確だったとされます。  これがドレスデン・コデックスのキングスバラ版です。

50年後の 1880年にフォルステマンにより、多色石板画で所謂フォルステマン版が出版され、こちらはマヤ文字が正確に模写されていると されますが、50年の間に展示等でオリジナルが色褪せた為に、図像はキングスバラ版が優れ、文字の方はフォルステマン版が正確との 事です。 1932年のゲイツ版ではマヤ文字を活字にしてしまった為、異なる書記により描かれたコデックスのマヤ文字が画一化してしまったようです。

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キングスバラ版とフォルステマン版をコデックスの4頁で比べてみました。 左がキングスバラ、右がフォルステマンです。 見比べると 上の説明が納得できると思います。

フォルステマン版は 1892年に第二版が出版され、キングスバラ版とフォルステマン第一版では、間違って 1-2頁 と 裏の 45-44頁 がひっくり 返っていたものが、第二版では正しく訂正されたそうです。 ドレスデン・コデックスは 2頁と 24頁の後の 2箇所で切断されていた事に なります。

キングスバラ版もフォルステマン版も限られた部数しか発行されず、その入手は困難ですが、 嬉しい事に、FAMSI (Fundación Para El Avance De Los Estudios Mesoamericano, Inc.) という財団が ウェブ上でキングスバラ版と フォルステマン版の両方を無料で公開してくれており、両版共に全頁が PDF版で入手可能です。 FAMSI (メゾアメリカ研究促進財団?)は フロリダに本拠がある組織で、研究の助成も行っており、メゾアメリカ研究者には有り難い組織です。 因みにマドリー・コデックス、パリ・ コデックスも同じ所からダウンロード出来ます。

さてやっとトンプソン版です。 J. Eric S. Thompson は、1898年生まれのイギリス人で 20世紀を代表するマヤ考古学者、碑文学者であり、 彼の手に成るドレスデン・コデックスのトンプソン版は彼の晩年の成果になります。 イェール大学図書館から提供を受けた 1892年の フォルステマン第二版のモノクロ版をベースに、彼の永年の研究の成果を踏まえ、フォルステマン版では消えてしまっていた色も含め、赤黒で 記された一部の数の誤りも訂正して色付けを行い、ドレスデン・コデックスとしては可能な限り正確さを期したとの事です。

英語版が 1972年に 1,000部出版され、その後絶版になりました。 1975年に叙勲を受けますが同年に他界します。 スペイン語版は彼の死後、 1983年に 5,000部印刷され、FCE の50周年記念出版として翌年出版されました。 解説書の方は 1988年の印刷で数量も同じく 限定 5,000部、手元にあるこの西語版もなかなか貴重なもののようです。 原典と同様に屏風仕立てで作られているので、全体の作りを 理解するのにも大いに役立ちました。
(FCE = Fondo De Cultura Económica、文化経済基金? メキシコ政府系の出版社です。)

ドレスデン・コデックスの内容は?
少し回り道をしました。 ドレスデン・コデックスの中身に話題を戻しましょう。

ドレスデン・コデックスには何が書いてあるのでしょうか? 全て読めれば失われたマヤの古代文明を知る大きな手掛かりになるのですが、 まだマヤ文字が全て読めるようにはなっていない事に加え、コデックスでは消えてしまった部分もあり、詳細は不明の部分が多いようです。

マヤ文字が表意文字と表音文字の混ぜ合わされたものと判り解読が進みましたが、トンプソン氏はマヤ文字=表意文字説を唱え、表音文字説を 否定した研究者でした。 表音文字説を否定した為に彼のドレスデン・コデックスの解釈がどれだけ損なわれているか判りませんが、解説書の 中の全体のまとめを見る事で凡そ何が書かれているのか判るでしょうか。

トンプソン氏の解説書のまとめによれば、全体が11のまとまりに分けられています。

 1. 種々の暦 I  Almanaque diversos I    1-16頁
 3. 種々の暦 II  Almanaque diversos II  22-23頁

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暦と言っても 260日暦(ツォルキン暦)を基にした、各種の占い、予言です。 「種々の暦」の所では4頁目以降が1頁が3段に分けられ ますが(上の図の通り)、全体では4段や2段の頁もあり、段分けがなく上から下までまるまる1頁使っている頁もあります。
各頁に振って ある番号は暦の番号(解説書による)で、暦 38、45、46 が納まりきれずに次の「月の女神」の後に続けられているのは興味深いです。 3頁の下半分が白紙になっていますが、ここに入りきらなかったのでしょうか。 研究者によると筆跡などからコデックスは8人の異なる 書記の手になるようで、およその頁配分をした上で分業していったようです。

 2. 月の女神  La diosa de la luna   16-23頁
 4. 金星     El planeta Venus    24頁、46-50頁

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 5. 月の表         Tablas lunares   51-58頁
 6. 78の倍数       Múltiplos de 78  58-59頁
 7. カトゥン(20年)の予言  Profecía de Katún  60頁      ここまでが表面です。

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 8. 蛇の間に書かれた数字と、 260日 x 7 の暦
    Los Números de Serpientes y los almanaque de 7 x 260    61-73ページ

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 9. 大雨      Un aguacero torrencial     74頁
10. 新年の儀礼  Ceremonias de Año Nuevo   25-28頁

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11. 農民の暦   Los armanaques de los campesinos   29-45頁

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以上が11項目に分けられた中身の、頁配分と夫々の暦の並びです。 各項目について何が書かれているのか、うまくまとめられたら 良いのですが、とても簡単にまとめられるものでもありません。 ( 内容が充分理解出来ていない上に、専門家の人達ですら読みきれていない!)

ツォルキン暦の予言の読み方
暦の予言の中味はよく判りませんが、暦 22 がコンパクトで取り組み易そうなので、これを例にとって暦の仕組みを見てみましょう。  暦22は 1.種々の暦 I の 13-14頁中段にある暦で、下の画像の部分です。

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暦は 260日暦の祭事・儀礼に用いられる ツォルキン暦 で、 日にちを表わす部分を赤と青の枠線で囲んでみました。

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赤枠の中が基準となる日付で、 (赤字で書かれた点と棒がひとつづつ) と ツォルキン暦の日の名前で 上から アハウ、エブ、カン、キブ、ラマットの 5文字が見えます。 この暦では 6 アハウ、6 エブ、6 カン、 6 キブ、6 ラマット の5つの日付が 基準である事を示します。

青枠の中は全て数字で 黒と赤で交互に書かれた数字は、黒が日と日の間の日数を表わし、赤はツォルキン暦の13進法を調整した日にち になります。

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少し判りにくいですが、基準になる 13 (青枠の最初の数字、点3つに棒2本) 日後が、ツォルキン暦は13日で一巡りなので 6 + 13-13 =  6、 これが青枠の2番目の赤の数字になります。 続けて同様に、    6 + 9-13 =  2
                          2 + 7    =  9
                          9 + 7-13 =  3
                         3 + 7    = 10
                        10 + 9-13 =  6

これが 上の表の一番上の欄の仕組みで、 6の13日後が 6、この6の9日後が 2、 その7日後が 9 ……… といった次第です。 青枠の中にある黒で書かれた6つの数字の合計は 52になり、暦の赤枠の5つある日を掛け合わせると 52 x 5 = 260日で、ツォルキン暦の一年をカバーする事になります。
1から13までの数字は 20ある日の文字と組み合わされるので、 6, 2, 9, 3, 10, 6 は 上表の3段目、 6 Ben, 2 Ik, 9 Muluc、 ……… 6 Eb となり、これが1セットの予言。 同じ予言が 6 Ben から始まって 最後の欄の 9 Ahau まで 5セット繰り返され、 6 x 5 = 30日で、暦 22は ツォルキン260日中 30日が予言の対象と言う 事になります。

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上はツォルキン暦の一覧表です。 Imix ~ Ahau の 20日が、1から13までの数字と組み合わされて、260通りの異なる日の名前で260日暦を 構成しますが、この一覧表に、予言の対象になっている 6 Ben から 6 Ahau を重ね合わせました。 赤から紫で示した1セットの予言の日が、5回 繰り返されるのが判ると思います。


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             (予言1: 死の神、     予言2: トウモロコシの神、   予言3: C 神)
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         (予言4: バカブ神、      予言5: Q 神、         予言6: D 神)

さて肝心の予言の中身ですが、6種類の予言が黒赤の数字の上にある4つの神聖文字と 数字の下の神の図像によって示されます。 暦 22では、異なる神々が一様にトウモロコシを表わす文字を手に持っている為、トウモロコシに関連した予言とされます。

予言 1 :  図像はナイフを身に纏った死の神が手にトウモロコシの文字を持ち、4つの
        文字にはトウモロコシの穂、死の神、多くの死等が書かれている。
予言 2 :  図像はトウモロコシが生えてカカオの鞘がついた鳥の頭飾りをつけた トウモ
        ロコシの神がトウモロコシの文字を持ち、最初の二文字は予言 1と同じで、
        更にトウモロコシの神と、後継者か褒賞者が書かれている。
と言うような事がトンプソンの解説書に書かれていますが、ではそれが何を予言しているのか、よく判りません。 なので予言 3-6の説明は省きます。  全体としては、トウモロコシの収穫日の良し悪し等が予言されているように思われます。

暦ひとつとっても、これだけ解釈が難しいので、全体を読み解くのは至難でしょうか。

ドレスデン・コデックスの起源
現存するドレスデン・コデックス自体は、後古典期にユカタン半島で作られたものとされますが、後古典期になって初めて作られたのではなく、 古いコデックスがあり、それを元にして書かれたと考えるのが妥当のようです。

マヤ神聖文字の歴史は古典期前期末に遡り、実際 グアテマラのウアシャクトゥン、ベリーゼのアルトゥンハ、 ホンジュラスのコパン等で、コデックスと思われるものが着色された石灰の塊となって発見されているそうですから、古典期からコデックスが 存在した事は間違いなさそうです。

マヤ中部、東南部の主要センターは古典期末期には姿を消し、コデックスも失われたでしょうが、古典期の伝統は何らかの形でユカタン半島 の後古典期のマヤセンターに引き継がれ、ドレスデン・コデックスやパリ、マドリー・コデックスに姿を変えて行った事が想像されます。

マヤ・コデックスの役割
マヤの社会では、王侯貴族、聖職者が政治、祭事、軍事等を司り、農業、狩猟等を行う一般民衆を支配下に置いてきました。  文字はその王達 特権階級の占有物で、暦や天文を操り、そこから引き出される 祈り、占い、予言は一般民衆を統治する手段であり、 これを形にしたのがドレスデン等のマヤ・コデックスだったと思われます。

仰々しくジャガーの毛皮で表紙がつけられたコデックスを手に、ピラミッドの上から 集まった民衆を前に、祈り、予言を告げる様子が 目に浮かぶようです。 コデックスはこうした儀式の他に、戦争を始める際の作戦会議や、農業・狩猟、或いは病気の治療を相談に 来た民衆を前に紐解かれ、統治を行う上での虎の巻のような存在だったでしょうか。

コデックスが統治のツールであったとすると、有力なセンターが割拠したマヤ社会にあっては、センターの数だけコデックスが存在した 可能性があります。 度重なるコデックスの使用で、コデックスが汚れ、屏風状のコデックスが傷み、破れてくると、新しいコデックスに 書き換えられ、不要になったコデックスが副葬品として墳墓に納められた事でしょう。

古典期マヤ王朝は9世紀末には滅亡し、残念ながら当時のコデックスも失われてしまいましたが、後古典期のユカタン半島マヤセンターに その伝統が受け継がれたのが、ドレスデンを始めとするマヤ・コデックスとして今日に伝わったものと考えて良いのではと思います。

最後は少し創造逞しくなりましたが、およそこんなところでしょうか。

マヤ・コデックスに登場する神々
どうもまとまりが無くなりました。 最後にドレスデン・コデックスに登場する神々を見て、このページを終わりにします。  世の中の動きを時の流れの中で繰り返されるものと信じ、太陽の神や、水の神、そして死の神(凶)等で予言を表わし、それを信じる。  マヤの人達の発想の一端を垣間見るようです。

もう少しそれぞれの暦が理解できたら、続編を書いてみたいのですが……。

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       P 神 (手に蛇を持っている。)  B 神 水の神チャーク     N 神 バカブ
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       Q 神                C 神             G 神 太陽神 キニチ・アハウ
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       R 神                H 神?                A’神 死の神
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       L 神 7の神          (耳を噛まれた犬)         K 神
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       A 神 死の神       (ジャガー、頭にシンボルのアヤメ)  (擬人化されたハゲワシ)
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       D 神 創造神 イツァム・ナ  目に包帯をした神      E 神 トウモロコシの神
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      (擬人化された鳥ムアン)   A 神 死の神           D 神 創造神 イツァム・ナ
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       I 神(左)月の神イシュチュルと N神 バカブ   A 神を背負った I 神 イシュチュル


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