CHALCATZINGO - OLMECA DE ALTIPLANO DE MEXICO
チャルカシンゴ遺跡 - メキシコ中央高原のオルメカ
メソアメリカの母なる文明と言われる
オルメカ文明は、1200 - 400BC
の先古典期 前期から中期にかけてベラクルス州とタバスコ州の州境を中心に栄えた古代文明です。
チアパス州の
イサパ を経てマヤ地域に伝わり、マヤ文明にとっても
母なる文明だったという説が唱えられた時期もあり、その後オルメカ文明とは起源を異にする
エル・ミラドール遺跡 等の存在が確認されて
単純なオルメカ起源説は否定されますが、それでもマヤ文明に大きな影響を与えた文明である事には変わりありません。
メキシコ市南のモレロス州にオルメカ時代のチャルカシンゴ遺跡があり、前々から気になっていましたが、今回たまたま時間があり
足を運んでみました。
切り立った小山の中腹から見下ろすと麓に遺跡が広がります。 (訪問日 2014年4月21日)
チャルカシンゴ Chalcatzingo
メキシコ市を車で出発し、順調に高速を飛ばして2時間ちょっとでチャルカシンゴ遺跡に到着。 久し振りのメキシコ市なので 運転手付きの車を
手配して楽させて貰いました。
(Estacionamiento de Chalcatzingo con Cerro Delgado y Cerro Chalcatzingo)
遺跡の駐車場。 写真を撮っていなかったので Google の Street View の画像をお借りしています。
モレロス盆地にある 切り立った小山、左がデルガード、右がチャルカシンゴで、ふたつの山が創り出すV字型は大地の割れ目のようで、
世界が生まれ出た 聖なる場所と考えられたそうです。
(Oficina de Sitio de Chalcatzingo con el Cerro Delgado atrás)
右が遺跡の管理事務所で、中央のデルガード山の下の円形ピラミッドはオルメカの後の時代のものになるので後回し、
まずオルメカ時代の石造物を探します。
(Breve explicación del sitio)
これは遺跡の看板で、石に刻まれたオルメカの彫刻の模写が添えられていますが、まずはこの石彫り探しです。 事務所の管理人の説明に
従い、南に向かってチャルカシンゴ山を登っていきます。
(Ubicación de los monumentos)
石造モニュメントの位置を数字で示しました。 P は駐車場、E は管理事務所で、E をスタートしてチャルカシンゴ山の
中腹にあるエリア I A を目指します。
エリア I A Area I A
(Monumentos bajo techado en el Area I A)
標高 1000m を超すので少し息切れしますが、最初のモニュメントに到着。 1932年に激しい嵐で中腹の土砂が洗われて石彫りが露出した
のがこのエリア I A で、1934年になって世の中に広く知られるようになったそうです。
(Monumento 1, El Dador del Agua)
石の階段を登り切って正面にあるのが、「王」 と 通称されるこのモニュメント 1 で、遺跡では 「水を撒く人」 と言うようなタイトルが
ついていました。
(Monumento 1, El Dador del Agua)
(Réplica del Monumento 1 en Museo Nacional de Antropología)
現地で撮ったモニュメント 1 のクローズアップ写真と、下はメキシコ市の人類学博物館中庭にある複製です。 現地では天気に恵まれたのは
良かったのですが、日差しが強くて写真にはコントラストが強過ぎ。 特に半分屋根の下、半分太陽の当たる所と言うのは厄介です。
上の日陰の部分に雲が描かれているので日陰部分を明るくして無理矢理 繋いでみました。
(Reproducción del Monumento 1)
でもやはり刻まれた図像を見るには模写の方が有用です。 洞窟の中に座っている王、或いはジャガーの口の中にいる王の前から渦巻きが
沢山伸びているのは祈りの言葉でしょうか? 空に浮かぶ3片の雲からは雨が滴り落ちているようです。 後のマヤでも王は両手で王の印で
ある笏のようなものを抱えた姿で表されますが、800-500 BC のチャルカシンゴでも同じだったでしょうか。
(
図像の模写 はこちらからお借りしました。)
(Monumento 14, La Fertilidad)
茅葺き屋根はモニュメント 1 から直角に折れて左側に続き、長い岩肌を覆っています。 ここにはモニュメント 11、8、14、15、6、7
と番号が振られた一連の彫刻があったそうですが、遺跡で実際にそれと認められるのは 「豊穣」 と題されたモニュメント 14 だけで、良く
見れば痕跡くらいあったのかもしれませんが、他は殆ど風化してしまったようです。
(Reproducción del Grupo de del Agua Danzante)
ウェブで調べると
模写が見つかりました。
モニュメント 1 から全ての石彫りに雨のしずくが描かれていて、「踊る雨のグループ」 と呼ばれるようですが、雲に雨粒、動物、植物の
葉と蔓が描かれ、全体として雨を祈願し豊穣を願ったものと理解できそうです。
(Monumento 14)
モニュメント 14 のクローズアップ。 見方によっては陰刻されているようにも見えてしまいますが、浮彫りされています。
(Piramide redonda observada desde Area I A)
エリア I A は遺跡事務所からほぼ南方向なので、丸いピラミッドを側面から眺めおろせます。
エリア I B Area I B
エリア I A を後にして エリア I B に向かいます。 多少アップダウンはありますが、チャルカシンゴ山の中腹を道なりに
北東へ。
(Arbol de Amate en la ladera del Cerro)
途中 岩肌に白い根を絡みつけて伸びる、一風変わった木が生えていて、聞くとこれがアマテ紙の材料になるアマテの木との事でした。
アマテ紙は
マヤ・コデックス にも使われていた紙ですが、木を見るのは初めてでした。
遺跡の中には何本もこの木が見られましたが、それにしても凄い生命力です。
(Escalinata de mampostería de la época de Azteca)
暫く行くと石の階段が見えてきました。 オルメカの時代のものかと思ったのですが、後で調べると後古典期のアステカの時代のものに
なるようです。
(Monumento de la época de Olmeda en el adoratorio)
階段を登り切ると上にはオルメカのモニュメントがあり、階段に繋がる祭壇に祀られているかのようで、アステカの時代にも信仰の
対象になっていたようです。
(Monumento 2, Danza de la Fertilidad)
これはモニュメント 2 で、遺跡では 「豊穣の踊り」 というタイトルが付けられていましたが、「オルメカ人の行進」 と説明する資料
もあります。 モニュメント 2 は古くから知られるチャルカシンゴでも代表的な石彫りで、モニュメント 1 同様 人類学博物館に複製が展示されます。
(Reproducción del Monumento 2)
模写を見てみましょう。 4人の人物が描かれ、頭飾りを被り鳥の面?をつけていますが、右側の一人だけ足を伸ばして横たわり
仮面は後頭部にまわして顔が現れています。 3人は踊っているようですが、豊穣の踊りなのか、それとも戦争に関連したものなのか。
3人が持っているのは武器なのか農耕具なのか、いろいろ解釈は分かれるようです。 個人的には豊穣の踊りに一票。
(Monumento 31, Felino Agazapado)
モニュメント 2 の先に石碑状の石造物があり、オルメカに特徴的なジャガーが彫られています。
(Monumento 31 y su reproducción)
遺跡ではこのモニュメントのタイトルは 「身を潜めるジャガー」 と言うような感じになっていましたが、模写を見るとジャガーの下に
人が居ます。 雲と雨の滴も彫られており、ジャガーに襲われている人は豊穣祈願の為の人身供犠を表している と言う説もあるそうです。
モニュメント番号は 31 です。
(Tríada de los Felinos)
モニュメント 31 の隣にジャガーが3匹並んだ石彫りがあります。 これは 2011年に発見された最も新しいもので、これで モニュメントは
41個になったそうですから、モニュメント 41 という事になります。
(Tríada de los Felinos, Monumento 41)
11個の破片を繋ぎ合わせて修復したもので、幅 3.2m、高さ 1.6mで、重さは 1.5 トンになるそうですが、類似のモニュメント 31 の方が
高さはあります。 ジャガーも雲も モニュメント 31 と似ているので、もともとひとつのものだったようにも見えますが、どうでしょう?
(Monumento 3)
さらにモニュメントが続き、これはモニュメント 3 です。 側面は穴が開いて大分風化が進んでいます。
(Monumento 3 y su reproducción)
後で模写の助けを借りて、下にジャガーが刻まれているのに気付きました。 モニュメント 31 と同じだとするとジャガーの下に
人が描かれていたかもしれません。
(Monumento 4, Linaje de los Gobernantes)
モニュメント 3 のすぐ隣にモニュメント 4 があり、「支配者たちの家系」 と言うタイトルになっています。
(Reproducción de Monumento 4)
でも模写を見ると二人の人がジャガーに襲われています。 生贄なんでしょうか。 この画像はは遺跡の看板にあった模写を拡大しました。
(Monument 5, La Creacion del Hombre)
更にモニュメントが続いて、これはモニュメント 5 です。 タイトルは 「人類の創造」 ですが……。
(Monumento 5 y su reproducción)
模写を見ると雲の上で爬虫類が人を貪り食っているようです。 メソアメリカでよく見られる羽毛の生えた蛇の原型とも考えられるそうです。
(Monumento 13, El Gobernador Sacerdote)
チャルカシンゴ山の中腹にあるモニュメントは以上で、少し降り始めた所にもうひとつ モニュメント 13 があります。
かなり風化して掠れていますが、模写を見るとモニュメント 1 と同じ、洞窟に入った王のようです。
チャルカシンゴは 1972年に発掘調査が開始され、 1987年に発行された 「古代チャルカシンゴ」 という 571ページの本はウェブで公開されていて、
とても参考になりました、勿論飛ばし読みですが。 87年時点でモニュメントは 30番迄で、その後発見が続いて 2011年の3匹のジャガーの 41番
になります。 番号順なので、13番は 87年以前から地上に露出していた事になり、風化していても仕方ないかもしれません。
本はこちらからダウンロードできます。
ANCIENT CHALCATZINGO (1987, David C. Grove, editor, University of Texas Press, Austin) 絶版になり、ウェブ上で公開されて
いるようです。
エリア IV Area IV
(Reproduccion de Tumba 1 de Estructura VII)
エリア I B から エリア IV に向かいます。 写真のデルガード山の手前が エリア IV です。
(Reproduccion de Tumba 1 de Estructura VII)
エリア IV はデルガード山と麓の排水路の間で、建物跡が発掘された一角があり、ここにモニュメントが残されます。 発掘作業の
為にモニュメントの位置は動かされているものもあるようです。
(Monumento 27, Estela del Cazador)
まず発掘された建物正面にあるモニュメント 27、猟師の石碑というタイトルになっています。 両側に縁取りがあり、
これまで見てきたモニュメントとは様式が少し異なりますが、これも 800-500 BC となっているので、やはりオルメカ時代になります。
この石碑は発掘された建物に付属し、場所は動かされていないようですが、残念ながら大きく割れて、猟師の顔がある部分は喪失されています。
(Monumento 25, Altar Redondo)
(Monumento 26)
モニュメント 27 の左の方 (西向きの建物は北の端) にモニュメント 25 の円形祭壇があり、右の方にはモニュメント 26 の
石碑の基部があり、これ等はもともと石碑と祭壇のセットになっていて、メソアメリカで最も古い例になるそうです。 ともに彫刻されていますが、
石碑は断片で模写は見当たらず、何が表現されているのかよくわかりません。
エリア III Area III
(Area III y vestigio de estructura Olmeca excavada)
エリア III は エリア I の北側で、修復されたピラミッドや球戯場を含む平地部を広くカバーしています。 写真の建物の
発掘跡は、 エリア I から降りて西側にあるもので、奥に円形ピラミッドが見えています。
(Monumento 9) (Réplica en MNA) (Parte de Monumento 1)
モニュメント 9 は盗掘されて現在はニューヨークの博物館にありますが、この辺りで発見されたようです。 首都の人類学博物館には
庭に出るドアの外側にこのレプリカが置かれています。 十字型に開いた穴の上に一対の目があり、大地の怪物を表しており、穴の縁取りの形状と
角の外側に植物が配されて点は、モニュメント 1 と 13 と全く同じで、大地の怪物を横から見たものと考えてよいようです。
(Juego de Pelota en el Area III)
モニュメント 9 のあった建物跡の先に球戯場が修復されており、その先は芝で整備された広い遺跡公園になっています。
(Parte de Estructura Olmeca y Altar)
公園の北端に建物跡が発掘され、発掘物を保護する茅葺き屋根もありますが、広い公園にはオルメカ時代の建物がまだ眠っているのでしょうか。
写真は建物跡とモニュメント 22 が保護された屋根を西側から見たところで、奥にあるのは東側のデルガード山です。
(Altar Olmeca)
同じ建物跡と茅葺き屋根を北側から見ると南奥の背景はチャルカシンゴ山に変わります。
(Monumento 22, Altar-Trono Olmeca y su reproducción)
茅葺き屋根の下はこれで、建物北側の壁面に高さ 1m 程のテーブル上の祭壇が設けられています。 巨石の彫刻ではなく、建物の一部のように
作られていますが、切り石の正面に大地の怪物の彫刻が施されています。 大地の怪物は、口はありませんが一対の目と眉毛で
表現されます。
(Monumento 21, Estela de la Reina)
エリア III の最後は 王妃の石碑と呼ばれるモニュメント 21 です。 遺跡にはモニュメントの表示は無く、遺跡公園の隅ですが
周りに遮るものがないので雨風の影響を直接受けそうです。 風化してしまったのか一応写真を撮りましたが、図像が見当たらりません。
(Monumento 21 y su reproducción)
ウェブで調べてみたところ、
写真と模写がでてきました。 有名な考古学者の撮った写真が 遺族によって公開されているようです。 現地で撮った写真は
明らかに裏側です。 でも反対側に読み取れる図像があったかどうか? どなたか行かれたら確認して写真を撮って頂けたらと思います。
彫られているのはスカートを穿いた女性であることから、王妃の石碑と呼ばれるようです。
テオティウアカン時代の建造物 Estructuras de la época teotihuacana
チャルカシンゴはラ・ベンタと同時代になる 800-500 BC 頃にオルメカの交易路の要衝として、また信仰上の拠点として重要な位置を占めていたと
考えられますが、オルメカ衰退後も放棄される事なく、古典期にはテオティウアカンの、また後古典期にはアステカの支配を受けたようで、
遺跡にはテオティウアカン時代の建造物が修復されています。 (調査の結果、建造物はテオティウアカン III 期から IV 期、450-750年 に
あたるものとされ、まだ修復されて日が浅く、見た目にも新築です。)
(Juego de Pelota)
最初に球戯場です。 前述の ANCIANTE CHALCATZINGO によると、テオティウアカンの時代はチャルカシンゴ山の反対側の
ラス・ピラス遺跡 がテオティウアカンの主要な拠点だったという事ですが、
結構規模の大きな球戯場です。 またテオティウアカンでは球戯場のマーカーは出土していますが、球戯場自体は見つかっておらず、
テオティウアカン時代の球戯場と言うのは何とも興味をそそられます。
(Foto panorámica con las principales estructuras)
球技場と他の建造物の位置関係は、上の方の Google の地図を見ると明らかですが、二つの山をバックに写真を合成してみました。
かなり歪んでしまいますが…、東の方角に球戯場とデルガード山、南の方角に中央広場に上がる階段とその左に円形のピラミッドの側面が
見え、奥に聳えるのがチャルカシンゴ山です。
(Escalinata que condece a la Plaza Central)
合成写真の右側、広場に上がる階段と円形ピラミッドにチャルカシンゴ山です。 階段の手摺り部分はかなり幅が広く、テオティウアカンでは
目にしない様式です。
(Estructura 1 de Plaza Central, Pirámide Redonda)
円形ピラミッドは西向きに建てられ、九層に作られた基壇は 九層の冥界というマヤの信仰に合致します。 遺跡の管理人から、このピラミッドは
登らないでくれ、と言われましたが、良く見ると中央の階段は上の方がまだ完成していません。 いつ完成するのでしょう? ピラミッドの高さは
9m あります。
(Estructura 1 de Plaza Central)
円形ピラミッドの正面です。 広場の中央に小さな矩形の祭壇を伴い、ピラミッド上部には神殿跡があります。 ピラミッドの後方にはふたつの小山で
作られた窪みに青空が広がりますが、後ろは東になるので、この方向から太陽が昇ってくる筈です。
円形のピラミッドと言うのはテオティウアカンでは見られない形で、
先古典期の
クイクイルコ の円形ピラミッドの他、後古典期になると
風の神の神殿としていろいろな遺跡で円形の建造物が作られますが、古典期の建造物としてはあまり例が無いように思います。
(Estructura 2 de Plaza Central)
円形ピラミッドが建造物 1、中央広場の南側に修復されているこのピラミッドが建造物 2 で、球戯場からここまでが修復されたテオティウアカン時代
の建造物 全てです。 このピラミッドが唯一テオティウアカンの様式に少し似ていると言えるでしょうか。
アステカ時代の建物は、既に上の方で見たモニュメント 2 に繋がる階段の他、チャルカシンゴ山の裏に当たるテトラ山の中腹に見つかっているようです。
(Oficina de Chalcatzingo con el Cerro Delgado atrás)
一回りしてスタート地点の遺跡の管理事務所へ戻ってきました。 石造モニュメントはオルメカ時代で、修復された建造物はテオティウアカン時代
というのは少しわかり難いですが、テオティウアカンの建造物はオルメカの遺構の上に作られているようです。 またオルメカ時代の
建物は基部を残すだけなので、修復にはならないのでしょうか。
その他のエリア Otras Areas
駐車場に戻る途中にもうひとつモニュメントがあると聞き、探してみました。
(Vestigio de edificio con monumento de Olmeca)
少し脇道にそれた所に茅葺き屋根があり、建物の遺構もあるようです。 (地図に 19 と印してあります。)
(Monumento 19)
屋根の下には長さ 1m 強の巨石があり、図柄は彫り込まれていませんが、表面を綺麗に削り取ってあります。 儀礼に用いられたものか、或いは
生活用具なのかよくわかりませんが、モニュメント 19 として登録されています。
チャルカシンゴ遺跡は以上ですが、最後にオルメカ時代の周辺地域の遺跡について考古学誌 Arqueología #87 Sep-Oct. 2007 で触れられていたので、
自分の勉強の為にも簡単に見ておきます。
これは #87 から周辺地域のオルメカ文化の広がりを示す地図をスキャンしたもので、西はメキシコ州 トラティルコ、
トラパコヤ、モレロス州チャルコシンゴから
ゲレロ州テオパンテクアニトゥラン、オアハカ州の
サン・ホセ・エル・モゴーテ、東はチアパス州の太平洋岸から中部地区、更に
グアテマラの太平洋岸地域を通ってエル・サルバドルの
チャルチュアパ まで、メソアメリカ地域の東西に広くその痕跡を
残します。
ゲレロ州の遺跡は未訪問ですが、テオパンテクアニトゥラン遺跡(Teopantecuanitlán) にはオルメカのジャガー神を刻んだ巨石が見つかっている他、
オソトティトゥラン(Oxotothitlán) 洞窟や フストラウアカ (Justlahuaca) 洞窟の彩色壁画など、オルメカ関連でも見るべきものが多いようです。
チアパス州南部と中部にもオルメカの遺跡が沢山ありますが、主だった石造物は州都 トゥーストラ・グティエレスの
チアパス地方博物館 で見る事ができます。
グアテマラは アバフ・タカリク(Abaj Takalik)や エウ・バウル (El Baul) が有名で、こちらはかなりの石造物が現地に残されているので、
一度行かなくてはなりません。