セクション分けされた展示の中で、時代を追って整理されているのが唯一この《人々の定住》セクションで、博物館の中核をなす展示と言える
でしょうか。
(Panel de Cronología de El Salvador precolombino)
これが博物館にあるエルサルバドルの年代表。 一番右側にエルサルバドル社会に影響を及ぼした火山活動が示されます。 先古典期からの時代区分は
マヤの周縁部である事や、火山活動の影響もあってか、メキシコやグアテマラの時代区分とやや異なります。 (年代表は画像クリックで拡大でき
ます。)
(Tabla de comparación de cronología)
メキシコ(国立人類学博物館)とグアテマラ(国立考古学民俗学博物館)の年代表と比較してみました。 それぞれの国の学会の見解が違うので
しょうか。 先古典期、古典期、後古典期の区分は同じですが、年限が微妙にずれています。 古典期中期と言う聞きなれない区分があり、
遺跡としては世界遺産のホヤ・デ・セレンがおよそこの時代に当たりますが、中期と言う表記は博物館での説明でもついぞお目にかかりませんでした。
(比較表も画像クリックで拡大できます。)
(Sitios arqueólgicos del período preclásico)
時代を追って先古典期から。これは博物館にある先古典期の遺跡の分布図で、遺跡のおよその位置が確認でき便利でした。 (画像クリックで拡大
できます。) 遺跡は 3. Trapiche-Casa Blanca と書いてあるタスマルエリアを中心にグアテマラ寄りの西部にまとまっています。
博物館にはあまり先古典期の遺物は無く、タスマル遺跡やカサ・ブランカ遺跡に併設された博物館に重要な遺物は現地保存されています。
(Piedra de Las Victorias en el Parque arqueológico de Tazumal)
例えばこのラス・ビクトリアスの石と呼ばれるオルメカ風の先古典期の石彫りはタスマル遺跡にあります。 詳しくは
カサ・ブランカ遺跡 と
タスマル遺跡 のページを
参照ください。
(Altar rectangular de Quelepa)
分布図で唯一エルサルバドル東部にある先古典期の遺跡、ケレパ(地図で8番)からの石造物が博物館の裏庭に置かれていました。 四角い祭壇との事で、
正面(写真上)はジャガーの彫刻で、他の面には幾何学模様があるそうです。 どういう文化なのか、マヤ地域とは多少離れて
いるので、別の文化かもしれません。
(Rocas con gravados antiguos)
裏庭に面した通路に変わった彫刻が施された石が全部で 10個位並べてあり、古代の彫刻された岩、との事です。 これが先古典期かどうか
わかりませんが、取敢えずここで紹介しておくことにしました。 素性が気になります。
(Escultura de Jaguar, Ahuachapán) (Figurilla antropomorfa, La Libertad)
他に先古典期のものとしては写真左のジャガーの彫刻(グアテマラ国境のアウアチャパン県)と女性の土偶(ラ・リベルタ県)が展示されていました。
国立博物館の割に先古典期の展示は貧弱で、タスマルとカサ・ブランカの併設博物館の方がずっと充実しています。
(Sitios arqueólgicos del período clásico)
次にエルサルバドルの古典期。 遺跡の分布図は画像クリックで拡大できます。 古典期の展示物は先古典期と比べると充実しています。
(La Reina de Tazumal)
タスマルの聖母と呼ばれる古典期の石像は 19世紀末に発見され直ぐに国立博物館へ移されました。 裏庭の建物に面したところに正面を内向きにして
建てられていて、左の写真はその背面。 午前中は逆光で写真が厳しく 画像処理したのが中央の写真で、古い写真と比べると大分風化してしまっています。
タスマルの聖母の説明は タスマルのページにあります。
(Cerámicas policromadas, Tazumal)
タスマルの発掘で出土した彩色土器が2点、タスマルの代表的な遺物として展示されています。
タスマル遺跡の詳細はこちら。
(Sección de San Andrés)
エルサルバドルの古典期の遺跡で最も知られたサン・アンドレスからの展示物です。 サン・アンドレスは遺跡公園として整備され、併設の博物館も
完備していますが、首都の博物館にも選りすぐった展示がありました。
サン・アンドレス
遺跡の詳細はこちら。
(Sección de Joya de Cerén)
マヤのポンペイとして有名な世界遺産のホヤ・デ・セレンからは彩色皿や壺が展示されています。 上の二点と下の左側が国立博物館の展示で、下右は現地の
併設博物館にある複製です。(複製も良く出来ています。) ホヤ・デ・セレンの一番の見どころは やはり火山灰に埋もれていた住居や当時の生活の様子
を伝える遺物で、これは
ホヤ・デ・セレンのページ を見てください。
(Cerámicas desde Cerrón Grande, Chalatenango)
遺跡公園としては整備されていませんが、他にも古典期の遺跡がいろいろあるようです。 この3点はセロン・グランデ貯水池北と書かれていました。
遺跡分布図にその名前はありませんが、調べてみたところ貯水池はおよそ分布図6番辺りのところにあるようです。
(Cerámicas desde Madreselva y Asanyamba)
分布図8番のマドレセルバ遺跡や 12番アサンヤンバ遺跡の出土物も紹介されています。
(Vaso, Madreselva) (Vaso, Nuevo Cuscatlán) (Cajete, Nuevo Cuscatlán)
マドレセルバは首都サンサルバドルの南西郊外で、左の二色線刻土器はマドレセルバからのもの。 中央と右のものもマドレセルバ近郊です。
(Vaso de tipo salúa, Asanyamba) (Vasos y pitos, Asanyamba)
アサンヤンバはエルサルバドルの最東端で、この辺りはもうマヤ文化圏を外れている所だと思います。 左はアサンヤンバからの土器で、三足二色の「サルア」
土器と説明がありました。 右の土器、土偶もアサンヤンバからのものです。
(Cerámicas y dibujo de sitio Cara Sucia)
アサンヤンバの正反対、エルサルバドル最西端のカラ・スシア遺跡が想像復元画と共に紹介されていました。 分布図の1番でグアテマラ国境沿いの海岸地帯
にあります。 グアテマラのエル・バウル遺跡を中心とするコツマルグアパ(若しくはコツマルウアパ)文明の東端にあたる遺跡だそうで、ピピル人の遺跡
になるようです。
コツマルグアパ文明と ピピル人については充分解明されておらず謎の部分が多いようですが、少なくともこのピピル人の影響が次の後古典期のエルサルバドル
の社会に繋がっていったと考えられそうです。
(Sitios arqueólgicos del período posclásico)
後古典期の遺跡の分布図、画像クリックで大きくなります。
(Migraciones de los Pipiles)
古典期マヤの崩壊に時を同じくして、900年頃からメキシコのナウア系ピピル人がメキシコ湾岸のベラクルスやチアパス州のソコヌスコ地方を経由して、
グアテマラからエルサルバドル、更にはニカラグアやコスタリカへ進出してきたという事で、地図で図示してありました。
(Figurillas antropomorfas de Chiuatán)
エルサルバドルではチウアタン(分布図4番)やロマ・チナ(同9番)あたりを中心に貢納関係が構築され、ピピル人優勢の社会になったようです。
右は鋳型で作られたチウアタン出土の土偶です。
(Perrito con ruedas de Chiuatán)
車輪のついた犬の焼き物、多分子供用の玩具だと思いますが、これもチウアタン出土です。 類似のものがメキシコ・ベラクルス州にも
あり、ピピル人の流入を裏付けるものでしょうか。
(Diferentes tipos de Cerámicas, Nicoya y Plomiza, Loma China)
これはロマ・チナからの出土品で、中央はコスタリカのニコヤ式、右はグアテマラのプロミサ式土器で、メキシコのオレンジ土器もあり、他地域との
活発な交易の跡が窺われます。
(Xipe Totec de Muna, Museo Nacional de Mexico y Museo de Xalapa)
博物館の入り口に飾られたタスマルのシペ・トテック像(写真左と この頁の2枚目の画像)も後古典期のもので、置かれた場所からもエルサルバドルの
代表的な考古学的遺物という扱いです。
シペ・トテック神は湾岸地方やアステカで重要な豊穣の神で、生贄の人の皮を求めるおぞましい神でも
あります。
シペ・トテック像の説明はこちら。 中央と右は湾岸地域
ベラクルス州のもので、それぞれメキシコ国立人類学博物館とベラクルス州立ハラパ考古学博物館の展示から。 形状は多少異なるものの、同じ文化の
特徴が見て取れ、湾岸地方からサルバドルへの文化の伝播は確かなようです。
(Chac Mool procedente de área de Tazumal)
もうひとつ、タスマル出土のチャックモールも国立博物館で展示されます (2階の宗教セクション)。 生贄の心臓を捧げたチャックモールはトルテカ文化を特徴付ける
後古典期の遺物で、ピピル人がシペ・トテックと共にメキシコの信仰・習慣を持ち込んだのでしょうか?
以上、時代を追ったエルサルバドルの古代文明でした。 マヤの文化はおよそ古典期までで、その後はピピル人の社会となりましたが、マヤとコツマルグアパ、
そしてピピル人との関係はあまり定かではありません。 言語的には別系統のようですが、マヤとも交易を通じて密接な関係を持っていたものと思われます。