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MUSEO NACIONAL DE ANTROPOLOGIA DE EL SALVADOR

         エルサルバドル国立人類学博物館
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   (Entrada principal al Museo)

マヤ文明圏の東の周縁部にあたるエルサルバドルの人類学博物館、正式名称は国立人類学博物館 DR. デイビッド J. グスマン です。 創設は 19世紀に遡り、2001年10月からは現在地に移り、エルサルバドルの古代文明が広く紹介されています。

オルメカの影響を受けた先古典期から古典期マヤ文化への流れはグアテマラ南部に類似しますが、古典期を過ぎるころからはピピル人の文化が優勢となり、 博物館の展示は多彩です。

 (訪問日 2010年11月30日) 画像

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 (Xipe Totec exhibido en el pasillo principal)

博物館は、《導入》 から始まって、《人々の定住》、《農業》、《宗教》、《アメリカ古代文明》 とセクション分けされており、入り口からの通路の 突き当りにあるこのシペ・トテック像の右が 《導入》 セクションへの入り口で、左へ行くと 《人々の定住》 セクションです。

導入 セクション  Sala Introductoria
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 (Reconocimiento al los arqueólogos)

まずエルサルバドルの考古学に貢献のあった考古学者7人がパネルで紹介され、写真左はタスマル遺跡の発掘修復で有名なスタンレー・ボックスです。

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 (Corte estratigráfico en el Valle de Zapotitán)

そして火山国エルサルバドルの考古学では時代考察の手掛かりとなる地層の断面がパネルで紹介されます。 白抜きの日本語は書き加えたものです。

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 (Imágenes de los antiguos Salvadoreños)

表情豊かな土偶がまとめて展示されていました。 特に説明がありませんでしたが、先古典期から古典期、或いは後古典期の異なる時代、異なる文化の土偶が 集められているように見えます。 土偶でエルサルバドル人の祖先を表現してみたという事でしょうか、

人々の定住 セクション   Sala de Asentamiento Humano
セクション分けされた展示の中で、時代を追って整理されているのが唯一この《人々の定住》セクションで、博物館の中核をなす展示と言える でしょうか。

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 (Panel de Cronología de El Salvador precolombino)

これが博物館にあるエルサルバドルの年代表。 一番右側にエルサルバドル社会に影響を及ぼした火山活動が示されます。 先古典期からの時代区分は マヤの周縁部である事や、火山活動の影響もあってか、メキシコやグアテマラの時代区分とやや異なります。 (年代表は画像クリックで拡大でき ます。)

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 (Tabla de comparación de cronología)

メキシコ(国立人類学博物館)とグアテマラ(国立考古学民俗学博物館)の年代表と比較してみました。 それぞれの国の学会の見解が違うので しょうか。 先古典期、古典期、後古典期の区分は同じですが、年限が微妙にずれています。 古典期中期と言う聞きなれない区分があり、 遺跡としては世界遺産のホヤ・デ・セレンがおよそこの時代に当たりますが、中期と言う表記は博物館での説明でもついぞお目にかかりませんでした。  (比較表も画像クリックで拡大できます。)

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 (Sitios arqueólgicos del período preclásico)

時代を追って先古典期から。これは博物館にある先古典期の遺跡の分布図で、遺跡のおよその位置が確認でき便利でした。 (画像クリックで拡大 できます。) 遺跡は 3. Trapiche-Casa Blanca と書いてあるタスマルエリアを中心にグアテマラ寄りの西部にまとまっています。

博物館にはあまり先古典期の遺物は無く、タスマル遺跡やカサ・ブランカ遺跡に併設された博物館に重要な遺物は現地保存されています。

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 (Piedra de Las Victorias en el Parque arqueológico de Tazumal)

例えばこのラス・ビクトリアスの石と呼ばれるオルメカ風の先古典期の石彫りはタスマル遺跡にあります。 詳しくは カサ・ブランカ遺跡タスマル遺跡 のページを 参照ください。

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 (Altar rectangular de Quelepa)

分布図で唯一エルサルバドル東部にある先古典期の遺跡、ケレパ(地図で8番)からの石造物が博物館の裏庭に置かれていました。 四角い祭壇との事で、 正面(写真上)はジャガーの彫刻で、他の面には幾何学模様があるそうです。 どういう文化なのか、マヤ地域とは多少離れて いるので、別の文化かもしれません。

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 (Rocas con gravados antiguos)

裏庭に面した通路に変わった彫刻が施された石が全部で 10個位並べてあり、古代の彫刻された岩、との事です。 これが先古典期かどうか わかりませんが、取敢えずここで紹介しておくことにしました。 素性が気になります。

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   (Escultura de Jaguar, Ahuachapán) (Figurilla antropomorfa, La Libertad)

他に先古典期のものとしては写真左のジャガーの彫刻(グアテマラ国境のアウアチャパン県)と女性の土偶(ラ・リベルタ県)が展示されていました。  国立博物館の割に先古典期の展示は貧弱で、タスマルとカサ・ブランカの併設博物館の方がずっと充実しています。


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 (Sitios arqueólgicos del período clásico)

次にエルサルバドルの古典期。 遺跡の分布図は画像クリックで拡大できます。 古典期の展示物は先古典期と比べると充実しています。


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 (La Reina de Tazumal)

タスマルの聖母と呼ばれる古典期の石像は 19世紀末に発見され直ぐに国立博物館へ移されました。 裏庭の建物に面したところに正面を内向きにして 建てられていて、左の写真はその背面。 午前中は逆光で写真が厳しく 画像処理したのが中央の写真で、古い写真と比べると大分風化してしまっています。  タスマルの聖母の説明は タスマルのページにあります。

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 (Cerámicas policromadas, Tazumal)

タスマルの発掘で出土した彩色土器が2点、タスマルの代表的な遺物として展示されています。  タスマル遺跡の詳細はこちら。

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 (Sección de San Andrés)

エルサルバドルの古典期の遺跡で最も知られたサン・アンドレスからの展示物です。 サン・アンドレスは遺跡公園として整備され、併設の博物館も 完備していますが、首都の博物館にも選りすぐった展示がありました。  サン・アンドレス 遺跡の詳細はこちら。

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 (Sección de Joya de Cerén)

マヤのポンペイとして有名な世界遺産のホヤ・デ・セレンからは彩色皿や壺が展示されています。 上の二点と下の左側が国立博物館の展示で、下右は現地の 併設博物館にある複製です。(複製も良く出来ています。) ホヤ・デ・セレンの一番の見どころは やはり火山灰に埋もれていた住居や当時の生活の様子 を伝える遺物で、これは ホヤ・デ・セレンのページ を見てください。

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             (Cerámicas desde Cerrón Grande, Chalatenango)

遺跡公園としては整備されていませんが、他にも古典期の遺跡がいろいろあるようです。 この3点はセロン・グランデ貯水池北と書かれていました。  遺跡分布図にその名前はありませんが、調べてみたところ貯水池はおよそ分布図6番辺りのところにあるようです。

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 (Cerámicas desde Madreselva y Asanyamba)

分布図8番のマドレセルバ遺跡や 12番アサンヤンバ遺跡の出土物も紹介されています。

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 (Vaso, Madreselva)  (Vaso, Nuevo Cuscatlán)  (Cajete, Nuevo Cuscatlán)

マドレセルバは首都サンサルバドルの南西郊外で、左の二色線刻土器はマドレセルバからのもの。 中央と右のものもマドレセルバ近郊です。

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 (Vaso de tipo salúa, Asanyamba)  (Vasos y pitos, Asanyamba)

アサンヤンバはエルサルバドルの最東端で、この辺りはもうマヤ文化圏を外れている所だと思います。 左はアサンヤンバからの土器で、三足二色の「サルア」 土器と説明がありました。 右の土器、土偶もアサンヤンバからのものです。

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          (Cerámicas y dibujo de sitio Cara Sucia)

アサンヤンバの正反対、エルサルバドル最西端のカラ・スシア遺跡が想像復元画と共に紹介されていました。 分布図の1番でグアテマラ国境沿いの海岸地帯 にあります。 グアテマラのエル・バウル遺跡を中心とするコツマルグアパ(若しくはコツマルウアパ)文明の東端にあたる遺跡だそうで、ピピル人の遺跡 になるようです。

コツマルグアパ文明と ピピル人については充分解明されておらず謎の部分が多いようですが、少なくともこのピピル人の影響が次の後古典期のエルサルバドル の社会に繋がっていったと考えられそうです。


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 (Sitios arqueólgicos del período posclásico)

後古典期の遺跡の分布図、画像クリックで大きくなります。

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           (Migraciones de los Pipiles)

古典期マヤの崩壊に時を同じくして、900年頃からメキシコのナウア系ピピル人がメキシコ湾岸のベラクルスやチアパス州のソコヌスコ地方を経由して、 グアテマラからエルサルバドル、更にはニカラグアやコスタリカへ進出してきたという事で、地図で図示してありました。

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 (Figurillas antropomorfas de Chiuatán)

エルサルバドルではチウアタン(分布図4番)やロマ・チナ(同9番)あたりを中心に貢納関係が構築され、ピピル人優勢の社会になったようです。  右は鋳型で作られたチウアタン出土の土偶です。

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 (Perrito con ruedas de Chiuatán)

車輪のついた犬の焼き物、多分子供用の玩具だと思いますが、これもチウアタン出土です。 類似のものがメキシコ・ベラクルス州にも あり、ピピル人の流入を裏付けるものでしょうか。

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     (Diferentes tipos de Cerámicas, Nicoya y Plomiza, Loma China)

これはロマ・チナからの出土品で、中央はコスタリカのニコヤ式、右はグアテマラのプロミサ式土器で、メキシコのオレンジ土器もあり、他地域との 活発な交易の跡が窺われます。

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 (Xipe Totec de Muna, Museo Nacional de Mexico y Museo de Xalapa)

博物館の入り口に飾られたタスマルのシペ・トテック像(写真左と この頁の2枚目の画像)も後古典期のもので、置かれた場所からもエルサルバドルの 代表的な考古学的遺物という扱いです。

シペ・トテック神は湾岸地方やアステカで重要な豊穣の神で、生贄の人の皮を求めるおぞましい神でも あります。 シペ・トテック像の説明はこちら。 中央と右は湾岸地域 ベラクルス州のもので、それぞれメキシコ国立人類学博物館とベラクルス州立ハラパ考古学博物館の展示から。 形状は多少異なるものの、同じ文化の 特徴が見て取れ、湾岸地方からサルバドルへの文化の伝播は確かなようです。

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       (Chac Mool procedente de área de Tazumal)

もうひとつ、タスマル出土のチャックモールも国立博物館で展示されます (2階の宗教セクション)。 生贄の心臓を捧げたチャックモールはトルテカ文化を特徴付ける 後古典期の遺物で、ピピル人がシペ・トテックと共にメキシコの信仰・習慣を持ち込んだのでしょうか?


以上、時代を追ったエルサルバドルの古代文明でした。 マヤの文化はおよそ古典期までで、その後はピピル人の社会となりましたが、マヤとコツマルグアパ、 そしてピピル人との関係はあまり定かではありません。 言語的には別系統のようですが、マヤとも交易を通じて密接な関係を持っていたものと思われます。

コロンブス以前のアメリカ古代文明 Sala de America Precolombina
博物館の1階を見学し、受付で係員に聞くと、2階もありますよ、と。 2階に上がると 《アメリカ古代文明》 と 《宗教》 のセクション がありました。

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 (Distribución de culturas precolombinas de América)

《アメリカ古代文明》 セクションにある、説明パネル。 北米から南米にかけてのコロンブス以前のアメリカ大陸の古代文明を紹介しています。

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 (Replicas de cerámicas de PERÚ ; Mochica, Chimú, Inca y Nazca)

ペルーの土器はなかなか素晴らしいもので、エルサルバドルで見れるとはと、写真を撮りました。 でも後で調べたらペルー政府から寄贈された 精巧な複製、騙されました。 (^-^;;   左上から、モチーカ、チムー、インカ、ナスカの土器(の複製)です。

メキシコからのものもいろいろありましたが、こちらは一見して複製とわかるもので、写真も撮りませんでした。 いつも見慣れているからかも しれませんが。

宗教 セクション  Sala de Religión
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 (Entrada a la Sala de Religión)

2階の通路に面して宗教 セクションの入り口があります。 宗教がテーマの展示で 素晴らしい展示品が多いのですが、マヤとは異なるメキシコ 中央高原の影響を受けたエルサルバドル古代宗教に基づいた展示で、さらに展示品の時代や出所が明示されておらず、少し興味がそがれました。  説明は控えめにして写真を中心にした紹介にとどめます。

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  (Dios Quetzalcóatl)

ケツァルコアトルを模った像と壺。 ケッツァルコアトルはメキシコ中央高原ではテオティウアカンから始まり、トゥーラ、アステカでも中心的な神であり、 マヤ地域ではククルカンとなります。

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 (Dios Tezcatlipoca)

テスカトゥリポカはケツァルコアトルと対立する神で、やはり中央高原に起源をもつ神です。 テスカトゥリポカと対立したケツァルコアトルがマヤ地域に 至ってククルカンとなったとも。 この壺にテスカトゥリポカが描かれているようです。
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  (Dios Tlaloc)

トラロックはテオティウアカンの影響で古典期前期にマヤにもたらされますが、もともとメキシコ中央高原に起源をもつ神です。 右は後古典期グアテマラの プロミサ式土器でしょうか。

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 (Dios Chalchiutlicue)

チャルチウトリクエはトラロックの姉か妹で、やはり中央高原起源の神です。 土器のどこにチャルチウトリクエが描かれているのか判然としませんが。

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 (Vaso con diseno de Juego de Pelota, Yugos, Marcador y Pelotas)

球戯も宗教儀式としてまとめた展示があります。 壺に I 字で球戯場が描かれているのは面白いですね。 腰につけた防具を模った U字型の 石造物(ユーゴ)の展示もあります。

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 (Hachas y Palmas)

球戯にまつわる儀式ではユーゴ(くびきの意)と共に アチャ(斧の意)=写真左 と パルマ(手のひらの意)=写真右、の3点がセットで用いられた ようで、これはメキシコのベラクルス州でよく見られ、ベラクルスのトトナカ人とエルサルバドルのピピル人との文化的な繋がりも考えられます。

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 (Sahumadores y Insensarios)

宗教儀式で不可欠な香炉がまとめられています。 それぞれの香炉に何時の時代の何処の遺跡という説明が欲しい所ですが、香炉の用途の説明ばかり。

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 (Escultura cerámica de Gurrero-Jaguar, Chiuatán)
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 (Cerámicas y sahumador con diseño de Jaguar)

権力、夜、死等と結び付けられるジャガーはメゾアメリカ共通で、土器や香炉のモチーフとして繰り返し登場します。

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      (Variedades de vasos policromados exhibidos en la Sala de Religión)

その他、宗教セクションに展示されていた彩色土器類。 保存状態が良く 図柄も興味深いのですが、体系的な説明がなく 詳細はわかりません。  最後の浮き彫りされた二色円筒土器以外は図柄のみで文字は見当たらず、マヤではなくピピル系のものかもしれません。

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 (Colección de figurillas)

そしてここにも土偶のコレクションが。 マヤ周縁部エルサルバドルの古代の人々でした。



現在エルサルバドルで遺跡公園として整備されているのは、FUNDAR のページ によると、タスマル、カサ・ブランカ、サン・アンドレス、ホヤ・デ・セレンとチウアタンの5か所だけで、将来整備予定としてカラ・スシア、ケレパと チウアタン近郊のラス・マリアスが検討されているようです。

チウアタンはピピル人の遺跡になるので、今回この国立博物館とチウアタン以外の4遺跡を訪問したので、取敢えずエルサルバドルのマヤ遺跡は一通り カバー出来たことになります。

エルサルバドル からチウアタン以外の4遺跡の訪問記に入れます。



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