JOYA DE CERÉN
マヤ遺跡探訪
JOYA DE CERÉN
7世紀の火山噴火で埋もれてしまった マヤのポンペイ遺跡とも言われるホヤ・デ・セレン遺跡。  突然の天変地異でも人々は退避できたようですが、その生活はそのまま火山灰で密封され 現代に伝えられる事となります。  マヤの大規模センターではなく 謂わば周辺の農村集落ですが、当時のマヤの人々の生活を垣間見る事が出来る貴重な遺跡です。

発見は 1976年と最近の事で、一部が遺跡公園として整備され 1993年には世界遺産に登録されています。  首都サンサルバドルの北西 35Km にあり 車で40分位なので、世界遺産ということもあって、結構観光客を集めている ようです。

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    (訪問日 2010年11月17日) 画像
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 (Moldes en yeso de olote y mazorca, Museo del Sitio)

これは見ての通り、トウモロコシの実をとった後の穂軸と、皮を被ったトウモロコシの穂ですが、穂軸も穂も実物ではなく火山灰の 中の空洞に石膏を流し込んで取り出したものです。

通常古典期の遺跡からトウモロコシが完全な形で出土する事は 有り得ないのですが、石膏とは言えホヤ・デ・セレンではこうしたマヤ人の日常生活が密封されており、その価値は計り知れません。

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 (Corte estratigráfico en el Valle de Zapotitán, Livertad)

エルサルバドルは有数の火山国であり、写真はホヤ・デ・セレンのあるリベルタ県の地層の断面図で、先古典期の地層の上に、 260年頃のイロパンゴ火山の噴火、900年頃のボケロン火山の噴火、1658年のプラヨン火山の噴火と、度重なる大規模火山噴火の跡 が読み取れます。

ホヤ・デ・セレンを襲った火山の噴火は古典期の地層に当たりますが、その噴火はホヤ・デ・セレンの北1Kmと至近の ロマ・カルデラ火山が引き起こしたもので、この噴火でホヤ・デ・セレンは 4m から 6m の厚さの火山灰で埋め尽くされたようです。

博物館の展示パネルによると火山噴火の様子は 『 流れ出した溶岩が川の水に触れて水蒸気爆発を起し 100度位の高温の火山灰を撒き散らし 、ホヤ・デ・セレンは暗闇に包まれて 19-32cmの厚さの細かい火山灰で覆われる。 次に火山は 500-600度位に熱せられた火山礫を噴き上げ、これがホヤ・デ・セレンに 5-15cm の厚さに降り注ぐ。 こうした過程が度々繰り返され ホヤ・デ・セレンは 4-6 m の火山灰 で覆い尽くさた。』 との事です。

噴火は およそ640年頃と推定され、古典期後期初めの多くの住居跡、生活用具、耕作地などを密封し後世に伝える事になります。  前置きが長くなりましたが、以下順を追って見ていきます。

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 (Entrada al sitio arqueológico de Joya de Cerén)

まず遺跡の入口。 リオ・スシオ (スシオ川=汚れた川、火山灰を含み水が澄んでいない為こう呼ばれた) の鉄橋を渡ると直ぐ 左側に この入り口が有ります。

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 (Edificio del Museo del Sitio)

遺跡に入ると立派な併設博物館があります。 上のトウモロコシの石膏もここにありました。 ここでひと通りホヤ・デ・セレンの 概略を頭に入れて、遺跡に向います。 展示品の一部は遺跡の所で紹介し、その他は最後にまとめて紹介しようと思います。

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 (Placa de registro del Matrimonio Mundial)

世界遺産登録のプレートと、イタリアからの観光客のお嬢さん。

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 (Entrada del Museo del Sitio)

それでは早速遺跡エリアに入ります。 緑に塗られた柵の向こうが遺跡エリアになっています。

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 (Mapa del Sitio)

柵にかけられた遺跡地図 (左) では訪問順路が AREA 1 → 3 になっていますが、柵を開けてくれた
女性から逆周りを言われました。  素直に従いましょう。  右の地図は遺跡公園の整備を担当した FUNDAR と言う組織 のページからお借りしました。 こちらは北が上になっていて頭に入り易いです。

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 (Hacia Area 4)

発掘された遺構は保護の為の立派な覆いが設けられています。 AREA 4 と表示がありますが、3 と 4 が同じ覆いの下。

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                    (Mapa del Area 3 y 4)

                AREA 3, 4 の見取り図。 これも FUNDAR のページからの借用です。

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 (Estructura 4 Bodega de Area 4)

まず AREA 4 の建造物4。 見学通路は北側で、写真も北側から見下ろしたものですが、ここだけ修復中なのか更に屋根がついていて 中がどうなっているのかよく見えません。

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 (Estructura 4 y su reconstrucción hipotética)

博物館にここの写真と想像復元図がありました。 北側の壁が倒れ、南側の壁に入り口が見えます。 倉庫として使われて いた建造物だそうです。 

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 (Molde de yeso de un cerco de barras)

室内には木製の低い柵が設けられていましたが(小動物除け?)、写真は石膏で取り出されたもの。

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 (Olla encontrada en Estr. 4 que contenia semillas de cacao, y materiales vegetales carbonizados)

左はここで回収されたカカオを入れた壷で、中からカカオの実が見つかっているそうです。   右は炭化した屋根材、材木、リュウゼツランで、放射性炭素年代測定により噴火の年代が 610年から670年の間と特定されています。  噴火を 640年頃とするのは、この年代の真ん中を取ったもののようです。

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 (Lado noreste de Estructura 3 Casa Comunal)

次に AREA 3 の建造物3。 壁が厚くて大きな建物です。 5.25 x 8.20m の基壇上に厚さ 35-55cm の壁で仕切られた ふたつの 部屋を持つ建造物で、ホヤ・デ・セレンでは一番大きな建造物になるようです。 下の写真で確認できるように北東側だけに入口が あり、手前の部屋の左右にベンチが設けられ、奥の部屋に繋がります。

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 (Lado sureste de Estructura 3)

壁の高さは 2.1m あり、型枠を作り泥を流し込んだ造りです。 博物館の説明では共同体のリーダーたちが集った場所とされ、 酒を入れたと思われる大甕と多くの器が見つかっているそうです。 建造物の立派な造りから、地元の貴族の住居だったと言う 解釈もあるようですが。

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               (Reconstrucción hipotética de Estructura 3)

博物館にあった想像復元図。 土は壁までで、屋根は別途柱を立てて藁で葺いてあったようです。

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           (Mapa del Area 2)

AREA 2 に移ります。 ここも通路が北側で、北の方から南奥の建造物 9 テマスカル(スティーム・バス)を見下ろす事に なります。 濃い青で示された所は倒れた壁を表わしています。

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 (Tres estructuras de Area 2)

実物がこれ。 北側から見ているので南北が逆になり、一番奥から建造物 9 テマスカル、壁の倒れた建造物 7 倉庫、 そして手前左が建造物 2 住居となります。

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 (Estructura 2 Residencia y 7 Bodega)

左が建造物 2 住居、右が建造物 7 倉庫です。 倒れた壁は痛々しいですね。

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                (Cajete con huellas de dedos)

建造物 2 の説明に食べ物の跡とそれを手で引っかいた跡が黒く残るボウルが見つかったとありましたが、博物館にそれと 思われる展示がありました。 噴火は食事時間を襲い、人々は取るものも取敢えず逃げ出したのだろうと推測されています。

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 (Estructura 9 Temazcal)

AREA 2 は何といっても建造物 9 のテマスカル。 テマスカルは身を清める為のスティーム・バスで、広くメゾアメリカに存在する 文化であり、その遺構自体は珍しくありません。 しかしこれだけ原型を留めて発見された例は他になく、当時のテマスカルを知る 貴重な資料です。

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 (Estructura 9 Temazcal)

ドーム状の天井は残念ながら降り注ぐ火山礫で破壊されていますが、四方に残る柱から藁葺き屋根がつけられていたと考えられます。  入口上のところに二重丸状の突起が見えますが、ここで熱い空気を抜いて温度調節したものと考えられています。

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                     (Foto de mantenimiento de Temazcal)

博物館にテマスカルの入口で水撒きをしている写真がありました。 入口は大人一人が腰を屈めてやっと入れる位の小さいものです。


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           (Mapa del Area 1)

最後の AREA 1 は南側からぐるりと回る形で通路が設けられており、三方から見学可能です。

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 (Las estructuras de Area 1)

横に長くて1枚の写真にならなかったので、無理やり写真を3枚並べて見ました。 左が手前から建造物 11、6、1、 真ん中が建造物 10、右が建造物 12 の裏側で、南側通路から撮った写真です。

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 (Estructura 12 Residencia)

南側から AREA 1 に入ると、建造物 12 の裏に出ますが、これは北側から見るとして、写真は横に有る建造物10 です。  壁が倒れ柱も傾いていますが、建造物 2 と 1 と同じく住居のようです。

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 (Fragmento de bahareque, Gancho sobre pared y Jarro con asa)

住居の壁は左の写真のような土壁で出来ていて断片が博物館に展示されていました。 建造物 10 の倒れた土壁にはフックも 残されています。(写真中央)  右はここから回収された柄付きの土器です。

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 (Estructuras 11 Cocina, 6 Bodega y 1 Residencia)

円形の建造物 11 は調理をした場所で、火災の危険から住居とは独立して設けられています。 写真でも見えるように、かまど の3つの石が残され、屋根は無かったようです。

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 (Tres piedras del horno, Jarro policromado)

3つのかまどの石を拡大してみました。 右はここで発見された彩色壷です。

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 (Estructura 6 Bodega y Surcos de milpa)

これは西側から見た建造物 6 倉庫で、東側の壁が向こうへ倒れているのが解ります。 右手前(南西角)に大きな穴が開いていますが、 これは火山弾で壊された部分との事。 建物の周り 南側と西側で土が帯状に盛り上がっており、これはトウモロコシ畑の畝だそうです。

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 (Bomba volcánica, restos de ratón y pato amarrado)

写真左は博物館に展示されていた火山弾。 こんなのが飛んで来たらひとたまりもありません。 噴火で人々は逃げ出しましたが、倉庫 に居たネズミは犠牲になりました(写真中央)。 頭や手足、尾の先などの色の濃い部分は遺骸が残されたもので、それ以外は筆で書いてあります。  倉庫には縛った鳩もあったとの事で、多分この博物館の展示(写真右)がそれに該当するのだと思います。

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 (Jardín de maguey y Molde en yeso de maguey)

住居の周りにはトウモロコシ畑だけでなく、家庭菜園、果樹園も作られ、織物の繊維を取るためのリュウゼツランも植えられていました。  写真左は建造物 4 の南側にあったリュウゼツラン畑の発掘時の写真で、右は石膏で取り出されたリュウゼツランの根の部分 (博物館の展示)です。

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 (Estructura 1 Residencia)

これは西側から見た建造物 1。 建造物の番号は発掘順につけられたようで、1 と言う事は一番初めに発掘された建造物という 事です。 この建造物の発見でホヤ・デ・セレンが世に知れるようになった訳ですが、その為トラクターで部分的に壊されたり、 発掘の過程で破壊が進んだりと、一番ダメージを受けている建造物との事です。

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 (Estructura 1 Residencia)

これは北側から見た写真。 建造物 1 は 建造物 2 と類似した住居(寝るところ)で、土で作られた4本の柱がありましたが、 今残っているのは奥の2本だけ、壊れた柱の部分が博物館の展示になっています。 部屋はひとつで、入って左側にベンチが あり、ここで寝起きしたものと思われます。

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 (Fragmento de columna y Reconstrucción hipotética de Estructura 1)

博物館にある柱の一部と建造物 1 の想像復元図。

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 (Plato con soportes)

建造物 1 からはいろいろな生活用具が回収されており、写真左の見事な彩色土器もここからの発掘品です。  土製の住居に住む人達がこれだけの生活用具を使用していたとすると、少々驚きを感じます。

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 (Estructura 12 Casa de Chamán)

さて、最後の建造物 12 です。 これは大変特殊な建物でシャーマン(祈祷師)の家と呼ばれています。 手前に細長い部屋があり、 迷路のような通路を挟んで更に奥に小さな部屋があります。 壁は薄く、非常にユニークな格子状の窓があり、手前の部屋は 壁画で飾られ、赤い彩色が部分的に残されているそうです。 (通路からは壁画は見えませんでした。)

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 (Ventana de celosia)

格子状の窓は建物内部通路にもうひとつありましたが保存が悪く 2001年の地震で残念ながら崩れ落ちてしまったそうです。  写真は現在残る窓と博物館にあるその復元模型。

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 (Estructura 12 Casa de Chamán)

シャーマンは異なる集落を渡り歩いたようで、このシャーマンの家もシャーマンがホヤ・デ・セレンを訪れた時だけ使われ、 シャーマンはここで まじやい や病気の治療を行ったと考えられています。

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 (Lado trasero de Estructura 12 y Reconstrucción hipotética)

左は北側から見たシャーマンの家、右は博物館にある推定復元図です。

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                     (Foto aerea por GOOGLE EARTH)

以上、大きな保護の為の屋根で覆われた3つのエリアを見てきました。 GOOGLE EATRTH でホヤ・デ・セレン全体を上から見ると 3つの大きな白い覆いが確認出来ます。 画像をクリックすると大きな画像が開きます。

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 (Otros artículos de la exhibición en el Museo del Sitio)

博物館の展示品は建造物の紹介のところで既にいろいろ紹介しましたが、他にも興味深いな展示物があります。  彩色された土器類は地方集落のものとしてはかなり立派です。 こうした地方集落で、土器や織物、かご類等が作られ、 自ら使用する他、一部は交易に供せられたようです。 右下の写真は石膏で取り出されたマヤ人の足跡だそうですが、どこが足跡 なのか…?

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 (Obras maestras desde Joya de Cerén exhibidas en el Museo Nacional de Antropología)

ホヤ・デ・セレンからは更に立派な土器類も出てきていて、この写真にある2点は首都サンサルバドルにある国立人類学 博物館の展示です。 (右のワニの飾りの付いた壷は遺跡の博物館にも複製が置かれていました。)


ホヤ・デ・セレン遺跡、少し詳しくなりすぎましたが これで終わりです。 更に未発掘の遺構が6つあるそうで、 今後何が出てくるか期待されるところですが、発掘は止まっており、理由は発掘した後の保存、維持の難しさにあるようです。  現在露出している土製の建造物も水遣りをしないと乾いて風化してしまうし、水遣りしすぎても苔や黴が生えてしまうし、 なかなか厄介な代物のようです。


次はホヤ・デ・セレンが貢納し従属していたと思われる サン・アンドレス遺跡 に行って見ます。



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