マヤ遺跡探訪
NARANJO
マヤ古典期の大国 ナランホ。 ヤシャー・ナクーム・ナランホ国立公園の一角です。
ティカル対カラクムルの覇権争いの中、カラクムルの支配下に入った ドス・ピラス からバラフ・チャン・カウィール王の娘がナランホに送られて権勢を振るった事は良く知られます。

ナランホはペテン地域北東部の奥地の為、60年代の盗掘に加えて 20世紀末にも武装した盗掘団によって徹底的な略奪・破壊が行われ、 行くのは危険を伴うと言われた時期もありましたが、現在は発掘・修復活動が進行中で訪問は可能です。 然し乍らナクーム遺跡同様 低湿地なので、時期を選んで準備が必要です。

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今回 ナクームとセットで手配し、前日と同じメンバーと車でナランホに挑戦ですが…。

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     (訪問日 2018年3月15日)
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ヤシャーからナランホへ   De Yaxhá a Naranjo
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  (Ecolodge El Sombrero en Yaxha)

前日往復7時間の徒歩行を余儀なくされ這々の体でナクーム遺跡から戻りましたが、ヤシャー湖畔のエコロッジ ”エル・ソンブレロ” で 何とか体力回復。 イタリア人女性経営のロッジで、電気はジェネレーター頼りの為に時間制限がありますが、食事は最高、お薦めです。

ナランホへはナクーム遺跡へ行く途中を東に入っていく予定でしたが、ナクームへの道同様に巨大タイヤを履いた四駆に道が壊されているそうで、 ベリーズ国境近くのメルチョール・デ・メンコスから回り込んで大きく迂回していくルートに変更となりました。  兎に角行けるのなら…、 それも歩かずに車で行けるのなら…。

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  (Ruta alternativa de Yaxha a Naranjo)

GPS ロガーで移動経路を記録していますが、ヤシャーからナランホが今日の軌跡です。
前日の疲れもあり少し遅めの出発。 ヤシャーから国道までは未舗装なので 30分弱かかりますが、9時前には国道に出ました。

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  (Carretera Nacional a Merchor de Mencos)

国道はベリーズへ抜ける幹線道路で写真の通り綺麗に舗装され(上の GPS 軌跡の底辺で東西に伸びる部分)、30Km近くありますが 車は快適に飛ばせるので 30分弱でメルチョール・デ・メンコス到着なんですが…。

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  (Aguada cerca de Polvora al sur de Carretera Nacional)

途中国道の南に湿地帯が広がり、車を駐めて貰うと何と野鳥の宝庫。 アメリカトキコウ(コウノトリの一種)にベニヘラサギ、 色々な種類のサギに珍しいカモ類やレンカクも。 30分位道草を食ってしまいました。

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  (Desde Merchor hacia norte)

その後メルチョール・デ・メンコスの街の入り口を左へ(写真左)、ナランホに向かいます。 道半ばで舗装道路を外れてジャングルの中に入りました(写真右)。

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  (Camino de terracería maltratado)

未舗装の道に入るとやはり数日前の雨の影響で悪路が始まり、途中何度か車を降りて道の状況を確認。 今日もまた歩くのかと不安がよぎりましたが。

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  (Entrada al Sitio Arqueológico de Naranjo)

何とか難所をクリア、悪路で若干手間取りましたが、無事ナランホの入り口ゲートに到達、まずは安堵の胸を撫で下ろします。 昨日の悪夢が嘘のよう、今日は天国です。



ナランホ遺跡   Sitio de Naranjo
中央アクロポリスへ  Hacia Acrópolis Central

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  (Plaza Ardilla Humeante - K'ak Tiliw Chan Chaak)

キャンプ地の駐車場に車を止めて早速遺跡へ向かいます。 キャンプ地前の緑の芝生で整備された広場には 煙リス王(カック・ティリウ・チャン・チャーク)広場と記された看板が立っていました。

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  (Mapa de Naranjo - Chronicle of the Maya Kings and Queens)
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ナランホの地図ですが、訪問に役立ちそうな地図が事前に見つからず、「古代マヤ王歴代誌(英語版)」 の地図 (画像左側) をコピーして持って行きましたが、 未発掘の土塁が立ち並ぶ遺跡ではあまり助けになりません。 と言うのは現地には地図にあるように完全な形に修復された建物はひとつも無いからです。 あちこちぐるぐる回ったような気がしましたが、後でよく見返してみると発掘・修復の手が及んでいる中心部だけで、 北の D-1 や東の C-9 は全くの範囲外でした。 右に中央部を切り出して建物名や広場名を書き加えました。

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  (Camino hacia Acrópolis Central)

遺跡に向かって東方向へ歩を進めると直ぐに土塁の上の石組みが見えてきます。 ガイド(見習い)のミタリアに聞いてもどの建物か判りませんでしたが、 これは中央アクロポリスにある北の中庭(Patio Norte)の居住区でした。

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  (Calzada Reina Seis Cielo - Wak Chanil Ajau)

東へ伸びる道は 「6の空」女王 の道と名付けられているようです。 「6の空」はドス・ピラスから来た女性で、カック・ティリウ王の母親ですが、 幼い王に代って実際には女王として実権を握っていたと思われます。

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  (Hacia Acrópolis Central)

この道を更に東へ。 起伏をのぼると左右に土塁があり、右は中央アクロポリス北側の大基壇ですが、左側にも小さめの 土塁があり、その先にはピラミッドらしいものが見えてきます。

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  (Estructura B-18 en la Plaza Principal)

道の先に見えていたのがこの建造物 B-18 で中央広場の中心に聳えますが、先に広場西側の中央アクロポリスに行きます。

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ナランホ遺跡は 1905年にテオベルト・マーラー、1910年にはシスバヌス・モーレーにより調査・報告が行われ、 碑文を刻んだ多くの石造物が知られる事になりますが、その後本格的な発掘調査が行われる事はなく、20年代から 60年代にかけて多くの記念石造物は 遺跡から違法に持ち出されてしまい、20世紀末の組織的盗掘団の活動もあり、2002年に正式な発掘調査活動が始る頃には既に数百の盗掘坑やトンネルで 遺跡は穴だらけの悲惨な状態になっていたそうです。

石碑は現在まで 45本位確認され、大半は盗掘被害に遭いますが、幸いマーラーの写真記録と イアン・グラハムによる緻密な模写が残され、 加えてティカル、カラコル、カラクムル等の碑文に現れるナランホの記述を併せて、古典期のナランホの歴史がある程度解明されています。

遺跡の修復は盗掘により傷んだ建物の補修から始り 2007年頃から少しづつ中心的な建造物に着手されますが、ヤシャーのような本格的な修復とは異なり、 建物に根を張った木を取り除き、飽くまで元の石材を活かして遺跡を保全する事に主眼が置かれ、階段は足りない石材を補って作り直すのでは無く、 埋め戻して草を生やして美観を保つと言う方法が取られているようです。
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中央アクロポリス  Acrópolis Central
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  (Basamento inferior del lado este de Acrópolis Central)

説明はこの辺にして王宮と呼ばれる中央アクロポリスに登ります。 写真はアクロポリスの大基壇東側で、 アクロポリスに登る唯一の階段が設けられていたそうですが、草木に覆われたままです。 中央アクロポリスは看板も整備されてナランホ・プロジェクトで既に修復に着手されているエリアになるのですが。

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  (Escalera para subir al Patio Este)

大基壇の北東角から写真の階段を登って基壇上のテラスにあがります。

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  (Lado este de Estructura B-14)

階段の先には建造物の石組みが見えてきて、これが建造物 B-14 の東側面でした。

中央アクロポリスは中央広場に面し、北と東の建築複合とサクベで繋がれたナランホの中心部になり、 基壇上にはピラミッド神殿と居住区を備えたナランホで最も大きな建築複合です。


東の中庭  Patio Este

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  (Fachada principal de B-14 vista del lado este)

階段を登り切り、これは建造物 B-14 の正面を南東側から見たところです。

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       (Planta de Acrópolis Central)

大基壇上の様子は FAMSIから公開されている 2008年調査報告 から地図をお借りして説明を進めます。  地図上の黒い部分は盗掘で被害を受けた跡を示し、右上の逆V字型の所は木材伐採業者のトラクターで壊され、ここに取り付けられた 階段を登って来たのでした。  B-14 の南側が東の中庭(Patio Este) です。

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  (Estructuras B-15 y B-14)

右が建造物 B-14 の側面、奥は建造物 B-15 です。

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  (Estructuras B-15 y B-14)

同じく建造物 B-14 と B-15 ですが、 B-14 と同じ位の大きさに見えた B-15 は更に上に伸びています。 後でわかったのですが B-15 は中央アクロポリスの中心になる巨大ピラミッド神殿で、東の中庭に面した石組みはその低層部分でした。

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  (Montículo de B-17 a la izquierda)

B-15 低層部の向かい側に緑に覆われたマウンドがありますが、これはアクロポリスの入り口になる B-17 を覆う土塁で、大基壇の階段を登り、 横長の B-17 にある7つの開口部を経て東の広場に入る造りだったそうです。

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  (Pasadizo entre B-15 y B-14)

B-15 の正面右に通路が口を開けていて、ガイドについて中に入ります。

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  (Techo abovedado en el pasadizo)

通路の中にはマヤアーチの天井が残され、かなり当時の姿を残しているように見えますが? 通路の先は北の中庭(Patio Norte)です。


北の中庭  Patio Norte

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  (Edificio B-15 A y B-43)

通路を抜けて西側正面に見えるのが 建造物 B-15A、右が建造物 B-43 です。 王宮と呼ばれる中央アクロポリスでも奥まったところにあり、 ここは王侯貴族の居所だったのではと思います。

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  (Planta del Patio Norte)

北の中庭にある建造物群はとても入り組んでいて写真は撮ったものの何処が何処だったのか判らなかったのですが、 WMF から公開されている資料の 30ページ目に 北の中庭の平面図 があり、 謎解きが出来ました。 以下、北の中庭の建物とその内部です。

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  (Room 3 de Edificio B-41)

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  (Room-1 de B-43 y Room-3 de B-41)

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  (R-3 y R-1 de B-41, y Pasadizo B-43A)

建物 B-41 から B-43 の細部です。

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  (Room 13 de Edificio B-43)

B-43 のルーム 10 は北側の外壁が喪失されていたので中央アクロポリスの北側面が見下ろせ、隣の B-13 のベッド(B-1) が覗けました。 平面図が無ければ何処だか特定出来なかったところです。

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  (Calzada Reina Seis Cielo)

眼下には来る時に通ってきた 「6の空」女王 の道が見渡せます。

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  (R-1 de B-43 y basamento norte de gran estructura B-15 en frente)

B-43 の R-1 から中庭に出ると目の前にピラミッド神殿 B-15 の北側面が広がります。 側面は緑の覆われていますが、5層の基壇を持つ 高さ 30m の大建造物でした、現地では気づかなかったのですが(汗)。

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  (B-3 de B-15A y R-3 de B-43)

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  (Escalinata de B-15A y B-42 al fondo)

北の中庭の奥へ行ってみます。

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  (Camas B-1, 2 de R-3, B-43)

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  (Cama B-1 de R-8, B-43)

いろいろな形とサイズのベッドが置かれています。

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  (Escalinata y R-1 de B-42)

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  (Entrada a R-2 de B-42)

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  (Pedazo de estuco pintado en rojo, R-2 de B-42)

北の中庭の西端に階段上に設けられた B-42 があり、内部には一部当時の赤く塗られた漆喰が残されます。

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  (Parte frontal de B-15A)

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 (R-1 y R-2 de B-15A)

B-15A と言う事はピラミッド神殿 B-15 の付属建造物と言う事のようで、中庭から一段高い所に設けられた R-1 と R-2 は北の中庭の建物の中で一番広い部屋が2つ繋がっており、左右に R-3 と R-4 を従え、王の居所に相応しい建物ですが、 ここでナランホの王が寝起きしていたのでしょうか???

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  (Vista desde B-42 hacia B-41 y B-14)

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  (Pasadizo que conecta Patio Norte y Patio Este)

北の中庭はこの辺にして東の中庭に戻り、アクロポリスの更に上部を目指します。


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王宮だったという事なので、ナランホの王朝について少し見ておきましょう。

盗掘抗修復の過程でナランホに於ける居住が紀元前 500年頃に始まり、中心部の B-15, 18, 19, 20, 24、北の D-1、東の C-9 等の建造物の建築も 古典期に入る前の先古典期後期に遡ることがわかっています、勿論その後 度重なる増改築が加えられていますが。

石造記念物の碑文等から王の名前がはっきり確認出来るのは 546年に即位したアフ・ウォサル王からで、カーン王朝の後見のもとに即位し、 長命の王で 615年までは王位に就いていたと考えられます。

アフ・ウォサルの後を継いだ王達は、カラクムル、カラコルとティカルの間の戦乱に巻き込まれて 626年にカラコルに、631年にカラクムルに敗北しており、 その前にティカルの支配する所となっていたのかもしれません。

ナランホが復興するのは 682年にドス・ピラスから「6の空」女王が送られてからで、幼い息子のカック・ティリウ・チャン・チャーク王を 693年に王位につけて、カラクムル陣営の大国として繁栄したようです。

しかしカラクムルは 695年にティカルに敗北して衰退の道を辿る事になり、ナランホは 744年にティカルに敗れるまでカラクムルに忠誠を誓っていたようですが、 また衰退期に入ります。

その後ティカルとカラクムルの二大超大国の勢力が弱まり周辺のマヤ・センターが力をつけていく中、ナランホでも王朝が存続して 石碑の建立や建造物の建築活動が続き、石碑を多く残している王としては カック・ウカラウ・チャン・チャーク(755-780-)や イツァムナーフ・カウィール(784-810-)が知られますが、やがてナランホも古典期マヤ崩壊の中、その姿を消していったようです。
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建造物 B-15  Estructura B-15

こんな歴史を経てきたナランホですが、その遺跡、先に進みましょう。

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  (Escalera para subir a la parte superior de B-15)

東の中庭に戻り、B-15 基部左側にある階段を登り、小さなマウンドの間を(多分南の中庭の建物群)を超えて、頂上部へ出ます。 南の中庭の建物も王族の重要な居所だったそうですが。

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  (Parte superior de B-15, de sur a norte)

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 (Parte superior de B-15, vista hacia este)

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  (Estructura superior de B-15)

ピラミッド神殿 B-15 は五層の神殿で、最上部の五層目はナランホで確認される最後の王 ワシャクラフーン・ウバーフ・カウィール(814-830?) の時代に追加され、東の中庭から 30m の高さになっているそうです。 写真は上部に上がって 南から北側(写真上)、東方向(写真中)と最上部の建物(写真下)で、発掘調査では古典期前期以前から重層的に建物が積み重ねられてきた事がわかっていますが、 これが現在の姿です。

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  (B-14 y Patio Este)

見下ろすとアクロポリスに登って最初に見た建造物 B-14 と東の中庭が見えます。 B-15 は中層部が緑に覆われたままで、 下から見た時にひとつの建物と直ぐに判らなかったのはこの為でした。

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  (Estructura B-15, Palacio de los Cinco Pisos)

東の中庭に降りて B-15 を見あげると今降りてきたばかりの五層目が微かに覗け、ひとつの大きな建造物だった事が確認出来ました。

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WMF からの資料 の 19ページ目に中央アクロポリスの想像復元画があり、文字で説明するよりこれを見ると一目瞭然です。 大基壇東側の中央階段から横長の B-17 を通って 東の中庭に出ると目の前に B-15 神殿が聳え立つ、とこれは発掘調査の結果を踏まえた復元画で、 実際現在の遺跡の姿を見てここまで想像を膨らますのは不可能ですが。



中央広場  Plaza Principal
建造物 B-18  Estructura B-18

上の想像復元画で中央アクロポリスの東側、中央広場の中心に聳えるのが建造物 B-18 です。

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  (Lado noroeste de Estructura B-18)

最初に中央広場に入り見えてきたのが建造物 B-18 で、建物の北西角でした。 保護の屋根がついている所は上部神殿の北側面で、 上部神殿を支える基壇部分は殆どが土砂に覆われた状態です。

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  (Lado oeste de Estructura B-18)

こちらは中央アクロポリスと向かい合った西側面です。 B-18 の建設は先古典期に遡り、東側の南北に長い建造物 B-20 と共に天文観測複合を形成していました。 B-18 は四方に階段がある矩形の基壇で、ここから B-20 上部に昇る太陽の観測していたとすると正面は東側になりますが、古典期に入り上部神殿が追加され 西側面の階段下部に神聖文字の階段が設置され、祭祀の場としてこちら西側が重要な役割を持ったようです。 想像復元画では五層の基壇上に二層の神殿が描かれていますが、現状は写真の通りです。

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 (Sillares lisos de la Escalinata)

神聖文字の階段は 1905年にマーラーによって撮られた写真が知られ、西の階段の最下部に高さ 50cm 余りの4段の階段が造られ、 2段目中央にジャガーの彫刻と碑文を刻んだ石材が置かれていました。 現在は各地に散逸してしまったようですが、 この階段を構成していたと思われる大きな石材が手前の草ぶき屋根の下に保管されています。

碑文は 642年(9.10.10.0.0)のハーフ・カトゥンに奉じられ、カラコルのカン2世によるナランホに対する戦勝が刻まれているそうですが、 一時期ナランホがカラコルに支配されていたのか、或いはその後の戦争でナランホが戦利品としてカラコルから持ち帰ったものか議論があるようです。 類似の碑文ブロックがカラコルで見つかっているそうですが、真相は闇の中、しかし当時の戦争による混乱を示す資料と言えます。

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  (Lado oeste del Templo Superior)

想像復元画では五層の基壇の上に二階建ての神殿が描かれていますが、現状は写真の通りです。

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 (Letrero que señala escalera de B-18)

B-18 の表示があり、上部神殿へ登れます。

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 (Escalera que conduce al Templo Superior)

南側面に作られた階段で上部神殿へあがります。 階段は訪問者用にプロジェクトが整備したもので、土砂の下には建物の石材が埋まっている筈ですが。

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  (Parte oeste de Templo Superior)

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  (Parte sur de Templo Superior)

B-18 の上部神殿、上が西側面、下が南側面です。

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  (Parte este de Templo Superior)

そしてこちらが東側面で、修復作業用の鉄パイプの枠組みが残され、まだ修復が続いているようです。 外壁がなくなっていますが、 内部のアーチ天井が残されます。

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  (El interior del Templo)

上の写真の手前には神殿内部が露出し、壁面には別のアーチ天井を持つ通路が顔を覗かせていました。 上部神殿は天文観察の 矩形の基壇上に付け加えられたもので、その時期は古典期になってからのようですが、6の空女王の到着以前か以降か明確ではないようです。

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  (Estructura B-20 escondida en el bosque)

これは東側面から東に伸びる枠組みで、その先には天文観測に用いられた建造物 B-20 が左右(北から南)に広がっているのですが、 未修復の土塁のままで 前方の森の中に隠れています。

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  (Estructura B-24 en el sur)

南の方に目を転じると別のピラミッド神殿が頭を覗かせます。 拡大してみると B-24 仮面の神殿の上部が見えました。


建造物 B-20 と石碑  Estructura B-20 y Estelas

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  (Montículo de B-19)

B-18 から中央広場に降りて北東側にある大きな土塁、建造物 B-19 にあたり、プロジェクトで発掘調査されていますが、 現在は完全に埋め戻されています。 高さ 17m ある 古くからの重要な建造物だったようです。 B-19 の右側に見える土塁は 南北に長い B-20 の北側になります。

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  (Montículo de B-20)

B-18 上部から森に隠れて見えなかった 建造物 B-20 ですが、先古典期に B-18 と共に天文観測複合の一部として建設され、 古典期に最大に拡張された時点で長さ 150m あったそうです。 現在は写真の通り横長の大きなマウンドですが、 前面には風化した石碑が残され、祭祀の場として重要な役割を負っていたようです。

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       (Estela 34)

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       (Estela 16)

これが B-20 の前に現在も残されている石碑です。 盗掘団が暗躍した頃に既にかなり風化が進んでいて被害を免れたのでしょうか。 下の石碑 16 は側面に碑文が残され、アフ・ウォサル王の時代に遡る石碑です。


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ぼろぼろになった石碑ばかりなので、すこしまともな石造記念物を紹介しておきましょう。

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      (Altar 1 de Naranjo, Museo Popol Vuh)

これはグアテマラ市の ポポル・ブフ博物館 に常設展示されている祭壇 1 で、アフ・ウォサル王の時代に作られた祭壇です。 解読できる碑文が刻まれた ナランホの石造物としては最も古いもののひとつで、神話の世界のナランホの起源から 6世紀に至るナランホの歴史が刻まれているようです。

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        (Estela 24, MNAE)

こちらは国立考古学民族学博物館の石碑 24、捕虜を踏みつけている「6の空」女王の有名な石碑で、修復されていますが側面を見ると 盗掘された傷跡がありありです。

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        (Estela 8, MNAE)

これも国立考古学民族学博物館に展示される石碑 8。 1966年に略奪被害にあいましたが 2015年にセント・ルイスの博物館から返却を受けたもので、 この石碑を含めて 国立博物館のナランホの石碑 は 6本になりました。 800年の石碑でイツァムナーフ・カウィール王が描かれます。 他にメルチョール・デ・メンコスの文化センターにも数本ナランホの石碑があるようです。

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建造物 B-24  Estructura B-24

建造物 B-24 は B-18 上から南に見えていましたが、中央広場の南を閉じる大きなピラミッド神殿です。

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  (Lado oeste de Estructura B-24)

これは西側から見上げた B-24 神殿で、底辺が 65m、高さ 25m あるそうですが、基壇の下層部は緑に覆われたままです。

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  (Al sur y luego al este)

西側面を南へ(写真左)、そして東へ(写真右)、反時計回りに B-24 の周囲を進みます。

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  (Lado sur de Estructura B-24)

こちらが南側から見た所で、下の写真は上部構造を拡大してみました。 前面に保護の屋根が付けられ、期待が膨らみます。

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 (Letrero de B-24, Piramide de los Mascarones)

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 (Escalera para subir a la parte superior de B-24, en la esquina noroeste)

B-24 は「仮面のピラミッド」と表示され、プロジェクトにより木製の階段と手すりが設けられ、登り口は北東側にありました。

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 (A la mitad del cuerpo del lado norte)

B-24 の最上部に出る手前に北側面に沿って通路が設けられ、奥の部屋に繋がるアーチ天井の入り口が修復されています。 B-24 は 五層の基壇を持つピラミッドだったそうで、この入り口があるのは三層目か四層目にあたりそうですが、 基壇が修復されていないので何層目かよくわかりません。

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  (Llegando a la parte superior)

階段の先、右は上の写真にある北側面に出る通路で、左へ行くと最上部に出ました。

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 (Mascarón de extremo oeste del lado norte)

通路の先の最上部は建物の北面で、西側の角の手前に保護の為の屋根があり、これがその屋根の下でした。 切り石で仮面の枠が形作られているようですが、どんな仮面があったのかわかりません。 発掘の過程で着色された漆喰片が沢山見つかっているそうで、 表面に漆喰を施し彩色された仮面装飾があったようです。

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 (Lado oeste con los Mascarones colapsados)

西側にも屋根が取り付けられていて仮面装飾があったようですが、かなり崩壊が進んでいます。

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 (Dos mascarones al oeste del lado sur)

そのまま南面にまわると西面より仮面の跡がはっきりしていました。 写真左は一番西側、右がその次の仮面です。 左の仮面には 上に生えた木の根っこが絡みついていて、右側の仮面ではここから生えていた木が切り取られたばかりのようで 下にまだ手斧が残されています。

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 (Arbol recien podado de Mascarón)

木を切り取った部分です。 石組みが崩れないよう根を残して切り取り、刻み込みを入れて時間をかけて木を取り除いていく作戦のようで、 大変な作業です。

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 (Parte central del lado sur)

そしてその右側です。 南面の中央辺りで 10人位の人が作業していましたが、仮面を見えるように招き入れてくれました。 ここがナランホ・プロジェクトの現在の作業の中心になっているようです。

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 (Mascarón central)

これは中央の修復現場で、仮面装飾の下の部分にあたり、その上により大きな仮面装飾の跡 (下の写真) が補修されたばかりでした。

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 (Mascarón central)

南面の中央には他より大きな仮面が置かれていたようですが、高い位置にあるのでカメラを持ち上げてめくら打ちしました。 もっと正面から 撮れたら良いのですが、足場がなく不可能でした。 でも本邦初公開の写真の筈です。

修復現場を目にする事が出来たのは幸いでした。 プロジェクト進行中で詳しい報告はまだ無い為に詳しい事はわかりません。 今後プロジェクトのレポートが公開されて、仮面の想像復元画が紹介されたらと思いますが、まだ先になるでしょう。

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  (Estructura B-18 observada de B-24)

この先は作業中で行けず、北面に戻ります。 前方の森の中に建造物 B-18 が頭を出していますが、ナランホ遺跡全体はこんな感じで、 一面森、そして森、と言う感じです。 遺跡情緒たっぷりと言えばそうですが、鬱蒼と生い茂る木々の為に建物と建物の間の位置関係が理解しづらく、 遺跡の修復も一部にとどまる為、なかなか全体像が把握し難い遺跡でした。

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 (Una pareja de Rufous-tailed Jacamar)

B-24 から降りる途中 コーディネーターのコルネリオ君が指さす方向を見ると、見慣れない鳥が。 ハチドリとカワセミを足して2で割ったような鳥でした。 調べてみるとアカオキリハシ(Rufous-tailed Jacamar)で、長い嘴と尾を含めて 25cm 位の小鳥です。 左が雄で右が雌、ペテン奥地に来ると こんな豊かな自然が残っている訳ですが、だから来るのも難しく大変なのだと…。



球技場  Juego de Pelota

ガイドのミタリアによると、これでおしまい。 もっと遺跡全体がわかっていれば、C-9 や D-1 はどうなっているのか聞いてみるところでしたが、 初めての遺跡でそこまで頭がまわりません。 帰り道は球戯場だった所を見ながらキャンプ地に戻ります。

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 (Juego de Pelota Este)

これは建造物 B-19 の北側にある東の球戯場で、球戯場だと言われれば正しく球戯場なのですが、全体が緑に覆われたふたつの山。 でもかなり大きな球戯場で、これでも植栽を整理して見易くしてあるのかもしれません。

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 (Juego de Pelota Oeste)

東の球戯場のすぐ近くに少し小振りの西の球戯場があります。 こちらも球戯場のマーカーがある訳でもなく、成程これが西の球戯場ですね、 と言う事で納得、中央アクロポリス北側の来る時に通った 「6の空」女王 の道に戻りキャンプ地へ。


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 (Campamento de Naranjo)

キャンプ地の休憩所で少し遅い昼食。 四駆に積んできたクーラーボックスの中から宿で準備してくれたハンバーガーを取り出して腹ごしらえ。 帰途に就きます。

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 (Camioneta 4WD Mazda)

昨日はナクームへ行く途中で立ち往生でしたが、今日は頑張ってくれたマツダの四駆トラック。 大分乾いてきましたが、前輪も後輪も 悪戦苦闘の跡が…。 ドライバーのジョバニ君もご苦労様。 お陰で念願だったナランホ遺跡に来る事が出来ました。

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 (Ecolodge El Sombrero en Yaxha)

この日は明るいうちにロッジに戻り、次の日に備えます。 夜はまた吠えザルの鳴き声に起こされますが。


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明日はいよいよ巨大漆喰彫刻が発見された ホルムル遺跡 です。



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