マヤ遺跡探訪
YAXCHILAN
2011年に時間切れで廻りきれなかった小アクロポリスをリベンジし、見落としたまぐさ石の石板彫刻9枚(小アクロポリス4枚含む)をしっかり見て きました。 小アクロポリスはこのページの最後で、青文字の部分が今回の追加です。(訪問日 2013年1月17日)

ヤシチランはメキシコとグアテマラを隔てるウシュマシンタ川の岸辺に築かれた古典期マヤの代表的な遺跡のひとつで、600-800AD 頃に最盛期を迎えます。  数多く残された石板、石碑群は工芸技術の高さも然ることながら、そこに刻まれた碑文はマヤの歴史解明の手掛かりとなり、マヤ史研究上でも重要な遺跡 になりました。

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(Escudo Jaguar II, 681-742AD)   (Pajaro Jaguar IV, 752-768AD)   (Escudo Jaguar III, 769-800AD)

  (写真は石に刻まれたヤシチランの代表的な王達で、数字はそれぞれの王の在位期間です。)


2001年に初めて訪問し、是非もう一度行きたいと思っていた遺跡ですが、念願叶い 10年振りの再訪となりました。

川岸にあるヤシチランへは陸路でのアクセスはなく、船を利用することになり、パレンケ発 ヤシチラン、ボナンパック・ツアー が一般的です。 ツアーに組み込まれているとは言えヤシチランはかなりの秘境で、国境の街 フロンテラ・ コロサルから船で約 21Km 下ったジャングルの中、ホエ猿の鳴き声が歓迎の挨拶です。
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   (訪問日 2011年11月21日、2001年1月3日)
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博物館の展示   Exhibiciones en los museos


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 (Dintel 26 de Yaxchilán, Museo Nacional de Antropología, D.F.)

ホエ猿云々と言いながらいきなり近代的な博物館で恐縮ですが、これはメキシコシティーの 人類学博物館、マヤ室を入って直ぐ右側で、正面に石板がひとつ展示されています。 マヤ室の顔、ヤシチランの石板 26 です。

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                    (Dintel 26, Museo Nacional de Antropología, D.F.)

石板 26 の拡大写真。 右手にナイフを持ち鎧を身に付けた楯ジャガー2世 (在位681-742AD) に、カバル・ショーク妃がジャガーの兜を差し出している 場面で、724年2月12日の日付が刻まれます。 建造物 23 にあったものですが、同じ所にあった石板 24、25 は 19世紀末に ヨーロッパに持ち出され、現在は大英博物館にあるそうです。

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 (Dintel 24 y 25, Museo Británico, Londres)

イギリスに居る友人に偵察に行って貰いました。 探検家モーズレーが持ち出した6枚の石板は確かに大英博物館に展示されており、上述の石板 24 と25 の 写真を送って貰いました。 ひとつで 500Kgを超えるもので、周りの彫刻の無い部分を切り落として大変な思いをして持ち出したようです。

ヤシチランの発見はこの時のモーズレーの探検に遡りますが、その石造物の重要性が増したのは20世紀中頃になってタチアナ・プロスコウリアコフ により石碑の解読が進んだことによります。 彼女はライバル関係にあったピエドラス・ネグラスとヤシチランの碑文の比較研究から、石碑が神話 ではなく実際の歴史を刻んだものである事を見出し、その歴史の再構成を行います。

この時を契機に物言わぬマヤの石碑が歴史を語り始めた、と言っても過言ではないでしょう。 マヤの歴史解明が飛躍的に進展していくことになります。  ヤシチランでは歴代王が特定され、王朝史が明らかになっていきます。  (ヤシチランと ピエドラス・ネグラス の間の 抗争の歴史は マヤの戦争 2 として特集してあります。)



ヤシチランへ   Hacia sitio de Yaxchilán


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 (Río Usumacinta)

前置きが長くなりました。 それでは遺跡の旅に出発です。 コロサル村で日本製の船外機が付いた細長い木製の船に乗り、川下り。  右岸は グアテマラです。 2001年に来た時は遺跡まで1時間近くかかった記憶があるのですが、2011年の今回は 35分位でかなり高速化しています。

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 (Ruta de navegación)

コロサル村からヤシチランへのルートです。 蛇行するウシュマシンタ川はヤシチランの所で大きくグアテマラ側へ突き出て、その先端、メキシコ側に ヤシチランがあります。

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 (Río Usumacinta)

自然を楽しみながらの船旅ですが、船は10人位乗ると一杯で、喫水線は船べり スレスレ。 一応ライフ・ベストは付けていますが、船から落ちたらワニも いそうだし…。

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 (Embarcadero de Yaxchilán)

程なくヤシチランの船着き場に到着、同形の船が既に何隻か停泊しています。 船を降りて岸辺に作られたコンクリートの階段を登っていきます。  下の GOOGLE EARTH の画像で赤丸を付けた所が船着き場で、軽飛行機用の滑走路の北側です。 遺跡は建造物の一部が確認出来ますが、一面密林に 覆われています。

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 (Vista aérea de Yaxchilán)



遺跡の入り口   Entrada a Yaxchilán


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 (Aérea de Entrada)

船着き場の上に遺跡の看板と事務所があります。 多分ここで入場券を買うのだと思いますが、入場料はツアーに含まれているのでツアーの係りの 人にお任せ。

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 (Caseta de cobro)

そしてこちらが遺跡の入り口。 係りの人はここまでで、 「 2時間自由です。 必要ならガイドは個人で手配してください。 では2時間後に。」   なかなか合理的なツアーです。

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 (Partiendo para la zona arqueológica)

ヤシチランは2回目だし、時間も限られているのでガイド不要ですが、入り口を入った所に遺跡の説明と地図があり、ツアーの皆さんはここで暫し 作戦会議。

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 (Explicación del sitio)

ヤシチランについてコンパクトな説明があるかと思ったら少々期待外れでした。

紀元 300年頃に定住が 始まり、600年頃にかけて勢力が強大なものとなり、900年頃に放棄された事、ウシュマシンタ川流域の文化圏に属して屋根飾りが特徴的だが、ヤシチラン では芸術的に洗練された石造物が特筆される事、更に遺跡がグラン・プラサと大アクロポリス、小アクロポリスの3つのグループに分けられ、120 位の 建造物が築かれている事、等が説明されますが、ヤシチランの王朝史には触れず仕舞いです。

マヤ古典期の面白さは他のメゾアメリカ文明と違って王朝史が明らかになる点で、その原点のひとつがヤシチランですから、ここは避けて通れません。  石板や碑銘の階段に残された王名表などを元にヤシチラン歴代王が整理されているので、以下 まとめてみました。 代表的な王を赤文字にしてあり、 冒頭で紹介した王は 16, 18, 19代にあたります。 (碑文の解読時期や解釈の違いから王の名称が変わったりするので、王の名と年号を併せて見ると 間違いありません。)

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 (Mapa del sitio)

これが入り口に置かれたヤシチランの地図で、2001年に見たものより立派になっていましたが、地図が北向きになっていないし、何より建物の番号が 書かれておらず、少々不親切。 ちょっと遺跡観光という人には良いのかもしれませんが…。

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これは Arqueología #22 Nov.-Dec. 1996 の42-43 ページにあった地図で、建造物番号が記載され、それぞれの建造物の時代も色分けして示されており、 これがあれば一応万全です。

MAP ボタンをクリックすると遺跡中央部の拡大画像が開いて建造物番号も確認できるので、別ウィンドウで開いておくと便利です。



遺跡探索   Visita a la zona arqueológica


さて、地図を確認してヤシチラン王朝史の予習も済んだので、ここから遺跡です。 地図に Acceso と記した所からスタートし、案内板と地図が 置かれた所が グラン・プラサ (Gran Plaza) と 小アクロポリス (Pequeña Acró- polis) の分岐点でした。

2001年に来た時は一番南の神殿群に行けなかったので、小アクロポリスは後回しにして、グラン・プラサ経由、この一番遠く高い位置にある神殿群を最初に 目指す事にします。 (遺跡の説明版では南の神殿群は大アクロポリスの一部のような扱いですが、大アクロポリスの中心からは大分離れています。)

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 (Edificio 19, Laberinto)

通路の奥の屋根飾りが残る建物が別名ラベリント(迷宮)とも呼ばれる建造物 19 で、ここを通らないとグラン・プラサへいけません。  謂わばヤシチランの入り口です。

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 (El interior de Laberinto)

ラベリントの中は裸電球が幾つか灯されているだけで真っ暗、文字通り迷宮です。 暗いじめじめした通路を前の人について出口を目指し、最後に階段を 5段登るとグラン・プラサに抜けます。

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 (Edificio 19, Laberinto)

ラベリントを出て、これが東に面したラベリントの正面です。 戸口が4つあり、戸口と戸口の間には大きな窪みが設けられた特殊な造りで、壁面装飾 と屋根飾りも一部残ります。 楯ジャガー2世の742年の死後、妃の一人が鳥ジャガー4世即位まで短期間実権を握り、その時代に造られた建物だそうです。  ヤシチランの混乱期にあって、入口で外敵に備えたのでしょうか。

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               (Altar 1)

建造物 19 の前に人物像と碑文が刻まれ円形の祭壇1が置かれます。 建造物 19 に残された唯一の碑文になり、多分建物の奉納日も記されているものと 思います。

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 (Lado Oeste de Gran Plaza)

建造物 19 の前から東方向へグラン・プラサが広がります。 写真左が建造物 16 で、中央の立木の後ろが建造物 14号 球戯場ですが、 グラン・プラサは後でゆっくり見ることにして、先を急ぎます。



大アクロポリス   Gran Acrópolis


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 (Escalera hacia Gran Acrópolis)

グラン・プラサはウシュマシンタ川沿いに造成された、幅 750m、奥行き 80m 位の人工の広場で、建造物 19 から東へ3分の2位進むと南西方向に上へ延びる 階段があり、階段の上が大アクロポリスです。

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               (Estela 2)

グラン・プラサの南側の基壇に石碑 2 が建てられています。 613年の 9.9.0.0.0. のカトゥンを祝ったもので 613年は最初の王名表を残した キニチ・タトゥブ・頭蓋骨 2世の没後にあたり、この時代のヤシチランの王はあまり定かではありません。 石碑は覆いもなく風化の一途です。

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 (Edificio 25)

大アクロポリスへの階段を上がっていくと途中左手に建造物 25, 26 が見えてきます。

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 (Edificio 25)

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 (Edificio 26)

上の写真が西側の建造物 25、下が建造物 26 です。 建造物 26 の方は前部が崩れていますが、ふたつの建造物はもともと双子の神殿だったようで、  建造時期は 650-700年頃とされます。 まぐさには彫刻された石板は無く、楯ジャガー2世 (681- 742) による建造物には彫刻が多く用いられているので、 楯ジャガー2世以前の鳥ジャガー3世 (629- 669) の時代の建造になるでしょうか。


《 建造物 33  Edificio 33 》

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 (Edificio 33)
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建造物 25, 26 から一段基壇を上がった所に建造物 33 があり、グラン・プラサからは 40m 登った所になります。 鳥ジャガー4世 (752- 768) の時代に 作られた 大アクロポリスの中心をなす建造物で、屋根飾りが残り、ヤシチランで一番保存状態のよい建造物になるようです。

建築様式のページの 復元模型の写真 に見られるように、 建築当時は更に高い格子状の屋根飾りがあったようで、彩色された往時の威容はどんなだったでしょう。

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 (Escultura central en la crestería)

屋根飾りの中央を拡大してみると王の坐像と思われる漆喰彫刻の跡があります。 建造物 33 は 756年に奉納されたようですから、漆喰彫刻は鳥ジャガー4世 という事になるでしょうか。

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        (Estela 31)

建造物 33 の前にボロボロに風化したように見える石碑 31 があります。 材質が切り出した石灰岩ではなく、鍾乳石を利用したもので、元からこんな形を していたのでしょう。 よく見ると文字と図像が刻まれています。

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 (Escalera jeroglífica 2)

鳥ジャガー4世は在位期間中に数多くの建造物を築き上げ、神聖文字を刻んだ石造物に歴史を書き残します。

写真は建造物 33 の前に置かれた神聖文字の階段2 で、 13個のブロックに球戯の模様を刻まれ、特に中央の3つのブロックの彫刻が彫りが深く立派です。

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 (Escalera jeroglífica 2, peldaño VII)

これは中央の一番長いブロックで、鳥ジャガー4世が球戯を行っている様子です。 大きなボールには鳥ジャガーが捕虜にしたラカントゥーンの王が 逆さに縛られた状態で刻まれます。 このブロック全体を小さくしたミニチュアが左の階段の上に描かれ(上の拡大写真)、階段を6段上がった所にこの 彫刻が置かれた事を示すそうです。 この中央のブロックの左右には父王の楯ジャガー2世や祖父の鳥ジャガー3世が刻まれます。

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 (Escalera jeroglífica 2, peldaño VIII, IX, X)

これは中央から右側のブロックです。 中心のブロックが 4cm 位彫り込まれているのに対して、周りのブロックは彫りが 1cm 未満の浅浮彫りで、やはり 中央のブロックが最も重要なメッセージを持っていたのでしょう。

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            (Dintel 1)

3つある戸口のまぐさにはそれぞれ鳥ジャガー4世が刻まれた石板が置かれ、これは左側の石板 1 で、着飾った鳥ジャガー4世と 王妃の偉大な頭蓋骨が描かれます。 石板は戸口上部にあるので、ファインダーを覗いて見上げる事も出来ず、カメラを下げてめくら打ち、バリアングル 液晶のついたカメラだと楽なのですが。

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  (Dinteles 2 y 3, replicas por Maudslay, Museo Británico)

中央と右の戸口のまぐさにも石板が残されている筈ですが、見落としてしまいました。 モーズレーが現地で作った紙型を元にした複製が 大英博物館にあり、写真はその複製の石板 2、3 です。 19世紀末に作られた型からの複製なので、遺跡に残るものより現物に忠実かもしれません。

石板 2 は鳥ジャガーと後継の楯ジャガー3世、石板 3 は鳥ジャガーと同盟国の王が描かれているようです。

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           (Dintel 2)
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              (Dintel 3)

2011年に見落とした石板2 と 3 、間違いなくありました。 建造物 33 は開口部が3つあり、石板1 のある左側の開口部から中に入り、 中央の開口部は扉が閉められているのでそのまま右側の開口部から出ると、中央と右の石板2 と 3 を見落としてしまうのですが、今回は忘れずに しっかり見てきました。 ヤシチランでは開口部があったら必ず見上げてまぐさ石に彫刻があるか確認しないといけないという良い例です。

石板3 は石板1 とサイズと造りが似ていますが、石板2 は図柄と文字以外の空間の取り方や、彫りの深さ、特に横長のサイズが他の2枚の石板と異なり、 時代或いは少なくとも作者は異なるように見えます。


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 (Pasillo interior de Edificio 33)

建造物 33 は中に入れるようになっていて、急勾配のアーチ天井で閉じられた通路があり、通り抜け出来ます。

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 (Estatua decapitada de Pajaro Jaguar)

通路に面した中央の窪みに頭部が落とされた石像があり、別の窪みには頭部が置かれ、併せて鳥ジャガー4世の像と考えられます。 ヤシチランは現在でも ラカンドン人の信仰の対象で、像はアテック・ビラム神の化身であり、首が繋がるとジャガーが出てきて人類を食い滅ぼして世界が終ると考えられて いるそうです。 頭を取り付けて修復できないのですね。

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 (Lado trasera de Edificio 33)

これは南西を向いた建造物 33 の背面で、裏側までしっかり装飾が施されていて、重要な建物だったことがわかります。

建造物 33 はこの辺にして、ここから前回見逃した南の神殿群へ向かいます。 かなりの上り坂です。



南の神殿群   Templos del Sur


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建造物 33 の裏から南の神殿群へ行く道が有る筈ですが…、細い道が一本あったので行って見ると左の標識があり一安心。 ここから先へ行く人は 少なそうです。 更に先に進むとまた標識が出てきて、小アクロポリスへの抜け道があるようですが、目指すは南の神殿群です。

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 (Camino hacia Templos del Sur)

建造物 33 から南の神殿群までは地図によると 300m 少々で、建造物 37, 38 を超えていく筈です。 アップダウンを繰り返し 50m の高低差を登っていく ので、結構厳しい行程でした。 これはその途中の写真で、建造物跡と思われる土塁を乗り越えて行きましたが、建造物 37, 38 だったかもしれません。

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 (Edificio 39)

汗だくで息も上がりましたが、10分ちょっとで到着。 写真は目の前に現れた建造物 39 です。 

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 (Ediicio 40)

これは3つ並ぶ神殿の中央にある建造物 40 。

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 (Edificio 41)

そして一番奥、南東にある建造物 41 です。 全て 1973-1985年に発掘、修復が行われています。

この3つの神殿から成る南の神殿群は海抜 210m 位になり、グラン・プラサより 90m 位高く、同じく高い位置に設けられた小アクロポリスよりも 30m 位上に あり、ヤシチランで一番高い所にある重要な場所だったようです。 まず建造物 39 と 41 が 650 - 700年頃に築かれ、鳥ジャガー4世の時に建造物 40 が 追加され、39, 40 も改築が加えられたようです。

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          (Reconstrucción hipotética de los Templos del Sur)

現地の説明版に想像復元画がありました。 建造物 33 同様の高い屋根飾りが描かれています。

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 (Edificio 41)

建造物 41 の側面です