マヤ遺跡探訪
CHICHEN ITZA
チチェン・イッツァは古典期終末期から後古典期前期、800年頃から 1200年過ぎにかけて栄えた代表的なマヤ遺跡で、ユカタン半島 北部中央に位置します。 メキシコのマヤ遺跡の中で最も有名な遺跡のひとつで、2007年に新世界の七不思議に選ばれ、訪問客も 倍増しています。 (世界遺産登録は 1988年)

古くから研究されている遺跡ですが、その歴史は充分解明されているとは言えません。 メキシコ中央高原のトルテカ様式と マヤのプーク様式が混在している事から、チチェン人の出自について昔から議論がありました。

メリダから東へ120Km、途中から高速道路も利用できるので距離の割りにそれ程時間はかかりません。 世界的な保養地カンクンからも高速利用でアクセスが良く、これからも訪れる人は多い事と思います。 

(訪問日 1999年5月6日、2001年4月26日、2002年8月27日)

久し振りにチチェン・イッツァに行きました。 戦士の神殿やジャガーの神殿に登る特別許可を知り合いを通じて申請して行ったの ですが、特別訪問どころか今まで行けた所もどんどん制限されるようになり、ちょっと興醒めの訪問になりました。

殆ど全ての建物の周りにロープが張り巡らせされ、ククルカンのピラミッドは登れず内部の古い神殿も入れなくなりました。  観光客が増えるのも考えものですね。 直前にあったマンサネロ ・ドミンゴ特別コンサート用の時限措置だったら良いのですが。

写真を一部差し替え、最新情報は青文字で追加しました。 「ここは入れません」ばかりですが。

(訪問日 2008年10月6日)
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 (El Castillo o Templo de Kukulcán)
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チチェン・イッツァの存在はスペイン人による征服直後に既に知られていて文献にその名が記されますが、その後暫く 忘れ去られてしまったようです。 18世紀半ばに再発見され 著名な探検家、考古学者達により繰り返し調査がなさるようになり、 19世紀後半には発掘が開始、1930年頃には遺跡の修復にも着手されました。 その後調査、発掘、修復は常に続けられて、 今日見る姿になっています。

遺跡に入場して真っ直ぐ歩いていくと写真のような光景が目に飛び込んできます。 カスティーヨ(城)、別名ククルカンの神殿 です。  (現在は登れなくなっていてとても残念 なのですが。)


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チチェン・イッツァには見るべきところが数多くあり、どこから紹介を始めるか迷ってしまいますが、カスティーヨの 南側から探索を始める事にします。 南側にはオサリオのグループ(高僧の墓)、赤い家のグループ、天文台のグループ(カラコル)、そして 尼僧院のグループがあります。

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      (Vista aérea por Google earth)

上の地図の部分を Google earth の空からの画像で見てみました。 画像中央左にあるオサリオのグループから見ていきます。


CHICHEN ITZA  PART I


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 (Una estructura con pilares, al lado este de Plataforma de los Venus de El Osario)

カスティーヨの南側から南西に道が伸びていますが、この道を行くと最初に写真の 6本の円柱が並ぶ建造物が見えてきます。  オサリオ(高僧の墓)の東側に金星の基壇があり、更にその東側になります。 円柱が支えた屋根材は見つかっていないそうです。

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 (Lado sur de Plataforma de los Venus del grupo El Osario)

円柱の建造物隣の金星の基壇、南面です。 四方に階段がついたトルテカ風の基壇で、壁面に浅浮き彫り、階段上部には蛇の頭の 彫刻があります。 基壇の上ではどんな儀式が行われたのでしょう。

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 (Tablero esculpido de plataforma de los Venus del grupo El Osario)

8つある浅浮き彫りのひとつです。 明けの明星につながる、鳥と蛇の形をした人物が顔を出しています。下方に 一対の鍵爪が見え、口から舌が長く伸びて鍵爪の間で舌先が二つに分かれます。

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 (Altar redondo en frente de Pirámide de El Osario)

これがオサリオ(納骨堂)、別名高僧の墓と呼ばれるピラミッド。 東側が広場に面しているので正面でしょうか。  上の方の写真の金星の基壇や円柱のある建造物と共に92-99年のプロジェクトで発掘・調査・修復が行われました。

オサリオの昔の写真を見ると瓦礫の山の上に彫刻された角柱があり蛇の頭も 同じ所にあったので、大々的な修復だったようです。

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 (Cabeza de serpiente colocada debajo de alfarda de El Osario)

カスティーヨ同様、四方に階段があるピラミッドで、階段の両脇に蛇の彫刻が置かれています。 写真は修復が済んで 元の位置に戻された蛇の頭です。 蛇は片方が羽毛のある蛇(ククルカン)で、もう片方は羽毛が無く雲の蛇だそう ですが、暑い中では同じ蛇に見えていました。

写真では判りづらいですが、蛇の頭の向こうに蛇の尻尾が転がっています(写真右奥、赤っぽく見える石)。  蛇の尻尾は、階段両脇の手摺りの上部に取り付けられていたのでしょうか。
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 (Un par de Cabezas y los cuerpos entrelazados sobre las alfardas)

中央の階段を正面から見ると 蛇の胴体が上に伸びているのがよく判ります。 2匹の蛇の胴体がからみ合う形で上に 伸びていますが、頭はひとつなのに胴が2本?

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 (Cabeza y cuerpo de serpiente arriba y tableros de relieves exclupidos)

オサリオの基壇は全面に浮き彫り彫刻が施されていたようで、写真の様に基壇上部のパネルに彫刻が残り、 パネルの上、基壇最上部には階段と同じ蛇が横たわってい ます。 浅浮き彫りの復元はさながらジグソーパズルだったでしょう。
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 (Lado sur de Pirámide de El Osario)
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こちらはオサリオの南側面の写真です。 陽が当たっていてピラミッド基壇の形状と上部神殿跡が良く見えます。

残念ながら階段下には柵がしてあり登る事は出来ませんが、上部の神殿からは下にトンネルが通じているそうです。  トンネルは地上面から更に深さ12mの洞窟に繋がっていて、ここから骨や副葬品が見つかった為にオサリオ(納骨堂) と名付けられたようです。 上部神殿の柱には 894年を示す神聖文字もあるそうですが…。

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 (Mascarones de Chac en una esquina de edificio incompleto)

オサリオのグループは 主にトルテカ様式ですが、写真手前の四連のチャーク像はオサリオのピラミッドの 上にあったそうで、トルテカとプークが融合されていた事になります。

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 (Ubicacion de Mascarones de Chac en la Pirámide de El Osario)

四連のチャーク像の前に陶製の説明板があり、この四連のチャークがオサリオ最上部角に置かれた様子が図示されていました。

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 (Casa del Venado)

ここからオサリオのグループの南に行きますが、建物はプーク様式が主流になります。

オサリオの南西、瓦礫の山の上に建物が見えてきます、鹿の家です。 内部の壁に鹿が描かれていたので この名がつけられました。 瓦礫の上には登れないので確認はできませんが、プーク様式の簡素な建造物です。

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 (Casa Colorada)

すぐそばに赤い家があります。 基礎と屋根飾りに赤い色が残っていたのでこの名がつきましたが、現在では当時の色 は殆ど確認できません。  建物の上にプーク様式のモザイク装飾があり、その後列に格子状に穴の開いた屋根飾りがあります。   この写真では前列のモザイク装飾しか見えませんが。

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 (Fachada superior de Casa Colorada)

赤い家のモザイク装飾の左隅です。 チャーク像の鼻の上に人面が嵌め込まれていました。

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 (El Caracol o El Observatorio)

赤い家の南東にあるカラコル、別名天文台、大きな基壇 (67 x 52 x 6m) の上に円形の建造物があります。 円形の建造物の中には螺旋階段があり、 その形からカラコル(貝)の名称がついていますが、天文観測に用いられたようで別名、天文台とも呼ばれます。

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 (El Caracol o El Observatorio)
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カラコルの基壇を南西から見た所です。 以前はカラコルの中まで自由に入れたそうですが、現在はそのカラコルの中はおろか、 基壇に登る事も出来ません、外から見上げるだけ、興醒めです。 
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 (La Torre de El Caracol)

円形のカラコルには窓が3つあって、金星や太陽の運行の観察に用いられたそうです。 マヤ世界では天文は重要な要素で、 戦争の開始まで天文に則って行われました。 写真はカラコルの上の部分で、窓の上にはチャーク像があります。
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 (Escalera central de Conjunto de las Monjas)

更に進んで尼僧院の前まで来ました。 三層の古典期後期の大きな建造物ですが、素晴らしい装飾があるので登れなくても建物の美しさ を満喫できます。

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 (Conjunto de las Monjas y La Iglesia a la izquierda)

尼僧院の正面階段を北西側から見た所です。 一層目は一部 中に入れますが (2008年時点で 入れなくなっていました)、全部で三層あるので全体像を掴むのには程遠い感じです。 部屋が沢山あり 修道女の為の個室のようでスペイン人が勝手に尼僧院と命名しました。  左側の小さな建造物はイグレシア(教会)です。

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 (Conjunto de las Monjas y Anexo Este a la izquierda)

尼僧院の東側と、尼僧院に付属した東別院(写真左側)の北面です。 尼僧院は3階建ての壮麗な建物であるのに対して、別院 の方は一層ですが、壁面全面に装飾が施されて華麗です。

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 (Lado este de Anexo Este y La Iglesia)

右がイグレシア(教会)の裏側(東面)、左が東別院の東正面で、この辺りがチチェン・イッツァのプーク・チェネス 様式で最も洗練された所になります。

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 (Lado este de Anexo Este)

東別院を正面に据えるとこういう構図になります。 写真撮影はこの辺りがベストアングルでしょうか。

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 (Lado este de Anexo Este)
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装飾が綺麗なので更に大きな写真を載せます。 正面もコーナーも雨の神チャーク像が隙間無く 彫刻されています。 入口はチェネス様式でお馴染みの怪物の口になっていて鴨居の上には怪物の歯が並びます。 下側の歯は既に 失われているようですね。
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 (Detalle de fachada central de Anexo Este)

中央の円形の縁取りの中は立派な頭飾りをつけた貴族か王様のようですが、チチェン・イツァでは文字記録が少なく誰なのか特定 はできません。 鴨居の上には怪物の歯が6本並びます、右の2本は欠けていますが。

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 (Inscripción jeroglífica del dintel que incluye escritura de año 800)

上の写真の鴨居の部分を拡大すると、神聖文字が並んでいるのが見えます。  西暦800年に当たる年号が彫られているそうです

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 (Escultura de Chac de Anexo Este y La Iglesia)

東別院と教会の角にあるチャーク像を撮ってみました。 チャーク像の丸まった鼻は先が欠けたものが多いですが、教会側のチャーク 像の鼻は完全な形を保っています。 鼻の上には小鳥が顔を出しているように見えますが、 果たして鳥なんでしょうか?
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 (Otro edificio de estilo puuc al suroeste de Anexo Este)

東別院の南東側にもうひとつプーク様式の小さな神殿がありました。 少し傾いているように見えます。

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 (El Akab Dzib)

尼僧院のグループから少し東に行くとアカッジブと名づけられた矩形の建造物があります。 でもここまで見に来る人はあまり いないようです。  (2008年訪問時、ここに通じる道は閉じられていました。)

写真では木に邪魔されて良く見えませんが、かなり奥行きのある長方形をしたプーク様式の簡素な建造物です。 南の入口 に神聖文字に囲まれた高僧の彫刻があるとの事ですが…。

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 (Templo de los Tableros Esculpidos)

南側の探索はほぼ終了ですが、最後に壁面彫刻の神殿に寄ってみます。  カラコルの南側にあり、一層目の奥に二層目の神殿もある建物ですが、壁面彫刻が見つかりません。 二層目にあるのでしょうか。

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 (El Interior de Templo de los Tableros Esculpidos)

壁面彫刻の神殿の中です。 奥の壁面に天井を支えた3つのマヤアーチの跡が残ります。 手前に列柱が並びますが、この列柱の上に 横に木材を這わして真ん中のアーチで作る空間を支えていたようです。 広い空間を確保する工夫ですね。  (建物の周りに柵がしてあるので内部へは立ち入れませんでした。)

ここまで見てきたカスティーヨの南側を「旧チチェン」として、カスティーヨを中心とした「新チチェン」と対比させているガイドブック が多く見られますが、これは便宜的な略称で、実際に 旧チチェン= CHICHEN VIEJO  と呼ばれる地域は尼僧院の更に南側にあります。


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 (El Castillo o Templo de Kukulcán)

カラコル、赤い家、オサリオを通って、カスティーヨへ戻りました。  写真は南西角です。

カスティーヨは均整の取れたトルテカ様式の方形ピラミッドで高さは 24mあります。 4面に 91段づつの階段があり、 合計 4 x 91 = 364段、上部神殿へ登る1段を加えて全部で 365段になり 1年の365日を表していると言われています。

南側は階段が崩れていて登れません、東も同様です。 写真左側の西面と、広場に面した正面となる北側から上に登れますが、 ロープがついている西面から登る人が多いようです。 でも暑い中での登攀で誤って落下する人もいます。  ( 2008年 10月時点では登頂禁止。)
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 (Escalera oeste de El Castillo)

登ってみましょう、こんな感じです。 真ん中にロープが見えますね。 マヤのピラミッドの中で、特別に急階段という訳では ありませんが、暑い中での 91段は、「行きは良い良い帰りは恐い」です。
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 (Bajorelieve pintado en la puerta del Templo superior)

神殿の正面入口は北側で、蛇の形をした2本の柱があります。正面以外は柱の無い小さめの入口があり、写真は南側の 入口の側面に施された彩色彫刻です。

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 (El Juego de Pelota, vista desde El Castillo)

ピラミッドに登るのは結構骨ですが、登れば素晴らしい眺望ですから、必ず登るべきです。 写真は北西側に広がる 大球戯場とジャガーの神殿です。

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 (Templo de los Guerreros, vista desde El Castillo)

東側に目を転じると戦士の神殿が見下ろせます。 ジャガーの神殿も、この戦士の神殿も現在では登る事が出来ないので、 ここからの眺めは貴重です。

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 (El Castillo en el dia del equinoccio, fotomontaje)

さてこのカスティーヨ(ククルカンの神殿)には春分と秋分の日に沢山の人が訪れます。 言葉だけでは説明が難しいので春分の日の 写真を創ってみました。 (影を描き加え、観客は貼り付けました。捏造になりますが、良く出来ています。 (^-^)v  ) 

左側の階段が北側でピラミッドの正面です。 この正面階段だけ下にククルカンを表した蛇の頭が置かれています。(下の 写真参照。)  春分と秋分の日、ピラミッドの北西角に当たった陽光が北の階段の側面に波打つ蛇の影を 創り、地上の蛇頭に繋がって、ククルカンが空から降りてくる光景を創り出します。

春分、秋分にククルカンが降臨するように、ピラミッドが東西南北の機軸から 22.5度ずづらして建てられているそうですが、マヤの 進んだ天文の一端が窺われます。

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 (Escalera norte de El Castillo y entrada al interior del Pirámide)

ピラミッドの内部には、古い時代のピラミッドが見つかっています。 マヤでは古い建造物 の上に、新しい建造物を積み重ねる事は一般的ですが、カスティーヨでは、古い時代の ピラミッドにも登れます、どうやって?

古いピラミッドの階段に沿ってトンネルが掘られているのです。 写真はトンネルの入口 で順番を待つ人の行列です。 因みにトンネルに入れる時間は決まっています。  (残念ながら 2008年 10月時点で このトンネルツアーもなくなっていました。)
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 (Chac Mool en el Templo interior del Pirámide)

トンネルの階段を登りつめると、古いピラミッドの上部神殿に行き着きます。 写真のチャック モールとその奥に赤いジャガーの玉座が あります。暗くて写真が厳しいですが、ソフトで明るくして何とかこの写真。 玉座は無理でした。

トンネルは天井が低いので、やや中腰で登り降りする事になり、かなり太腿に負担がかかります。 翌日は脚がパンパンでした。
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 (Lado noroeste de El Castillo)
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チチェン・イッツァ、長編です。 均整の取れたカスティーヨの北西面の写真で第一部の終了とし、ページを 改めて第二部に移ります。



CHICHEN ITZA  PART II

第一部ではカスティーヨから南側を訪問しました。  第二部では戦士の神殿とその南東にある柱廊、市場他を回ってみます。

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 (Templo de los Guerreros)
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戦士の神殿の正面です。 メキシコ中央高原のトルテカ様式と言われています。

チチェン イッツァはトルテカ様式とマヤのプーク様式が混在している事から、トルテカ人がマヤを征服してマヤの街の上に トルテカ人の街を建造した、と言うトルテカ人起源説が説かれた時代もありました。

しかし最近は交易に長けたプトゥン マヤ人が西の方から移住してきて東のコバ、西のプーク地域を切り従えチチェン・イッツァを 拠点に隆盛を極めた、という説の方が有力なようです。 人の移動と共に文化の交流が起こりチチェン・イッツァにトルテカ 様式がもたらされたという考えです、勿論考古学的考察が背景にあっての話です。

どのくらい似ているのか、トルテカ様式の中心、イダルゴ州にあるトゥーラ遺跡の写真を6枚見てください。  トゥーラの詳細はトゥーラのページを参照下さい。
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 (Estilo Tolteca, las fotos de las ruinas de Tula, Estado de Idalgo)

  1枚目: 神殿Bと柱廊
  2枚目: 神殿を支えたアトランティスの柱
  3枚目: 神殿の想像復元図と彫刻された角柱
  4枚目: 四方に階段のついた基壇
  5枚目: チャックモールと漆喰装飾
  6枚目: ジャガーとワシの漆喰装飾
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 (Escultura de Jaguar pintada en el muro noreste de Gran Plataforma)

それではチチェン・イッツァの方を見てみましょう。   戦士の神殿の北、広場の角に写真のような保護用の屋根のついた壁があります。

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 (Detalle de Escultura de Jaguar)

壁には彩色された漆喰彫刻があります。 トゥーラの6枚目の写真のジャガーと酷似しています。 雑誌、書籍 等であまり紹介されていない所なので、比較的最近修復、保存されたものかもしれません。

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 (Fotomontaje de la pared entera)
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彩色彫刻を含む長い壁を写真合成で再現してみました。 彩色が残るのは写真の右下で、壁はその右で折れ曲がって更に奥へ続きます。


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 (Templo de los Guerreros)

戦士の神殿は登れないのでカスティーヨの上から撮った写真です。幅40m、高さ12mの基壇の上に外壁が残った大きな 神殿があります。 トゥーラの神殿Bの想像復元図と見比べてみてください、よく似ています。 特別な許可を貰って一度登って みたいものです。

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 (Parte superior del Templo de los Guerreros)

登れないので上からの写真を拡大します。   階段の両サイドはオサリオのピラミッド同様に蛇が設えてあり、こちらは頭が手摺り部分の上部です。  左右の蛇の頭の上には旗持ちの兵士の立像があります。  上部神殿入口の2本の大きな柱も蛇になっていて、柱の下部に開いた口 (ピンク色に見えます)の彫刻があり、柱の手前中央にはチャックモールがひとつ置かれています。

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 (Parte superior del Templo de los Guerreros)

広場からの望遠写真です。 上の説明が少し判り易くなるでしょうか。 階段の手摺り上部に一対の旗持ち兵士と、二匹の蛇の口の 間にはチャックモールがありますね。

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 (Fachada derecha del Templo de los Guerreros)

トルテカ様式がベースの戦士の神殿ですが、神殿の右の壁を拡大してみると、プーク様式のチャーク像が見事に融合して いるのが判ります。

壁の左側と右角に上下三連のチャーク像があり、その間には鳥の彫刻が施された壁から蛇の彫刻が頭をだし、 その蛇の口からは人間の顔が…。  左の壁も全く同じ構図です。
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 (Escultura del Templo de los Guerreros, Museo Nacional de Antropología, D.F.)

蛇の口から人間の顔がでている彫刻のひとつはメキシコ市の人類学博物館に移されています。

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 (Pilastras con bajorelieve, en frente del Templo)

戦士の神殿前には全面に彫刻が施された列柱が無数に立ち並び、戦士や捕虜が浮き彫りで彫られています。
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 (Tablero de plataforma inferior de Templo de los Guerreros)

戦士の神殿の壁面下部には写真のような漆喰彫刻が全面に施されています。 写真はジャガーと雨の神トラロックです。  トラロックはテオティウアカンの時代からの中央高原の代表的な神で、1000年頃のユカタンにトラロックが現れるのは 興味深いです。

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 (El Castillo y las Pilastras)

北の柱廊から見えるカスティーヨです。 いい構図になります。 (この柱廊内部も 2008年には 残念ながら立ち入り禁止でした。)

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 (Lado sur de Templo de los Guerreros)

上の写真とほぼ同じ所から戦士の神殿の南側を撮りました。 壁面の傾斜した部分はプレーンですが、垂直部分には 全面に漆喰装飾があります。

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 (Baño de Vapor)

更に東に進むと、スティームバスがあります。 水蒸気で体を清めましたが、儀式の為か、それとも特権階級の貴族の為でしょうか?
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 (Estilo Puuc que coexite con Estilo Tolteca)

スティームバスの西側に所々、プーク様式の建物の跡が散見されます。 時代的にはプーク様式のある建物の方が少し古そうですが、 トルテカ様式と融合した所もあります。
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 (El Mercado)

更に進んで市場まで来ました。 高い円柱で比較的広い空間が確保されていたようで、交易の店が開かれていたのでしょうか。  チチェン・イッツァ全盛の時代は、北部海岸の Las Ceritos 等を勢力下に収め、交易の為の港と塩田も確保していました。

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 (Las pilastras de Columnata Oeste)

西の柱廊の南端から戦士の神殿方向です。 整然と並んだ円柱が見事です。  多分藁葺きの屋根がついていたのだと思います。

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 (Cenote de Xtoloc)

市場の南西にあるシュトロックのセノーテは見学順路から少し外れており ついぞ足を運んだ事がありませんでした。 気になるので 2008年の 訪問で行って見ましたが、潅木の茂みに囲まれた窪みの底に濁った水が少し確認出来る程度です。 

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 (Templo de Xtoloc)

マヤの大きなセンター内にあるセノーテですから、やはり儀式が行われたようで、セノーテの横にはシュトロックの神殿がありました。  考古学的には価値のある所でしょうが、一般の見学者にはあまり見るべきものはありません。 時間に余裕があれば行って みてもよいでしょうか。

西の柱廊の南側に小さめの球戯場があるようですが、大分崩れていてどれが球戯場かわかりませんでした。 球戯場と思しき辺り には見事な浮き彫り彫刻がいろいろありましたが、長くなるのでこの辺で。

これでカスティーヨの東側を一回りしました。  戦士の神殿から一度カスティーヨに戻りますが、この先は第三部で。



CHICHEN ITZA  PART III

第三部では残りのカスティーヨの北西部を訪問します、あともう少しです。

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 (El Juego de Pelota)
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遺跡エリアに入ると直ぐ左手にチチェン・イッツァの大球戯場があり、球戯場東壁の南側に付属する形でジャガーの神殿が 建てられています。 

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 (El Juego de Pelota)

チチェン・イッツァの球戯場は 168 x 70m と マヤのみならず全メゾアメリカで最も大きなもので、その形状も東西の壁が 垂直になった独特のものです。 写真は南側から見た大球戯場です。

球戯と球戯場 についてはマヤ・トピックスでまとめて 取り上げてあるので、ご参考下さい。
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 (El anillo esculpido de Kukulcán)

球戯場の東西の壁の中程に取り付けられたマーカーは、雨の神の化身の蛇、ククルカンが絡み合ったデザインです。

球戯はマーカーにゴムを固めたボールを通す事で勝敗を決めたのですが、チチェン・イッツァではマーカーの位置が異常に高いので、 少しルールが異なっていたのかもしれません。
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 (Jugador de juego de pelota, bajorelieve de la cancha de Juego de Pelota)

東西の壁の下側には儀式の様子を刻んだ浮き彫りが施されています。 写真は豪華に着飾った競技者達です。

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 (Un craneo grabado dentro de una pelota, en la cancha de Juego de Pelota)

中央の円盤は死を表す骸骨が刻まれたボールで、このボールを挟んで左に勝者チーム、右に敗者チームが対峙します。 勝者チームの リーダーは右手に斬首用のナイフ、左手には切り取った首を持ち、敗者チームのリーダーは首を刎ねられ跪き、切られた首からは血を 意味する6匹の蛇が飛び出しています。

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 (Templo del Norte en el muro norte de Juego de Pelota)

競技場の北端には写真の神殿があります。 豪華な浅浮き彫りがありますが、どういう目的で使われた神殿でしょう。 競技は儀式 でもありますから、チチェン・イッツァの王や貴族は列席していた筈ですが…。

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 (Detalle de bajorelieve en el techo de Templo del Norte)

神殿の浅浮き彫りです。 発掘後ジブソーパズルを解いて修復したようで、完成した絵もあまり正確な様には見えません、 人が13人居るそうですが…。
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 (Templo de los Jaguares por encima de plataforma del lado este)

球戯場の高い壁の上の、ジャガーの神殿西側です。 二本の太い蛇の柱があり、写真では良く見えませんが、壁面には球戯のボール等 が彫刻されています。 以前はここまで登れたそうですが、今は見上げるだけ。 神殿の中にはイッツァ帝国創設の基となった戦争の絵が あるそうですが。

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 (Reproducción de la pintura mural de Templo de los Jaguares, Museo Nacional, D.F.)

これがその戦争の絵の複製(部分)で、メキシコ市の人類学博物館のマヤ室に展示されているものです。 実物はこんなに綺麗では ない筈ですが。

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 (Detalle de Fachada sur de los Templo de los Jaguares)

これはジャガーの神殿南側の壁面彫刻を望遠で撮ったものです。 知らないと見過ごしてしまいます。 せめて神殿上部まで登らせて くれると良いのですが。

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 (Templo de los Jaguares y su Anexo del nivel de la plaza)

ジャガーの神殿の東側、左端に急な階段があります。 ここを登ると球戯場に面した上の写真の神殿に出るのですが、立ち入り禁止。  広場に面した神殿で我慢しましょう。
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 (Anexo al Templo de los Jaguares)

東側の神殿の正面です。 建物上部には装飾は残っていませんが、下の方は壁も柱も、そして建物の内部も全て彫刻が 施されています。 柱の間に置かれたのはジャガーの形をした玉座です。

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 (Pilastras con bajorelieve y Chac Mool en el centro)

角柱を横から撮ってみました、精巧な彫刻です。 神殿内部の壁にも彫刻が残っていますが、かなり風化しています。  ジャガーの玉座ですが、ジャガーはマヤの支配者にとって権力の象徴でした。

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 (Bajorelieve en el interior del Templo)

これが神殿内部の彫刻の部分です。 彩色も少し残っているようですが、全体の構図がつかめません。  どこかの模写でもないでしょうか。

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 (Plataforma de Aguilas y Jaguares)

ジャガーの神殿近くにワシの基壇があります、正式にはワシとジャガーの基壇と言うようです。 上に神殿 が無いシンプルな方形の基壇で、四方に階段があります。  トゥーラにも同様なものがありますが、こちらの方が立派です。
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 (Detalle de bajorelieve de Aguilas y Jaguares)

ワシとジャガーの彫刻のクローズアップです。 ジャガーもワシも人間の心臓 を貪り食っている様子です。

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 (El Tzompantli)

大球戯場の東に並行する形でツォンパントリ(髑髏の塀)があります。 写真は北東角 だったと思いますが、壁が大分崩れています。 この髑髏の壁の基壇上には生贄の首 が並べられたという話ですが…。

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 (El Tzompantli)

髑髏オンパレードで、中程のパネルの髑髏は縦に串刺しされています。  中央高原のアステカでは横の串刺しが普通ですが…、いずれにしても現代の 我々には薄気味悪いだけです。 と言いつつ髑髏を見てみるとそれぞれ少しづつ表情 が異なるようで、この辺がマヤ人の美意識でしょうか。
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 (Plataforma de Venus)

カスティーヨの北側、広場の真ん中にある、金星の基壇です。 オサリオのグループにある金星の基壇と ほぼ同じものですが、少し大き目かもしれません。
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 (Un Chac Mool erosionado y Plataforma de Aguilas y Jaguares)

オサリオのグループの基壇と殆ど同じ彫刻が全面に施されています。 手前にはボロボロに風化したチャックモールがひとつありました。  因みにワシとジャガーの基壇にあったというチャックモールがメキシコ市の 人類学博物館に展示されていますが、このボロボロのものも風化する前はさぞ立派なものだったのでしょう。
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 (El Cenote Sagrado)

最後に聖なるセノーテへ行ってみます。 地図の北端ですが、地図ではセノーテまでの道を縮めてあり実際は 300m位歩きます。  直径 60m、水面まで 22m、水深は 13.5m、水は緑色に濁っていて現在は地下水脈から 遮断されているようです。

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 (El Cenote Sagrado)

生活の為の水と言うより儀式の場だったようで、 1882年と1968年には水を抜いて調査が行われ、金製品を始め、 銅、石、木、貝製品等の供物の他、生贄と思われる、成人、子供の骨も回収されました。 セノーテ 南端に写真にある構造物が設けられ、ここから儀式が執り行われたようです。

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 (Ofrendas recuperadas del Cenote Sagrado, Museo Nacional de Antropología, D.F.)

メキシコ市の人類学博物館マヤ室にはこのセノーテから改修された奉納物を集めて展示してあるコーナーがあります。 訪問の際はお見逃し無く。



これだけ大規模な建造物群を残して隆盛を極めたチチェン・イッツァですが、13世紀になるとマヤパンに覇権を奪われて 次第に衰退の道を辿る事になります。

遺跡はこれで終わりですが、博物館が併設されているので、収蔵品の一部を写真でご紹介します。 既に充分 説明を加えましたので、ここでは追加説明は控えます。 下の方の浮き彫り装飾に彩色した複製は、当時の 色が偲ばれて面白いですね。

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        (Las exhibiciones en el museo del sitio)



三部にわたる大作になりました。 これでチチェン・イッツァは一応終了ですが、実はチチェン・イッツァに隣接して更に南に チチェン・ビエホ (旧チチェン)と呼ばれる区域があり、ここもチチェン・イッツァの一部です。 現在調査、修復中で、 チチェン・イッツァからのアクセスはありませんが、やや様式を異にする興味深い地域であり、ページを改めて紹介してあります。

( 「地球の歩き方」など、尼僧院やカラコルの辺りを旧チチェンと説明していますが、これは日本のガイドブックによくある間違いで、 本来の旧チチェン=チチェン・ビエホは尼僧院の南 約1Kmにある区域を意味します。 )


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