マヤ遺跡探訪
NAKUM
ペテン地域北東部にある ヤシャー・ナクーム・ナランホ国立公園。 公園の入り口になるヤシャー遺跡までは道路が整備されていて ヤシャーだけは既に2回行っていますが、その先のナクーム遺跡とナランホ遺跡はアクセスが非常に悪く、とても気になる遺跡ですが未訪問でした。

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ナクームは比較的保存状態の良い建物と内部に残されたグラフィティが知られますが、その立地は 超大国のティカルから東へ 25Km、ナランホ遺跡からは西へ 10Km と、南のヤシャー共々古典期後期に争いを繰り返す大国の間にあり、 どんな王朝がどんな時代を経てきたかも興味深い所です。

ナクームとナランホは乾期の間に四輪駆動の車でのみ訪問可能と聞いていたので、現地のコーディネーターと時期を選び、 四駆とガイドを手配して貰い、やっと訪問実現です。

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     (訪問日 2018年3月14日)
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ヤシャーからナクームへ   De Yaxhá a Nakum
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 (Parque Nacional de Yaxha・Nakum・Naranjo)

朝 7時半にペテン・イッツァー湖畔のホテルを出発し、9時半にはヤシャー湖畔にある国立公園の管理事務所に着いていました。 ここまで順調です。 前回ヤシャーに来たのはもう 7年以上前になりますが、事務所は中庭のある大きな建物になり内部には遺跡に関するパネル展示があって様変わり。 ここで国立公園の入場料を払いますが、今日の目的地はナクームです。

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 (De Yaxha a Nakum)

事務所からそのまま車でヤシャー遺跡の駐車場へ向かい、駐車場の手前 ナクーム 17Km の標識で右折、ナクームへ向かいます。 直進すれば 150m で ヤシャー遺跡 ですが、今日はナクームです。

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 (Camino a Nakum)

車はジャングルの中の道を 10分程進みますが、だんだん雲行きが怪しくなってきます。 と言っても空模様ではなく、遺跡までの道筋です。  水溜りに轍が何本も残され酷い状態ですが、ここは悪路に慣れたドライバーが日本製の四駆トラックを駆って無事通過、 巧みなハンドル捌きで注意深く轍を避けながらです。

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 (Camino maltratado)

しかし乍ら乾期の筈なのに数日前に雨が降ったそうで、難所をクリアしつつ先へ進みますが、遂に運命の決断を迫られます。  コーディネーター君曰く、まだ遺跡まで 14Km あるけれど歩けるか、と。 雨の後に巨大なタイヤを履いた四輪ジープが 道路を壊していったようで、普通の四駆ではこれ以上無理!

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      (Ruta desde Yaxha a Nakum)

14Km は片道で、帰り道を考えるとその倍、この年にしてそんなに歩けるものか? でも引き返してしまったら後で悔いが残るし、 その為に来たのです、行くしかないでしょう。 無謀な決断です。 同行の 3人の若者には迷惑な老人だったかもしれません。 帰国してから GPSロガーで軌跡を確認してみましたが、星印が立ち往生した地点です。

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 (Caminata a Nakum)

コーディネーターのコルネリオ君 26才、ドライバーのジョバンニ君 23才、現地ガイドで女性のミタリアさん 20才。 3人の年齢を合計して自分の年と比べると笑ってしまいます。 若者の後をついてナクームまで 12Km、6Km と遺跡に近づきます。

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 (Caminata a Nakum y Huella de Jaguar!)

起伏は殆どありませんが、所々悪路を避けてジャングルの細道に分け入り、平均すると 1Km 14分のペースでした、立派なものです?  水溜りの近くには真新しい獣の足跡が沢山残されます。

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 (Caminata a Nakum y Huella de Jaguar!)

自分の足と比べてみました。 かなり大きな足跡ですが、これはこの辺りで生態系の頂点に立つジャガーが残していったもの。 森の中からこちらを見張っている?

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     (Jaguar en Aluxes , Palenque)

で、出てきたのがこれ、って言いたいところですが、昼間から出てくる訳ありません。 これは動物園で撮ったジャガー、でもこんなのがこの 辺りを歩き回っているのです。

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     (Entrada a Nakum)

何とかナクーム遺跡の入り口に辿り着きました。 ただ車ですんなり着いたのではなく、自分の足でここまで来たのかと思うと 感慨一入です。 足の裏は多分マメだらけ、でも靴を脱いでみる気はしません。

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 (Río Holmul a la Entrada de Nakum)

ゲートを潜るとその先にホルムル川が流れています。 木製の橋が架けられていますが古いもので使用不可、現在は 石を敷き詰めて歩いて渡れるようになっています。 上流はティカル遺跡の近くを通り、下流にはホルムル遺跡があり、 雨期になるとかなり水流が増すようです。

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 (Campamento de Nakum)

ホルムル川から更に 500m 位歩くとやっとナクーム遺跡のキャンプに到着でした。 時計はとっくに 12時をまわり、 1時40分。 本来ならば 11時頃に車で着いて遺跡を一回りした頃だったでしょうか。

もうかなり体力を消耗してしまいましたが、ここからは別腹ならぬ別足です。



ナクーム遺跡   Sitio de Nakum
キャンプ  Campamento

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 (Campamento de Nakum)

ナクームでの考古学プロジェクトは一段落し、プロジェクトチームは最近ナランホへ移動したそうで、遺跡には IDAEH の係員が2人常駐しているだけ、遺跡は閑散としていました。

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 (Réplica de Decoración de estuco en forma de Guacamaya)

キャンプの建物のひとつに遺跡で発見された漆喰彫刻のレプリカが飾られています。 コンゴウインコを表したもので、 およそ原寸大のようです。 ヤシャーの国立公園事務所で公園のシンボルにも使われているものでした。

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 (Réplica de Serpiente Emplumada)

キャンプの一角にもうひとつレプリカがあります、これは観光コース外の北の区域で発見された、羽毛のある蛇の 漆喰彫刻でした。

車を置いて徒歩行を余儀なくされたので、帰りの時間を考えるとあまり時間は残されていません。 少しだけ休憩を取って 急ぎ遺跡へ向かいます。

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     (Mapa de Sector Sur de Nakum)
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ウェブで公開されているナクーム考古学プロジェクトの調査報告 にある地図に、緑色で中庭の番号を、オレンジ色で建物の記号を書き加えました。 2006-07年の調査報告書なので、その後もう少し発掘修復が進んだ所も あるようですが、ナクームを訪問するにはこの地図が必須です。 (以下、MAPボタンで地図を別ページで開いておくと、説明文が理解し易くなると思います。)

ナクーム遺跡はフランス人のモーリス・ペリグニィによって 1905年に調査され、その後度々調査はされるものの 60年代には他の遺跡同様に盗掘団の被害にあっているようです。 70年代以降調査が再開され、本格的な修復活動が 90年代に入ってから行われ、 ナクームの起源は先古典期に遡り、最も繁栄したのが紀元 600年からの古典期後期になってからだったという事がわかってきていますが、 碑文等の文字資料が希薄な為にその実態解明はまだまだこれからのようです。



アクロポリスへ  Hacia Acropolis

さてここから遺跡探索になります。 帰る時間を気にしつつ実際に遺跡をまわれたのは正味 1時間15分位でしたが、南の地区は一通りカバー出来たようです。

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     (Basamento oeste de Acrópolis)

キャンプはアクロポリスの西側にあり、最初に見えてきた石組はアクロポリスの西側の外壁になり、 アクロポリスが高い基壇上に設けられている事がわかります。

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 (Basamento oeste de Acrópolis)

現地では一体何処にいるのか見当がつきませんでしたが、後で写真を3枚合成してパノラマ画像にして地図と突き合わせてみました。 この画像では一番左がアクロポリスの建造物 F の背面、右が建造物 M の背面になるようです。

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     (Lado oeste de Estructura M)
建造物 M の右(南側)が開いていて、ここからアクロポリスに登りました。 写真は M 西側面とその下のアクロポリスの基壇です。

アクロポリスは南北に 170m、東西に 150m の巨大な基壇上に設けられ、33 の建造物に囲まれた 12 の中庭で構成され、中心の王宮を守る形で 貴族の居住区が広がっていました。


中庭 4  Patio 4

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 (Patio 4 y parte de Estructura M a la izquierda)
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 (Patio 4 y Estructura L a la derecha)

アクロポリスの基壇へあがり、中庭 4 に出ます。 左に建造物 M の南側面(写真上)と右に建造物 L の北側面(写真下)が見えます。

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 (Esquina suroeste de Estructura M)
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 (Parte este de Patio 4 y Plataforma de Acrópolis Interior)

建造物 M の南側から発掘されていない建造物 K の南側(写真上)と、建造物 K の続きから内部アクロポリスの西側基壇(写真下)で、 あまり特徴的な建物はなかったようで、どちらかと言うとアクロポリスの西側の登り口のような感じを受けました。

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 (Lado norte de Estructura L)

これは建造物 L の北側で、この階段を上って中庭 5 に入ります。


中庭 5  Patio 5

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 (Estructura L)

建造物 L の内側(写真左)とそこから見下ろした中庭 4(写真右)で、建造物 L はガイドによると居住区との事でしたが、 何となく守衛所のような雰囲気です。

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 (Lado Norte de Estructura N)

建造物 L の南側には建造物 N の北側面が広がります。

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 (Parte frontal de Estructura N)

そしてその東を向いた正面。 基壇上に二層の居室が設けられた宮殿形式の建造物で、かなり往時の姿を留めています。

ナクーム遺跡の繁栄は古典期後期と書きましたが、アクロポリスは古典期終末期とも呼ばれる古典期後期の晩期、つまり紀元 850-950年頃に全面的に改築、新築が行われているそうで、 所謂古典期マヤの崩壊でティカルを始めとしたマヤの大規模センターが相次いで没落していく中、ここナクームが最繁栄期を迎えたというのは大変に 興味深いところです。

ナクームはおよそティカルの勢力下に置かれていたと言うのが一般的な見方のようですが、ナクームの建築活動が活発になったのはティカルの終焉と何か 関係があったのでしょうか? 古典期のマヤ遺跡の中で特にナクームの建造物の保存状態が良いのもその建築時期によるものかもしれません。

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     (Techo original en el interior de segundo nivel)

基壇上の二層の宮殿の下層部分は天井を含めてほぼ当時の姿を保っています。 入り口に柵があり中には入れませんが、入り口から覗くと マヤアーチの天井、支えの木材に、壁の漆喰が確認出来ます。 奥の方は真っ暗ですが、天井があるので居室が当時の様子をそのまま残しているものと思います。

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  (Graffiti en el interior de segundo nivel)

入り口部分の側壁にグラフィティが確認出来ました。 漆喰は勿論当時のもので部分的に赤く彩られていた跡も見えます。 建物や人物が線刻されていたようですが、 やや不明瞭です。

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     (Palacio superior de Estructura N)

宮殿の上層部を北から南に見た所です。 左右両端の独立した居室は屋根が失われていますが、横長のテラスの後方の居室は屋根も完全です。

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     (Decoración estucada de Guacamaya tapada para protección)

細長いテラスの南端からコンゴウインコの漆喰装飾が見つかったそうで、現在は保存の為にカバーが設けられています。 壁面を飾ったものかと思いましたが、床面装飾でした。 ガイド嬢いわく、ワニやハチドリの装飾もあったそうで、 レプリカでも見てみたいものです。

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     (El interior de Palacio superior)

宮殿上層部は中に入れました。 前後二列に空間と居室が設けられていて前列は開口部が広いので写真が撮れました。 こんな所まで入れるのは秘境の遺跡ならではの醍醐味です。 後列は暗闇の中になり通れましたが、暗くて写真になりません。

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  (Puerta con boveda circular, y ventana redondeada)

中央の広い戸口の右側に円形アーチを持つ戸口があり、他のマヤ遺跡では見られない独特なものです。 また この円形アーチを入って右側の居室にはこれも他にあまり例のない円形の覗き窓がありました。 建物は当時のままですから、 意図的にこういう丸い形に作られていたようです。

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  (Graffiti en el Palacio superior)

円形アーチの戸口の側壁のグラフィティ。 三角屋根のマヤ民家やジャガーのような動物が描かれているようですが?

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     (Palacio superior de Estructura N)

テラス後方の居室の前に通路があり、その前に分厚い壁のようなものがありますが、上の方は崩れていたようです。

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     (Puerta con boveda circular)

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     (Cuarto de lado norte de nivel superior)

分厚い壁の奥にある円形アーチの戸口(写真上)と右の独立した居室(写真下)で、 屋根が失われた居室の方は壁に壁龕や木材を通した穴のようなものが残されます。

ヤシャー遺跡では 2000年に入った頃から建造物の修復が行われ、崩れた階段は作り直され、建物自体も作り直すくらいの本格的な修復でしたが、 ナクームでは発掘されたものの清掃と補強程度のようです。 建造物 N では上層部中央の崩れた屋根だけ内部保護の為に修復されているようです。

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  (Parte frontal de Estructura N)

先へ進む前に建造物 N を正面からもう一度。

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  (Patio 5, vista de este a oeste)

中庭 5 の中央から西方向に見える建造物 N。 左にあるのが建造物 O の土塁で、右は内部アクロポリスの基壇になります。


中庭 7  Patio 7

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 (Estructura P)

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 (Estructura Q)

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 (Parte norte de Patio 7)

中庭 7 に入り中庭の南側で、建造物 P の北側になりますが、正面階段は未修復のようです。(写真上)  東側には居室が7つ並ぶ低層の建造物 Q があり(写真中)、北側にも居室が設けられています(写真下)。 北側の建物は地図に建物名がありませんが、建物 24 と左上の大きな建物が建物 25 になり、比較的新しく発掘修復されているようです。

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 (Lado este de Acrópolis Interior)

中庭西側は内部アクロポリスの東側面にあたり、ここにも居室が二層にわたって修復されており、中庭 7 は貴族の居住区だったでしょうか。

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 (Edificio 25)

建物 25 の前に階段があり、ここから北側の中庭 9 に抜けていきます。

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 (Patio 7)

中庭 9 に行く前に建物 25 辺りから振り返って、中庭 7 の全景です。


中庭 9  Patio 9

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     (Temazcal)

中庭 9 に入り、ここで特筆されるのはテマスカル(スチーム・バス)です。 ほぼ当時のままの姿で残され、持送り式アーチの入り口の奥は 逆U字型のベンチが設けられていました。 地図に明示されていませんが 南東角で北側に口を開けている建物で、現地の案内板によると 800-900年頃の建造になるようです。

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 (Estructura R)

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 (Estructuras S, R)

中庭 9 の東側は建造物 R (写真上)で、北側はかなり崩れた建造物 S で閉じられます(写真下)。

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 (Parte oeste de Patio 9)

中庭の西側には建物 14 の土塁の向こうに建造物 G の東側面と、右奥にピラミッド神殿の建造物 E が見えてきますが、これは中庭 1 の主要建造物になります。


南東の広場  Plaza Sureste

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 (Estructura U en la Plaza Sureste)

中庭 1 に行く前に建造物 R の裏側に登りました。 ここからは南東の広場にあるピラミッド型建造物 U が望めます。 南東の広場はアクロポリスの外側になり、時間が十分にあればこちらにも足を運んだところですが、如何せん時間が足りません。

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 (Plaza Sureste y Estructura U)

アクロポリス東側斜面から南東の広場、そして奥の建造物 U です。

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      (Acercamiento de Palacio superior de Estructura U)

ピラミッドの基壇は緑に覆われたままですが、上部神殿が見えたのでトリミングしてみました。  ピラミッドの下まで行ってみたかったです。


中庭 1  Patio 1

中庭 1 は北側からアクロポリスに登って最初の中庭で、更に高いところに置かれた王宮と考えられる内部アクロポリスの前にあり、 非常に重要な場所を占めています。

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 (Patio 1)

中庭 9 から近づいて見たピラミッド神殿の建造物 E で、右に建造物 D の一部、左に建造物 G の角が見えます。

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 (Estructura E)

南東側から見た建造物 E (写真上)と東側から見た正面(写真下)です。

アクロポリスの建物群は殆どが古典期後期に増改築されていると書きましたが、10回に及ぶ改築の跡が確認されている建物もあるそうで、 建造物 E の発掘では 700年頃の建物の奉納儀礼で置かれていた品々が階段下から発見され、国立博物館に展示されています。

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      (Ofrenda 15, exhibicion en MNAE)

これが国立博物館の展示で、2本の大きなナイフの上にオルメカ様式のヒスイの仮面を置き、四方を4本の円筒形のヒスイで囲んで、 ウミギクガイと珊瑚の欠片を添えてあり、奉納品の配置がわかる興味深い展示です。 オルメカ仮面は先祖伝来の品でしょうが、 ヒスイ、黒曜石、海産物など 700年頃のナクームの交易活動の広さを示しています。

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 (Edificio 14 y 15)

建造物 E と向かい合って広場の東側に建物 14 と 15 の土塁があります。 写真上は南から見た側面で、写真下はおよそ正面からになり 右側に建造物 G の階段が見えます。

現在は単なる土塁にしか見えませんが、2006-2007年の調査で試掘坑を掘り徹底的に調査が行われ、先古典期に遡る異なる建築遺構が確認されただけでなく、 先古典期の埋葬や古典期後期の王墓を含む多くの墓が確認され、ここがナクームの古くからの霊廟の性格を持った建物だった事が確認されています。

地図の所で紹介した 2006-2007年の調査報告 を読むと、数多くの新しい情報が明らかになっています。 スペースの関係でここでは紹介しきれませんが、 建築時期が先古典期に遡る事、先古典期の成人女性のものと思われる埋葬が彩色土器等の副葬品を伴って発見された事、 テオティウアカンのタルー・タブレロ様式も確認出来る事、建物の基壇に仮面装飾が施されていた事、 数多くの副葬品を伴った古典期後期の王墓(Tumba 1)が発見された事、等が特筆されます。 一番興味深いのは王墓から発見された大きなヒスイの胸飾りで、古典期前期に遡るヤシャーの王名が刻まれており、当時 ナクームがヤシャーに支配されていたのか、同じ王朝だったのか、ヤシャーから贈り物を受けたのか、或いは戦利品だったのか、 等々いろいろな憶測を呼びます。

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    (Estructura G, Edificio 13)

説明が長くなりました、先を急ぎます。 写真左は建造物 G の東側、右が G の側面の南方向で階段上が建物 13 になるでしょうか。

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 (Parte frontal de Estructura G)

これは中庭 1 の南側にある宮殿風の建造物 G の北側正面で、すぐ後ろには内部アクロポリスが聳えます。 神殿ピラミッド E と 建物 14, 15 の霊廟の間の中庭 1 で執り行われる重要な儀式・祭礼を王宮から降りてきた王族がここから執り行った、そんな位置になりそうです。

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  (Estructura G, I ?)

左は建造物 G の西側面、右はその西方向で 修復されている建物は建造物 H か J になるでしょうか。

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  (Lado trasero de Estructura G y Escalinata que conduce al Acróplis Intrior)

建造物 G の裏側に木製の階段が整備されていて、ここから内部アクロポリスへ登っていきます。 石の階段があった筈ですが修復されていません。

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  (Lado trasero de Estructura G)

木製階段を上る途中から中庭 1 の方を見下ろしてみました。 建造物 G は中央が崩れていますが、想像復元画の様に二層になっていたようです。

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内部アクロポリス  Acrópolis Interior

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 (Patio 6 y Estructura Y)

これが現在の内部アクロポリスの姿です。 内部アクロポリスは上の復元画でわかるように、アクロポリスの中でも一段高い所に設けられ、 古典期終末期の王宮だったそうです。 古典期後期の戦乱の激化に対して防御的な意味合いもあったのでしょうか。 ガイドのミタリアさんも お疲れの様子。

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 (Fachada principal de Estructura Y)

建造物 Y は3つの戸口のうち中央は崩れていますが左右の戸口は健在です。 建物上部には屋根飾りの基部が残されるようですが、 実際どんな屋根飾りだったのでしょう?

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      (Puerta del lado derecha y el interior)

こちらは右(東側)の戸口の外と中で、まぐさの木材は新しいものに置き換えられているかもしれませんが、内部は壁に漆喰が残り、 天井の補強材共々当時の姿を残しているようです。

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 (Color original conservado y banca)

建物の外壁には当時の赤い彩色が残る部分もあり(写真左)、室内には大きなベンチが設えられていました。 王族の住まいだったのでしょう。

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  (Graffiti en el interior)

そして内部正面の壁にはグラフィティが残されます。 高い屋根飾りを持つ建物が描かれているように見えますがどうでしょうか。

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 (Estructura Q observada desde Acrópolis Interior)

建造物 Y は周囲をぐるっと回れ、写真は東側を見下ろした所で中庭 7 の建造物 Q が見えます。

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 (Parte trasera de Estructura Y)

こちらは東側から見た建物の背面で、左側の斜面の下は中庭 5 になります。

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      (Estructura N observada desde Acrópolis Interior)

建造物 Y の南西角から眺め下すと木々の間に建造物 N の上部が確認出来ました。

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      (Un cuarto del lado oeste de Estructura Y)

これは建造物 Y の西側の独立した居室の入り口で、内部にはナクームで見た中で一番状態の良いグラフィティが残されていました。

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      (Graffiti conservado en el interior)

      これがそのグラフィティのおよそ全体です。

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      (Detalle del Graffiti)

折角なので細部を見てみましょう。 上の画像では横向きの人物の顔が明瞭に残され、頭飾りをつけて手に何か持っているようです。  真ん中の画像はやや不鮮明ですが横向きに座った人物が3体確認出来ます。 下の画像では打楽器を奏でながら行進している様子が描かれているようです。 なかなか写実的で当時のマヤの人達の息遣いが感じられ、ちょっと感動を覚えます。


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 (Estelal 38)

内部アクロポリスはこの辺にしてまた中庭 1 に降ります。


中庭 1 建造物 D  Patio 1 Estructura D

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 (Lado sur de Estructura D en el centro)

中庭 1 に降りる階段から建造物 D (写真中央)が見下ろせます。 この建造物は 44 の部屋を持つ宮殿と呼ばれる東西に長い建物で、 この写真で見えるのはその3分の1程度です。

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 (Lado sur de Estructura D)

中庭 1 に降りて建造物 D の屋根が取り付けられた所の横にある階段を登って中に入ります。

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 (El interior de Estructura D)

中庭 1 に面した南側と中央広場に面した北側に 44 の部屋が東西に2列並びます。 地図にある建物の平面図でわかるように、 建物の中心は北と南が通路で繋がっています。

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      (Graffiti conservado)

建造物 D の内部には壁に塗られた漆喰が随所に残され、グラフィティーも数多くあり、この写真はその一部ですが、何が描かれているのでしょう?

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 (Parte este y oeste del lado frontal sur de Estructura D)

東西に長い建物で全景を撮りたかったのですが、中央プラザに生い茂る木々に邪魔されて撮れません。 代わりに真横から撮ってみました、 左が建物北正面の東方向、右が西方向です。

時計を見るともう3時を回っています。 帰りもまた 14Km 3時間半位歩かなくてはなりません。



中央広場   Plaza Central

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 (Plaza Central)

階段を降りて駆け足で中央広場をまわります。 ここは大きな神殿ピラミッドが北と東西に3つ立ち並ぶところなのですが、 ゆっくり見ている時間はありません。

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 (Estructura C y Estela C)

西側の神殿ピラミッド、建造物 C 、手前に石碑 C が立っています。 このピラミッドと東にあるピラミッド複合、 建造物 A で天文観察複合を形成していたそうです。


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 (Estela C)

ナクームでは 15本の石碑が確認されますが 文字が刻まれていたのは3本だけで、その内の1本がこの石碑 C になります。 文字数は少なく図像は刻まれていませんが、9.19.5.0.0(815年)の4分の1カトゥンを祝ったもので、下から2番目の文字が ナクームの紋章文字になるそうです。

他の2本は建造物 D の前にあった石碑 D 10.1.0.0.0.(849年)と南東広場の建造物 U に置かれた石碑 U 9.17.0.0.0(771年)で、 全て大規模センターが衰退していった古典期終末期にかけての石碑になり、この時期のナクームの繁栄が裏付けられますが、 逆に他のマヤセンターが盛んに石碑を建立した時代にはナクームは独自の石碑を持たずに他のセンターの勢力下に置かれていたと 考えられそうです。

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 (Estructura A)

建造物 C と向かい合って広場の東に聳える建造物 A です。 天文観察複合ですから左右に付属する建物がある筈ですが、 木々に覆われていて何も見えません。

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 (Altar Circular)

建造物 A の前には円形の祭壇が残されます。 彫刻されていたようですが既に風化してしまったのか 殆ど何も読み取れません。

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 (Estructura A)

建造物 A は想像復元画を見ると三層の基壇上に現在目にする屋根飾り付きの神殿が築かれていたようですが、 基壇部分は未修復で全面緑に覆われたままです。上部神殿は中央に戸口がひとつだけ見えますが、左右にも戸口があったそうで、 これは上部構造が崩落しないように壁で塞がれています。(半円の部分)

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 (Crestería de Estructura A)

建造物 A の屋根飾りはティカル以外では最も保存状態が良いものだそうで、屋根飾りだけトリミングしてみました。 被り物を付けた王の肖像が刻まれているようです。

古典期終末期以前のナクームは他のマヤセンターに従属していた可能性がありますが、発掘でテオティウアカンのタルー・タブレロ様式が認められ、 天文観察複合があり、またこの屋根飾りです。 ティカルの支配下にあった、或いはヤシャー経由でティカルの勢力圏だったと考えるのが妥当なような 気がします。 もしそうであればカラクムルと共にティカルと争いを繰り広げていたナランホが直ぐ近くですから、ナクームも古典期のマヤの戦乱とは 無縁ではいられなかったでしょう。

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 (Montículo de Estructura B)

これが中央広場北の建造物 B の現在の姿で、全面的に高木に囲まれています。

時計を見るともう3時半近く、これは本当にやばいです、明るいうちに車まで戻れません。

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 (Juego de Pelota y Calzada Perigny)

速足でまずはキャンプまで戻ります。 建造物 B の西側にはペリグニィの道(Calzada Perigny)(写真右)があり、北の区域に繋っていますが、 勿論行けません。 建造物 C の北西側にある球戯場跡を抜けて(写真左)キャンプへ。  ガイドのミタリアは北の区域は行けないと言っていましたが、時間の問題だったでしょうか。

ここでナクーム遺跡探索は終わりです。 以下帰り道の状況を簡単に。


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 (Adiós Campamento de Nakum)

キャンプを後にして帰途に就いたのは 3時42分、日の入りは6時半頃です。 ここから 14Km 歩いて車まで戻ります。

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 (Regreso de Nakum en la oscuridad)

途中は省きますが、兎に角歩け歩け。 左の写真は 6時13分の帰り道、かなり暗くなってきました。 そして右が 6時30分、 懐中電灯で足元を照らして貰いながら、ジャガーの足跡が残るジャングルの道を歩き続けます。

最終的に車まで辿り着いたのは 7時 7分、何とか無事生還出来ました。 3時間25分の徒歩行は暗闇の30分を考えると結構なハイペースですが、 若者3人に追いつくよう必死に歩いた結果でした。 宿は国立公園事務所近くのエコロッジ「エル・ソンブレロ」を取ってあったので 7時半頃には着いたと思いますが、疲れて写真も撮っておらず時間がわかりません。 何はともあれ無事宿に帰着、何とも大変な一日でした。

結局往復だけで 7時間も歩いたのに遺跡探索は正味 1時間15分だけ、やや悔いの残る訪問になりました。 でも取敢えずナクーム遺跡、制覇です。 


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次はナランホ遺跡です。



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