マヤ遺跡探訪
XPUHIL
シュプイル遺跡はリオ・ベック地域の中心的なベカン遺跡から 7km 東に位置し、チカナ、オルミゲロ、リオ・ベック遺跡と共に、 リオ・ベック様式の代表的な遺跡です。

遺跡は20近いグループに分かれて 5㎢ 位の範囲に散在し、一部は近隣の同名の街に半ば呑み込まれ、見学できるのは修復公開 されているグループ 1 だけですが、3本の塔を持つ建造物 I は典型的なリオ・ベック様式の宮殿建築として最も規模の大きい もののひとつになり、見逃せません。

グループ1は国道の北側にあり 国道には中央分離帯があるので、ベカンから行った場合は遺跡の入り口が見えません。 一度シュプイルの町 (Xpujil) に入って Uターンして町外れに出ると遺跡の駐車場が見つかります。

   (訪問日 2002年1月5日、2006年11月19日、2013年1月14日)

建造物 I で仮面の彫刻が一番綺麗に残るのは実は建物の裏側で、これまで写真を撮り損なっていました。 今回の訪問の目的は 唯一この仮面装飾 でした。

   (訪問日 2014年1月15日)
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 (Vista aérea por Google Earth)

Google Earth で空から見たシュプイル遺跡です。 南に国道 186号が東西に走り、北側には小さな飛行場の滑走路があり、左下の目盛は 100m です。

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シュプイルの町 (Xpujil) を出て右側に見えてくるシュプイル遺跡の駐車場、ストリートビューの画像です。

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     (Entrada al sitio de Xpuhil por Street View)

中央分離帯があるのでベカン方向からは直接駐車場には入れません。(メキシコは右側通行です。)

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     (Area de Entrada)

駐車場横の青い看板の所に金網の扉があり、ここから遺跡への道が伸びています。

看板の遺跡名 XPUHIL の下に COLA DE GATO (猫の尻尾)と書かれていますが、XPUHIL とはマヤ語で COLA DE GATO という野生のレタス の一種で、これが近くに生えていた事から遺跡がシュプイルとなったそうです。 あまり意味がありませんが。


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遺跡の地図です。 遺跡にある案内板を利用させて貰いました。

遺跡の入り口は地図の右側(東)で、西に向かって進んでいくと 未発掘の土塁から切り石が顔を覗かせます。 建造物V、VI は発掘修復が行われていないので、その遺構かもしれません。

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     (Estructura IV)

最初に目にする修復された建物はこの建造物 IVで、東を向いて建てられています。 上は南東から見た建物の前面、下は南西からの背面 で、小高い土塁の上に築かれた二層の宮殿風の建造物で、1993年に修復されたそうです。

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     (Banquetas de estilo Rio Bec, Estructura IV)

建造物 IV は全体的にかなり崩れており増改築が繰り返されているので元の形がよくわかりませんが、随所にリオベック様式の特徴が見られます。

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     (Estructura III)

建造物 IV の先には北向きに建てられた建造物 Ⅲ があり、上は北東側から見た前面、下は同じく前面ですが北西側から見たところです。 旧版の ミニガイドによれば両端に見せかけの塔を持つリオベック様式の住居との事ですが、殆どその面影が認められません。

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     (Estructura III)

建造物 Ⅲ の西側に出て更に西へ向かいます。 目指すは3本の塔を持つ建造物 I 。 この写真の左側(西方向) に建造物 I が見えてきます。 シュプイルの一番の見どころです。


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 (Estructura I de tres torres)

そして広場の向うに見えてくる建造物 I 。 東向きに作られているので、正面写真は午前中に限ります。  かなり崩れているとは言え、三本の聳え立つ塔を持つ建造物は 見る者を圧倒します。

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 (Estructura I de tres torres)
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建物の正確な大きさはわかりませんが、建物がのった基壇は 幅 53m、奥行き 26m、高さ 2m になるようで、ベカン遺跡の建造物 I や リオ・ベック遺跡A の建造物 5N2 等と共に リオ・ベック様式の建造物の中で最も大きなもののひとつになります。 (写真拡大で  1200 x 800 ピクセルの画像が開きます。)

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     (Reconstrucción hipotética de Estructura I)

シュプイルの発見は 1938年で、1943年に撮られたセピア色の写真を見ると、3本の塔はあるもののモザイク装飾は既に殆ど剥がれ落ち、 基壇から正面の居室部分は灌木に覆われています。 同じ年にタチアナ・プロスコウリアコフにより想像復元画が作られますが、写真のボロボロの 状態からは考えられない立派な建物に仕上がっていて、調査研究の結果とは言え素晴らしい再現力に驚かされます。 建造物 I の前に タイルで出来た説明パネルが置かれ、このプロスコウリアコフの復元画が添えられていました。

現在遺跡で目にする姿は 1984-86年に修復されたもので、当然復元画の状態までは修復出来ないので、復元画は元の姿を理解するのに大変 役立ちます。 以下、復元画を参考にしながら細部を見ていきましょう。

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           (Torre central de Estructura I)

典型的なリオ・ベック様式宮殿は 一般的に建物の左右を一対の見せかけの塔で飾られますが、このシュプイルの宮殿は建物背面中央に 第三の塔が追加され、3つの塔を持つ独特の形状になっています。

これは正面から見た第3の塔のクローズアップです。 居室の上に聳える塔の部分で、復元画にある屋根飾りは殆ど失われているようです。  塔もその上の神殿も部分的にモザイク彫刻やモールディング、階段の痕跡を残すのみです。

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     (Temploo superior de Torre central)

更に神殿部分のクローズアップです。 大地の怪物の口を模したモザイク彫刻の跡が辛うじて見て取れ、左右の角は上下にチャーク像が 並べられていたようです。 そして天辺に何とハヤブサが見つかりました。

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     (Un halcon sobre la cumbre)              (Cría de Bújo? en un nicho)

神殿の右上を目一杯拡大しました。 コウモリハヤブサです。 一番高い所に留まりシュプイルの支配者の如くです。 前回 2006年には フクロウの雛を見つけましたが、現在の遺跡は猛禽にとっては格好の棲家になっているようです。

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           (Lado frontal de Torre Norte)

ちょっと横道に逸れました。 東側正面から見た塔は3本ともかなり崩れていますが、北側の塔にはモールディングと見せかけの階段が一部 残されます。 左側面に四層のモールディングガが確認出来ますが、もともとは十一層あったようです。 そして正面から見ると左右の モールディングの間には急な見せかけの階段があり、階段にかぶさる形で怪物の巨大なマスクが上下に3つ並べられていました。  現在は一番上のマスクの口が穴になっているだけで、階段の上になる神殿部分は基部を残すのみです。

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     (El interior de cuarto central)

中央の居室に一歩足を踏み入れて右方向です。 正面の壁の上の方でアーチ天井が崩れた所に穴が開いていますが、ここでフクロウの 雛を見つけたのでした、どうでもいい事ですが…。 そしてその奥に聳えるのが上で見た北の塔です。

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     (Planta de la Estructura I)

これは建造物 I の平面図で、 Arqueologia #18 p.20 からスキャンしました。 東側正面から6部屋、南北両端から各2部屋、西背面から2部屋の 合計12部屋が全部で7つの戸口から入れるように配置され、更に基壇の南北両端に各2部屋が地下室の様に作られていました。

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     (Portal central)

居室部分のアーチ天井は全て崩れていますが、天井の下の戸口とその周辺のモザイク装飾の一部が残されます。 写真は3つある正面の戸口の 中央で、横向きのヘビのモザイク彫刻が嵌め込まれたパネルが戸口の左右にあります。 手前の部屋には左右にベンチが置かれ、奥の部屋は殆どの スペースがU字型のベンチで占められます。

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     (Panel decorativo de serpientes en perfil)

左は左右の戸口を飾るモザイク彫刻で横向きのヘビのモチーフです。 右は中央の戸口を飾るモザイク彫刻で横向きのヘビは左右の戸口の ものと比べると少し幅広で左右対称です。

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     (Pasillo abierto en la Torre Sur)

中央の居室から左(南方向)を見上げると通路がポッカリ口をあけます。 南の塔からは居室部分の上へ抜ける通路があり、上の平面図にも 記されていました。

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     (Parte frontal del Palacio vista desde sureste)

南へ回って上に行く通路の入り口を探します。 写真は南東側から見た正面で、手前の南の塔に通路があります。

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     (Entrada a la escalinata interior)

2本の角柱の右側が通路の入り口です。 非常に狭い急階段で、先に上がった人が降りてくるのを待ちました。

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     (Escalinata que conduce a la techumbre)

階段はかなり崩れていますが左右の壁を支えに上へあがっていきます。 先の方が明るくなっていますが平面図にあるように通路は上の方で 屈曲しています。

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               (Vista desde salida de escalinata)

通路を抜けると、目の前に中央の塔と北の塔、そして眼下に天井の崩れた居室跡が望め、ここだけで楽しめる光景です。  真下に見える居室跡は屋根が無いのでベンチなどの造りが上から確認できます。

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     (Torre Central y Norte)

中央の塔の上部神殿はみせかけだけのもので、奥行きが無く薄っぺらです。 北の塔は既にみたように、上部神殿は基部を 残して崩れ落ちているので、その分少し背が低くなっています。

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     (Parte trasera del Palacio vista desde suroeste)

基壇に降りて裏に回ってみます。 写真は南西側から見た宮殿の背面で、左に聳えるのが中央の塔です。 中央の塔がこの宮殿で一番高い 部分になり、高さは 18m 位になるようです。

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            (Torre central con molduras de once cuerpos)

中央の塔は裏側が正面で、しっかり装飾が施されています。 左右のモールディングに挟まれて急な階段がついていますが、この横からの写真を 見ても到底登れる傾斜ではなく見せかけだけの装飾階段である事は明らかです。 モールディングは右側 (南側) の保存状態が 素晴らしく、殆ど十一層分 確認出来ます。

西側は午後に太陽が当たるので、この写真は 2006年に午後撮ったものです。 階段部分には3つあった怪物のマスクのモザイク彫刻の内、一番 上のものがほぼ完璧に残っているので、写真は横ではなく正面から撮らないといけないのですが、訪問時は見落として撮り損なっています。  次回の宿題です。


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     (Lado oeste de Estructura I)

そしてこれが宿題の答え。 建造物 I の裏側です。 建造物 I は東向きなので、正面の綺麗な姿を撮ろうと思ったら午前中に来ないといけません。  でも裏側は逆に午後に陽が射すので時間を見計らってきましたが、やや曇り気味の上に裏側が直ぐに茂みになるのであまり思うような写真が撮れません。

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     (Aposentos subterraneos)

ぎりぎり茂みの前に出て中央の塔を見上げるとこんな感じです。 モールディングに挟まれた見せかけの階段の最上部に怪物の仮面のモザイク彫刻が あります。 下から撮ると仮面はやや扁平になってしまいます。

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     (Aposentos subterraneos)

出来るだけ横から撮れるように距離をとって望遠で撮りました。 木々が邪魔するので真正面は難しく少し歪んでしまいますが、仮面はこんな状態です。  プロスコウリアコフの復元画を見ると建造物 I の正面は左右の塔の見せかけの階段状にこの仮面が上下にそれぞれ3つ並び、中央の塔にも2つありますが、 恐らくこの裏側に残る壁面彫刻が参考になったものと思います。


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     (Aposentos subterraneos)

基壇上を背面から北側にまわりました。 基壇が崩れて下の地下室が露出しています。 葬室あるいは倉庫の役割を持っていたと考えられる ようです。 南側の地下室は基壇で覆われたままで、その上を歩いてきたのでした。

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   (Cuchillo de silex pintado ofrendado a la construccion de los torres, Museo en San Miguel)

これで建造物 I 宮殿は一通り全部ですが、最後に説明パネルを見てみます。  普通 説明パネルは 1枚に 3つの言葉 (スペイン語、マヤ語、英語) で説明が記されますが、建造物 I は各言語毎に一枚と上で触れたプロコウリアコフの復元画で、全部で4枚の説明パネルが設置されていました。

説明の中で発掘品についても触れられており、 3つの塔から建造時に奉納品として埋納されたと思われる石製のナイフが発見されたそうです。 ひとつは赤と青に塗り分けられていてカンペチェの 博物館に収められていると書かれており、博物館の写真を探してみたらこの写真のナイフが合致するようです。

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 (Estructura I、Palacio)

広場に戻りもう一度全景です。 シュプイルでの居住は先古典期に遡り、現在残される石造建築物の多くは古典期後期の 600-800 AD 頃に 作られ、建造物 I の建築は7世紀になるそうです。 ベカンに非常に近い立地であり、ベカンに従属したセンターだったと考えられますが、 実際どんな関係だったのでしょうか?

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     (Parte trasera de Extructura II)

建造物 I を後にして入り口に戻りますが、建造物 I の向かいに修復された石組みが見えています。 これは建造物 II の裏側にあたり、 正面にまわってみます。

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     (Parte central de Extructura II)

これがU字型に築かれた建造物 II の西側正面です。 住居として用いられた建物ですが、建造は古典期終末期から後古典期にあたる 950-1050 AD 頃で、シュプイルでは最後期の建物となり、建造後ほどなく 1200 AD 頃にはシュプイルは放棄されたようです。



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     (Pasear en Xpuhil con Street View)

最後に GOOGLE のストリートビューについて触れておきましょう。

遺跡の正確な場所や 建物の実際の配置を確認したりする場合、GOOGLE EARTH が大変有効で 重宝していますが、最近は多くの遺跡に ストリートビューが導入され、遺跡の中を歩けるようになっているのに驚かされます。 GOOGLE に INAH が協力しているようです。

画像はシュプイルのもので、黄色い線の上を歩いて周辺を見回すことも出来ます。 非常に臨場感があり一枚一枚の写真より迫力が上で、 参ってしまいます。



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