XUNANTUNICH
マヤ遺跡探訪
XUNANTUNICH
ベリーズの旅も今日で6日目、早朝からグアテマラ国境に近いシュナントゥニッチ遺跡を訪問、その後 北部メキシコ国境近くのコロサル まで移動しなければなりません。

遠距離移動になるのでタクシーを頼み、同じタクシーにシュナントゥニッチも往復して貰いました。 遺跡はサン・イグナシオから西の グアテマラ国境方向へ約 13Km 、グアテマラ国境からは 2Km弱手前になります。

シュナントゥニッチはベリーズでは古くから知られるマヤ遺跡で、 40mの高さを誇るカスティーヨ が 2ドル札裏の中央に描かれます。  主に古典期後期に繁栄した遺跡で、カスティーヨの上部神殿に残された漆喰装飾が一番の見所になります。

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     (訪問日 2009年12月4日)
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 (Sitio Xunantunich cruzando Río Mopán)

遺跡は朝8時オープンなので 7時半に勇んでホテルを出発、写真のフェリー乗り場に着きました。 遺跡の表示板はグアテマラへ行く 高速道路沿いにあり、表示板の直ぐ横がフェリー乗り場です。

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 (Hand-Cranked Ferry)

フェリーにタクシーを乗せますが、フェリーは出ません。 フェリーに乗った制服を着た徒歩の乗客がニヤニヤしながら 「急いでも無駄だよ、 俺達が遺跡を開けるのだから」と。 遺跡はモパン川 対岸から歩いて1マイル( 1.6Km )、係員をタクシーに乗せてあげることにして、 フェリーは出発。

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 (Hand-Cranked Ferry)

ガイドブックには渡し舟に乗ると書いてありましたが、現地ではフェリーと呼ばれ、正確には Hand Cranked Ferry、日本語にすると 手回しフェリーか手漕ぎフェリー。 両側が2本の鋼鉄のワイヤーで支えられ、片側のワイヤーがホイールでフェリーに繋がり、 このホイールを手で回す事でフェリーが少しづつ進みます…、情緒あると言うか時代遅れというか。 でも無事対岸へ到着。

因みにフェリーは税金で運営され無料、でも事故責任は負いません、と。 チップは歓迎されるようですが。

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 (Ticketing Office)

徒歩だとフェリーを降りてから 10分以上歩く事になるのでタクシーで正解、係員3人を後ろに乗せて遺跡の入口へ。 写真は勿論 遺跡の入口事務所です。

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 (Entrando al sitio)

ウェルカム トゥ シュナントゥニッチ( Stone Lady )とあります。 シュナントゥニッチの元々の名前は不明ですが、 19世紀末から着飾った乙女の亡霊がカスティーヨの下で度々目撃された事から マヤ語の Stone Lady、シュナントゥニッチと呼ばれます。  それでは遺跡へ。

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遺跡に地図の表示板が見当たらなかったので NICH のガイドパンフを加工しました。

ウェブで調べたところ FAMSI のレポートに詳細地図 があり、こちらは周辺部への広がりも確認できますので、関心のある向きは参照下さい。  レポートの方はこちら、 英語ですが。

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 (Estructura A-15)

朝8時、朝靄の中 なだらかな上り坂を行くと 5-6分で石組みの小さな建造物が見えてきました。 朝一番で、ガイドも不在。  後で地図を確認すると建造物 A-15 でした。

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 (Hacia a la Plaza)

真っ直ぐ歩いていくと広場に出ると聞いていたので、そのまま進みます。 階段が見えてきて広場へ上がる階段のようです。

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 (Estructura A-13)

階段を上がると綺麗に整備された広場があり、右手に横長の大きな建造物が目に入ってきます。 広場 A-2 と建造物 A-13 でした。

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 (Plaza A-2)

建造物 A-13 は遺跡の北に位置し、これに向かい合う形で 方形のピラミッド A-1 (写真中央左寄り) があります。 合成写真なので 建物の位置が不自然ですが、実際は A-1 と A-13 が 広場 A-2 を挟んで向かい合っています。

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 (Plaza A-2, Estructura A-2 y A-1)

A-1 の向こうに霞んで見えるのが冒頭に触れたカスティーヨ A-6 で、左の土塁は A-2。 遺跡の写真には青空が欲しいのですが、朝早い のか靄がかかって幻想的になってしまいます。

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 (Estructura A-13)

カスティーヨは後回しにして順序どおり 広場 A-3 から見て行きます。 写真は 建造物 A-13 前面の階段を登り その左右の居室跡です。  随分と横に長いベンチがありますが、警護の戦士が詰めたような感じです、勝手な想像ですが。

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 (Estructura A-11 desde A-13)

広場 A-2 からは見えませんでしたが、A-13 階段上の中央通路奥に広場 A-3 と神殿ピラミッド A-11 が見えてきます。 広場 A-3 は開かれた 広場と言うより四方を建物に囲まれた中庭という感じで、他の広場 A-1, A-2 より高い位置にあり、その中心に位置する建造物 A-11 はシュナントゥ ニッチの王族の住まいと考えられています。

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 (Estructura A-11, Palacio)

建造物 A-11 の全景。 この建造物と A-13 は 2002-2003年に考古学局と観光局により修復されたばかりです。 ウェブで捜すと発掘時 の写真等も見つかりますが、その写真と比べると掘り出したものを保護するように石組みを貼り付けた感じです。

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 (Estructura A-11, Palacio)

A-13 を横から見てみました。 正面の階段は保護のロープで登れませんが、横から発掘された居室跡が見えます。

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 (Plaza A-3)

A-11 から南側のパノラマ合成写真です。 広場東西の建造物は未修復で、修復された A-13 も広場に面した北側は修復は一部のみ。

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 (Lado Norte de A-13)

A-13 北側。 修復された部分と未修復の部分が比較できて興味深いです。

シュナントゥニッチの調査、発掘の歴史を紐解くと、19世紀末から Thomas Gann, Teobert Mahler, Sir Eric Thompson と聞き覚えの ある名前が並びます。 1949年にカスティーヨの漆喰装飾が発掘されますが、大規模な発掘、修復は 1992年以降になるようです。

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 (Estructura A-1)

広場 A-2 に戻り、方形のピラミッド A-1 ですが、写真の北面と裏の南面だけ 1991-96年に修復されているようです。 

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 (Ejercito en patrulla)

早朝の遺跡には他に誰も居ないと思ったら、機関銃を持った兵士が2人、犬も連れているようです。 そんなに治安が悪いのでしょうか?

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 (Una estela en frente de Estructura A-2)

上の写真で兵士の後ろにある四角い囲いですが、中に石碑が1本置かれていました。 あまり見かけない石碑の置き方で、四角い囲いは屋根の 付いた小神殿だったのでしょうか? 石碑の前の四角い窪みの中は祭壇?

シュナントゥニッチ全体では石碑が8本、祭壇が5つ見つかっていてその内石碑3本、祭壇2つは彫刻があり、それ以外は彫刻無し だそうですが、この石碑は風化が激しくて彫られているのかどうか確認不能でした。

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 (Estructuras A-3 y A-4)

A-2~A-4 は三連のピラミッドのようで、地図には真ん中の神殿に番号が振られていません、A-3 としておきます。 写真は前に石碑と祭壇の セットがある 未修復の A-3 と、その奥に修復済みの A-4。

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 (Estructura A-4)

三連のピラミッド南側の A-4 。 三連のうちここだけ三層の神殿ピラミッドに修復してあり、上まで登れます。

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 (Subiendo al A-4)

A-4 の上に登ると頂上はこんな感じ。 北の方向を見ると木々の間からカスティーヨ東面の漆喰装飾が覗けました。

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 (Estructura A-1, Lado sur)

A-4 を降りて A-4 前から見た 方形ピラミッド A-1 です。

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 (Estructura A-18)

そして同じ所から 向かいの A-18、正面に石碑が1本立っています。

この辺で少しシュナントゥニッチの歴史に触れておきましょう。 先古典期から古典期前期の時期にもシュナントゥニッチでの人々の 居住は確認されますが、大規模建造物が築かれるのは古典期後期に入った 600AD 頃からとされます。 何故急にシュナントゥニッチが 栄えるのか?

シュナントゥニッチは西にティカル、ナランホ、南にカラコル等、マヤの強力な勢力に囲まれ、周辺にもカハル・ペチやブエナビスタ、 アクトゥンカン等がありました。 すぐ北のアクトゥンカンがシュナントゥニッチの前身とされ、古典期後期に入る頃 カラコルと対抗する 西のナランホがシュナントゥニッチに肩入れし、680年頃カラコルが一時的に衰退するとシュナントゥニッチが最盛期を迎える …… こんな仮説 が考えられるようです。

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 (Juego de Pelota 2)

A-1 の西側に回ると球戯場の遺構がありました。 球戯場2(Ballcourt 2)になります。 実は A-18 の裏にはもうひとつの球戯場1 が修復されていたのですが、ガイド不在、林の奥で見落としてしまいました。 右の写真は A-1 西側にある階段。 上に登る為に後から つけられた階段です。 

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 (Estructuras A-13 y A-11)

建造物 A-1 に登ると遺跡の北と南が見渡せます。 これは既に見てきた北の貴族の居住区で、A-13 の向こうに A-11 が望めます。

画像  (Parte superior de Estructura A-2)

東側を見ると未修復の建造物 A-2 の上部が目の前にあり、石組みの構造物が露出していました。 A-2 は A-1 より高かった事がわかります。

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 (Estructura A-6, El Castillo)

そして南側にはカスティーヨ A-6、 広場 A-1 に繋がる前方の階段から漆喰装飾のある上部神殿まで見渡せます。

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 (Estructura A-6, El Castillo)

カスティーヨを真正面から。 カスティーヨはひとつの建造物と言うより、幾つかの基壇が入り組んだ複合建造物で、その構造は地図 を見ると確認できます。 正面階段は 2002-2003年頃 A-11, A-13 と一緒に修復されています。

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 (Estructura A-6, El Castillo)

それでは修復された階段を登りカスティーヨの上に行ってみます。 靄が少しづつ消えて青空が出てきたようです。
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  (El Castillo)

最初の基壇を登ると A-6 前面いっぱいに居室跡が広がりますが、右側(西側)の様子です。

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  (El Castillo)

同じく西側で、上の写真の左の壁の裏にもう一列居室跡があります。

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  (El Castillo)

そして更にその裏側。 通路の上方に更に建造物が伸びていきます。

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  (El Castillo)

翻って上の写真の反対(東側)。 通路の先に黄色いロープが張られた階段がありますが、その左に登攀者用の別の階段があり、ここから上へ。

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  (El Castillo)

階段を登って見下ろすと2列の居室跡が確認出来ました。 さあここからが見どころの漆喰装飾です。
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 (El Castillo, lado este)
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まずカスティーヨ一段目の基壇北東角から、漆喰装飾が残るカスティーヨ東側の威容です。 良い具合に靄が晴れてすっかり青空になりました。  緑の斜面左にある石の階段は遺跡訪問者が上に登れるように後からつけられた階段です。

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 (Friso con decoración de estuco)

漆喰装飾の東面を正面から。  上から二段目の基壇一杯に上下二列の漆喰装飾があります。 これは 1949年に初めて発掘されたもので、少し古い写真を見ると下列中央 のマスクはまだ土砂を被り 露出している部分はもっと古色を帯びています。 目の前にある漆喰装飾は綺麗すぎますが、オリジナルは補修 後に新たに作られたファイバーグラスのレプリカで覆われたようです。

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 (Detalle de la decoración)

ファイバーグラスと言われると少々興醒めですが、拡大して見てみましょう。 マヤの天文思想のモチーフで飾られているという事ですが、 中央のマスクは雨の神チャークだと NICH のパンフにあります。 漆喰装飾は往時は着色されていて、これが基壇の四面を飾る様は さぞかし荘厳だった事でしょう。
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  (El Castillo en restauración)

読者の方から写真を送って頂いたので、ここでご紹介します。 2001年4月時点でカスティーヨは写真のように修復の真っ最中でした。

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  (Preparación de la réplica)

修復現場の下では漆喰彫刻のレプリカを制作中。 このレプリカが元々の漆喰彫刻をカバーして現在目にするものになるようです。 納得です。

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 (El Castillo, lado sureste)

漆喰装飾を目にし 取敢えず満足して、カスティーヨの南東に回ります。 上部基壇上に太陽に照らされて入り口がふたつ見え、登れそうです。
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   (Friso del lado oeste)

と言う事でカスティーヨの上を目指したのですが、帰国後に気付いた事が…。  実は漆喰装飾は東面だけではなく西面にもあったようで、この写真は Wikipedia にあった写真で 東側の半分位の幅の漆喰装飾が写っています。 カスティーヨの構造と写真の角度からすると広場 A-1 から撮ったように見えますが、カスティーヨの西側は歩かなかったかもしれません。
大失敗! 残念な事をしました。
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 (Entrada del templo superior de El Castillo)

反省はさておいて、カスティーヨの上部神殿。 入り口がふたつ見えましたが、西側にくずれた入り口がもうひとつあり、 南に面して居室が3つありました。 写真は中央の部屋に入る入口です。

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 (El interior del templo superior)

中に入るとマヤアーチの天井があり、入口側は修復されたようですが、奥は当時のままのようで塗られた漆喰が残ります。

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 (El interior del templo superior)

上部神殿には南に3部屋、北にも3部屋、2列で合わせて6部屋あります。 南と北は内部でつながり更に神殿の上に出る 階段もありました。

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 (Paisaje desde cumbre de El Castillo y su crestería)

神殿の上に出ると屋上には屋根飾りが残っていました。 地上から 40m 近くになる筈ですが、ここからの眺めは最高。 遠くに 見える山並みはグアテマラだと思います。

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 (Vista hacia norte, desde cumbre de El Castillo)
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さて最後にカスティーヨの天辺から北方向。 もう説明は省きます。

球戯場をひとつ見落とすは、見所の漆喰装飾も西側を見損ない、後から悔やまれる事しきりのシュナントゥニッチでした。  明日はベリーズ滞在で実質的な最終日、セロス とサンタ・リタ遺跡訪問の為に北のコロサルまで約 230Km 移動します。


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