マヤ遺跡探訪
MAYAPAN
後古典期 前期末にチチェン・イッツァが没落した後、マヤパンはチチェン・イッツァに代わってユカタン半島のマヤの中心として栄え、1450年頃まで その繁栄は続きます。

後古典期 後期の代表的遺跡として マヤの歴史上で重要な位置を占めますが、他のユカタン州の遺跡と比べると関心度が低く、 91年版の INAH のミニガイド を見るとピラミッドはまだ未修復のままでした。 しかし 1996年から本格的な発掘修復活動が開始され、現在ではかなりの建造物が修復され、かつての栄光を 取り戻しつつあります。

マヤパン遺跡はアカンケー遺跡の更に南で、テルチャテキーリョを過ぎて直ぐに右折、州都メリダからは南西に約40Kmです。

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  (Plaza Central de Mayapán)

2014年に久し振りに再訪しました。 遺跡の北西部と北東部が整備され、新たに修復された建造物をいくつも見る事になりました。 以下マヤパンの最新情報 をお届けします。

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  (訪問日 2000年8月18日、2002年2月10日、2014年1月13日)
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 (Caseta de Mayapán)

駐車場に車を停めて、遺跡の入口で入場料の支払いを済ませます。 真面目なアメリカ人のグループが大型観光バスで来ていましたが、それ以外は閑散として いました。

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             (Mapa del sitio en 2000 y 2014)

入口を入ったところにある遺跡の地図ですが…。 左は 2000年の写真、右は2014年の多分同じ看板です。 過酷な気象条件は理解しますが、それにしても こんな看板を残しているのはどんなものかと。

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                     (Avance de restauración)

                    2000年の看板の写真を利用して建造物修復の進展を示してみます。

マヤパンは防塁で囲まれた要塞都市で、地図では防塁で囲まれた全体が再構成されていますが、このうち上半分(北側) で明るい緑の線で挟まれた部分が 2000年までに既に修復されていました。 今回その西側と東側が全て修復され ククルカンのピラミッドがある中央部から北の修復が全て終了していました。

グレーで塗った南側はまだ緑に覆われたままですが、この分だと将来発掘修復が進んでいきそうです。

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 (Vista aérea por Google Earth)

Google Earth で空からマヤパン遺跡の状況を確認できます。 2010年の画像なので、修復済みの所が全て映し出されています。

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ウェブで調べてみると Auburn University Montgomery - Carnegie Explorer に 詳しい地図が公開されていました。 マヤ文字解読に貢献したプロスコウリアコフが 1957年に作成したもので、これが遺跡の看板の元になっていたようです。  写真の説明の為に 修復された建物の番号を赤文字で大きく振り直しました。

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 (Vista panorámica desde la entrada hacia sur)

遺跡入口から南へ一本道を進むと直ぐに遺跡エリアにでます。 写真左の大きな建物が建造物 95 で、右奥には建造物 80 が見えてきます。

Parte Oriental  遺跡の東側
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 (Lado oeste de Estructura 95, Templo del Pescador)

遺跡の東側から探索を始めます。 まず上の写真にあった建造物 95 で、これは西側面になります。 二層の基壇上に建物があり、草葺きの屋根が 取り付けられています。 南が正面になり、南側の低層の基壇から上にあがる階段があります。

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 (Lado oeste de Estructura 95)

南側の正面階段をあがり、草葺きの屋根の前に出ました。 屋根の下には水絡みの彩色壁画が保護されていて、建造物 95 は 漁師の神殿とも呼ばれます。

マヤパンについては Arqueología #37 (1999年5-6月号)で、1996年から始まった活動と発見された壁画が紹介されていましたが、建造物 95 はまだ 修復される前だったようで、この壁画については触れられていません。 2000年に初めてマヤパンを訪問した時は既に壁画の公開が始まっており、修復直後 だったようです。

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 (Pintura mural en Estructura 95)

壁画を上から覗き込んで撮りました。 これが壁画の全体です。

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 (Parte central de la Pintura)

南側の手前の部分のアップです。 左から魚(かわはぎ?)、手と口を縛られたワニ、右にヘビ、そして中央上に凝った衣装を着けた人物、 更にその右に魚が描かれ、魚とワニには槍が刺さって傷ついているようです。

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 (Pintura en 2002)

これは同じ部分を 2002年に撮ったもので、オリジナルで間違いないと思いますが、では現在公開されているものはどうなんでしょう?  オリジナルが修復されたのか、それとも複製画に置き換えられているのか?

マヤパンでは他にフレスコ画の広場(建造物 161)や彩色された壁龕の神殿(建造物 80)にも壁画が残されますが、この漁師の壁画は建造物 80 と同じく、 ミシュテカ-プエブラ様式を汲んだものと考えられます。

中央上の人物をケッツァルコアトルとする見方や、縛られたワニを洪水を免れる為の生贄とする説もあるようですが、実際のところどうなんでしょうか。

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 (Vista desde E-95 hacia sur)

建造物 80 を降りる前に壁画のある建物の前から南を見下ろしてみました。 目の前の低層の矩形の基壇(建造物 96) は前回もありましたが、その東側に 南北に長い建造物 97 が新たに修復されていました。 更にその南側にはこれも新たに修復された建造物 141 が見えています。 右奥の丸いドームは 建造物 151 です。

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 (Vista desde E-97 hacia sur)

建造物 97 に降りて、やはり南方向です。 南寄りに階段がついていて、その正面に草葺き屋根があり、何かありそうです。

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 (Altar debajo de techo protector)

これが屋根の下で、2本の柱の奥に祭壇が設けられ、建物を飾った彫刻のようなものが保護されています。

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 (Estructura 99)

建造物 97 の南端まで来ると南東側にもう一つ新たに修復された建造物がありました。 建造物 99 です。 建造物 97 同様、低層の基壇上に左右と背面に 壁が設けられ、内部には屋根を支えた円柱が並ぶだけなので、修復はそれほど難しくなかったかもしれません。

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                  (Vivienda típica de Mayapán, Arqueología #54 p.45)

マヤパンの建造物は全て後古典期後期の 1250年以降になるようで、古典期後期のマヤの全盛時代と比べると建物は簡素になり、多くはこの復元画のように 木材と植物の葉で屋根が付けられていたようです。 (Arqueología #54 p.45 より)

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 (Vista desde E-95 hacia suroeste)

少し戻ってこれは建造物 95 から南西方向です。 正面に階段のついた中央の建物は建造物 82 (戦士の神殿)で、その奥にマヤパンで一番高い建造物 162 の ククルカンのピラミッドが見えます。

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 (Vista desde E-97 hacia suroeste)

これは建造物 97 から南西方向を見たところで、正面が建造物 89 、その左奥が建造物 88 と建造物 88a です。 柱と壁だけの低層で横長の建造物、 小さな基壇、小さな神殿等、似通った建造物が随所に見られ、注意深く地図と見比べないと何処が何処だかわからなくなります。

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 (Estructuras 88a, 87a y Observatorio vista desde E-97)

これも建造物 97 からで、少し南へ下がって南西方向を見たところです。 右から建造物 88a と建造物 87a で、ドームの先の森は、マッピングは済んで いますが未修復のマヤパンの南の区域になります。

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 (Estructura 98 al lado sur de E-97)

建造物 97 の南側に小さな神殿の建造物 98 があり、左奥には新たに修復された、より大きな神殿の建造物 141 が見えてきます。

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 (Estructura 140, detras de E-141)

これは建造物 141 の東側にある小さな構造物で、建造物 140 と番号が振られています。 マヤパン遺跡の東側はこのくらいにして、地図の外側になりますが、 小さなドーム型の建造物が修復されているので、そちらに行ってみます。 上の方の Google Earth の画像で東へ突き出た所です。

Observatorio del este  東の天文台
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 (Sendero hacia Observatorio del este)

建造物 140 の東側から小道が伸びていて、その先に石組みと保護の屋根が見えています。 ここは過去2回の訪問で見落としていましたが、1996年に始まった 活動以前に既に修復され、91年版のミニガイドにも写真がありました。

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 (Una escultura al lado oeste de Observatorio)

近づいてみるとこれです。 建造物の手前に保護の為の覆いがあり、その下に石造物が1本ありました。

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 (Una escultura antropomorfa)

これがその石造物で、石碑と言うより立体的な石像です。 人物が彫られていますが、表面が風化していて顔つきも衣装もよくわかりません。  どこにも説明が見当たらないので 何の像か不明ですが、わかったら書き加えます。

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 (Observatorio del este)

これは南を向いた建造物の正面です。 プロスコウリアコフの地図の外になり、建物の番号はわかりませんが、ミニガイドでは、天文台 (Observatorio) 若しくはカタツムリ (Caracol) となっています。

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 (Templo superior)

階段の上には円形の居室が設けられ、前後に半円形の部屋がふたつありました。 屋根は失われていますが、上部は石組みで閉じられていて、何か特別な 儀式を行う場所だったと考えられるようです。

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 (Regresando a Estructura 141)

地図の外側はこれだけで、もと来た道を戻ります。 写真右は建造物 141 正面階段で、その先にククルカンのピラミッドが見えてきます。

Parte Sur  遺跡の南側
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 (Estructura 141)

ここからマヤパン遺跡の南側です。 と言っても未修復の南側ではなく、修復された部分の南に当たる部分です。 写真は建造物 141 で、まず 登ってみましょう。

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 (Vista desde E-141 hacia norte)

建造物 141 の上から北方向のおさらいです。 左奥に建造物 95、漁師の神殿が見え、手前に新しく修復された建造物 97 と建造物 95 が見えます。

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 (Vista desde E-141 hacia oeste)

これは建造物 141 の上から西方向で、手前から建造物 152c、天文台(建造物 152)とククルカンのピラミッド(建造物 162) です。

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 (Vista desde E-141 hacia suroeste)

カメラを更に左(南)へ振ると天文台の南にあるチャーク仮面の広間 (建造物 151) を横から確認できます。 更にその南側には、これも 1996年以降に 修復された小神殿群が見えてきます。

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 (Estructuras 148 y 147)

小神殿群をズームしてみます。 中央左が建造物 148、その左奥が建造物 147 で、小さな円形の建造物 150 を挟んで、右側にセノーテに 付属した建造物 156 があります。

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 (Estructuras 148)

建造物 141 を降りて、これは建造物 148 の東側面です。

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 (Altar de Estructuras 148)                  (Estructuras 147)

建造物 148 に上るとプーク様式の柱の奥に祭壇がありました。 南側に見える建造物 149 も同様で、上部に祭壇があります(写真右)。

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 (Estructura redonda 150 y Estructura 156 atrás)

同じく建造物 148 の上から西方向です。 小さな円形の建造物 150 とその先に セノーテに 付属した建造物 156 があり、セノーテの右側にスロープが あってククルカンのピラミッドへと続いています。

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 (Estructura 151, Sala de los Mascarones del Dios Chaac)

同じ建造物 148 の上から北側を見るとすぐ目の前にチャーク仮面の広間 (建造物 151) が広がります。

チャーク仮面の広間 は中央階段を登ると中央奥に祭壇があり、立ち並ぶ柱の前列に一対のチャークのモザイク仮面が配されています。  置かれた場所からすると柱と共に草ぶきの屋根の支えになっていたような感じです。

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 (Mascarón del Dios Chaac)

これは左側のチャークの仮面で、ウシュマルなどのプーク地域の仮面とそっくりです。 プーク地域では古典期終末期前後の建造物がこうしたモザイク仮面 で飾られますが、マヤパンの建造物は13世紀以降に作られています。 少なくとも100年から200年は時代的に後になりますが、この仮面は プーク建築を模倣して実際にマヤパンで作られたのでしょうか。 何処かのプーク様式神殿から移築した可能性も否定できないような気 がしますが、専門家の意見を聞いてみたいところです。

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 (Mascarón del Dios Chaac en la esquina)

チャーク神の仮面は広間の南西角にも配されており、写真の通りモザイクパーツが確認できます。 南東角にも同様にモザイクパーツが一部残り、 全部で4体のチャーク神の仮面が飾られていた事になります。

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 (Esquina suroeste de Sala de los Mascarones del Dios Chaac)

これは南西側から見たチャーク仮面の広間 (建造物 151) で、天文台(建造物 152) と隣り合わせで東西にのびていました。

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 (Cenote Chen Mul)

チャーク仮面の広間とククルカンのピラミッドの間、南側にセノーテがあります。 マヤパンの中心部にあるセノーテですから、大事な水源で ある以上に、いろいろな儀礼でも重要な役割を果たしたものと思われます。

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 (Cenote Chen Mul y una rampa al lado)

ちいさなセノーテで、見たところ現在は水はないようで、小型の椰子が生えていました。 セノーテの北側は階段ではなくスロープになっています。  車輪を利用していなかったマヤでスロープがどういう役割を果たしたのか疑問です。


Castillo de Kukulcán  ククルカンのピラミッド
次に中央広場の南を占めるククルカンのピラミッドに移ります。 チチェン・イッツァのカスティーヨを模したピラミッドとされますが、基壇の底辺は 30m、9層の基壇は 18m と より小型です。 下の画像は 91年版のミニガイドからスキャンしたもので、 左は修復前のピラミッド、右は階段下にあった ヘビの頭です。 ピラミッドは現在は四面とも全て修復されて上の神殿まで登れます。 ヘビの頭はチチェン・イツァと同じだとすると北側の階段の下に あった筈ですが、現在は遺跡では見ることが出来ません。

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 (Castillo de Kukulcán y cabeza de serpiente, antes de la restauración de 1998, Mini Guía de INAH)


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 (Sala de los Frescos, Estructura 161, al lado este de Pirámide de Kukulcán)

ククルカンのピラミッドの修復は 1997年頃に行われましたが、その過程で東側に付属する建造物 161 から壁画が発見されました。 壁画は東西に長い建造物 の中央を仕切る壁の南北両面に描かれ、写真にあるように草葺きの屋根で守られています。 建造物 161 はフレスコ画の広間とも呼ばれます。

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 (Pintura mural del lado norte de Sala de los Frescos)

これは北側の壁画で、ベンチの上の壁面を北側から東へL字型に描かれています。 壁画の上部はコンクリートでしっかり保護されていますが…。

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 (Detalle de la pintura en 2014)

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 (Detalle de la pintura en 2000)

上は今回キヤノンのL レンズで撮ったもので、下は 2000年のソニーのコンデジの写真です。 残念ながら14年も前の解像度の低いカメラで撮った 写真の方が鮮明でガッカリ。 屋根を付けても壁画の劣化は防ぎようが無いようです。

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 (Pintura mural del lado sur de Sala de los Frescos)

これは 2002年に撮った南面の壁画で、これも今回 撮った写真より鮮明でした。 赤と黄色で縁取りされた枠内に 向かい合った二人が中央で軍旗を掲げる図柄 です。 南面も東へL字型になっていて、同じ図柄が南面に3つ、東面に1つ繰り返されます。

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 (Detalle de la pintura central y derecha, foto en 2002)

上が南面右(西側)、下が中央の図柄で、共に 2002年の写真です。 青の背景に横向きの人物は同じですが、丸い軍旗の中は微妙に異なるようです。

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 (Detalle de la pintura del lado izquierdo en 2014)

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 (Detalle en 2002)

南面左側の軍旗の部分で、上が今回 2014年、下が 2002年に撮った写真です。 北面ほどではないですが、やはり劣化の跡が明らかです。 軍旗は外に向かって 四条の光がつき出て、円盤の中には逆さになった人が描かれていると言う説明ですが、どれが顔かよくわかりません。

このフレスコ画の広間の壁画は、絵柄、色使い、衣装 或いは絵のモチーフなどからメシーカの影響を強く受けており、丸い軍旗は太陽の円盤 を表したものと考えられるようです。 後古典期後期になると、中央高原のメシーカ (アステカ) の勢力が強くなり、交易を通じて中央高原の文化も マヤ地域に持ち込まれたそうです。


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 (Esquina sureste de Pirámide de Kukulcán)

ククルカンのピラミッドの南東角は修復活動が開始される少し前に崩落があり、前の時代のピラミッドが露出していたそうです。 発掘を進めると 二層目と三層目に漆喰成形された彫刻が見つかり、南東角だけ古い時代のピラミッドの形で修復され、発見された彫刻を保護する為に屋根が取り付けられて います。

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 (Esculturas modeladas en estuco)

上の写真が南東角の南側で、下から二層目と三層目に漆喰彫刻があります。 下の写真は南東角の東側の二層目で、より鮮明な漆喰彫刻が残されます。  実はこの2枚の写真も 2002年のもので、彩色壁画ほどではないですが、やはり劣化の為に古い写真の方が鮮明です。

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 (Escultura en el tercer cuerpo del lado sur en 2014)

これが今回撮った南側の三層目の写真で、緑色の苔か藻で汚れているのが気になりました。

描かれているのは槍か軍旗を持った兵士で、足を軽く曲げて歩いているようですが、奇妙な事に頭の部分は四角い窪みになってます。  窪みの上の頭飾りを含めて身の丈は140cm位で、手首に腕飾り、腰にガラガラヘビのベルトと数珠をつけ、その先に人の首を吊下げて、サンダルを はいています。 胸部には骨で作った鎧をつけているようです。

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 (Escultura en el segundo cuerpo del lado sur en 2014)

これは南側の二層目で、今回撮った写真です。 左の人物はかなり崩れていますが、横顔で鳥の羽の頭飾りと耳飾りをつけています。 右の人物は三層目 同様、頭の部分が四角い窪みになっていますが、片手と胴体以外はかなり崩れて失われており、首から斜めに下がる帯と、腹部の臍が際立っています。

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 (Escultura en el segundo cuerpo del lado este en 2014)

東側に回って一番保存状態の良い二層目を見てみます。 写真は今回のもの。 手と足を開いて正面を向いている人物はやはり頭部が四角い窪みになって います。 肘から下げている大きな楕円形のものは石のナイフと思われ、骨で出来た鎧を付け、腰に帯、手首に腕輪をつけています。 両側には羽を広げた 鳥を伴い、右の鳥はジャガーの背にとまっています。

頭の部分の四角い窪みからは頭や頸の骨の破片が見つかっており、人の頭部を納めて漆喰で覆い、死者に関する何らかの儀礼を執り行っていたと 考えられるようです。

ククルカンのピラミッドの下に埋もれていた建造物がいつの時代のものになるのか気になりますが、漆喰彫刻はトルテカ様式の流れを汲む図柄なので、 チチェン・イツァからトルテカ様式を受け継いで後古典期に入ってから作られたもので、それ程古い時代に遡る事はなさそうです。 更に横を掘り進めていくと 漆喰彫刻の続きが出てくるのでしょうか?


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 (Un altar al lado suroeste de la Pirámide)

ククルカンのピラミッドの南側には西寄りにもう一つ保護の為の屋根が付けられていて、これは今回初めて見ましたが、小さな祭壇があったようです。

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 (Una escultura desconocida bajo techado)

屋根で保護された石造物ですが、何の説明もなく何の像かわかりません。

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 (Vista oeste de la Pirámide de Kukulcán)

これは西側から見たククルカンのピラミッドで、西側には建造物 163 (王達の広間)が繋がっています。 現在は屋根を支えた柱だけ残り、丁度ピラミッド の参道のように見えます。 ピラミッドは四面とも階段が修復されていますが、安全に上の神殿まで登れるのはこの西側の階段だけだったと思います。

次にピラミッドの上から遺跡全体を俯瞰してみることにします。


Desde Cúspide de Castillo de Kukulcán  ククルカンのピラミッドから
遺跡全体を俯瞰できる場所は、北東角の建造物 95 (漁師の神殿)、南東角の建造物 141 と ここククルカンのピラミッド、更に北西角の建造物 58 ですが、 ククルカンのピラミッドが最も高い建物になるので、当然ここがベストです。

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 (Dios Kukulcán en la cúspide ?)

ピラミッドに登ると丸メガネをかけたククルカンの神がいてガイドしてくれる、なんて事はありませんが、折角なのでタイマーで記念撮影しました。  ククルカンのの右に見える建物は 新たに修復されていた北西角の建造物 58 です。

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 (Vista desde la cúspide la Pirámide hacia oeste)

まず登ってきた方向を見降ろすと、建造物 163 (王達の広間)があり、その右側(北)に建造物 72 が続きます。 更に右奥に建物がありますが、 これは建造物 54 で、2002年にはまだ修復されていませんでした。

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 (Arriba: Estructuras 72 y 71, foto en 2000, Abajo: Se ve Estructura 54 restaurada, foto en 2014)

上の写真は 2000年に撮ったもので、建造物 72 とその右横に建造物 71 (金星の神殿)が映っていますが、その奥は一面緑です。 それが今回 2014年の写真 では建物がひとつ忽然と姿を現し、これが建造物 54 になります。

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 (Arriba: Estructuras 69, foto en 2000, Abajo: Se ve Estructura 58 restaurada, foto en 2014)

同様に北西方向ですが、2000年の上の写真の中央手前は建造物 69 で、その奥は緑の茂みです。 ところが 2014年には下の写真の通り緑の茂みだった ところに新たに大きめのピラミッドが出現し、これが建造物 58 でした。

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 (Vista hacia norte)

これは北方向で、中央広場の中央左寄りに低層の建造物 77 、広場北側に東西に広がる低層の建造物 81 、その北隣に壁に入り口が3つ見えるのが建造物 80 (彩られた壁龕の神殿) です。

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 (Arriba: Lado este, foto en 2000, Abajo: Se ve Estructura 97 de nueva restauración, foto en 2014)

これは既に見てきた遺跡の東側で、2000年には保護の屋根が付いた建造物 95 (漁師の神殿)の右側が森になっていますが、ここに今回 建造物 97 と建造物 99 が修復されました。 前列に広がる建物群は左から、82、83、88、87 です。

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 (Estructura 152 Observatorio y Estructura 151 Sala de los Mascarones del Dios Chaac)

ククルカンのピラミッドの東側からは、基壇上にドームが築かれた建造物 152 (天文台) と建造物 151 (チャーク仮面の広間)が見下ろせ、建物の造りを 理解するのにも有用です。 これは 2014年の写真なので後ろに建造物 69 と建造物 141 も写っています。

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 (Sala de los Mascarones del Dios Chaac y montículos en frente)

これは建造物 151 (チャーク仮面の広間)の更に南側で、2014年の写真です。 奥の建造物 141 の向かい側には建物跡の土塁がありますが、次回マヤパン訪問 の際は修復されているでしょうか?


Parte Occidental y Plaza Central  遺跡の西側と中央広場
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 (Estrtuctura 54)

ククルカンのピラミッドを降りて、マヤパン遺跡の西側及び中央広場を見ていきます。 これは上からも確認した、新たに修復された建造物 54 です。

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 (Estructura 72, Templo de Venus)

これは建造物 71 (金星の神殿) の西側正面。 96年に修復活動が始まる前から存在し、91年版のミニガイドにも写真がありますが、比較的小さな神殿です。  遺跡に説明板が設けられ、ミニガイドにも建物の説明がありますが、プーク・スタイルである事以外、何故金星の名が冠されているのか全く説明が ありません。

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 (Estructura 55)

金星の神殿の上から北方向に写真の建造物 55 があり、右側の壁は建造物 70 の背面です。 建造物 55 は新たに修復された建物のひとつでした。

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 (Vista desde Templo de Venus hacia noreste)

金星の神殿は中央広場の西側中程に位置し、ここから中央広場を見渡してみると北東方向に 広場の北側を閉じる建造物 81 と建造物 80 (彩られた壁龕の神殿) が見えてきます。

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 (Vista desde Templo de Venus hacia sureste)

同じく金星の神殿の上から南東方向に中央広場の南側を占めるククルカンのピラミッドが見え、これはチチェン・イッツァのカスティーヨと同じ作りなので、 正面に見えている南西角が、左側に見える北側の階段の側面に降臨するヘビの影をつくり出す筈です、春分と秋分の日だけですが。 尚 北の階段下にあった ヘビの頭は持ち出されて何処かに保管されているようで、遺跡では目にする事ができません。

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 (Estructuras 83, 88 y 87 vista desde centro de la Plaza)

金星の神殿からは木が邪魔して天文台がよく見えなかったので、中央広場の中央まで出て、広場の東側を撮りました。 1枚の写真には納まらないので 写真を2枚撮り、この写真には左から、北寄りの建造物 83、建造物 88、建造物 87 が写っています。

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 (Estructuras 87 y 152 Observatorio vista desde centro de la Plaza)

これは上の写真の右側で、左側の建造物 87 から天文台のある建造物 152 と続きます。

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 (Foto panorámica del lado este de la Plaza Central)

上の2枚の写真をパノラマ合成しました。 少々不自然ですが建物の並びはこんな具合です。

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 (Estructuras 83, 88 y 87 vista desde cúspide la Pirámide de Kukulcán)

ククルカンのピラミッドから撮った写真で上部構造を見てみます。 左側の角柱が5本ある建造物 83 は Xani Nah (麦わらの家)と呼ばれます。  中央の戸口に2本の円柱がある建造物 88 は El Oratorio (礼拝堂)と呼ばれ、階段横の小神殿からは頭蓋骨が 13個発見されているそうです。  右側の横長の階段の上に円柱が立ち並ぶ建造物 87 は El Edificio Xibi (カメの家)と呼ばれますが、人の顔をしたカメの彫刻が見つかっているそうです。


Observatorio o El Caracol  天文台、カタツムリ
雑誌 Arqueologia やミニガイドでは、Observatorio (天文台)もしくは El Caracol (カタツムリ)と言う名前になっていますが、遺跡の案内板は Templo Redondo、つまり丸い神殿でした。 どう呼ぶのか困ってしまいますが、ここまで天文台と呼んできたのでそのまま天文台としておきます。  間違いないのは建造物 152 ですが。

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 (Lado oeste del Estructuras 152 Observatorio)

これはククルカンのピラミッドから見下ろした天文台の西側で、丸い神殿がのった基壇へあがる階段はこちら側にあります。

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 (Lado este del Estructuras 152 Observatorio)

建造物141 からは 天文台の東側が目の前に見えます。 丸い上部神殿は入口が4つあるので、どの方向から見ても入口が見えることになります。

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 (Templo superior redondo)

基壇の大きさは幅 18m、奥行き 20m、高さ 3.5m で、この上に直径 10.2m、高さ 7.5m の丸い神殿が築かれています。 上部神殿の外壁の厚さは 1.15m もあり、 中に直径 4.5m の円筒があって内部に4つの窪みが設けられています。 外壁と内部の円筒で確保された通路は幅 2.75m、高さ 6m にもなります。 と、これは 遺跡にあった説明板の記述です。

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 (Techo abovedado en el interior)

中に入ってみます。 上を見上げると内部の円柱は外側の壁が傾斜してきて上が閉じられており、床からこの屋根の一番高い所が 6m でしょう。

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 (Pasillo circular en el interior)

これは円柱の左右の通路で、幅が 2.75m あり、左右それぞれに別の戸口が見えます。

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 (Un cilíndro en el interior de Templo Redondo)

これが直径 4.5m になる内部の円筒で、4つある窪みのうちのふたつが写っています。

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            (Parte de pintura mural en el interior del nicho)

その窪みの中ですが、何が描かれているのかわかりませんが、壁画がありました。

さてこの建造物の用途なんですが、現地の案内板には儀礼目的としか書いてなく、天文台としての性格には何も触れられていません。 チチェン・イッツァ のカラコルでは太陽、月、金星などの天体観測を行った事が学術的に解明されているようですが、これを模倣したと思われるマヤパンのカラコルは形状も 単純で、建物の用途はともかく単に形を真似ただけだったでしょうか。


Estructura 58  建造物 58
次に少し飛んで、遺跡の北西角の建造物 58 に行ってみます。 2002年以降に新たに修復されていた建造物のひとつです。

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 (Lado frontal de Estructura 58)

これは東を向いた建造物 58 の正面で、手前に見える小さな基壇は建造物 65 になります。

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 (Lado sureste de Estructura 58)

これは南東側から見上げた建造物 58 で、四層の基壇に神殿が設けられた建造物は多分ククルカンのピラミッドに次いで高い建物になると思います。

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 (Vista desde Estructura 58 hacia sur, sureste y este)

正確な高さはわかりませんが、上に登ると遺跡の素晴らしい景色を楽しめます。 上から南、南東、東の方向で、建造物番号は敢えて書きませんが、地図と 見比べてみてください。

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 (Estructura 80 Templo de los Nichos PIntados vista desde E-58)

これは建造物 58 から見える建造物 80、彩られた壁龕の神殿の西側面で、アーチ天井で閉じられた部屋の中に壁画が残っており、ここが最後の見どころに なります。


El Templo de los Nichos Pintados  彩られた壁龕の神殿
神殿の名前を 「彩られた壁龕の神殿」 としましたが、長たらしくて日本語としては少し変かもしれません。 以下 「壁龕の神殿」 と略します。

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 (Estructura 80 Templo de los Nichos PIntados)

ククルカンのピラミッドから見える壁龕の神殿をクローズアップしました。 神殿の南側です。

壁龕の神殿はマヤパンで唯一アーチ天井が残される建造物で、中央広場の北側を閉じる建造物 81 の背後にありますが、高い基壇の上に建てられた 上部神殿は建造物 81 の屋根の上に聳えていたと思われます。 神殿に上がる階段は北側にありますが、中央広場を向いてククルカンの ピラミッドや展望台と向き合った南側がより重要だったでしょうか。

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 (Lados sur y este de Estructura 80)

これは壁龕の神殿の南面を東側から見たところです。 左手前に見える低い壁は建造物 81 のもので、壁龕の神殿と建造物 81 が別個に建てられている のがわかります。

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 (Lados este de templo superior de Estructura 80)

神殿の基壇に上がり神殿の東側面です。 中の部屋に通じる戸口があり、アーチ天井の跡も確認出来ます。 現地の説明板によると部屋が7つ設けられて いたそうですが、戸口の手前に2部屋位あったように見えます。

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 (Cuarto interior abovedado)

戸口の中に入りました。 天井が高く、後古典期の建物とは思えないような非常に立派な作りです。 左側に壁龕がひとつ見えますが、壁画があるのは 南に平行した隣の部屋です。 前回来た時は 目の細かい金網で塞がれていて まともな写真が撮れなかったのですが、今回はどうでしょう。

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 (Entrada central de lado sur protejida con red de alambre)

南側に回ってみました。 やはり以前同様 細かい網目の戸で塞がれています。 でも3つある開口部の真ん中の戸口の金網に穴が…!  穴は一眼レフには 小さすぎますが、コンデジのレンズを差し込むと丁度よいサイズで、コンデジで部屋の内部の撮影に見事成功。 穴を開けてくれた犯人に感謝です。

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 (Pintura mural del Templo de los Nichos Pintados)

東西に細長い部屋は正面(北側) の壁に5つの窪みがあり、その周りに壁画が残ります。 中央の窪みが他の4つの窪みより少し高さがあり、上の写真は 中央から左へ3つ、下は同様に中央から右へ3つの窪みが写っています。

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 (Interior y exterior del domo del templo)

これは中央の窪みとその左右に残る壁画で、黄色に赤い縞が入った紐のようなもので口を開けた蛇の口が表されています。

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 (Pintura reconstruida)

この壁画は50年代には既に発見されていましたが、1996年からの最初の活動で発掘補強が行われ、改めて注目を浴びる事になったようです。  前述の Arqueología #37 に壁画の解説がありましたが、部分的な壁画と文字だけの説明では要領を得ませんでした。 しかしウェブで 情報を探していったら PARI のオンライン出版で、 マヤパンの壁画に関するPDF が見つかり、ここに載っていた復元画でやっと Arqueología の説明が理解できました。 復元図だけでなく、説明は より専門的なので関心のある向きにはお薦めです。

PDFでは初めから金星暦に触れられていますが、まず何が書かれているのか見てみましょう。 復元画には現在目にする以上のものが描かれていますが、 やはり壁画の喪失が進んでいるのでしょう。 でも一番理解に重要だったのは黒い線で書き加えられた神殿で、窪みは神殿の入口だった訳です。 5つの 神殿の間に口を開けた蛇が描かれ、その上に神殿が建てられていた事になります。

金星の会合周期はおよそ584日で、金星の5年が地球の8年と重なって 金星が同じ位置に戻ってきます。 この為 金星は5つの暦で表され、5つの神殿は 5つの金星の暦で、蛇の上に描かれた図像は暦の情報という事になるようです。 天文には弱いので説明はこの辺にしておきます。 壁画の様式は漁師の神殿 の壁画と同じ ミシュテカ-プエブラ様式になるようです。


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 (Lado frontal norte de Templo de los Nichos Pintados)

さて、久しぶりのマヤパン訪問で、超長編の遺跡説明になってしまいました。 壁龕の神殿の北側正面を確認して帰途につきます。 北側は基壇の上に更に 階段が続いて上部にも神殿があったそうですが。

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 (Estructura 64)

これは壁龕の神殿の北側にある建造物 64 です。




出口で管理人のおじさんに 壁龕の神殿の金網に開いた穴の話をすると、中に入りたければ入れてあげるよ、と。 本当ですか? もう一度遺跡へ逆戻りです。  若者がついてきて戸口をひとつ開けてくれました。

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 (El interior del cuarto con nichos pintados)

これが内部です。 足場の悪い所を若者の助けを借りて登って行ったので、コンデジだけ持参でした。
狭い場所で全て広角目一杯でで撮りましたが、 35mm 換算で、26mm になるようです。 保存の良い部分を近くで撮った写真で、今後更に劣化が進んでいくと思うと良い記録を取れました。 以下説明 無しで、壁画の左から右です。

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                 (Detalle de la pintura)



久し振りのマヤパン訪問でしたが、あまり紹介されていない修復活動の進展を確認出来た事は収穫でした。 壁画等の劣化していく様子を見たのは残念 でしたが、最後に壁龕に描かれた彩色壁画を間近に見れたのは幸運でした。 出口で管理人と若者に友情の印を渡してメリダに戻りました。 明日は カンペチェです。



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