マヤ遺跡探訪
OXTANKAH
オシュタンカーはそれ程大きな遺跡ではありませんが、古典期前期からの長い歴史を持つマヤ遺跡です。 海に近い立地の良さからか、古典期、 後古典期を通じ街は維持され、スペイン人のマヤ征服直後に建てられた礼拝堂跡まであります。

遺跡はチェトゥマル市から北へ 16Km。 カルデリータスの海岸から更に北へ進み、表示に従い 1Km 程内陸に入った所にあります。  車で30分弱でした。

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   (訪問日 2007年12月15日)
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上の Google earth の地図で下にある大きな街がチェトゥマルで、その北のカルデリータスを抜けて黄色い枠の所で左折して遺跡です。
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 (Zona de entrada del sitio de Oxtankah)

遺跡に到着です。 写真中央右のベージュ地に朱文字の遺跡の看板はメキシコの主要遺跡には必ずある看板で、遺跡名と共に州の文化遺産、国の 文化遺産と記されています。  写真左端に一部写っているのは遺跡の事務所です。

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先ず遺跡の地図の確認。 遺跡事務所の壁に掛けられた地図を北が上に来るよう反転させ、 白抜き文字で建物や広場の名前を加筆しました。 未発掘の建造物には番号がありませんでしたが、欠番振ってみました、黒いローマ数字です。

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 (Camino hacia Plaza Abejas)

Google earth で見た 遺跡事務所(右上)からミツバチの広場と柱の広場です。 遺跡の見取り図の方角は実際と少し異なるようにも見えますが、 大きな建造物がないのでよくわかりません。


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 (Camino hacia Plaza Abejas)

土曜日の昼前で駐車場ではピクニックの家族連れを見かけましたが、他には訪問者は 居ません。 奇麗に整備された道を進んでいきますが…。 

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 (Notable daño de Huracán)

これは8月のハリケーンの爪痕でしょう、遺跡の概略説明の看板は真ん中のマヤ語の部分がダメージを受けています。

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 (Estructura I de Plaza Abejas)

歩き始めて5分弱、石段を7段登るとミツバチの広場に出ます。 写真は最初に目にする建造物 I 、逆光を避けて南西側から 撮りました。 建造物 I は古典期前期の 300-600AD に建造され、後古典期前期の 1000AD 頃に 新しい建造物で覆われたましたが、現在目にするの古典期前期の古いもののようです。

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 (Templo superior de Estructura I)

早速登ってみました。 四層の基壇の上に神殿跡が残ります。 見晴らしは良いのですが、実は建造物 I の下からは墳墓が 2つ見つかり、ひとつは未盗掘で高位の人物が副葬品と共に埋葬されていました。 ピラミッドの後ろ側から墳墓に入れるそうですが…。

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 (Tabla de explicación de Extructura I)

建造物 I 神殿 の説明板です。 メキシコのマヤ遺跡は INAH がこうした焼きタイルの説明板を主要な建造物の下に埋め込んで くれるので、オシュタンカーのような情報の少ない遺跡では貴重な情報源です。

実際の訪問時は汗タラタラなので写真に撮って後で読むようにしており、墳墓に降りられる云々も実は後で読んだ次第、後の祭りでした。

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 (Plaza Abejas, vista desde Estructura I)

さてミツバチの広場の方に目を転じてみましょう。 建造物 I の前から撮ったもので、写真中央に建造物 III の階段が見えます。  右端灌木の後ろはに建造物 IV があります。

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 (Estructura IV)

灌木を避けて建造物 IV を撮りました。 幅広い基壇の上に屋根が取り付けられた建物が見えます。

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 (Estructura IV)

近づいてみました。 ロープが張られているので何か有る筈です。 ここも古典期前期 300-600AD の建造だそうで、 その後、後古典期全般にわたり増改築が繰り返されたようです。

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 (Resto de decoración de estuco debajo del techo)

屋根の下には彩色された漆喰彫刻の一部が残っていました。 でもこれだけ?っていう感じです。

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 (Parte interior del templo superior de Extructura IV )

漆喰彫刻の奥は部屋の跡で、4部屋が迷路のように繋がっている、そう説明書きにはあります。 神殿か住居か、 屋根は石造か草葺きか、特に触れていませんが、漆喰彫刻のある古典期前期のもので、簡素な 造りだったでしょうか?。 

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 (Detalle de decoración de estuco)

漆喰彫刻のクローズアップです。 仮面だそうですが上に突き出た棒状のものが鼻でしょうか、ジャガーの牙や爪も描かれている そうですが、見た目には何が何だかよくわかりません。。

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 (Reconstrucción de la decoración)

この多彩色(赤しか残っていませんが)の仮面は 1997年に修復されたそうですが、タイルの説明板の隅に図解がありました。  必死に解読を試みましたが、かすれている上に図解の制作者も推定で書いているようで、全体像の構築はギブアップしました。

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 (Parte del Extructura III, Palacio)

これは建造物 III 宮殿の部分です。 ここも古典期前期の 300-600AD 建造され、後に増改築と書かれていて、要するにそれ以上 詳しい事は判明していないみたいです。 貴族の居所であり、公務も執り行った場所との事ですが…。 

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 (Altar cuadrangular en frente del Palacio)

建造物 III の上から北側を見ると目の前に矩形の祭壇があり、その向こうの草木に覆われた小山は建造物 V の土塁です。  祭壇は古典期後期 600-900AD に造られたようです。

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 (Entrada a la tumba en el Altar)

祭壇の下からは墓室が見つかっていて鉄の扉がありますが、施錠されていました。 祭壇は後古典期に新しい祭壇で覆われて スペイン人到来まで使用されていたようです。

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 (Hacia Plaza Columnas)

次に柱の広場に行ってみます。 建造物 IX の柱からそう呼ばれているのでしょうか? ミツバチの広場にしてもその名の由来は どこにも記されていませんでした。 建造物 X の裏側が見えてきます。

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 (Lado norte de Estructura VI de Plaza Columnas)

これは建造物 VI の北側面です。 奥の小山が建造物 VIII にあたります。

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 (Lado frontal de Estructura VI)

建造物 VI を正面から撮りました。 柱の広場では一番高い建造物ですが、何の説明もなく詳細は不明です。

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 (Estructura X de Plaza Columnas)

そしてこれが建造物 X の広場に面した正面ですが、この建造物も説明版が無く詳細不明です。

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 (Estructura IX, Palacio, de Plaza Columnas)

広場の西側には横に長い建造物 IX 宮殿、があります。 柱の広場では唯一ここだけ説明板が取り付けられ、保護用の屋根もあり ましたが…。

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 (Estructura interior debajo del techo)

屋根の下はこんな具合。 古い時代の部屋跡を発掘して保護してあるようです。 説明には古典期前期に建設が始められ基壇は 多彩色の化粧漆喰で装飾されていたと書かれていますが、発掘の際に色のついた漆喰が沢山出てきたのでしょうか?  現状からは漆喰装飾の面影は全く認められません。

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 (Camino hacia Capilla Española)

ふたつの広場の見学を終え、最後に礼拝堂に向かいます。 途中はまたハリケーンによる倒木が多く見られました。

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 (Estructura cerca de Capilla Española que no aparece en el mapa)

礼拝堂の西側に地図には記されていませんが廃墟が広がり、後古典期の建造物跡のようにも見えますが詳細不明です。 判る事はこの辺りの 建造物はだいたい礼拝堂を作る時の材料になっただろうという事です。

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 (Capilla Española de estilo semi-abierto)

そしてこれがスペイン征服時代の礼拝堂。 16世紀から17世紀にかけての建造物で、80年代になってから発掘されたようです。  ユカタンのシビルチャルトゥンの礼拝堂もそうでしたが、この時代の礼拝堂は半分は外に向かって開かれていたようです。

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 (Árbol caido justo a dañar Capilla Española)

ハリケーンによる倒木が礼拝堂のアーチに向かって倒れ掛かっています。 もう少しでアーチが壊れる所でした。

教会はマヤ文明破壊の象徴ですが、この礼拝堂もまたマヤの歴史の一部と言えます。 早く倒木を片づけて保存して欲しいものです。



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