マヤ遺跡探訪
EL MECO
世界的保養地カンクンの北にエル・メコ遺跡があります。 古典期には既に小さな漁師町として存在していましたが、後古典期にチチェン イッツァや マヤパンの出先の交易都市として繁栄したようです。

このエル・メコ遺跡、市販の地図にも載っているのですが、問題はどうやってそこに行き着くかです。 と言うのは地図が間違った場所を指し示し ているからです。 地図を頼りにレンタカーで行ったのですが、後で考えるとどうやって行き着けたのか???

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   (訪問日 2004年8月25日)
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市販の地図ではエル・メコの位置はカンクンの街を北北西に抜けて潟湖の西側です。

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でも Google earth で探してみると実際の遺跡は地図とは異なります。 プンタ・サムへ行く東寄りの道をとると、街を出て 2Km位で直ぐに 遺跡でした。 イスラ・ムヘーレス島やカンクンのホテル街が見渡せる海岸べりです。

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更に拡大しました、道路に挟まれた中央にエル・メコの建造物が確認でき、波打ち際まで 100m ありません。

無料の観光地図ではなく、ふたつとも市販の地図なのに、何ともいい加減な話です。
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 (La playa de Punta Sam)

地図は間違っていたので随分迷いましたが、何とか遺跡を見つけました。 遺跡近くの浜辺からは水平線に対岸のカンクンのホテル街が見え、  文字通り、青い海、白い砂でした。

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 (Caseta de servicio de El Meco)

これが遺跡の入口事務所です。 エル・メコはアポイントベースでの公開だったようですが、少し前から常時オープンになりました。

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      (El Meco está situado cerca de la playa)

遺跡の入口前にある看板です。 海岸線から入って直ぐのロケーションがわかります。 (案内板の水色はあとから書き加えました。)  遺跡は南北に 650m、東西に 200m位広がるようですが、保護されているのは 100m 四方程度です。

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遺跡事務所の壁に取り付けられた遺跡の見取り図を加工して、簡単な地図を作りました。 見取り図には広場A, B, Cだけで 建造物番号の記載が無く、遺跡にあった案内板を手掛かりに建造物の番号を振ってみました、だいたい合っていると思います。

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 (Parte posterior del Edificio 6 de Plaza A)

前置きが大分長くなりましたが、ここから遺跡です。

上の地図の右下辺りから遺跡に入っていったと思います。 建造物6の裏側にでました。  写真右、緑に囲まれて建造物1カスティーヨ(城)が顔を覗かせます。

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      (Piedra esculpida)

これは建造物6 の辺りにあった石の彫刻です。 建物の装飾か何かわかりませんが、こんな彫刻はここだけでした。

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   (Edificio 5)

これは隣の建造物5と思われる場所ですが、基壇と柱を一部残すだけです。 カスティーヨ以外は基壇と柱、所によって 建物の外壁の一部を残して、あとは殆ど崩壊しています。

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 (Reconstrucción hipotético de Edificio 6 o 7)

広場Aの説明板にあった復元予想図、建造物番号の記載がありませんが、おそらく建造物 6か 7だと思います。  遺跡の在りし時代の姿を想像できるので敢えて載せましたが、現在残っている遺跡からは想像もつきません。  典型的な東海岸様式です。

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 (Edificio 4)

これは広場Aの建造物 4あたりです。 建造物 2も 3も基壇と建物の基礎を残して崩壊してしまっています。

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 (Edificio 1, El Castillo)

さて修復され往時の姿を留める唯一の建造物1、カスティーヨです。 四層の基壇の上に神殿が築かれたピラミッドで、 正面階段左右の手摺りの下にはチチェン イッツァやマヤパンのカスティーヨ同様、蛇の頭が置かれていました。

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 (Cabeza de Serpiente, al pie de alfarda de El Castillo)

これがその階段下の蛇の頭ですが、石像ではなく漆喰で成形してあり、崩壊が進んでいて、蛇の頭と言われないと何だか よくわからない状態です。上が北側から、下が南側からの写真です。

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 (Un cuarto adosado al sur de El Castillo)

カスティーヨの階段右には神殿跡があり、左脇には入り口と屋根が完全な部屋がひとつ残っています。

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 (Parte frontal de Edificio 6)

これはカスティーヨに向かい合った建造物 6の正面。 階段は残っていますが、基壇上部は神殿の基部のみ、上の方の復元予想図の建物 でしょうか?

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 (Edificio 7)

こちらが建造物 7です。 ユカタン半島でもこの辺りは猛烈なハリケーンが度々襲うところですから、遺跡の崩壊も 止むを得ないでしょうか。

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 (Edificio 7 de Plaza B)

カスティーヨの南側を通って広場Bにでます、これは建造物 8。 低い基壇の上に列柱が残るのみです。

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 (Edificio 12 de Plaza C)

カスティーヨの西側にある広場Cには列柱が立ち並ぶ大きな建造物 12があります。 広場C の説明版にある復元予想図はこの 建造物12にあたるようです。

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 (Reconstrucción hipotético de Edificio 12)

これがその復元予想図。 上の方の建造物 6の復元予想図同様 東海岸様式です。

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 (Lado sur de Edificio 12)

同じ建造物12の南側面です。 ここだけ壁と屋根の一部分が崩壊を免れて残っています。  壁には厚い漆喰が塗られており、写真の通り一部がまだ残っています。

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 (Esquina suroeste de El Castillo)

広場Cから見たカスティーヨの南西角です。 カスティーヨは上に登れませんが、基壇上部の神殿は北側の壁が残っている のが見えます。

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 (Edificio 1, El Castillo)
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最後にカスティーヨの正面からの写真をもう一枚。 カスティーヨは 12.5m の高さがあり、キンタナ ロー州北部では最も高いマヤのピラミッドです。



エル メコは海路の交易ルートにあったので、メキシコ中央高原や南のベリーゼ、グアテマラ、ホンジュラス等の人・物が 行き来した筈です。 当時のエル メコ、どんな光景が繰り広げられたのか、想像が膨らみます。



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