マヤ遺跡探訪
CALICA
カリカ遺跡は、コスメル行きのフェリーが出るプラヤ デル カルメンから 8Km 南にありますが、CALICA という会社の私有地になる為、 一般には公開されていません。

雑誌で見事に彩色された祭壇の写真を見ていつか行きたいと思っていましたが、知り合いの紹介で 訪問する機会を得ました。 遺跡では INAH の専門家に案内頂き恐縮でした。
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   (訪問日 2004年8月24日)
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 (Entrada a CALICA sobre Federal 307)

国道307号沿いにある CALICA の入口。 CALICA = Calizas Industriales del Carmen 、工業用石灰等の採掘、輸出を行っている会社で、敷地内 には大型運搬船用の港湾設備があり、かなり大規模なオペレーションです。

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 (Resumen del Proyecto CALICA)

まず事務所にお邪魔してご挨拶。 ひと通りの説明を伺い、写真にある調査報告書を一冊頂いて専門家と遺跡へ出かけます。 現場では専門家 の説明を聞く事が出来ましたが、報告書は事後の確認の為にとても役立ちました。

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       (Ubicación de CALICA)

調査報告書から CALICA の略図を写しました。 CALICA は海岸沿いの Punta Venado地区と国道西側の3つの地区から成り、敷地中にマヤの 住居跡が点在するので、開発に先立ち遺跡の確認と保全が必須でした。 この為 86年の会社設立以来遺跡の調査が進められ、91年-02年の INAH のプロジェクトには CALICA から全面的な支援が行われ、報告書がまとめられた訳です。

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 (Vista aérea de CALICA)

上の略図を Google earth に重ね合わせてみました。 Punta Venado地区には事務所と港湾設備が設けられています。 La Adelita 地区は まだ手つかずのようですが、La Rosita 地区の方はかなり採掘が進んでいるようです。 (Google earth の画像は 2010年3月のものです。)



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 (Esquina suroeste de Gran Plataforma de Grupo P, Punta Venado)

さてここから遺跡です。 最初に カリカ遺跡で 一番重要なグループP。 国道を CALICA の入り口から左に折れて 200m 位の Punta Venado (鹿の岬)地区にあります。  写真は大基壇Pの外側、南西角から東側方向です。

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 (Muro oeste de Gran Plataforma)

後古典期後期という先入観のある東海岸北部ですが、大基壇 P(50 x 45m)は先古典期の紀元前後、つまり 2000年 も前に築かれたものです。 写真の 1.5m位の垂直の壁は大基壇の外壁で、その上の石組みは建造物 Ⅳの裏側です。

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 (Escalinata entre Estructura IV y V)

大基壇の北西角、建造物 IV と V の間にある階段(写真右)から大基壇に登ります。 写真中央に見えているのは建造物 V の西面 です。

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地図で場所を確認しておきましょう。 大基壇の西側を廻って、北西の階段まで来ました。 大基壇の南東角に 後古典期に築かれた神殿 I があり、大基壇の東には古い時代からのピラミッド III があります。 大基壇の南(地図外)には 更に大きな基壇上に建造物跡が確認されていますが、CALICAの敷地外で手がつけられていません。

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 (Vista aérea de Grupo P)

Google earth の航空写真で確認してみましょう。 グループPの左側の白い線は国道から左折してくる道で、CALICA の敷地はこの道 までです。


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 (Estructura I, Templo de las Columnas)

階段を登り大基壇の広場に出ました。 正面(南東角)に建造物 I 、柱の神殿が見えてきます。 大基壇は西と北に建造物 IV、V がありますが、それ以外は写真の通りの広場です。

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 (Estructura IV)

広場の右側(西)にある建造物 IV 、先古典期にはこの石組みの上に、簡素な建物が建てられていました。 この大基壇 P は、古典期後期に入る頃(600AD 頃)には放棄され、後古典期に居住が再開されるまで荒れ果てていたようです。

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 (Lado norte de Estructura I)

建造物 I 、柱の神殿の北面です。 冒頭に書いた、彩色された祭壇は実はこの保護用の屋根の下で、柱の神殿はその 祭壇を覆う形で後から造られました。 祭壇も柱の神殿も後古典期後期、1200AD 以降の建造になります。

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 (Parte frontal de Estructura I)

柱の神殿の正面。 ひと回り大きな基壇の上に築かれ、2本の円柱で入口が支えられ、低層で屋根の平らな建物、 典型的な東海岸様式です。 基壇の正面には階段が取り付けられ小さな広場が広がりますが、  基壇は先古典期のものの流用です。

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 (Casa Azul dentro de Estructura I)

そしてこれが柱の神殿の内部にある、彩色された祭壇、「青い家」です。 祭壇の正面には供え物を置く台と3つの 窪みが見えます。 写真でもわかりますが、床面は漆喰が厚く塗り込められており、41層の漆喰面が確認 され常に綺麗に維持されていたようです。

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 (Pintura mural de Casa Azul)
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青い家をもう少し近くから。 鴨居の上の帯状の部分はかなり彩色が残っていますが、その上は一部を残して殆ど 消え去り、鴨居の下は左側が少し残っているだけです。 しかし瓦礫を取り除く中、この壁画が現れた時の 感動は如何ほどのものだったでしょうか…。 写真拡大をクリックすると大きな画像が開きます。
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 (Detalle de Pintura mural)

彩色には濃淡2種類の青、灰色、白、黄土色および縁取りの為の黒が使われていました。  写真は上の帯の中の青く塗られた花です。 鉤型は水の流れを意味し、流れる水の中の花 = 生命との事です。

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 (Detalle de Pintura mural)

帯の中の太い部分。 16個の四角い図案が並べられていましたが、残っているのは 11個で、写真は左から4つです。  青い図案は二つの環を絡み合わせ動きを感じさせるもので、物事の永遠の動きを表しています。

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 (Detalle de Pintura mural)

青い環の間にある、黄土色で描かれた図案、ジャガーの毛皮のようです。 ジャガーは夜の象徴、闇を貪り権力の 象徴でもあった云々、いろいろ説明が有りますが…。

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 (Detalle de Pintura mural)

入口左側の、青と黒で描かれた神。 壷から立派な頭飾りを付けた神が出現している図、と言われればそうかな とも思いますが…。

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 (Detalle de Pintura mural)

この祭壇の壁画、実は 26層にもなっているそうです。 祭事の度に描き直されたようで、ロシアのマトリョーシカ 人形さながらに、下から違う絵が出てきます。 黄土色の図案の右、縦の白い帯は下の層を試しに削ってみた跡ですが、漆喰と 漆喰の間の図柄を回復するのは至難の業です。

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 (El interior de Casa Azul)

青い家の内部右側には小部屋があり、祭壇の中のもうひとつの祭壇になっています。 ここからは漆喰の坐像が見つかっていますが、 柱の神殿、青い家、そしてこの祭壇と、三重の祭壇になっている事から、非常に重要な場所だったと思われます。

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 (Estructura II y VII)

柱の神殿前の小広場にある小建造物 II、VII です。 この辺りの小広場の床も全て漆喰で塗り固められていたそうです。

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 (Lado oeste de Estructura III y Estructura VIII a la izquierda)

大基壇 Pの東側に建造物 IIIの五層のピラミッドがあり、その北側(写真左)に建造物 VIIIの三層の基壇が繋がっています。  共に先古典期からの古い建造物で、建築当時は全体が漆喰で覆われ、漆喰彫刻も取り付けられており、発掘時に その跡が確認されています。

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 (Estructura III, lado oeste)

五層のピラミッドは直径 26mの円形で、上の神殿を含めると高さは12m位になりました。 大基壇 P 同様に古典期 後期に入る頃には放棄されてしまい、後古典期後期に再度活用されるまでかなり崩壊が進んだようです。 

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 (Estructura III, lado oeste)

基壇に切り込まれる形で階段がとりつけられていますが、700年近くに亘り放置されたので、再建時には階段を含めて 土砂で覆われていたものと思われます。 しかし再建は小規模な補修にとどまり、現在もかなり先古典期の姿を残します。

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 (Estructura III, lado sur)

後古典期後期の再建時、南側に階段が取り付けられました。 こちらは基壇に被さる形で取り付けられていますが、石組みの 精度はあまり高くありません。
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 (Esquina suroeste de Estructura III)

五層のピラミッドの南西側です。 円形と言うより角が丸いピラミッドと言うべきかもしれません。

グループPはここ迄ですが、他にもまだ見るべきものがあるようです。

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 (Templo de la Estela o Templo Kisim Nah)

車で移動しましたが、グループPから北東へ300m行った所に、キシム・ナー神殿と呼ばれる建造物が残っています。 建物の正面に石碑 が1本立っている事から石碑の神殿とも呼ばれるようです。

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 (Templo de la Estela o Templo Kisim Nah)

グループ P の柱の神殿とおよそ同時代、1300年頃の建造と推定される後古典期後期の建造物で、入口の周りには当時の 彩色が一部残されます。
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 (Pintura mural alrededor de la entrada)

入口の周りのクローズアップ、漆喰の上に塗られた青や赤の彩色が認められます。

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 (Detalle de la Pintura)

入口上の鴨居に残る彩色ですが、上塗りが重ねられた為、同じ層の壁画でないと図像が読み取れません。

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 (Detalle de la Pintura)

左側の壁の部分は少し図像が読み取れ、円柱の容器から羽が3本出ているそう ですが、何を意味するのでしょう?

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 (Altar estucado en el interior de Templo de la Estela)

建物内部に入ると、右奥に祭壇があり、一部彩色の跡が残ります。

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 (Escultura de personaje "El Kisim, Templo de la Estela)

正面左奥の壁には漆喰彫刻の頭部像が嵌め込まれています。 頭に2本の角が生えた悪魔キシムとの説明 でした。 このキシム・ナー神殿(石碑の神殿)は洞窟の上に築かれ、死界と繋がる洞窟での神事を行う 為に建てられたと推測されます。

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 (Albarrada en Grupo Mulxchú, Zona La Rosita)

最後にグループ ムルシュチュ(Mulxchú)を見てまわりました。 グループPから直線で西へ2Km、国道を 隔てた内陸側、La Rosita 地区にあります。 写真のように石を積み上げただけの境界線が広がります。

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 (Estructura I de Grupo Mulxchú)

国道の西、内陸側には当時の居住跡が点在しますが、このグループはその中でも最大で、350 x 300m の範囲に 16の建造物が確認されています。 写真は建造物 I です。

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 (Estructura III de Grupo Mulxchú)

こちらは建造物 III。 建造物 I 同様、先古典期からの居住跡の大きなものですが、基壇は粗い石積みで漆喰、 セメントの類は用いられず、家は木造藁葺きですから、当然残りません。

こうした質の低い建造物は見過ごされ壊されてしまう為、 このような形で残るのは珍しく、貴族層以外の生活を知る貴重な資料だそうです。

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 (Estructura VII de Grupo Mulxchú)

U字型の壁を持つ簡素な家、建造物 VII です。 この辺りでは古くから養蜂業が盛んで、養蜂施設も残されて いました。


これでカリカ探索を終わります。 カリカ遺跡と総称しましたが、先古典期と後古典期後期の間に大きな時代の隔たりがあり、 後古典期後期の繁栄時は隣のシカレ遺跡と繋がっていたようで、Google earth で見てもシカレは直ぐ東隣でした。  またカリカを Rancho Ina の名前で紹介する資料もありますが、同じ遺跡です。

通常見る事の出来ない青い家の壁画装飾を目にして、大満足の CALICA 訪問でしたが、恐らく現在も 一般には開放されていないものと思います。 しかし私有地内とはいえ遺跡自体は国有財産なので、会社に許可を 求めれば見せてくれるようですが…。


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