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MUSEO REGIONAL DE ANTROPOLOGIA
         CARLOS PELLICER CAMARA

タバスコ地方人類学博物館‐カルロス・ペリセル・カマラ
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タバスコ州の州都ビリャエルモサには 1980年に開設された立派な考古学博物館があります。 詩人であり考古学に造詣の深かったカルロス・ ペリセル・カマラにより 1950年に作られたタバスコ博物館がその前身で、彼の没後3年たって開かれた新しい博物館には彼の名前が冠され ました。 (博物館の前に立つ銅像は彼のもの)

ラ・ベンタからのオルメカの遺物や、モラル・レフォルマやトルトゥゲロの石碑など、是非見ておきたいものが沢山あったのですが、2007年の グリハルバ川の氾濫で被害を受けた博物館は改装の為に4年も閉鎖されていました。

博物館には 2012年世界終末説で注目を浴びたトルトゥゲロの石碑があり、終末1年前の 2011年12月に急遽再オープンされたようです。

(訪問日 2013年 1月17日)
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この博物館には実は 2004年にも来たのですが、運悪く月曜の休館日。 2011年にビラリャエルモサに来た時はまだ休館中。 今回三度目の正直 でした。 博物館はオルメカからメシーカまで1万点もの収蔵品を有するそうですが、改装オープンから1年たった現在でも展示はオルメカとマヤと 数点のソケのものだけで、まだ全面再オープンとはなっていないようです。 でも見たかったものは見れました。

博物館は INAH 管轄ではなく タバスコ州立です。 州立だからか、それとも全面オープンではない為なのか、入場料の徴収はありませんでした。

1 階に置かれた代表的な展示物  Planta Baja
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  (Cabeza Colozal 2 de La Venta)

入り口を入って正面に据えられている巨石人頭、ラ・ベンタで2番目に発見されたモニュメント2 です。 高さが 1.69m と ラ・ベンタで 4つ見つかっている人頭の中で一番小さいもので、風化も進んでおり、やや期待外れでした。 更なる風化を避ける為に博物館入りしたようで、 屋外展示の人頭1 の方が風化が少なく見映えがします。

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  (Cabeza Colozal 2 de La Venta)

目が窪み、開いた口からは歯がこぼれ、笑っているように見える事から 「笑顔」 の別称があります。


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  (Ofrendas de Olmeca, La Venta y Ojoshal)

巨石人頭の横にオルメカのナイフ、斧、小像が集められています。 翡翠や蛇紋岩などを磨き上げ、しかめ面をしたジャガー顔の雨の神などが彫刻され ます。 儀式で使われたり、奉納物として用いられたりしたようです。

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  (Monumento 13 de La Venta, El Caminante)

ラ・ベンタのモニュメント 13 「歩く人」。  ラ・ベンタ遺跡公園 で最初に展示される モニュメントでしたが、博物館再オープンの新聞記事でこの 「歩く人」 と 「モザイク‐仮面」 が保護目的で博物館へ移されたと書かれていました。  これが以前遺跡公園に展示されていたモニュメント 13 だとすると とんでもなく風化してしまっています。

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  (Monumento 13 de La Venta, foto de Parque Museo de la Venta en 2004)

これは 2004年に遺跡公園に展示されていた 「歩く人」 で、小旗のようなものを持つ人物の歩く姿が描かれ、右側に丸、クローバー、鳥の顔の 様な3つの文字記号が記され、左側には「歩く」を意味すると思われる足跡の文字記号があります。 この石彫りが上の写真のように風化して しまったとしたら、この写真は貴重になりますが。

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  (Dos estelas gigantes desde Moral-Reforma)

1階の入り口エリアにはまたタバスコ州のマヤの代表的収蔵品である石碑が2本並べられています。 モラル・レフォルマ の石碑1 と石碑2 で、写真の通り 大人の背丈を超す大きく立派な石碑です。

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  (Estela 1, Moral-Reforma)

写真の石碑1 は 1937年頃にモラル・レフォルマで最初に発見された石碑ですが、5本見つかっている石碑の中では一番時代の新しいものになり、9.16.5.0.0. (756年4月12日) の4分の1カトゥン(5年毎)を記念したもののようです。 石碑の主人公は 756年当時のモラル・レフォルマの王で、左の面では2人の 捕虜を足元に従え、右の面では捕虜の髪を掴んで斧を振り下ろす様子が刻まれ、前年の戦勝を描いているものと考えられています。

遡って、9.13.0.0.0. (692年)と 9.14.0.0.0. (711年)のカトゥンの言及もあり、バランカンにある博物館の石碑4 で知られるモラル・レフォルマの骸骨ハヤブサ王についても触れられて いるようです。

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  (Estela 2, Moral-Reforma)

こちらは石碑2 の表裏両面です。 石碑2 については詳しい説明が博物館になく、資料でもあまり取り上げられておらず 詳しい事がわかりませんが、 1945年に発見され、711年の日付が解読されるようです。 背面が全て文字で埋められていて石碑4 と造りが似ています。 656年生まれの骸骨ハヤブサ王 は 711年にはまだ王位にあって 711年のカトゥンの切れ目を祝って建てた石碑かもしれません。

2 階の展示物・オルメカ文明  Segundo Nivel - Cultura Olmeca
2階に上がります。(メキシコ風に言うと1階ですが。) 前述の通り、閉館後整備されたのはこの階までで、ここにオルメカとマヤの収蔵品が 展示されています。 説明パネルは、オルメカが赤、マヤは緑色と区別されます。

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  (Sección de Olmeca)

ここからオルメカ・コーナー。 メキシコで最も古い古代文明で、王や聖職者を頂点にした階級社会が作り上げられ、その文化はメキシコ中央高原から 中米まで広く影響を及ぼした、と言うような説明が書かれます。

個別の展示物にも説明が少しづつ添えられますが、あまり具体的な記述がなく、以下写真を中心に展示物を紹介していきます。 断りの無い限り、 殆どの展示物がラ・ベンタ周辺からのものだと思います。

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  (Escultura de cabeza de jaguar deificado ?)

この石造物はオルメカ・セクションの顔として展示されますが、個別の説明がありません。 神格化されたジャガーの頭だと思いますが、両目の 辺りが × と 〇 になっているの被り物の模様でしょうか。 他のオルメカの遺物でも見た事がありません。

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        (Personaje sedente)

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  (Representaciones zoomorfas)

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  (Monumento 70 de La Venta)                 (Governante)

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  (Personajes élite Olmeca)

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  (Personajes Miticos, procedente de la Finca San Vicente de Huimanguillo)

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  (Monumento 71 de Zapotal San Miguel)

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  (Dioses-hombres)                 (Lápida procedente de Balancán)

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  (Un personaje con tocado de jaguar)

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  (Esculturas monoliticos de hongos)

人、神、動物以外にも植物や昆虫まで石や焼き物で造形されましたが、石造のキノコが3本ありました。 マヤでは一般的ではありませんが、 カミナルフユやチャルチュアパで見られます。 オルメカの影響だったのか?

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  (Ofrenda masiva de bloques de serpentina, La Venta)

これは博物館の改装後の再オープンに併せてラ・ベンタ博物館公園から移されたらしいモザイクの仮面です。 こちらは下の 2004年の屋外公園 での写真と比べて室内移転が必要な風化は感じられません。 石は蛇紋岩だそうですが、全く緑色には見えず、この辺りが風化の心配だったの でしょうか?

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  (Ofrenda masiva en Parque Museo La Venta en 2004)



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 (Artículos de ornamentaciones)    (Pectoral de jade procedente de La Encrucijada)

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        (Artículos de ornamentaciones y ofrendas)

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  (Figurillas típicas de Olmeca)

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  (Máscaras de Olmeca)

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        (Máscaras de Olmeca)


オルメカの人形や仮面は特徴的で、各地に伝わったオルメカの影響は比較的容易に見極められます。 マヤで見られる 額を平らにする頭蓋変形や歯に飾り物を詰める歯牙変工も、オルメカの時代に既に一般的に行われていたようです。



2 階の展示物・マヤ文明  Segundo Nivel - Cultura Maya
さて、ここからいよいよマヤに移り、 説明パネルは緑色に変わります。

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                           (Monumento 3 de Tortuguero)

タバスコ州のマヤ、川と密林の支配者、と題されたマヤ・コーナーですが、説明文は比較的一般的な面白味のないものでした。 パネルの 横に置かれた石造物は、トルトゥゲロのモニュメント3 です。

でも一番の関心、この博物館の目玉は、2012年12月世界終末説の根拠とされた トルトゥゲロの石碑6 です。

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  (Monumento 6 de Tortuguero)

これがその展示で、石碑6 ではなく、モニュメント6 となっています。 縦長の石碑のように見える部分と、右上に三角形の断片があり、 この断片部分の文字がパネルに拡大され13バクトゥン云々と解説がありました。

この三角形の飛び出した部分が何なのか 釈然としないまま帰りましたが、後で調べてみてやっと納得。 モニュメント6 は上の部分が左右に 突き出て全体がT字型になっていて、石碑ではなく 壁に嵌め込まれたパネル状の石板だったようです。  T の左肩は喪失され、三角形は右肩の断片で、ここに13バクトゥンと書かれていたのでした。

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  (Dibujo de Monumento 6 de Tortuguero)

博物館での説明はあまり十分ではなかったですが、PUEBLOS ORIGINARIOS というページに画像と説明があり、ここで謎解きが出来ました。 無くなった左肩を補ったのが左の画像で、全体で T 字が確認できます。  右肩は右の画像の通り 3つに割れていて博物館にあるのは右隅の三角形だけで、他の2つ断片はアメリカの博物館と個人の所有になっているそうです。

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  (Monumento 6 de Tortuguero)

碑文全体では トルトゥゲロの王 バーラム・アハウの治世の出来事が書かれ、9.11.16.8.18 (669年1月14日) の火の儀式と建物の奉納が主な内容に なるようです。

世間の注目を浴びた 2012年についてはモニュメントの右肩部分の最後で触れられているだけで主文ではありません。  右肩部分は泣き別れた断片を繋ぎ合わせて解読した結果、13 バクトゥンと 4 ajaw 3 kankin と所謂 終末とされる日が書かれていましたが、 そこで何が起こるかの部分は文字が崩れていて正確には読み取れないようです。

暦の新しいサイクルに ボロン・ヨークテという謎の神が現れ、その即位をバーラム・アハウ王が手助けすると言うようなレトリックとして碑文の 最後の部分が書かれたという解釈もあるようですが…。 まあいずれにしても既に終末とされる日は無事に過ぎて、マヤで言う新しい時代が 始まっている訳です。

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  (Monumento 1 de Tortuguero)            (Monumento 2 de Tortuguero)

トルトゥゲロからは更に3つのモニュメントが展示され、画像左のモニュメント1 では、9.10.11.3.10 (644年2月6日) のバーラム・アハウ王の 即位日と、即位後最初のトゥン(年)を迎えて 9.10.13.0.0. (645年11月17日) に 石碑を立てた事が書かれているようです。 そして文字の下には バラム=ジャガーが彫られています。

中央と右の画像はモニュメント2 で、横に書かれた説明によると、人とヘビが合わさり、人の腕が伸びた先はトカゲの頭になっているそうですが、 何処が腕でトカゲの頭なのか? 脊髄が彫られているとも書かれていて、これは判りますが何を意味するのか?  刻まれている文字は暦と王の 名前のようですが解読されていないそうです。

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        (Monumento 3 de Tortuguero)     (Escultura de contorsionista)

左はトルトゥゲロのモニュメント3 で、頭と足元が欠けていますが、着飾ったトルトゥゲロの王との事です。

右はアクロバットの姿勢でユニークな石彫りですが、何処からのものか説明を見落としてしまったようです。


それにしても気になるのが、トルトゥゲロ遺跡そのものです。 1900年頃に発見されたトルトゥゲロは、州都の南東 60Km 位に位置し、パレンケとの 関係も指摘される重要な遺跡です。 しかし湿地の多いタバスコ州にあって、岩石質の地質を有する事から 1940年頃から建築資材の採収で乱開発 され、遺跡は消えつつあると言う指摘もあります。 無くなる前に何とかして欲しいものです。


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         (Fragmentos de Estelas grabadas con serie inicial)

イニシャル・シリーズが刻まれた石彫りの断片が展示されますが、説明はマヤ暦についてだけで、何処からの出土品か不明です。 なかなか見事な 彫りですが…。   以上マヤ関連で展示されている石造物全てです。



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   (Portaincensarion de Palenque)         (Vaso de tipo Anaranjado Fino)

左の香炉立ては見た通りパレンケからのものでタバスコ州ではありませんが、カルロス・ペリセルがパレンケから持ってきたものだそう です。

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   (Vaso con personaje que porta sombrilla)

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                  (Vaso con escena palaciega)

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        (Vasos, figurillas, escrituras, etc.)

その他のマヤの展示品です。 肖像はハイナからのもので、その他いろいろ交易されたのでしょうか。

文字が書かれたものが2点、磨かれた石灰岩に朱書きされたようなものと、成形された棒状のもの。 何だかわかりませんが、 わかったら書く事にして、まず写真だけ。


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        (Portaincensario de ceramica, procedente de Ahualulcos)

これは後古典期の香炉立てで、この時代になるとナウアトゥル系の民族が州西部に入り、香炉立てに成形された顔からもマヤとは異なる 顔つきが見られます。


2 階の展示物・ソケ文化  Segundo Nivel - Cultura Zoque
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  (Porta-Incensarios de Zoque)

最後にソケの展示物。 2点だけですが、素晴らしい香炉立てです。 左はソケの王と思われる人物が着飾ってジャガーの面を付けているようです。  右はやはり着飾った人物ですが、コウモリの頭の上に乗り、脚はジャガーの鉤爪になっているようです。 どちらの香炉立てもやや不気味な雰囲気で 、マヤとは趣が異なります。 タバスコ州中南部のタコタルパ山脈の洞窟からの出土品で、古典期後期(600-900AD)のものになります。



やっと訪問が実現できたタバスコの考古学博物館。 ここならではの展示品を目にする事が出来ましたが、まだまだ沢山展示されていない収蔵品 があるようです。 博物館の3階以上が開かれたら、また来てみたいと思います。


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