MICHOACAN
ミチョアカン州
ミチョアカンはメキシコ西部地区になり、中央高原とは文化面で趣を異にします。
プレペチャ人(スペイン人は タラスコ人と呼んだ)が優勢で、強力なプレペチャ王国を築き、メシーカ(アステカ)の侵略も撥ね退けますが、スペイン人の 侵入には表立った抵抗もなく屈服する事になります。 プレペチャの都、ツィンツンツァンを紹介します。
TZINTZUNTZAN
ツィンツンツァン
ミチョアカン州の州都モレリアはスペイン人が周辺のインディオを動員して 17世紀に建設した町で、カテドラルを中心とした歴史地区は 1991年に世界遺産に指定されました。
メキシコシティーへ戻る飛行機の出発時間まで時間があったので、タクシーを飛ばして行って見ました。 モレリア市から 60Km 位です。 パツクアロ湖沿いの高台に石組みが見えてきました。
遺跡の入口に博物館が併設され立体模型があります。 長方形に半円が組み合わせられたヤカタと言うプレペチャ族特有の建造物が 5つ並びますが、同じ形の神殿を5つも並べるのは、マヤ、アステカ他の文化でもあまり例がないと思います。 写真右は一番左側(南西側)のヤカタ 5。
ヤカタ 5を別の角度から撮りました。 半円部分の上には木製の柱に藁葺き屋根の神殿が築かれ、プレペチャの太陽神に捧げられた神殿でした。
ツィンツンツァンは 14世紀中頃 プレペチャの王タリアクリにより築かれた都で、パツクアロ湖に面した丘を利用した 450 x 250m の 大基壇の上に建造物が築かれています。 写真左に大基壇の縁が見え、この縁に沿ってヤカタが半円を前にして並びます。 右の崩れた 部分はヤカタ 4の半円部分。
ヤカタ 4と3の間には調査溝が残され、古い時代の大基壇が露出しています(写真左)。 左の写真の調査溝奥がヤカタ 3、写真右が ヤカタ 2です。
ヤカタ 2 と1 の境(写真左)と、一番北東側のヤカタ 1(写真右)です。 ヤカタは4、5回にわたって新たに表面を覆う事で大きく されたそうで、最後の表面は切り出された玄武岩で処理されています。
ヤカタを覆う表面の石には所々陰刻(写真左)が施されています、何を意味する陰刻かわかりませんが。 5つのヤカタは隣接していますが、5つの独立したピラミッドです。 北西側から見たヤカタ 1 と 2 の境界(写真右)。
ヤカタの長方形側は階段がそれぞれのヤカタに取り付けられていましたが、全て崩れていて修復されているものは無いようです。 (写真左)。 5つのヤカタの前(湖の反対側)は大きな広場(写真右)があり、北の方に建造物B、E等の建造物跡がありますが、 あまり見るべきものはありません。
ツィンツンツァンで特筆すべきは金属器の存在です。 金銀等の装飾品は中央高原やユカタン半島で見つかりますが、これは中米辺りから の交易品。 ミシュテカで例外的に精巧な金銀装飾品が作られますが、ツィンツンツァンではブロンズが装飾品のみならず農機具など の実用品として作られていました。 メキシコで一番早くブロンズ時代に入ったのがツィンツンツァン?! 写真は 遺跡併設博物館の展示。
博物館には金属器以外にも彩色土器や石の陰刻なども展示してあります。 青銅器を持ちメシーカの侵略にも屈しなかったプレペチャ人ですが、スペイン人が来なかったらどうなっていたでしょうか?