マヤ遺跡探訪

RASTROJON - COPAN
コパン遺跡中心部から北東に 2Km 離れた地域で 2007年から7年かけて発掘修復活動が行われ、2013年8月から一般公開が始まっています。  1979年に発見されたラストロホンと呼ばれるコパン川を見下ろす丘陵に位置する遺構で、ハーバード大学の支援を受けて行われた活動の成果です。

地盤の悪い傾斜地に設けられた建物群は長い間の地殻変動により極度に崩壊した状態でしたが、綿密な発掘修復努力によってコパン中心部以外では 最も精巧な装飾が施された建物が発見されるなど、コパンの歴史解明に新たな史実を提供してくれる事になりました。

( "Location" ボタンをクリックするとラストロホンの場所を記した地図が表示されます。)

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    (訪問日 2015年1月16日)
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                (Ubicación de Rastrojón en Google Earth)

コパン遺跡から国道11号をコパン遺跡村とは反対方向へ行くと、クラリオン・ホテルの看板があり、ここがラストロホンの入口です。 Google Earth で 右下に見える水路がコパン川で、並走する国道を左折した先の赤い屋根がホテル、ラストロホンはその西側の丘の上です。

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 (Señal para Rastrojón y Clarion Hotel)

写真は国道からの分岐点で、遺跡の表示とホテルの看板があります。 ここからホテルの横を通って遺跡まで登り坂が続きますが、トゥクトゥクで 来たので歩かずに遺跡まで行けます。

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 (Estacionamiento de Rastrojón)

ホテルの前には検問所があり、遺跡に来た旨を告げて通過。 写真はラストロホンの駐車場です。 遺跡の看板にはラストロホンの別名、 カン・コー・ウィッツ (大切なピューマのある丘) とマヤ語に構成された名前も記されます。 スケッチは建物を飾ったピューマの彫刻です。

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 (Camino para las ruinas)

遺跡に入り石が敷き詰められた小道を登っていきます。 左は見返して駐車場と乗ってきたトゥクトゥク、右は遺跡に向かう登り坂です。

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 (Letrero para Rastrojón - K'an Koj Witz)

登り坂の先に遺跡の看板がありました。 ここではラストロホンの名称は使われず、カン・コー・ウィッツの呼び名に統一されています。  2007-2013年の発掘修復活動と、コパン谷の他の場所では見られない、大規模な建物の崩落が見られた事などが説明されます。

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      (Mapa de Rastrojón)

看板から地図の部分を切り出しました。 地図に描かれた駐車場はどういう訳か実際は存在せず、黄色で書かれた道を北から登ってきて、現在地は 架空の駐車場から伸びた道との合流点辺りです。 5ヶ所が発掘保護されていると書かれていましたが、遺跡で説明板が設置されているのは、 建造物10、建造物12、建造物3 と建造物4 の4つで、建造物6 と5 はまだ瓦礫の山でした。 順に見ていきましょう。

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 (Rastrojón, en una pendiente de cerro)

周囲の丘陵地帯を背景にパノラマ合成しました。 ラストロホンは丘陵地帯の丘の先端にあって、周囲の谷やコパン川を見下ろせたようです。  右側の道の先で斜めになった屋根の下が建造物10 で、中央の建物が地図の赤い屋根にあたります。

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         (Galera para los fragmentos de estuco)

屋根の下には陳列台があり、発掘された断片が所狭しと並べられ、漆喰の保存と題された説明書きが添えられていました。  天井、床、基壇、中庭などは漆喰が厚く塗られており、保存された断片はこの漆喰が塗られたもので、断片を丹念に調べて修復、 復元に役立てているそうです。 地盤の悪い所に建てられた建造物は、放棄されてから程なく漆喰ごと崩れた為に、漆喰を頼りに 復元努力が可能になったものと思います。

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             (Edificación colapsada de Estructura 10)

建造物10 は写真に見られるようにコパン谷で最も崩れた遺構になりますが、大地の割れ目に建てられており、地下水を含んだ石灰岩質の地盤により 大規模な地滑りが起きて、もともと東西に 20m だった建物が 38m の長さに変形しているそうです。 建造物10 は北向きに建てられていますが、 東西に大きな亀裂が走り、南北にも3つの陥没が認められる為、残念ながら修復再建は断念されたそうです。

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         (Fachada Sur restaurada en el sitio)

建造物10 はコパン全体でも最も入念に装飾が施された建物のひとつで、修復出来ないのは残念ですが、建物全体を修復する代わりに彫刻が 施された壁面だけ復元が試みられています。 中庭に面して階段がある北側が建物正面で、南側は建物の裏側ですが、正面と同じ精巧な 彫刻が施されていたそうです。 しかし南面は崖側で建物が大きく崩れており、壁面上部中央のみ上の写真の通り現地に復元されています。

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         (Reconstrucción de Fachada Norte en el Museo de Escultura)

広場に面した建物正面になる北側は、崩れた断片を繋ぎ合せてジグソーパズルが完成し、壁面全体がコパン遺跡併設の彫刻博物館の中に復元されています。  写真は彫刻博物館で撮ったもので、幅 14m、高さ 9.2m になるそうです。

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 (Imagen central de la escultura)

壁面装飾の中心になるのは戸口上部に施された彫刻で、口を開いたピューマに象徴された大地から姿を現す王が表され、王は12代 煙イミッシュ王と されます。 歯の生えた口腔、鼻、舌、左右に目 (大地の怪物ウィッツの目) が描かれ、その左右に鉤爪、耳、耳飾り、更に蝶の羽やヘビが 刻まれます。

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 (Imagen de puma sobrenatural)

戸口の左右壁面にはカーン十字で縁取りされた壁龕の中に一対の超自然のピューマが表されます。 ピューマはヘビの様相をして、死んだ兵士の魂を 象徴する蝶の羽で飾られます。 耳飾りのキン(太陽)の記号は昼間の太陽のジャガーを連想させ、嵐の神を象徴するゴーグルと共にテオティウアカン の影響が窺われます。 同じモチーフは壁面上部角にも繰り返され、カン・コー・ウィッツ (大切なピューマのある丘) の名前の謂れになっています。

建造物10 が最も重要で中心的な建物になる為に説明が長くなりましたが、他にも修復された建造物があるので、簡単に紹介していきます。


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         (Estructura 12)

建造物12 は建造物10 の南西にある 貴族の居所だったと考えれる建物で、地盤がしっかりしているので現地で修復再建されたそうです。 6段ある 正面階段は建造物10 の6段の正面階段と同じ高さにあったそうですが、見比べてみると建造物10 が大きく東側へ滑り落ちていったのがわかります。

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 (Fragmentos de escultura exhibidos en el Museo de Escultura)

建造物12 は仮面をつけた山の神や、星や夜空の記号を伴う天空の帯の彫刻で飾られていたそうで、一部彫刻博物館に展示されていると説明されて いました。 これは彫刻博物館に 展示されたその他のラストロホンからの彫刻ですが、どれが建造物12 のものでしょう?

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 (Montículo de Estructura 6 y 5)

地図の所で書きましたが建造物6 と5 はまだ瓦礫の山のまま、 左が建造物6、 右が建造物5 の土塁です。

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         (Estructura 3)

建造物3 は内部に塗られた漆喰が良好な状態で回収されていますが、地盤の悪い所に建てられた為に大規模に陥没していて、タイタニックとあだ名 されるそうです。 建造物12 同様、貴族の居所だったようで、壁龕に飾られた人物像が見つかっていて、これは彫刻博物館に展示されています。

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         (Estructura 4)

建造物4 は居住区全体で一番北に位置し、発掘修復の過程で繰り返し建物が積み重ねられてきた事が判明しています。 コパン王朝は 426年のヤシュ・クック・モの即位をもってその創始とされますが、300年頃に建てられた木製の柱の跡が見つかっていて、コパン地域で コパン王朝以前の居住が確認される数少ない場所になるようです。 また古典期を過ぎて 950年から 1000年頃にかけての建物の跡も確認され、 822年のコパン王朝崩壊以降の居住も裏付けられるようです。


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 (Letreros de explicación en la Casa de Visitantes)

建造物4 の西隣にビジター・センターがありました。 地図の駐車場に隣接しているので、将来的に駐車場を整備してこちらを入口にする 計画なのかもしれません。 屋根の下に休憩の為のベンチがあり、ラストロホンについて説明する看板も4枚あります。

壁面装飾や個々の建物について既にかなり詳しく説明しましたが、「遺跡の解釈」 と 「特異な彫刻」 と題された看板の説明から、ラストロホン についてもう少し解説を加えておきます。

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 (Mapa de Valle de Copán - numero de estela en rojo)

ラストロホンがどういう性格を持った場所だったのかという点についてですが、彫刻の図像に戦争に関連したものが多い点とコパン谷の北東部の丘の上と言う 戦略的な立地、また多くの鏃や槍の穂先が見つかっている事からも、敵の侵入に備える防衛的な性格を持った場所だったと考えられるようです。

また有名な13代 18ウサギ王 (在位 695-738年) の前の、12代煙イミッシュ王 (在位 628-695年) は長命で在位中にコパン王朝の勢力を大きく伸ばし、 コパン谷の西に石碑19 と 10、東に石碑12、北東に石碑13 を建立しますが、ラストロホンは石碑19.10 から石碑13 を結ぶ線上に築かれており、 ラストロホンが煙イミッシュ王と深く関連した場所だった事は間違いなさそうです。

更に建造物10 に残された王の肖像は身につけた装飾から 26号建造物の神聖文字の階段に残された煙イミッシュ王と同一と考えられ、 コパンの彫刻文化が頂点に達した 18 ウサギ王の時代に先代を偲んで作られたのが建造物10 だったのではないかと言う解釈がなされるようです。

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 (Gobernante Humo Jaguar imix en la Escalera Jeroglífica y Estela 1)

左は神聖文字の階段に残される煙イミッシュ王の像で、右は石碑1 に刻まれた煙イミッシュ王です。 階段も石碑もコパン遺跡中心部にあるので、 遺跡に行ったら探してみてください。


コパンの周辺部に残された石碑 は時間の許す限り見て回りました。  ページを改めてこれらの石碑を紹介していきます。



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