上の写真は博物館の裏の中庭で、広角写真を更にパノラマ合成したのでかなり歪んでいますが、中庭の四方には
周辺の遺跡から集められた石碑や石柱等の石造記念物が保護されています。
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(Ubicación de Hecelchakán por Google Earth)
まず場所の確認。 カンペチェ市から国道を北東へ 50Km、街に入って博物館は街の中央広場の北側です。
シュカルムキン遺跡 が街の東
13Km で、ハイナ島は一般公開されていませんが、西へ直線で 40Km 位の所にあります。 博物館は暫く改装の為に閉館していましたが、
2013年末に再オープンしたそうで、今回移動の途中に寄ってみました。 どんな素晴らしい展示があるのか期待して行ったのですが…。
![画像](02.JPG)
(Plaza Principal y Museo al fondo)
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(Recepción del Museo)
中央広場北側にある黄色く塗られた建物は 18世紀の副王領時代の歴史的建造物で、1965年に当時の所有者だった州知事
ホセ・オルティス・アビラ将軍が INAH に建物を寄贈し、ここに周辺の遺物を集めてエセルチャカン考古学博物館が開かれました。
博物館の受付には彼の肖像が置かれます。
ハイナ島は陸地から 40m 沖に浮かぶ面積1㎢ に満たない小島で、古典期には交易の拠点であり、またネクロポリス(巨大墓地)として
用いられたようです。 無数の埋葬が確認され発掘されたものだけでも 1000基を超え、ここから芸術性の高い小像を含む数多くの副葬品が
発掘されています。
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(Entrada a la Sala de Jaina)
博物館受付の左側に2本の石柱が飾られた入り口があり、この中にハイナ島を中心とした小像等の展示があります。
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(Primera exhibición en la Sala)
これが展示室に入り正面のショーケースに飾られた2点で、どんな素晴らしい出土品があるのか期待した割には少し拍子抜け、
右は初期の祭司像、左は中期以降の王の呼び子ですが、もっと素晴らしいハイナ島の出土品、いわゆる逸品、傑作の類いはメキシコ・シティーや
カンペチェ市の大きな博物館に集められているようです。
国立人類学博物館のハイナ・コーナー にはより質の高い展示品が
あり、
カンペチェのマヤ考古学博物館のハイナ・コーナー も同様です。
ハイナの小像には古典期前期に遡る非常に手の込んだ逸品から後古典期の型で作られた汎用品まで種々ありますが、
時代を追った製法の変遷などはカンペチェ・マヤ考古学博物館のところで解説してあり、ここでは写真による展示品の紹介に留めます。
![画像](12.JPG)
(Figurillas de diferentes épocas en exhibición)
これがエセルチャカン博物館の収蔵品で、ハイナの初期、中期、後期の小像はカバーされますが、特に目を引くようなものは無く、
期待して行った割にはちょっと残念でした。
![画像](07.JPG)
(Muñeca articulada)
これは手足が曲げられる少女の人形で、特に目新しいものではないと思いますが、高さが 48cm もある大きく立派なものでした。
![画像](08.JPG)
(Figurilla de auto sacrificio por enema)
こちらは少し変わった呪術師がモチーフの小像。 バルチェ酒を後ろから挿入する事で幻覚作用を引き起こして神と人との媒介者となるそうで、
腹部が膨れあがっています。
![画像](14.JPG)
(Dios Jaguar o Sol Nocturno del Inframundo)
これは冥界の夜の太陽、ジャガー神を模った頭部像で、他所ではあまり見た事のないものでした。
![画像](15.JPG)
(Silbatos y Flauta en la forma de los animales)
マヤ信仰では動物は重要な存在で、亀や梟などは一般的なハイナの呼び子になりますが、中央の鳥を模った笛はなかなかの出来でした。
![画像](21.JPG)
(Ceramicas Rituales y Ofrendas)
ハイナ島で儀礼に用いられたり、また副葬品として納められた土器類も沢山展示があり、他地域からの交易品も含まれるようです。
![画像](20.JPG)
(Incensarios de origen Chicanná y Brasero de origen Becán)
左の2点はチカナ遺跡からの香呂、右はベカン遺跡からの火鉢だそうですが、何故この博物館にあるのか、寄贈されたものでしょうか?
石造記念物の中庭へ行く前に、入口エリアに並ぶ3本の石造物をを見てみます。
(Estela, Región de Hecelchakán)
(Columnas 5 y 6, Edificio Sur de Grupo de la Serie Inicial de Xcalumkín)
左は受付の横に置かれた石碑でオレンジ色の石灰岩に儀礼に赴く戦士の姿をした貴族が刻まれ、左上にマヤ文字が4文字分ありますが
判読は難しそうです。 出所はシュカルムキンではないそうですが、正確な場所はわからないようです。
2本の円柱はシュカルムキンからで、イニシャル・シリーズのグループの南の建造物の入り口を支えていた円柱5 と 6 です。 南の建造物は
現在は修復されて無地の柱に置き換えられています。 この円柱は 2001年に旧建築博物館にありましたが現在はここに移され、新しい建築博物館
には代わりに円柱3 と 4 が展示されています。 円柱6 にはシュカルムキンの王の名前がサハルの称号と共に刻まれ、状態も良いことから
2013年から
首都で行われた大規模なマヤ展 に出展されていました。
![画像](23.JPG)
(Patio de los artículos líticos monumentales)
さてここから石造物の中庭です。 受付から奥へ抜けると中庭に出て、写真は南西角から北東方向を見たところで、中庭の四方に石造物が
並べられます。 状態の非常に良いものもありますが、風化してボロボロになったものも含まれ、風化していてもせめて出所が明らかになれば
それなりに意味合いも増すのですが、整然と並べられているだけで残念ながら説明が一切ありません。 シュカルムキンからのものが多いようですが、
シュコンベック、イツィムテ、シュクロックと言った周辺の遺跡からも集められているそうです。
![画像](24.JPG)
(Exhibición de lado sur del patio)
これは展示室を背にした中庭の南側で、石造物が6本並べられ右隅には断片化した石碑があります。
![画像](27.JPG)
(Exhibición de lado sur del patio)
立ち並ぶ6本の中で1本を除いて全て円柱で建物の入り口を支えたもののようです。 左から4本目の導入文字から始まる碑文の円柱は
保存状態も素晴らしく、出所は何処になるのでしょう。 床に置かれた断片は石碑と円柱の上に置かれた柱頭のように見えます。
![画像](28.JPG)
(Exhibición de lado oeste del patio)
続いて中庭の西側で、石造物が9点ありました。
![画像](31.JPG)
(Exhibición de lado oeste del patio)
左から4番目の円柱の上に乗る柱頭(写真中段中央)は 2013年からの首都の大規模なマヤ展に展示されていたので、
出所がシュカルムキンの柱頭とわかりました。
円柱 15 の柱頭と書いてあったので、下にあるのが円柱 15 と言うことになりそうです。 碑文には円柱6 と同様の王の名前が記されます。
右にある石柱と柱頭も様式が似ていてシュカルムキンからのものでしょうか。
![画像](32.JPG)
(Exhibición de lado norte del patio)
これは中庭の北側に展示される5点です。
![画像](34.JPG)
(Exhibición de lado norte del patio)
北側は主に石碑で、一番左のものは厚みがあり側面にも碑文が刻まれた立派なものですが、何分にも風化が著しく出所もわかりません。
![画像](35.JPG)
(Exhibición de lado este del patio)
中庭の東側にも不完全な石碑が3点ありました。
![画像](37.JPG)
(Exhibición de lado este del patio)
ひとつひとつ見るとそれぞれ立派な石碑だったように見えますが…。
それにしても素晴らしい石造物がいろいろ有るのに、展示はともかく説明パネルを用意するとか、もうひと工夫有ったらと思いました。
ハイナ島の展示品は期待した程のものではなく、石造物も説明がなく出所すらわからない状況で、満足感が今ひとつの博物館でした。
でもまあ気になっていた博物館がどんなものだったのかわかり、ひとつの地方博物館として見るとそれなりだったかもしれません。
![画像](38.JPG)
(Iglesia de San Francisco de Asís al norte de Plaza Principal)
折角なので広場の反対側にあるエセルチャカンの教会へ行ってみました。 サン・フランシスコ・デ・アシス教会で、建造は16世紀に
遡るそうです。