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Museo Sylvanus G. Morley, Tikal

          ティカル遺跡・シルバヌス・モーレー博物館

初めてシルバヌス・モーレー博物館に行ったのは 2003年でした。 この時は博物館は現在と違う場所で、石碑 31 と ハサウ・チャン・カウィール王の墓所は圧巻でしたが、その他の展示は雑然としていて、有料かつ写真撮影禁止でやや 興醒め、2010年の2度目のティカル訪問では 撮影禁止を再確認して中には入りませんでした。

その後 日本からの支援でティカル国立公園文化遺産保存研究センターが完成し、2015年1月時点でこれまでの博物館は 閉鎖、同センター内に移転していました。 石碑と墓所がまだでしたが、その他のティカル遺跡からの重要な出土物は 展示パネルと説明書きと共に展示されており、ティカル訪問の際は必見の博物館になりました。 基本的に撮影禁止は 変らないのですが… 。

  (訪問日 2015年 1月 19日)  画像


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        (Entrada al Centro de Conservación e Investigación Tikal)

これは保存研究センターの入口で、センターは日本の援助で建設されたのでグアテマラの国旗に並んで日の丸も見えます。  研究と保存作業の為の施設や出土品の倉庫の他に遺物の展示スペースが設けられ、ここにシルバヌス・モーレー博物館 が移転されています。 (2014年頃は元の博物館も開いていたようですが、今回閉鎖されていました。)

博物館に入ると中庭の周りがギャラリーになっていて 奥のデスクで入場料を支払います。 30ケツァールでした。  主要な展示物はギャラリーの奥ですが、ギャラリーにある展示物にも見るべきものがあり、ここは撮影可でした。

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  (Mascara de piedra verde, Entierro 85)   (Brazalete de conchas y hueso, Pendiente de concha, Entierro 167)

左は埋葬 85 からの緑色石の仮面で、北アクロポリスで発見されたこの埋葬はティカルの初代王ヤシュ・エブ・ショークもの という説もあり(古代マヤ王歴代誌による)、紀元 90年頃に遡るティカル王朝最初期の遺物になるのかもしれません。

右も北アクロポリスの地下で発見された埋葬 167 からの貝製の腕輪とペンダントで、上の仮面同様 先古典期後期に遡る ティカル初期のものになります。

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           (Placa de Leiden, Copia donada de Holanda)

ギャラリーにはライデン碑版のレプリカも展示されていました。 実物はオランダのライデンにある国立民族学博物館所蔵ですが、 これはオランダから正式に贈られた複製だそうです。 実物より図像、文字が鮮明なので、しっかり写真に撮りました。  詳しい説明は マヤの暦 のページを参照ください。  西暦 320年の日付が刻まれ、ティカルで作られたものと考えられる翡翠製の帯飾りです。

Sala de Exhibicion   展示室
さて展示室です。 ここは原則撮影禁止なのですが、係りの人に聞いてみると、「説明パネルは撮影OK、展示品も他に来館者が 居なければ撮っても良いよ。」 と有難いお言葉。 こちらがマヤに興味を持った日本人とわかっての事ですが、日本からの文化協力 のお蔭でしょう。 それ程来る人も多くない博物館で、しっかり撮影させて貰いました、暗いしガラスの映り込みもあり条件は 良くありませんが。

以下主要な展示物のみ簡単に紹介しておきます。


埋葬 10   Entierro 10

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まずヤシュ・ヌーン・アイーン1世 (379-404? AD) の埋葬 10 の副葬品、北のアクロポリスの建造物 5D-34 からで、 展示の他に壁に説明パネルがありました。 ティカルにテオティウアカンの勢力が入り最初に即位したヤシュ・ヌーン・アイーン1世で、 副葬品からはテオティウアカンの影響も見られます。

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  (Vasija estucada con tapadera, Entierro 10, Estructura 5D-34)

蓋付きの漆喰彩色された容器で、神の姿はメキシコ中部の影響を示します

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  (Incensario antropomorfo, Entierro 10, Estructura 5D-34)

戦争の神を模った彩色香炉で両手で生贄の首を捧げます。 上の容器共々撮影不可エリアですが、重要な出土物なので お言葉に甘えて撮らせて頂きました。


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  (Ofrendas de Entierro 10, Estructura 5D-34)

埋葬 10 からの出土物は他にもいろいろありますが、写真はこの辺にしておきます。



埋葬 195   Entierro 195

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        (Figuras del Dios K'awil, Entierro 195, Estructura 5D-32)

次に 動物の頭蓋骨王 (~593-628~ AD) の埋葬 195 の副葬品です。 動物の頭蓋骨は ティカルがカラクムルの勢力に敗れて 暗黒時代に入った際の最初の王で、墓所は北アクロポリスの建造物 5D-32 で発見されています。

副葬品の中で特に注目されるのは 漆喰彩色された4体のカウィール神の木像で、木は朽ち果てていましたが石膏を流し込んで 元の形で取り出したそうです。



埋葬 116   Entierro 116

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埋葬 116 はティカルで最も有名な王、ハサウ・チャン・カウィール (682-734 AD) を葬ったもので、1962年に神殿 I の地下で 発見されています。 宿敵カラクムルを破り、ティカルに繁栄を取り戻した王の副葬品は非常に豪華で、元のシルバヌス・モーレー 博物館には墓所の再現がありました。 (近い将来 石碑 31 共々、新しい博物館に移して貰いたいものです。)

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    (Vasos cilindricos, Plato con forma de caracol, Entierro 116, Templo I)

副葬品の彩色土器の一部が新しい博物館に展示されていました。 有名な 翡翠製の蓋付き円筒容器は首都の国立博物館 に展示されて いますが、同じ所に納められていた土器類です。



埋葬 196   Entierro 196

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続いてハサウ・チャン・カウィールの後を継いだ イキン・チャン・カウィール王 (734-746~ AD) の埋葬 196 で、中央アクロポリス 西端になる建造物 5D-73 で見つかっています。 (発見場所から息子の 28代王の墓ではないかとの説もあるようですが、そうなると イキン・チャン・カウィールは神殿 IV の地下にまだ眠っている?)

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     (Vaso cilindrico de los Colibris, Entierro 196, Estructura 5D-73)

コリブリ(ハチドリ) の円筒容器と呼ばれる副葬品の壺には王がコリブリの被り物を付けた人物と会話している様子が描かれます。  描かれた文字からはカカオ飲料を飲む為の容器で、所有者は キニチ・アー・チャク・ツゥクテと読めるようですが、これが イキン・チャン・カウィールの別名なのかどうか?
同じ埋葬から発見された 翡翠製の蓋付き円筒容器はこちら。

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     (Jade tallada en la forma de Jaguar, Entierro 196, Estructura 5D-73)

翡翠の塊から丸彫りされたジャガー像も副葬品として納められていました。 重さは 1300g あるそうで、 王墓に相応しい副葬品ですが、果たして王は誰?



他にも魅力的な展示物が沢山あるのですが、基本 撮影不可なので、この辺にしておきます。 訪問して 1年経つので、 そろそろ ほとぼりが冷めた頃かと。  ティカル訪問の際は是非 訪問される事をお勧めします。

 ( 展示パネルの写真は大きなファイルをアップしてあるので、コピーペイストすると大きな画像で説明文が読めると思います。 )
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